表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第28章 ノインキルヘン会談
215/230

第28章-③ 会談 第3日目

「クイーンが帝国の民主化をお認めになった件、どう見る?」

 このような問いは、会談2日目の夜、ホテルやバーの片隅でいくつも繰り広げられたに違いない。もとより会談の内容は極秘とは言え、人の口に戸は立てられず、波紋は今後、幾何級数的に広がっていくはずである。

 ユンカースとローゼンハイムは、会談の参加者としてクイーンと同じホテル「ケーニッヒシュトゥール」に滞在している。彼らとしては、人民の手で新たな国をつくるという志を持っている以上、民主化の方向性そのものに大きな反発も違和感もないが、クイーンの淡白さが気になる。先述したように、教国の国益を考えるのであれば隣国の民主化は歓迎すべからざる事態であるし、合衆国の影響力拡大を黙認するかのようにもとれる。

「クイーンはどういうおつもりだろうか。心底、帝国とは戦争を仕掛けられたから戦ったまでで、武力をもって屈服させたらのちのことはどうでも構わぬ、ということだろうか」

「いや、クイーンはこと外交に関する限り、そこまでお人好しでもなければ先の見えない方でもないはずだ」

「ならば、貴様にはクイーンの真意が分かるのか」

「分からん、さっぱりな」

 かくのごとく、切れ者のユンカースでさえ、クイーンの狙いを読むことは難しかった。そも、クイーンは今回の会談に何を求めているのか、何を終着点と置いているのか、こうなってくるとよく分からない。

 しかし、ユンカースとしてはたとえクイーンの腹中の全容を知ることができなかったとしても、すでに彼女に対する無形の信頼が醸成されており、まずはなるようになるのを見届けようかとは考えている。

「クイーンにはクイーンのお考えがあるだろう。そしてそれは帝国、もとい新生ノルン共和国にとって悪いようには決してならないだろう。任せるべきところは任せるさ」

「貴様らしくないな。貴様は、事態のすべて、選択のすべて、結果のすべてを知り、すべてを制御したいと思っていたんじゃないのか。ずいぶん人任せなことを言うようになったじゃないか」

「俺はそこまで自惚(うぬぼ)れていたつもりはない。今回はクイーンに任せるほかはないから、見届け人に徹するというだけだ。あの方は、少なくとも今までのところ、どの局面においても俺の才能を上回る見識を示されてきた。どれも最良か、最良に近い結果を生み出してきた。ただし、いずれ、ノルン共和国が俺の理想を裏切る国家であると分かったときは」

「倒す、か」

「そうだ。理想の実現に役立つ者は誰でも利用する。邪魔する者があれば誰であろうと倒す。クイーンも俺のそうした大義、あるいは野心を知った上で利用している。無論、邪魔になれば切り捨てられるだろうさ」

「クイーンはお前とは違う」

「貴様は甘いな。権力者というのは、誰でも君子の皮をかぶっている。油断すれば、いつでも奪われ、殺されるものだ」

「命を救われただけでなく、あれだけ世話になっておいて、よくもそんなことが言えたもんだ。貴様といると酒がまずくなる。また明日な」

 結局のところ、彼らのように多くの者がクイーンの決定については懐疑的ではあった。ただ懐疑的でありつつ、クイーンが間違えることはないだろう、という奇妙な信頼、言い換えるなら信仰心が、彼女と関係が深いほど強いようである。

 駆け引きの当事者である合衆国代表団のメンバーも、クイーンの意図を洞察することができないでいた。

 この時点で、クイーンは自身の考えを、エミリアと、第三師団長のレイナート将軍に対してしか明かしていない。

 続いて会談3日目である。

 新国家の概要が前日に決まったところで、この日はノルン共和国の教国及び合衆国に対する賠償責任と国境線についての確認から始まった。議題の提起は合衆国大統領首席補佐官のトンプソンからである。

「本日はまず、共和国が我が国並びに教国に対して賠償金を支払うべきか否か、領土の割譲を含めた従来の国境線に関して移動をさせるべきか否かを検討したいと思いますが……」

「我が国は、共和国に対する賠償請求権と領土請求権を放棄します」

 まさに雷撃のごとき速攻、と言ってよいであろう。特に共和国の人々にとって、敗戦国の負う手かせ足かせとして、賠償と領土割譲は重要な懸念事項であった。この二点に関する責任が免除された場合、共和国は体制の変更による一時的な混乱と軍事力の低下を除けば、その経済基盤にほとんど打撃を受けずに済むかもしれない。ただ、多額の賠償金と領土の割譲が認められた場合、共和国は国力のあらゆる面で縮小することとなり、相対的に教国及び合衆国に対する地位が低下する。新体制の骨格を定めるのと同様なほどに、このあたりは共和国の将来に大きく影響を及ぼす部分である。

 だが、クイーンはまさに電光石火の奇襲によって、この件に関する結論を出してしまった。教国側が放棄する以上、軍事的成果の点で教国に大きく後れを取る合衆国だけが請求するわけにもいかない。

 ブラッドリー大統領はいわば、口を封じられたも同然であった。

「我が国も同様に放棄します」

 議場は一時、喧騒(けんそう)に包まれた。共和国の代表団が、互いに手を叩き、抱き合い、喜びを口にしたからである。

 会談の終了とともに調印されることになる新国家設立の宣言書に賠償と領土割譲の免除が明記され、またクイーンの要望によって、民衆弾圧や戦争の開始、戦争の遂行、そして人道に対する罪が認められる者を共和国の責任において裁くことが正式に決定された。

 ここで、エミリアが発議(ほつぎ)をした。

「先ほど、領土に関しては従来の境界線を維持することで決定されました。ただし、先ほど議論の対象になったのは共和国と我が国、共和国と合衆国の境界についてです。いま一つ、従来という言葉の定義をどこまで広げるかによっては、かつてのコーンウォリス公国領の統治権について議すべき必要があると考えます」

 (コーンウォリス公国、何を言い出すのだ)

 ブラッドリーとトンプソンは不審げな顔を見合わせた。コーンウォリス公国など、とっくに地上から消滅し、今となっては跡形もないではないか。確かに、コーンウォリス公国は王族内に不幸や争乱が相次いだために正式な相続者がいなくなり、ヘルムスが首相の座に就くとともに、この国の領土をいわば空白地帯であるとみなして旧帝国によって併合された国ではある。しかしそれは今回の教国や合衆国に対する戦争とはまったく関係がないではないか。

 クイーンはしかし、エミリアの意見に賛意を示した。

「もしヘルムス総統の統治そのものに正当性がなかったとするなら、彼が進めたコーンウォリス公国の併合という政策についても我々は正しく吟味(ぎんみ)する責任があります」

 少なくとも彼にとってこの提案はハプニングだったのであろう、汗を()きながらトンプソン補佐官が確認した。

「陛下、それは共和国からコーンウォリス公国を分離独立させるということでしょうか」

「経緯を改めて精査する必要はあるでしょうが、旧帝国がコーンウォリス公国を併合したのは正当性を欠く行いでした。今、レガリア帝国がノルン共和国として人民自身の手で立ち上がろうとするとき、旧コーンウォリス公国の人々が彼ら自身の要求によって自らの地位を回復しようと望むなら、我々には正しい裁定を下すべき道義的責任があるのではないか、ということです」

「それでしたら、本日は共和国代表団に、旧コーンウォリス公国領の代表として、第五管区副知事のトリッピアー殿をお呼びしております。ご意見を伺ってはいかがでしょうか」

「トリッピアー殿、ぜひご意見を聞かせてください」

 あれよあれよという間に、クイーンとエミリアが話を進め、体躯(たいく)に恵まれた少壮の男性が末座で立ち上がった。旧帝国の第五管区は、旧コーンウォリス公国領全域であり、副知事は知事とともに地方行政の全権を掌握する政治家である。それにしては、若い。デューリング宣伝大臣との縁故があり、中央に太いパイプがあったからだと言われているが、それだけでなく、特に組織管理や地方経済に関しては目を(みは)るほどの実績を有している。自信が顔にも出ており、ただそれはどちらかというとふてぶてしさや沈着さよりは、むしろ稚気(ちき)が豊かであった。つまり反骨心や栄達欲といった子どもっぽい内面が、一種の愛嬌をともなって顔面に露出している。

「意見の表明を許していただき感謝します。コーンウォリス公国の正統な後継者はもはや現存しておらず、公国の復活は望めぬかと存じます」

 合衆国と共和国の代表団はともに胸を撫で下ろしたが、次の瞬間、彼らの脳天に無形の金槌(かなづち)が振り下ろされた。

「私は、旧コーンウォリス公国領のロンバルディア教国への所属を望みます」

 愕然とする人々に冷然と横顔を向けながら、トリッピアーはひたむきにクイーンの方だけを向いて続けた。

「私の知る限り、少なくとも旧コーンウォリス公国領にて、教国軍は決して無法な振舞いはなさらなかった。例外的に間違いが起こっても、その都度、厳罰に処せられた。不足があれば貴重な物資を分けてくださり、民をいたわってくださった。誰もが教国軍を歓迎し、その統治を受けることを望んでおります。我々にとって旧帝国は侵略者であり、たとえ政体が変わろうと、抑圧を受け、二等国民としての扱いを受けたわだかまりは消えません。公国の復活がかなわぬ以上は、ぜひとも教国に治めていただければありがたく、このように熱望する次第です」

 ブラッドリーやトンプソンら合衆国代表団、モルゲンシュテルンら共和国代表団もみな、目の前が真っ暗になる思いを味わった。

 合衆国からすれば、共和国の民主化を進めて思想的侵略を行い、ゆくゆくはこの国を合衆国の保護下に置きたいという遠大な計画を持っているわけだが、共和国領の4割近い面積を占める旧コーンウォリス公国領を教国に奪われてしまうのでは、そうした施策のうまみも減ってしまう。クイーンとエミリアの連携、手際のよさからして、トリッピアーも含めてあらかじめ台本が出来上がっていたのに違いない。これは旧コーンウォリス公国領の副知事の要望という形式をとってはいるが、事実上の割譲ではないか、と思った。共和国代表団の感想も、ほぼ似たようなものである。

 が、クイーンはトリッピアーの希望に感謝を述べつつ、教国の属領とすることには明確に反対の意を示した。我が国には領土的野心はない、首都を攻め落とし政権を打倒し、新国家建設を支援するのはあくまでそうせねば旧帝国との平和と修好を望みえなかったからであり、必ずしも本意ではない、コーンウォリス公国の復活ができぬなら、当該領土は引き続き共和国領に属し、新たな選挙制度のもとで議員を選出し、その影響力の範囲内で発言権を行使すべきだ、というむねのことを、丁寧に述べていった。

 しかし、トリッピアーも教国による支配がいかに民衆にとって利益があるか、民衆自身が望んでいるかを主張してなかなか引き下がらない。

 この間、合衆国と共和国の代表団は、蚊帳(かや)の外である。

 そして、エミリアが折衷(せっちゅう)案を提示するかたちでこの議論に決着をつけた。

「それでは、いかがでしょう。旧コーンウォリス公国領は、あくまで共和国領とするが、期間をもうけて教国が租借するというのは。その期間は、例えばイシャーン王並びにオユトルゴイ王国との戦争状態が終結するまでとします。期間内に限り、旧コーンウォリス公国領は我が国の事実上の統治を受けられますし、戦争が終われば共和国の一部として復帰し、選挙制度にも組み込まれる」

「それは素晴らしい。我が領内の民も納得するでしょう」

「えぇ、私もそれであれば、拒否する理由はありません。モルゲンシュテルン殿、いかがでしょうか。腹蔵(ふくぞう)なく、おっしゃってください」

「はい、陛下のご寛容に感謝します。私も同意いたします」

 (何をほっとした顔をしていやがる)

 目の前で繰り広げられるその喜劇を前に、ブラッドリーの腹中では苛立(いらだ)ちや不快感がどす黒くとぐろを巻いている。まったく質の低い喜劇だ、と思った。このような見え透いた脚本をこしらえるとは、教国女王はなるほど頭は切れるがセンスは悪い。

 そのように批評しつつ、脚本の有効性については認めざるをえないのも事実だった。民衆がそれを望んでいる、ということであれば教国側から要求したという事実がないために評判に傷がつかないし、一定期間の租借ということで落としどころを見つけてやれば共和国に対しても恩を売れる、という筋書きであろう。しかも、合衆国代表団はある意味では部外者だから、横槍を入れるのも難しい。

 (旧コーンウォリス公国領を手にするとなれば、教国領から同盟領へ至る回廊区域を手に入れることとなり、軍事行動もずいぶんとやりやすくなるだろう。我が国は教国に歩調を合わせて請求権を放棄すると言った手前、賠償金も領土も手にすることができず、すごすごと本国へ戻るだけか)

 会談3日目、自信家のブラッドリーもついに内心でクイーンに対する外交上の敗北を悟るほかはなかった。

 徒労感が、彼の肩をずしりと重くさせる。

 失意と疲労のためか、各国代表団が意見を述べる声が、だんだんと遠く、小さくなっていくようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] わわわ、まさかの展開にびっくりです。
2023/05/27 21:49 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ