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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第22章 虚々実々
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第22章-① 女神の加護あれ

 戦機は急速に醸成されつつある。

「帝国軍の大部隊、要塞を進発して西進を開始!」

「先頭に第五軍の軍旗、数は1万以上!」

「総数5万以上、急進して我が軍を追尾する模様!」

 帝国軍の諸将はクイーンの用兵の真髄はその速さにありと評したが、より重要な観点として、その情報力を挙げたい。情報こそは、補給とともに戦略の生命線にあたる部分である。より多く、より早く、より確からしい情報を集めた側が、戦略面で優位に立てる。

 そのためにクイーンは、将校斥候(せっこう)による情報収集に重きを置いた。これは彼女の初陣である内戦時から常々多用している情報の獲得手段で、通常は身軽な軽兵を秘密裏にばらまいて周辺の偵察を行うのだが、この場合は十人長や百人長、ときには千人長といった高位の士官も含めて、5人ないし10人といった規模で編成する。戦略眼のある者が状況を確認することで、より質の高い情報が得られるという期待を持っている。クイーンのもとへひっきりなしにもたらされる情報の数々が、その効果を実証している。

 偵察部隊は遠くベルヴェデーレ要塞近くにまで派遣されていて、その者がある重大な情報を持ち帰っている。

「要塞に残った部隊は、数は不明だがさほど大規模ではない。指揮官はリヒテンシュタイン中将」

 実のところ、クイーンにとってこれ以上に重要な(しら)せはなかったであろう。帝国領内の最重要軍事拠点であるベルヴェデーレ要塞を守るのは、なんと彼女が調略を行っているリヒテンシュタイン中将その人だったのである。

 もっとも、帝国のシュテルンベルク中将が会議の席上で言ったように、クイーンも全能ではない。帝国の前線における最高責任者であるシュトラウス上級大将がリヒテンシュタインを要塞に残したのは、彼の指揮する兵力が各軍のなかで最も少なく、かつ彼を信用しておらず、ゆえに彼に手柄を立てさせぬため、そして帝国軍の最大の強みである天然痘攻撃に批判的で命令に不服従の態度をとる危険がある彼を忌避したため、などということまではさすがに分からないし予想もしていない。

 だが結果的に、帝国軍は最も残すべきでない者を要塞に残したことになる。

 クイーンは旗本のクレア、サミア、ヘレナを呼び、第三師団長レイナート将軍宛ての特別命令をことづけた。

 それとは別に、帝国領内の案内人として従軍するローゼンハイムに対し、決戦にふさわしい地の当てがあるかを尋ねた。ローゼンハイムはかつて帝都防衛隊に所属しており、帝都周辺の地形、特にクライフェルト川沿いに関しては細部まで知悉(ちしつ)している。

「クライフェルト川流域はまさに千変万化の地形にて、いくつもの小天地が散在し、複雑に入り組んでおります。敵は我が軍より数が多いでしょうから、守りに適した狭隘(きょうあい)な地形こそ迎撃にふさわしいと考えます。であれば、この小山からクライフェルト川の支流であるフリーデン川を挟み、グリューンヒュッテ村までを防御線とされては。ここなら大軍の侵入を少数の兵で阻みつつ、機を見て伏兵による奇襲や後方撹乱も容易にかないましょう」

「分かりました、地形を見に行きましょう」

 彼女は野営中の軍から離れ、わずかな供回りとともに地図を携えて、ローゼンハイムの勧める地へと足を運んだ。半日かけて周辺を確認し、彼女は直ちに諸将を集めて会議を開いた。

「敵は優位な兵力を活用し、我が軍が帝都に至る前に捕捉し撃滅することを考えているでしょう。決戦場を我々が選定し、地の利を得て敵機動戦力に打撃を与えます。補給線の維持に気を配りつつ、基本的には守勢に主眼を置いて、機を待ちます。北東方面の合衆国軍はすでに進軍を開始しており、帝国軍は長期にわたってこの地に滞陣することはできません。我々の強みが、そこにあります」

 諸将は図ったように、一斉に(うなず)いた。

 ここから、クイーンの作戦案の具体的部分が披露される。

 まず予定戦場で必ず確保しなければならないのが、ナッツァと通称される海抜500メートルほどの小山である。この山は勾配豊かな周辺の地形にあっても一等抜きん出て高く、周囲をぐるりと見渡すことができる。ここを大軍でおさえたら、見晴らしがきいて敵の動きも一目であり、進退も自在であろう。

 作戦ではこの小山を防御陣の左翼として、その南東のグリューンヒュッテ村までに全軍を布陣する。右翼部にあたるグリューンヒュッテ村には近衛兵団が王旗を掲げる。一見すると、要衝の小山と村を結んで、敵の浸透を阻止し、あくまで守り抜こうという鉄壁の構えである。

「だがそれでは芸がない」

 歯に(きぬ)着せず論評するのは、遊撃旅団のドン・ジョヴァンニである。クイーンはむしろその評を予想し、歓迎もしていた。

「そう、これでは芸がなさすぎます。帝国軍が業を煮やし、本格的に交戦しないまま無傷で撤退されたら、その後のベルヴェデーレ要塞攻略作戦の遂行が困難になります。敵を誘い込み、出血を強いて、より有利な環境をつくらなければ。できれば帝国軍の主力部隊を要塞まで敗走させるほどの戦果がほしいところです」

「まったく、女王様は欲張りだ」

 などと言いつつ、ドン・ジョヴァンニはうきうきとする感情を隠そうとせず、目を輝かせている。

「お上品な女王様はご存じないかもしれないが、裏の世界には美人局(つつもたせ)という稼ぎの方法がありましてね」

「ドン・ジョヴァンニさん、教えてください」

「こいつぁ、まずは女が金を持ってそうな男を誘いましてね、人気(ひとけ)のないところに連れ込みます。うまうまと女を手に入れたと思い込んでるカモを女の仲間が締め上げて、ごっそり金をいただくって寸法です」

「それは、とてもずるいですね。ですが、今回はそれが使えそうです」

「でしょう?」

「つまり、餌を見せて相手に欲を起こさせる。とびついてきたところを撃つ。問題は、相手の警戒心をどうやって解き、餌に食いついてやろうという気を起こさせるか、ということです」

 思案のしどころ、といった表情で、クイーンは細くかたちのよい顎に指を当ててしばし黙考した。

 やがて顔を上げると、栗色の瞳に自信の色が浮かんでいる。ドン・ジョヴァンニなどは、彼女の頭脳から組み上げられるその作戦案を、待ちきれないほどに楽しみにしている。彼は常に戦いの場に身を置いてきたいわば職人で、最高の作戦に自分が最も華やかな位置で関わりたいと思っている。一流の大工にとって、一流の建築家から生み出される構想を自らの力で実現することが生きがいであるように、彼もクイーンの戦術を戦場という舞台で自身が演じることに、まさに至上の生きがいを感じている。

「みなさん、作戦を決めました。今回は我々よりも数的に優位な相手。そのため、戦力をいかに効率的に稼働させ、有利な状況をつくって戦えるかが鍵となります。楽な部署はないと思ってください。また、ラドワーン軍に対するのと同様、状況によっては天然痘攻撃を仕掛けてくる可能性がありますから、その点は敵軍の動きにくれぐれも注意して対処しましょう」

 配置が決定され、それぞれの持ち場へと各部隊が移動を完了したのが、2月13日夕方のことである。

 予定戦場の西北角、ナッツァの小山にコクトー将軍の突撃旅団が布陣し、数は約8,000。

 その南東、フリーデン川上流部を挟みこむようにしてバクスター将軍の第二師団、15,000。

 さらに南東のグリューンヒュッテ村に近衛兵団と、デュラン将軍の第一師団。数はそれぞれ3,000と15,000。

 そしてこれら三部隊の後方にドン・ジョヴァンニ将軍の遊撃旅団およそ8,000が布陣した。

 一方、帝国軍の先陣である第五軍がクライフェルト川流域の丘や谷を踏み越えグリューンヒュッテ村正面ネーダ村近くの稜線に将旗を立てたのが、2月15日の昼。さらに第二軍、第八軍と続々と帝国軍の諸部隊が着陣し、この夜は互いに夜間の襲撃を警戒しつつ、決戦前の睡眠をとった。日が昇れば、教国軍と帝国軍、その主力同士がぶつかる大規模な野戦が生起するであろう。

 そうなったとき、自分は無事に生き残れるであろうか。

 特に帝国軍の側で、そのような危惧を抱く兵が多かった。帝国軍には、教国軍との戦いを経験して、その強さを知る者が多い。いや、単に兵の強さという点では、むしろ帝国軍の方が精強かもしれない。だが教国女王が指揮している、というだけで、なにか戦いの女神の加護でも与えられているかのような、恐怖を伴う彩りがその軍には付加されるのだ。まして、今回は帝国領内の大都市から強制的に徴兵した新兵も多い。大小や濃淡の差こそあれ、帝国兵で必勝を明快に信じている者は少なかったことであろう。

 そうした連中のなかには、野営の陣内で眠りに就きつつも、ついにまんじりともできずに朝を迎えた者もいた。

 2月16日朝、天候は(くも)り、戦闘は両陣の軍太鼓の音ともに始まりを告げた。

 開戦のときである。

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