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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第27章 旅は終わらず
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第27章-⑤ 秘中の秘

 同日。

 ホテル「ケーニッヒシュトゥール」ではごくささやかな晩餐(ばんさん)が開かれた。招いたのはクイーンで、正客は、ブリュールから帝都にかけての治安を完全に回復し、この日の午後ようやく帝都に来着したばかりの第四師団長グティエレス将軍、ご相伴(しょうばん)はエミリアとジュリエット近衛兵団副団長となっている。エミリアとジュリエットは、近衛兵団の幹部候補として養成課程にあった際、グティエレスから戦術論の指導を受けている。

 作戦期間中、一貫して海軍とともに帝都西方のブリュール港周辺で活動し、帝国軍をひきつけるとともに海路を封鎖して帝国に動揺と混乱を与えたグティエレスの功績をクイーンは激賞し、ワインと肉を振舞って、戦時の疲れを慰労した。

 グティエレスはなかなかの酒豪で、雄弁家でもあり、酒席ではユーモアにも富んでいる。任務を離れてくつろぐようにとのクイーンの特別の勧めもあって、エミリアとジュリエットも帝国産の芳醇なワインを楽しみ、自然、話も弾んだ。クイーンが自室に引き取ったあとも、グティエレスはかつての教え子らを相手に2時間以上も話し続けたという。

 自室で、クイーンはしばらく一人で執務をし、やがて就寝前の習慣のため、旗本のダフネを呼んだ。かつてはエミリアが、現在ではダフネとクレアのみが任されている特別な任務が、彼女の全身を清拭(せいしき)することである。肌触りのよい綿繊維の布を濡らして体を清め、最後はたらいに張った湯で足を洗う。

 ちなみにクイーンは入浴も好み、数年前、火山の多い王国から入浴文化とその娯楽性や効能が一種のブームとして伝わってからは、上流階級のたしなみの一つとして広まり、彼女も熱心に愛好している。彼女の肝煎(きもい)りもあって、教国エウール火山の(ふもと)にあるリュッサンという小さな町を温泉街として整備したほどである。

 いわゆる、きれい好きな性質(たち)だったのかもしれない。

 ダフネはエミリアが片腕を失って以来、同僚のクレアと二人で欠かさずこの任務をこなしている。

 そのため、クイーンと会話する機会もほかの旗本と比べて段違いに多かった。

「ダフネ、いつもありがとう。本当によくしてくれて」

 従前通りに足を清めていると、クイーンが心から感謝している、といった声色で言った。

「少しでもクイーンのお役に立てるのであれば、すなわち国に役立てることです。お気遣いやご遠慮はなさらずに」

「ありがとう。とっても気持ちいいし、疲れがとれます」

 尊敬する主君からのまっすぐな言葉に、ダフネの指にも自然と力がこもり、足の裏や甲を丹念に洗い、ほぐしていく。

 クイーンはほかにも彼女に話したいことがあるようだった。

「実は、あなたにお願いしたいことがあって。ここだけの話にしてくれますか?」

「もちろんです、なんなりと」

「一昨日、帝国の引退した政治家で、ヘルムス総統が政権を握る前は運輸大臣を務めていたホフマンという方にお会いした際、雑談のなかで耳にした話があります。以前、この大陸では伝書鳩といって、ドバトを連絡手段にしていたそうなのです。ドバトは帰巣(きそう)本能があり、一つ所を巣として定めたら、そこへ戻る習性があるのです。これを利用し、相当な距離であってもうまく中継地をもうけてやれば、早馬よりも早く情報伝達が可能になるようです。理由は不確かですが、伝書鳩は現在では(すた)れてしまっています。ただ、もし伝書鳩を復活させて運用することができれば、今後の新帝国との連絡や、遠征先と本国との連携など、さまざまな場面で活用ができそうです」

「伝書鳩、初めて知りました。画期的な連絡手段になりそうですね」

「情報戦で優位に立つことは、戦いにあっては必須の条件です。そこで、本国で早急に伝書鳩の運用可能性、効果や予算、具体的な運用計画やドバトの訓練計画などについて調査を開始してほしいのです。私はしばらくこの地を離れられません。またこれは他国に知らせたくない機密事項でもあるので、特別に信頼するあなたにこの指示を託して、本国のフェレイラ議長とロマン神官長に直接、伝えてほしいのです。この件はまだ私とエミリア、あなたしか知りません」

「承知いたしました。必ず直接伝えます」

 ダフネはクイーンの構想の深さ、着眼点の鋭さ、視野の広さに内心で驚嘆した。これまでも数々の深謀遠慮や神算鬼謀に間近で接してきたが、改めて、この方は常人の10倍は頭が働いているのではないかという気がする。

 また、これほどの秘事を明かし、重要な任務を任せてくれる栄誉に感動もした。

 ダフネは21歳、近衛兵団においてはごく近い将来、要職を得てさらに20代のうちに兵団長に昇るのは確実とさえ言われているほどの俊秀である。才気煥発で、その器はエミリアと比しても遜色ないと評価されることがあるが、それでも本人の自身に対する評価は低い。エミリアのような天才ではないし、どれだけ努力しているつもりでも、ヴァネッサのそれには及ばない。彼女は自分を凡人だと思っていた。凡人なりに、与えられた責務には常に忠実で、必ずまっとうした。その積み重ねが、上官やクイーンからの信頼につながっている。

 その信頼の賜物(たまもの)として、クイーンの体を洗い、あるいは国家機密に類する情報を本国に届けるという任務に就いている。

 僥倖(ぎょうこう)、と言うべきであろう。

 翌朝、帝国全土の情勢が未だ不安定であることも考慮し、ダフネは念のため近衛兵数名を供に加えて、一路国都アルジャントゥイユを目指した。

 さて、入れ替わりに帝都に到着し、ホテルを警備する近衛兵に名を告げた者がある。

「クイーン、シュリアが出頭しました」

 折しも、クイーンは各師団の幹部から帝都の治安維持状況について報告を受けていたが、シュリアの名を聞くなり、わざわざこの重要な打ち合わせを中断して、自らホテルの入り口まで出向いた。なるほど、頬に穴を開け歯茎の露出した異様な面相の男が立っている。

「シュリアさん、無事でよかった、安心しました」

「クイーン、もったいないお言葉」

 この男、もとはアサシンという暗殺を主任務とする仕事をやっており、それだけに陰気そのものといった性格であり風貌であったのが、クイーンに出会ってからは笑顔という仕草を覚えた。このときも、笑っているつもりが、歯をすべて失い、矢傷のため頬に大穴が開いているため、ぎょっとするほどひどい顔になった。かえって剽軽(ひょうきん)にも見える。こういう顔だから、年齢はクイーンと同じながら、印象としては四半世紀ほどは年が離れているようにさえ思われる。よく言って老翁(ろうおう)、実際には化け物のようであった。

 彼はユンカースとともにリヒテンシュタイン中将に接触し、首尾よく彼を降伏に誘導してのちは、帝都周辺の情勢について探りを入れていた。このほど、帝都が陥落した知らせを聞いて早速、駆けつけたのである。

 夜、夕食の前に改めてシュリアと会談の時間を持った。エミリアとヴァネッサが同席している。

「シュリアさん、今回も本当によく働いてくださいました。帝国領の攻略が上首尾に進んだのも、あなたのご尽力のおかげです」

「お役に立てたなら幸いです。それで、次はどのような任務をいただけるのでしょう」

 クイーンはさすがに少し呆れた表情を浮かべた。

「シュリアさん、まずはゆっくり休んでください。帰られたばかりですよ」

「クイーンにお仕えしてから仕事が楽しくなりまして。それに休みをいただいても暇を持て余します。帝国の次は同盟領の平定でしょう。情報を集めますか」

「分かりました。明日の朝にはお願いしたいことをお伝えします。ただ、同盟の内部情勢については、実はすでに情報収集を開始しているのです。それに、同盟領方面で紛争が起こるのは、向こう半年ないし一年のあいだはないはずです。こちらからも、すぐに作戦を計画する予定もありません。シュリアさんにはもう少し違うことをお願いしようと思っています」

 シュリアはようやく納得した。

 そのあと、クイーンは夜遅くまでエミリアやヴァネッサと相談し、シュリアへの任務指示を決定した。

「シュリアさん、お願いしたいこと、決まりましたよ」

「おっしゃってください」

 仕事が楽しい、というのは本当なのかもしれない。シュリアはまるで飼い主に尻尾を振る犬のような熱意と一途さで、新たな命令の披露を願った。

「ブラッドリー大統領の動きを調べてください」

「合衆国大統領の」

「えぇ、そうです。大統領はすでに首都ブラックリバーを()ち、近日中にこちらに到着されます。ブラッドリー大統領についても調査の手を伸ばしてはいますが、警護が厳重のようで。下手に動いて探りを入れていたことが露見すると、関係性が悪化してしまいますので、手練(てだ)れのシュリアさんにも協力をいただきたいのです」

「大統領との交渉前に、弱みを握っておきたいのですか」

「いいえ、脅迫のためではありません。ただ、どのような思考を好み、どのような行動を習慣にしているか。あるいはどのような欲を持つ人物なのか。彼について多少の予備知識はありますが、そういった政治家としての本質を探ることで、交渉に役立てたいのです。些細(ささい)な情報でも結構ですので、何か分かったことがあればお知らせいただけるととても助かります」

「承知しました、お任せください」

「資金をご用意していますので、ふんだんに使ってください」

 エミリアとも念入りに話していたことだが、新帝国の骨格と今後の方向性を決定する重要な交渉が控えているとあって、両国とも水面下では情報戦を繰り広げつつある。教国と合衆国は同盟国であり、両国ともに相手を友好国であるとみなしてもいるが、外交は誠意だけでは成立しない。要は腹の探り合いであり、化かし合いである。クイーンが合衆国大統領を向こうに回しての外交舞台で失敗すれば、軍が戦場でどれだけ働こうとも、水泡に帰すことになりかねない。クイーンは帝国との和睦(わぼく)にあたって必ずしも自国の権益拡大を図ってはおらず、帝国が新たな政権を発足させ、安定した国家となり、教国や合衆国と協調してくれればいいと願っているが、合衆国の帝国に対する不当な利益要求は望んではいない。例えば講和の代償として領土の一部を割譲しろとか、賠償金を支払えとか、そういった戦勝国の傲慢は阻止したい。

 かくのごとく、外交の場では複数の国がそれぞれに思惑を抱いて主張をぶつけ合うわけだから、実際の戦場よりもさらに一筋縄ではいかない。まずは外交の予備段階として、交渉相手の情報収集が必要というわけである。

 そうした必要性のもと、シュリアは帝都を東へ発し、合衆国大統領の警護部隊への潜入を目指すこととなった。

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