第29章-④ 延々、人捜し
ベニントンに到着した。
ごみごみとした町だ。
この町は大陸にあっては高緯度地域に属し、寒冷地域ではあるが、内陸にあるため乾燥している。にもかかわらず30万人を超える巨大人口を養えているのは、東にそびえるシンシナティ山脈からの豊かな水源と、広大な平地を活かした畜産や小麦の栽培などで、食料がまるで天から降ってくるように肥沃な土地柄であったからだ。
この街はまた、合衆国領における最大の戦略的要地でもある。北は首都ブラックリバーからウェアラム街道が伸び、この街を過ぎてからはカンタベリー街道と名前を変え、南東に向かって旧ブリストル公国の都カンタベリーへと続く。カンタベリーは王国軍によって破壊され、地上から消滅したが、道路までもが掘り返されたわけではない。さらに街の東にはバブルイスク連邦との国境に位置するシンシナティ山脈が壁のように南北に並び、その山間をポトマック山道が縫うように走って、連邦領とこの合衆国領ベニントンをつないでいる。ポトマック山道はこの街を通って西に貫く際にやはりペンサコラ街道と名前を変え、そのまま合衆国第三の都市オリスカニーにまで到達する。
かくのごとく、ベニントンは四方に要所へ続く街道が伸びているために、大陸で最も交通の便に恵まれていると言われている。商業取引の規模の大きさでは首都ブラックリバーを凌ぐとされるのも、こうした農業的地盤と、経済的条件のよさからきている。
そのため、市場はとにかく割れるような活気である。中心街、つまり上記に挙げた四本の街道が交わる交差点へと近づけば近づくほど、騒音と人の多さはミコトがときに危険を感じるほどであった。人口の点では教国の都であるアルジャントゥイユの方がはるかに多いが、向こうは大昔に百万都市たるを目指して人工的につくられた街であるだけに、道路にも街区のつくりにも余裕がある。狭いところに人が無秩序に密集しているという点では、ベニントンの方が人が多く感じる。
しかも、治安が悪い。
「ここ数年、旧ブリストル公国からの難民がひっきりなしに流入して、勝手自儘にベニントンの近郊に住みつくために、この街は治安が乱れているそうです」
店の品を盗まれでもしたのであろう、棍棒を持った男が泥棒を追いかけ回しているのを横目に見ながら、アオバが言った。
「旧公国領は、ひどい有り様でしょうね」
「王国に制圧されてからは、本国を上回る重税を課せられ、背けば厳しく罰せられます。大都督のチャン・レアンは、ゲリラに協力した町をすりつぶすようにして破壊し、住民を残らず虐殺することもあるそうですが、それでも旧公国領の民衆は陰でゲリラに援助を行っているそうです。ただ、民衆の困窮を想像すると、同情に余りあります」
「そうね、私たちの祖国も、旧ブリストル公国領も、スミンが現れてから、すべてが変わってしまった」
スミンこそが諸悪の根源である。それをサミュエルは後ろで聞いていて、どう思ったかどうか。
ベニントンでの人探しは長期化すると見て、街区の中心部に宿をとった。が、このあたりは物価が上がっていて安宿がない。それにいい加減、金がなかった。当面は小さな部屋に5人で泊まって、手分けして金を稼ぎつつ、情報収集をするしかない。
ミコトは服の仕立て、アオバとミョウコウは狩猟、アリサは花売りと、およそひと月にわたって働き、資金を得た。サミュエルはその間、商家や医院、教会などを丹念に回って、レティやその弟のマシューなる者の手がかりを集めている。
「サミュエルさん、今日もよくないですか」
「はい、あちこち聞きましたが」
難航している理由は二つある。一つはマシューという名前はこの街ではさほど珍しくなく、特に老年層ではごくありふれているらしいこと。いま一つは、単純にこの街の人口の多さである。つまり、人が多すぎる。
「サミュエルさん、あまり気を落とさないでください。明日からは全員で手分けして情報を集めて、手がかりを見つけましょう。焦っても、いいことはありませんから」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「私、サミュエルさんと一緒に探します」
そう言いだしたのはアリサである。ミコトは少々、不安に思ったが、二人で行動させることにした。これまでも、サミュエル単独で動いてもらっていたし、特に心配することもないであろう。ミコトにはミョウコウがつき、アオバのみサギリを連れ一人で行動する。
こうして再びマシューの行方を求めることになった。
が、この頃には一行の誰もが、この巨大な街からマシューという名前の老人を見つけ出すのは不可能なのではないかと思い始めていた。サミュエル自身も、である。
その日も、情報の集まりそうな場所であれこれと聞き回ったが、はかばかしくない。昼になって、アリサが足の痛みを訴えたために、宿に戻った。来る日も来る日もひたすら歩き詰めだったから、無理もない。
「アリサさん、今日はもう休みましょう」
「すみません」
「僕は、もう少し一人で街を回ってみます」
「サミュエルさん」
一人にしないでください、とアリサは言った。その声がサミュエルの予想を超えて寂しげであったので、彼は仕方なく浮かせた腰を下ろした。
アリサはベッドから両腕を伸ばし、サミュエルの手をやや強引に握っている。
「サミュエルさん、もうあきらめましょう。これ以上は、どれだけ探しても見つかりません」
「アリサさん。それはまだ分かりません」
「まだ探すのですか?」
「見つかるまで、探します。僕はもう迷わないと決めました」
「私、もっといい方法を知っています」
「いい方法?」
「サミュエルさんの、術者としての思念を強める方法」
サミュエルは、この少女の意図をつかみかねた。そのような方法があるのなら、なぜ今まで黙っていたのであろう。そのような方法などなく、あるとすればそれは術者レティが力を託した氷晶だけで、それを求めて長い旅を続け、このように足が棒になるほどにまで歩き続けていたのではないか。
サミュエルが困惑したまま黙っていると、アリサは彼の鈍い反応に焦れたのか、掌に力を込めた。
「祖父に聞きました。術者は古来、この方法をもって、互いの思念を極限にまで高めたのだとか」
「互い、というと?」
「術者と術者が交わるとき、その思念には大きな変化があるのです。サミュエルさんも、闇の術者スミンと交わったのでしょう?」
アリサの、あまりにも直線的な問いかけに、サミュエルの肩や首筋が縮み、こわばった。アリサは構わず話を続ける。
「そのとき、サミュエルさんはスミンに思念のほとんどを消費させられてしまったそうですが、似たようなことが術士奇譚でもありました。思い出してください。古の術者アルトゥは、妹の仇である梟雄セトゥゲルに交わりを持ちかけ、結局は彼の思念を根こそぎ吸い取り、肉体を朽ち果てさせました」
「つまり一部の術者は、相手の思念を奪ったり、減らすことができる?」
「少し違います。術者がその肉体の器を通して交わるとき、互いの心のありようによっては、自分や相手の思念を強化したり、逆に損なうこともできる、ということなのです」
「けど、アリサさんは術者ではないはず」
「今はそうです」
まさか、とサミュエルはある予感を抱いた。そしてそれはすぐ、アリサの口から現実となった。
「私は古の術者アルトゥの末裔たる資格をもって、サミュエルさんから導きを受け、術者になります。そしてサミュエルさんと交わり、あなたの思念を高めます。二人を結ぶ情愛が強ければ、サミュエルさんは今の数倍の思念を手に入れることができるはず」
「ちょっと待ってください」
「いいえ、今すぐ」
ぐい、とアリサは彼の腕を強く引っ張って、彼をベッドの上に招いた。勢い、アリサに覆いかぶさるような体勢になる。
「私を愛してください」
そう言って、彼の首に両腕を絡めるようにした。サミュエルはなおも拒むことができない。相手を傷つけたくない、という思いが、彼は強すぎるのである。
アリサは意を決して、彼を引き寄せ、その唇を奪うように口づけをした。
サミュエルにとっては、不幸なこともある。
ちょうどそこへ、ミコトが帰ってきたのである。




