第28章-① 会談 第1日目
のちにノインキルヘン会談と呼ばれるこの首脳会議は、足掛け5日間にわたって行われた。この通称は会談の舞台となったホテル「ノインキルヘン」からとられている。護衛隊を含めた合衆国代表団は少数であり、こぢんまりとしておりかつ帝都で最も古いホテルの一つとして格調高いこの施設が代表団にはあてがわれている。
合衆国側の滞在するホテルを会談の場に選んだのは、クイーンの外交的配慮によるものである。警備は、教国の近衛兵団と、合衆国側の大統領警護にあたる通称シークレットサービスが担当する。
気の急いているブラッドリー大統領は、到着早々、会談の開始を希望した。随員たちは、旅塵を払い、席を温める暇もない。
まず大統領補佐官のトンプソンがクイーンの待機する部屋に赴き、事前の挨拶をした。
「トンプソンさん、お久しぶりです」
「陛下、一別以来お変わりなく、ご健勝のご様子で安堵いたしました。またこの度の帝国領攻略を上首尾に進められましたこと、ご同慶の至りです」
「ありがとうございます。ブラッドリー大統領、トンプソンさんとお会いできるのを楽しみにしておりました。聞けば、午後にでも会談を始められたいとか」
「えぇ、大統領も陛下との会談を心待ちにしておりました」
「分かりました。では大統領とは会談の場で、改めてご挨拶をさせてください」
両者が実に和やかに会釈を交わすなか、同じ部屋でエミリアも別の人物と対面していた。
「シークレットサービスのチーフエージェントで、ラリー・シフ。今日の警護について打ち合わせをさせてください」
エミリア、ヴァネッサ、ジュリエットと次々と握手を重ねていく。シークレットサービスは大統領や要人の警護にあたるため軍人や警察官から転じた屈強な男性ばかりだが、その現場リーダーと務める割に、シフは細身で爽やかな好青年という印象である。近衛兵団旗本の幾人かも、思わず頬を赤らめ仲間内で黄色い声を上げた。もしその様子をヴァネッサが目撃したら、怒号が浴びせられたであろう。
まずはエミリアが答えた。
「施設内の警備任務に関して、我が国は近衛兵団の旗本が担当します。詳細は兵団長のヴァネッサ・オルランディが承ります」
「あなたがマルティーニ宮廷顧問官殿ですね。お噂は聞いています。あとで、個人的に話をさせてください」
シフはもう一度、エミリアに握手を求めた。
そのあと、近衛兵団とシークレットサービスとで、館内警備の確認が行われた。ホテルは帝都陥落後に近衛兵団の手で接収され、宿泊客はいない。万が一に備えて職員も退去させており、部外者が許可なく入ることはない。会場となる部屋には近衛兵団とシークレットサービスの最精鋭が各9名配置され、万全の態勢で異変に対応できるようにする。
厳戒態勢のなか、近衛兵やシークレットサービス職員の誘導で帝国側の来会者が会場に集まり始めた。全員が会談は大統領到着の翌日、つまり明日になるだろうと思っていたから、慌てた様子で駆けつけた者が多い。ただ、それでもモルゲンシュテルン臨時首相を含めた帝国の代表団6名は時間までに全員が揃った。
この会談、代表団は教国が6名、帝国が6名、合衆国が9名となっている。
教国代表団がクイーンとエミリア、あとは第一から第四の師団長で、文官はほぼ全員を本国に残しているために、このような構成となった。
また帝国はモルゲンシュテルンのほか、エアハルト外相代理らと、軍部からはヒンケル国防軍最高司令部総長のみが出席している。
合衆国側は全員が文官である。この国は文民統制の原則を掲げている関係で、外交交渉の場に軍人が顔を出すことはまずない。ブラッドリー大統領ほか、トンプソン首席補佐官、シャーマン国務長官、ロバーツ陸軍長官、ベネット司法長官ら政権の重鎮が居並んでいる。
ちなみに教国代表団の背後には、クイーンの特別な要望で、ユンカースとローゼンハイムも起立したまま参加している。彼らは会談全体に対するいわばオブザーバーとして位置づけられている。
さて、ここでブラッドリーの思惑についてだが、彼としては一刻も早く会談を始めたい。とにかく状況に対して可及的速やかに介入したいと考えていた。もたもたしていると、交渉の主導権を教国が握る、その準備期間を余計に与えてしまうことになる。
そのため、帝都に到着して早々の会談を望んだのである。
彼が部屋に入った瞬間、教国と帝国の人々は一様に低いざわめきを共有した。先頭から姿を現したのは、彼らの予想した目線よりはるかに下、車いすに乗った人物であった。ブラッドリー大統領が下半身麻痺であり、車いすがなければどこにも行けない体であるというのは、合衆国の機密事項である。
クイーンは一瞬、戸惑ったようでもあったが、すぐに笑みを浮かべ、自ら車いすに近寄って握手を求めた。背の高いクイーンは自然、腰を曲げ、ブラッドリーはその握手を押し戴くような格好になる。
予想していたことではあるが、ブラッドリーは少々、不快な気分になった。それは同盟国の指導者に見下されているのもそうだが、彼の半分ほども生きていない、いわば小娘が、彼と対等に交渉をしようとしているという事実が今さらのように不愉快に思われた。
無論、その感情を表に出すほど、彼は愚かではない。
「ブラッドリー大統領、お会いできて光栄です。ロンバルディア教国のエスメラルダです」
「女王陛下、ようやくご挨拶がかないました。本日、貴国と改めて盟友の契りを結ぶことを希望します」
「ありがとうございます。実りある会談となることを期待しております」
この光景、つまり車いすのブラッドリーに、クイーンが手を差し伸べている瞬間は、出席者の一人である帝国のエアハルト外相代理が手元の紙にデッサンを書き起こし、のちに専門の画家に依頼し、後世に至る名画として残っている。
残された絵を見ると、なかなか味わい深い。絵の右側にたたずむクイーンは、チョハと呼ばれる服に長身を包み、その色はウルトラマリンを思わせるエキゾチックな雰囲気がある。顔には慈悲深い微笑をたたえ、まさに古神話の女神のようである。
一方、白いシャツに黒いジャケットを上に着たブラッドリー大統領は絵の左側に描かれ、横顔を向けてクイーンの顔を見上げている。その顔には老いの色が濃く、まるで女神の仁愛を求めている老人のようだ。
エアハルトも、彼の依頼を受けた画家も、それぞれの位置や表情に象徴されるように、彼らを見たのであろう。クイーンは神々しいが、ブラッドリーはいかにも凡俗であり、少なくともそう見える描き方がなされている。
当事者のブラッドリーが嫌な気分になるのも、無理はない。
席に着いてから、最初の手順として降伏文書の正式な手交が行われた。シュウェリーンの会見において、すでにクイーンはこの文書にサインをしているが、合衆国側はモンロー大将が仮受領ということで預かっていただけであった。外交上は、帝国と合衆国はまだ戦争状態にある。
ブラッドリーがペンをとり、サインをして、ようやく三ヶ国間の戦争状態は正式に終わりを迎えたこととなる。帝都を除いた帝国各地では、未だに帝国軍の残党と両軍の小規模な戦闘や、治安の悪化による争乱が頻発しているが、この調印によっていずれそうした動きも沈静化することであろう。
「モルゲンシュテルン殿、帝国の皆さん、ブラッドリー大統領も、この日を迎えることができて、私はとても感謝いたします。これからはともに手を携え、よき隣人として支え合い、助け合いましょう」
「はい、陛下。よき隣人として」
(よき隣人、だと)
敗戦国の代表ながら、モルゲンシュテルンの顔色にはむしろ期待と希望の色が浮かんでいる。ありうべきことであろうか。これから国家体制をどのように変質させられるのか、領土の割譲を求められるのか、多額の賠償金を要求されるのか、そして自分は逮捕され、裁判にかけられ、あるいは断頭台に据えられるのではないか。そういった不安や恐怖を抱くのが、敗戦国の首脳というものではないか。
観察するうち、ブラッドリーにはおぼろげだがその理由がつかめてきた。彼らは、戦勝国の指導者、要するに教国の女王に対し、信頼感を持っている。さらには、安心感を抱いているらしい。この人に自分たちの命運を任せておけば、決して悪いようにはされないであろう。何やら、そういう奇妙な連帯感が、自分が到着する前の段階で、教国と帝国のあいだにはできあがっているようなのである。
こいつは由々しいことだと、ブラッドリーはそう思った。どうやら帝国の連中の心は、彼が舞台に登場する前から、もう一方の主役である教国女王に魅了されてしまっているようなのだ。
(ここから挽回して、逆転勝ちを決めるのは、なかなか骨が折れそうだ)
この日はしかし、彼が目立った得点を決める場面はほとんど訪れなかった。
降伏文書への調印のあとは、三ヶ国間の平和条約の締結、その条文内容について議され、これについては合衆国側からベネット司法長官が主として意見を出し、ブラッドリーの出番はなかった。
条文の内容に関し大筋で合意し、すでに日没が近かったため、ここまでで会談の第一日目は散会となった。決定事項は多岐にわたり、会談は6時間に及んだ上に翌日も行われるとあって、何人かの列席者は疲労が隠せなかった。
議場から人が減っていくなか、シフ主任護衛官がクイーンとエミリアのもとへと近づき、改めて感謝を述べた。
「女王陛下、本日はご一緒できて光栄です。個人的に、感謝の意を伝えることができ幸甚に存じます。ホテルのエントランスまで、送らせてください」
「シフ護衛官でしたね。こちらこそありがとうございます。よろしくお願いいたします」
このホテルは合衆国代表団が滞在しており、教国及び帝国の代表団は合衆国のシークレットサービスの見送りを受けることとなる。教国近衛兵団の旗本たちも、疑いを避けるため、会談が終われば敷地の外へと退去する。
エントランスまでの道のり、シフはエミリアの隣を歩いて、
「実は、かねがねあなたの話を耳にして、尊敬しておりました」
「私の話?」
「えぇ、剣の腕は絶倫、文官としてのお働きも一流と伺っております」
「私はご覧の通り片腕を失っていますから剣の腕は過去の話ですし、文官といっても秘書のようなものです」
「しかし、女王陛下の無二の腹心でいらっしゃる」
(この男は、何を言いたいのか)
エミリアは不審に思った。それを見透かしたように、シフは爽やかに笑いかける。
「他意はありません。ただ、あなたに会えてうれしく思うと、そのようにお伝えしたかっただけです」
嘘を言っているようには見えない。が、無邪気に信じるのも危険であろう。合衆国は同盟国であり、現在は共通の敵が帝国以外にも存在するため友好的ではあるが、今日の味方が明日の敵になることもありうる。その場合に備えて、陰謀家としての一面を持つ大統領が、身内を使い、女王の無二の腹心に探りを入れてきている可能性もある。
(用心しておくに如くはないな)




