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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第24章 氷雪に閉ざされし大地
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第24章-① 地平線の先へ

 アマギの里を離れて以来。

 ミコトとサミュエルは、足を速めて、北の大地を目指した。マヤが彼女たちの命を狙って追ってきた。もたもたしていれば、里からはさらなる復讐者たちが追いすがってくるであろう。

 しかし、王国は広い。まして目指すバブルイスク連邦は王国の倍以上の国土を持ち、彼女らはその領内を南の端から北の端まで縦断せねばならない。

 だが、幸いと言うべきか、ミョウコウは出立(しゅったつ)の前に頭領のミナヅキから路銀を渡されており、これとミコトの手持ちを合計すれば、しばらくは馬車で移動できそうである。王都トゥムルから北に伸びるアルタイ街道に入り、途中の町で馬車を借りた。とにかく、早く王国の地から離れねばならない。

 アルタイ街道は王都トゥムルから真っ直ぐ北へと伸びて、連邦領に入り、アストラハンクレーターという小惑星衝突跡に突き当たって東に折れ、連邦第二の都市ミンスクへと到達する。アストラハンクレーターの手前ではヴォストーク街道に分岐して北西へと続き、そのまま連邦首都イズマイールまで達する。ミコトらが目指すポリャールヌイ地方は、このイズマイールのさらに北西であり、アマギの里からは徒歩なら4ヶ月、馬車を急がせても80日は優にかかるであろう。

 とにかく、途方もない距離である。

 町から町へ、馬車を乗り継いで連邦領に入ったのは、12月25日。だが連邦と王国の境界線というのは比較的曖昧(あいまい)で、というのもこの両国間にはカザン砂漠と呼ばれる不毛な岩石砂漠が横たわっており、土地を奪い合ったり領有権を争ったりする意味がないために、厳密な国境を引く必要すらないためである。それでも、南北を往来する旅人や隊商のためにアルタイ街道が整備されているだけでも、ミコトらにとって救いではある。この一帯を馬車同士がすれ違えるだけの街道が貫いているというのは、古代から中世にかけての人々が、万難を排してでも南北の交易を確立したいとのたくましい商魂(しょうこん)と欲求に富んでいたという証左であろう。

 砂漠の東には、通称「樹木墓場」と呼ばれる荒れ地が広がっている。

「右の方、地平線の上に、不気味に茂る枯れ木の群れがあるでしょう。あれが樹木墓場でさぁ」

「話に聞いたことがあります。まるで海のように広大でどこまでも続くことから死の樹海とも呼ばれ、入った者は二度と出られない、まさに終わりなき深淵への入り口とか」

「えぇ、興味本位で入っていった者が、一人として帰ったためしはないです。王国領と連邦領にまたがる荒れ地で、何年か前に連邦政府が大規模な開拓団を派遣したが、全滅したらしくてね。まぁ、開拓団は犯罪者ばかりで、連邦政府にとっちゃあ痛くもかゆくもなかったらしいが」

「しかし、なぜそのようなことに。ただの枯れ果てた森でしょう」

「さぁ、どうなってるのかね。そもそも森が枯れたまんま風化もせず、何十年、何百年とあの通りでいるってのが不思議なもんです。生きた森か死んだ森か、分かりゃしない。一説では(いにしえ)の術者の神通力というが、この砂漠もどんどん広がってるっていうし、世の中は奇々怪々なもんです」

 術者、という言葉が馬車のおやじから聞かれて、ミコトとサミュエルは思わず息を止めた。枯れたまま消えない森。確かに術者の力なら、それくらいの奇術くらいはやってのけられるだろう。術者の力は森羅万象(しんらばんしょう)の理さえ覆す。そのことを誰よりもよく知るふたりである。

 馬車を乗り継ぎ乗り継ぎして、一行はアルタイ街道からヴォストーク街道へと入り、ヴォストーク山脈の西麓を北へと向かった。ハロードヌイ川を渡って、首都イズマイールへ。

「サミュエルさん、もうすぐイズマイールに到着します。連邦の首都ですから、人も情報も多いでしょう。少し逗留して、ポリャールヌイへの経路や移動手段を模索します」

「分かりました」

「あんたら、ポリャールヌイへ行くのかい」

 この日の馭者(ぎょしゃ)は無口で不愛想な若い男である。そのわりには親切で、北方への長旅に準備不足であった一行に、丈夫な帽子や毛布を貸してくれている。それがないと(こご)え死んでしまいそうなほどには、連邦の冬は寒い。ミコトやサミュエルが知る王国や教国の地は南方の温暖な気候で、イズマイール周辺と比較するとまるで天と地ほどの開きがある。よくこれほど過酷な気象条件の土地に、人が住みついているものだ。

「えぇ、実は我々は王国を亡命してきまして、ポリャールヌイの身寄りを訪ねたいのです」

「そうかい。だがあいにく、この時期はポリャールヌイへは行けないよ」

「えっ、どうしてです」

「あのへんはこの時期は雪と氷に閉ざされて、外界とは連絡も交通もできなくなるのさ。海路も港が凍ってるから船は出せない。まぁ、3月くらいまでは我慢することだな」

「3月、ですか」

 ミコトは内心、途方に暮れた。3月というと、あとひと月近くはある。その間、縁もゆかりもないイズマイールで、どのように過ごせばよいのであろう。路銀も心細くなってきており、ひと月も宿を借りる余裕はない。

 (どうしよう)

 まずは拠点になる宿を探し、そこで情報を集めつつ、ポリャールヌイへ向かう手段を模索しようと考えた。

 さて、ここでバブルイスク連邦について少しの説明を加えねばならない。

 この国の特徴は、なんと言っても国土の広さである。大陸各国において最大の面積を誇る国土が、「地平線の先へと続く連邦領」と称されるほどに広がっている。連邦領は乾燥した平坦な大地が多い。そこに立ってぐるりと周囲を見渡すと、地平線が右の端も左の端もなく、ただ無限に続いている。その地平線のその先もすべてが連邦領である、という表現である。

 大陸においてはその東北角を占めており、西北のオクシアナ合衆国と合わせこの両国だけで大陸面積の50%以上を有している。両国がいかに大国であるかが分かろうというものだ。

 もっとも、連邦領は先述したように乾燥した平地が多く、そのほとんどがツンドラや森林で、それ以外の開発に適した土地も絶え間ない内乱や紛争によって荒れている。この政情の不安定さが、国土の広大さに比してこの国を弱体化させていると言っていい。

 実際、連邦は大陸最大規模の陸軍を持ちながら、国際的な発言権や影響力はむしろ弱い方で、極端な秘密主義政策をとっていることから、むしろ好んで干渉しない、干渉させない外交姿勢に徹しているようにも見える。

 また統治体制も異質であった。共産主義国家なのである。これは労働者の手による真の社会的平等を目指した思想であり、従来の封建的体制は無論、資本家による富の収奪を武力による革命によって否定する、近年においては最も新しい思想である。

 そのため、帝国のヘルムス政権下と同様、民衆統治は統制主義をもって基本としている。通常の警察機構に加え、国家保安委員会といういわば秘密警察の職員が、治安維持や犯罪捜査、またはその他の諜報・防諜任務に就いている。これら陸軍と秘密警察が、連邦の権力の源泉とさえ言われた。

 軍と秘密警察を握る当代の権力者は、国家評議会議長のユーリ・マルコフである。年齢はこの年64歳。すでに老境で、身長が低く、天然痘の後遺症で顔にあばたが残っているために、外見は貧相な印象を人に与える。

 だが実際には帝国のヘルムス総統、あるいは王国のスミンとも並ぶほどの恐るべき独裁者で、「大粛清」と呼ばれる反対勢力の掃討作戦では、政府の高官や職員800名あまりを逮捕し、さらにその家族や親族、使用人ら18,000人以上も拘束して、全員を処刑または強制労働収容所へと送った。

 この際、流刑地として選ばれたのはいずれも連邦領の極北部であるセヴェルヌイ半島の開拓者集落で、マルコフ政権によって軽微な犯罪者と認定された者らはまずここに送られて、死ぬまで苦役に従事させられる。セヴェルヌイ半島は植物はほとんど育たないがダイヤモンドをはじめとする鉱物資源が充実しており、労役は主に鉱山労働である。これは世界でも最も危険で過酷な労働の一つであって、連邦がセヴェルヌイ半島の大規模鉱山の稼働に力を入れていた時期は毎年、住民の2割から3割ほどが栄養失調、低体温、凍傷、過労、鉱山における事故などで亡くなっていたという。

 ただ、この頃には僻地(へきち)かつ冬季は分厚い雪と氷に閉ざされる土地柄のため、中央との輸送や連絡に難があるセヴェルヌイの鉱山は放棄されており、鉱物資源の調達は領内中央に広がるヴォストーク山脈域に拠点が移されて、セヴェルヌイ住民の管理や監視も解かれている。

 ミコトとサミュエルが目指すポリャールヌイは、このセヴェルヌイ半島の最奥部にある。僻地も僻地、いわば陸の孤島で、ここに流刑に処せられた者が、冬を越せず次々と自殺していったというのも(うなず)ける。一面のツンドラが広がり、樹木も育たず、夏季に限って()け出した氷雪(ひょうせつ)が湿地帯を形成し、短い草や(こけ)が生える。内陸は人が住めず、わずかに沿岸部に集落が散在している。秋のうちに白菜などの野菜を収穫し、キツネやウサギといった動物を狩り、あるいは漁獲した魚介類を加工し保存しておかねば、長い冬季に飢えることになる。

 このような土地に送られることを考えれば、バブルイスク連邦において流刑が死刑よりも恐れられたというのがよく分かるであろう。

「思っていたよりも、よほど厳しい旅になりそうですね」

 慣れない情報収集をサミュエルやミョウコウとともにこなしつつ、上記のような実情を知ったミコトは思わず嘆息して言った。それに、アマギの里からマヤに続く追っ手がいつ彼女らの足跡を()ぎつけて追ってくるか分からない。

 2月5日の夜明け前、ミコトらが滞在する宿を、秘密警察の職員8名が武装して訪問した。

「ミコトさん」

 例によって異変を最も早く察知したのはサミュエルで、その動きでミョウコウも起き出している。

 ミコトは眠い目をこすりながら、上体を起こした。周囲はどこまでも深い闇が広がっていて、サミュエルやミョウコウの影はその輪郭さえもつかめない。

 ただ、サミュエルの声には緊張感があって、抜き差しならない事態であることを予感させる。

「サミュエルさん、どうしました」

「起きてください。様子がおかしいのです」

「どのように」

「分かりません」

「まさか、アマギの里からの追っ手では」

「しっ、声がします」

 ミコトは息さえも止めて、自らの聴覚に全神経を集中させた。が、何も聞こえない。

「かすかに聞こえます。国家保安委員会、と聞こえましたが」

「秘密警察がここへ。私たちの詮議(せんぎ)でしょうか」

 怪しまれることをしたろうか、とミコトは思い返したが、しかし考えてみると軽率な振舞いがあったかもしれない。民間レベルでも、すでに昨年、ロンバルディア教国に盲目の術者が現れて王宮を襲撃したことは話題になっている。いくら遠くても、大国の首都であり、隊商や旅人の舌を通じて、大きな事件は噂として流れ込んでいる。まして秘密警察が、その件について知らぬはずがない。それにミコトらは、ポリャールヌイへの道程やその他の連邦領内の情報について連日のように集めて回っていたから、不審に思われても仕方がない。

 それにしても、とミコトは自らの迂闊(うかつ)を呪った。秘密警察に目をつけられるとは、まずいことをしたものだ。連邦の秘密警察は、あらゆる国の警察組織や治安部隊のなかで最もたちが悪いとされている。捜査、逮捕、勾留、尋問、諜報などすべてにおいて手段を問わないと言われ、年寄りや妊婦、幼い子どもにさえ容赦のない尋問を加え、その過程で死者が出ることも日常茶飯事であった。裏ではマルコフ議長のため女や薬物を使って政敵の弱みを握ったり、あるいは暗殺まで請け負ったりなど、その活動の悪辣さはよく知られている。マルコフの懐刀と言われる所以(ゆえん)でもある。

 ここで捕まれば、凄惨な拷問を受け、死ぬよりもつらく苦しい目に()うかもしれない。だがサミュエルの術なくして秘密警察の手から逃れることはできないであろうし、術を使えば市街にパニックが起きて、彼女らは連邦の全民衆を敵に回して逃げねばならなくなるかもしれない。そうなれば恐らく、ポリャールヌイへたどり着く前に、彼女らは力尽きるであろう。

 ミコトは、ここはおとなしく従うべきで、いよいよのときはサミュエルの術に頼るしかない、と考えた。彼女は暗闇のなかでサミュエルにささやいて、それらしい筋書きを立て、耳の聞こえないミョウコウにも、掌越しに伝えた。この旅を通じて、彼女はミョウコウの実直さに信頼を寄せるようになっている。もっとも、秘密警察に拷問されたとき、里から彼の仲間たちが追ってきたときにはどうなるか、それは分からない。それでも今は、彼が口を割らないという前提で切り抜けるほかないであろう。

 ただ、問題はそれ以前に彼女自身が悪名高い連邦の秘密警察をだまし通せるか、であったろう。これから彼女に行われる厳しい追及について想像をめぐらすと恐怖しかないが、ここはともかくも覚悟を決めるしかない。

 ミコト一行は揃って秘密警察に逮捕され、手に縄を打たれて、その尋問を受ける身となった。

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