第26章-① 敗戦は間近に
ロンバルディア教国軍がオクシアナ合衆国軍とともに帝都ヴェルダンディを攻め落とし、レガリア帝国を降伏に至らしめたことについては、以前にも記述した通りである。
だが、帝都陥落の様子や、その時点で帝都に残っていた要人らの動向については、詳しく触れていない。この章はまず、そうした帝国の人々の動きを追い、後半は主に教国軍による占領行政などについて触れていきたい。
時系列は、帝国の降伏前夜とも言える3月下旬から4月上旬にまでさかのぼる。
まずはエーデルの会戦で勝利を収めた帝国軍主力の帝都帰還あたりからである。この戦い、実際に前線の統括指揮を行ったのは第二軍のベーム中将ではあったが、通常は先任の第一軍司令官メッテルニヒ中将がその任にあたるべきところであり、ヘルムス総統の命令もその指揮系統に準じていた。だが国防軍最高司令部総長シュトレーゼマン元帥の命令背反と独断専行とにより、メッテルニヒを差し置いてベームが指揮をとった。その結果として教国軍をエーデル地方から撤退させ、帝国第六軍と合流を果たすことができたわけだから、シュトレーゼマンの判断は正しかったということになる。歴史家の多くも、ただでさえ軍司令官としての能力に不足のあるメッテルニヒに前線指揮を委ねるのは悲劇的な誤りであり、ベームを選んだのはシュトレーゼマンの数少ない功績の一つであると評価する傾向が強い。
しかし当然ながら、ヘルムスの受け取り方はまったく異なる。
「裏切り者」
と、そう見た。彼がシュトレーゼマンの命令無視を知ったのは、不覚にもエーデルの会戦の結果報告を受けたときで、戦勝の喜びなどは微塵も見せず、ただ不気味に黙り込んで、持病の影響から左腕をひっきりなしに震わせつつ、虚空の一点を険しい目で見つめている。彼が怒気を発する際の予兆を、側近たちはよく心得ていた。ヘルムスという男は、一度、その体躯の内側にエネルギーを満たす時間をつくり、堰を切るやすさまじい怒号とともに開放するのが常であった。しかもそれは叱責などという手ぬるいものではなく、また具体的な指示や意見表明を伴う建設的なものでもなく、罵声と中傷、そして愚痴の連続であった。今また、その雷撃のような激情が彼らの頭上に降ってくることを予感せぬ者はなかった。
ただ、彼らにとっての救いがあるとすれば、この件、すなわち前線の統括責任者を変更した当事者はシュトレーゼマン元帥個人に過ぎず、ほかの側近や軍幹部の与り知らぬことであった、ということである。つまり、この場からシュトレーゼマンのみが逮捕連行されれば、少なくともそれ以外の者が責任を追及され処罰されることはないであろう。
ところが、彼らの見通しはずいぶんと甘かったと言わざるをえない。シュトレーゼマンは直ちに叛逆の罪によって会議の場から連れ出されたのだが、怒気はむしろ同席したほかの連中に対して向けられた。政府や軍部の高官は、なぜ彼の専断を許したのか、なぜ誰も止められなかったのか、なぜ事後であっても事態を把握して知らせることができなかったのか。
ヘルムスの怒声は小一時間にわたって廊下に響き続け、その間、ヘルムスを除く全員が起立したまま咎めを受けていたという。
シュトレーゼマンは更迭され、後任はシュトラウス上級大将の現場転任後、その職にあたっていた副総長のヒンケル大将が代理として就任した。かつて教国のレイナート将軍が帝国軍の内情を語った際、「帝国軍は中級指揮官は優れているが、国防軍の幹部は無能揃いである」と評したことがあるが、彼もその例外ではなく、総統の顔色をうかがう以外は特になすところのない人物である。
ヘルムスはまた、エーデルの会戦後、戦線を縮小させる意図でエーデルの宿駅を放棄し、全軍で帝都方面へと引き揚げてきたベーム中将の判断に不快感を示し、帝都での休養や再編を許さず、シェラン川を背にした背水の陣によって戦闘を継続することを命令として伝達した。同時に彼自身は帝都に危険が及んでいることを危惧したモルゲンシュテルン軍需大臣の勧めもあって、郊外の森林にある通称「鷹の巣」へ移ることとなった。正式には臨時の総統大本営ということになっているが、いわば隠れ家である。この森から北西は、赤い森と呼ばれる密生した広大な森林地帯が広がっており、脱出も容易である点で、良好な退避先であった。
帝都防衛隊のうち約2,000名の警護兵が、彼に従った。
ヘルムスの移動を知らない帝都市民はだが、すでに政権の前途に見切りをつけ、教国軍及び合衆国軍の襲来を恐れて家財や財宝を持ち逃散する者が後を絶たなかった。軍上層部においても敗戦の見立ては濃厚で、ヒンケル国防軍最高司令部総長代理はじめ、エーデルの会戦を勝利に導いた功で正式に前線指揮を任されたベーム中将その人までもが、敗勢の挽回を絶望視していた。
4月9日には、帝都を守る第五軍司令官ツヴァイク中将と、帝都防衛隊司令官のミュラー中将が、極秘に会談している。
「戦況はいよいよ悪いようだな」
「あぁ、そのうち次の裏切り者が出るだろう」
次、とはつまり、リヒテンシュタインとシュトレーゼマンに続く者のことである。ヘルムスの思考、行動には脈絡がなく、かつての指導力も失い、命令は粗雑をきわめ、結果として現場の足を引っ張っている。政府や軍部の高官連中も、表面上は彼に畏服して従属しているが、それはただ単に彼の逆鱗に触れるのが恐ろしいだけであり、真に彼を敬い信奉しているからではない。いざとなれば、彼を見限り、優勢な敵に寝返る者が出るであろう。それでなくとも、任務を放棄する者、逃亡を図る者は状況が悪くなればなるほど加速度的に増えるに違いない。
実のところ、自分がそうならないとは断言できない節が、この両名にはある。第五軍のツヴァイク中将は、故メッサーシュミット将軍のもとでリヒテンシュタインとは長年の僚友であり、ミュラーも帝都防衛隊に移籍する前は一時的ながらメッサーシュミットの指揮を仰ぎ、リヒテンシュタインやツヴァイクと交流を持った仲である。それぞれ親交のあるリヒテンシュタインの積極的降伏、もう少しありていに表現すれば寝返りに自信の節度も変容されざるをえない。
第五軍のツヴァイク中将は、故メッサーシュミット将軍が生粋の前線指揮官として手塩にかけて育てた有能な将帥で、戦場では幾度も教国軍と干戈を交え、クイーンをして「攻守に隙のない良将」と称賛せしめている。
帝都防衛隊のミュラー中将は、リヒテンシュタイン、ツヴァイクとは戦友と言っていい間柄で、華々しい功績や輝かしい才幹は持ち合わせていないものの、地味だが重要な職務を黙々とこなす堅実な人物であると評価されている。彼は数ヶ月前に中将、帝都防衛隊司令官職に就いたばかりである。
ともに責務に忠実であり、決して功利的でも欲深い人間性とは言えない彼らでさえ、降伏の文字が脳裏から離れない。それほどに、戦況は悪化し、ヘルムス総統の支配力が落ちてきているということでもある。彼らと縁の深いリヒテンシュタインが教国軍に通じたことも、心に影を落としている。
そして数日内に、事態は急激な進展を見せる。教国軍と合衆国軍がエーデルで合流し、連合して帝都を目指していることが伝わり、続いてリヒテンシュタインからの内密の書簡が届き、無血降伏を勧めてきた。これ以上の流血は軍事的に無意味であり、政治的に無益であり、そして道義的には罪悪ですらある、と。また前後して、シェラン川東に布陣する帝国軍の動静についても情報が寄せられた。そこには第二軍のベーム中将が、麾下全将兵に対し、部隊からの離脱、降伏を許したむねが書かれていた。思うに、ベームは部下に対して戦いの結果としての死を強要するよりも、彼らのうち生にわずかでも執着のある者は生き延びて、帝国の再生に寄与するように望んだのではないか。いずれにしてもベームが指揮するは帝国軍最後の機動戦力であり、これが崩壊すれば事実上、帝都は丸腰になる。正確にはツヴァイクの第五軍とミュラーの帝都防衛隊が帝都の要所を守っているが、その数は各3,000といった程度であり、総数10万とも呼称される連合軍に対してはどう工夫しても抵抗する術がない。
両名にはこの時点で、帝国の存亡についての見通しがある程度の信頼性をもって明瞭になったように感じられた。もはや帝都の失陥、帝国の敗北は避けようがないであろう。
第一軍のメッテルニヒ中将も、そう考えていた。
彼は手元になお1万を優に超える有力な戦闘部隊を抱えていたが、ベームの訓示を受けるや、彼は即座に陣を引き払い、部隊を率いて帝都へと帰還した。
ベームやメッテルニヒの動きを知ったヘルムス総統が彼らを造反者とみなして激しく非難したのも、当然であったろう。しかもメッテルニヒが大軍を率いファルケンネストへと直線的に向かってくる様子を、リヒテンシュタインやベームの行動から類推し、叛逆して教国軍なり合衆国軍なりに総統の身を渡すつもりだと短絡した親衛隊と第一軍のあいだで小規模ながら戦闘が勃発し、ヘルムスの周囲は一時、緊迫の度を高めた。
メッテルニヒは部隊を鎮静化し待機させる一方、単身で総統執務室へと出頭し、帝都からの脱出を勧めた。ヘルムス自身と、政府と軍部の高官が帝都を退避する。帝国内にはもはや再起して教国軍や合衆国軍に対抗できる軍事力を擁した地域はないから、帝国からも離れる。盟友であるイシャーン王か、あるいは王国を頼って、かの地で亡命政権をつくり、国内に残した抵抗勢力と呼応して、一時的に樹立されるであろう教国・合衆国の衛星国家を打倒し、帝国を再建するのだ。幸い、帝都にはまだ第一軍と第五軍、帝都防衛隊、また憲兵隊や警察などの準軍事力、そして多量の物資がある。ベーム率いる帝国軍主力が敵と戦っているあいだであれば、国外脱出は決して不可能ではあるまい。
メッテルニヒはヘルムスほか、モルゲンシュテルン軍需大臣、デューリング宣伝大臣、ケール内務大臣、ヒンケル国防軍最高司令部総長代理らの居並ぶ前で力説し、このうちケールとヒンケルの賛同を得た。モルゲンシュテルンとデューリングも、反対はしない。
亡命するか、それとも帝都とともに死ぬ覚悟をいよいよ固めるか。
狭く薄暗い地下の一室で、彼らは大汗をかきながら、総統の決断を待った。
この判断によって、彼ら自身の運命も、今後の歴史も、大きな分岐を迎えることになるのは疑いない。
ごくり、と誰かが生唾を飲み、そして総統の裁断が下った。




