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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第21章 帝国領攻略作戦
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第21章-⑥ 再びの決戦や近し

 遠征軍本隊の出陣に先立って国都アルジャントゥイユを発したグティエレス将軍の第四師団は、2月7日、予定通りに帝都ヴェルダンディの西にあるブリュール港に上陸、占拠した。

 この町には警備部隊が常駐し、沿岸には哨戒の船団も遊弋(ゆうよく)していたが、いずれも教国陸海軍とは規模が比較にならない。早々にブリュールを明け渡すこととなった。帝国はいわゆるT計画の完了によって所有する陸軍を倍増させ、そののちU計画によって海軍の強化を図っていたが、施策の中途で教国との戦争が始まったため、海軍力では圧倒的に劣勢なままとなっている。従って、教国軍が再び半島西海岸を北上してブリュールに揚陸を(こころ)みることは充分以上の蓋然性をもって予測されていた。予測しつつ、この方面の防御に関して、帝国軍は有効な手立てを持たなかった。もしブリュールの占領を許せば、帝都とは指呼(しこ)の距離であるから、軍事上の大きな脅威となりえる。といってブリュールに大部隊を常駐させれば、陸路で侵攻するであろう教国軍に対して振り向けられる戦力が減ってしまう。

 そのため帝国軍としては、帝都ヴェルダンディにメッテルニヒ中将の第一軍を置き、帝都を防衛させつつ合衆国軍との北東戦線にも(にら)みを利かせ、かつブリュールに教国軍襲撃が確認されればすぐさま西進するという一人(いちにん)三役の責務を持たせたのであった。

「教国軍、ブリュールに襲来。数は5,000ないし7,000」

 急報を受けたメッテルニヒ中将は、命令受領の時間を惜しみ、事後報告というかたちでただちに第一軍の全兵力をもって出動した。

 ブリュール東の原野は、かつて帝都防衛隊のハプスブルク少将が地の利を得た教国第四師団長グティエレス将軍の奸計に陥り、多数の犠牲を出しつつ帝都へと逃げ帰った苦い記憶の残る地である。この奸計は、細い街道と両脇の湿地、そして森林に(うず)めた伏兵を利用した奇襲戦法であり、ハプスブルクは命からがら逃げ戻って、結局は見せしめに処刑されている。

 メッテルニヒとしては、兵力で敵を圧倒しているものの、前者の(てつ)を踏むわけにはいかない。彼は主力で西へと迫る一方、別動隊を北側に大きく迂回させ、直接ブリュールを目指して教国軍の退路を断つ動きを見せた。案の定、教国軍は挟撃を恐れ軍を後退させたため、メッテルニヒはすかさず前進し追尾しようとした。しかし両側を湿地に挟まれた街道を突き進むうち、突如として帝国兵の視界は暗転し、巨大な陥穽(かんせい)へと落ち込んでいった。

「前方に落とし穴、死傷者多数!」

「つまらん小細工を」

 メッテルニヒは苛立(いら)ちを隠せず、前衛部隊を停止させて混乱を収拾しようとしたが、同時刻、彼が北方に派遣した別動隊は行動線を看破したグティエレスの罠にかかり、狭隘(きょうあい)窪地(くぼち)に誘い込まれていた。グティエレスは大量の落木と落石を用意して待ち構え、このため第一軍の別動隊は甚大な被害を出して敗走した。

 第一軍は戦力を再編成し、全軍を湿地に入れ、数を(たの)んで一斉に前進を開始した。対する教国第四師団は足場が悪いために動きの鈍い敵に弓矢や投石による攻撃を加え、充分に損害を与えたところで撤退し、ブリュールからそのまま船に飛び乗って海上へと退避した。船に乗って逃げられたら、海軍力のない帝国軍は手が出せない。教国軍は海上に展開して、ブリュール港の航路を封鎖した。

 前回とまったく同じことになった。

 帝国軍は帝都を守るためにも第一軍をこの方面に配置せざるを得ず、帝都周辺にはまとまった機動戦力が存在しない軍事的空白が生じた。つまり教国軍なり合衆国軍なりがこの間隙(かんげき)を突いて帝都を急襲すれば、帝国の牙城が陥落する。

 一方、教国軍本隊の動きはベルヴェデーレ要塞にあって情報収集に努める帝国軍の前線司令部を困惑させた。総兵力5万を優に超える軍団が、トリーゼンベルク地方を制圧してそのままベルヴェデーレ要塞に迫るかと思いきや、一部のみ要塞方面へと直進し、主力は西へ転進してクライフェルト川を北上しているという。

「要塞を迂回し、帝都を直撃するつもりか!?」

 シュトラウスの作戦では、教国軍を要塞の眼前まで引き寄せ、遠征の疲労が限界に達したところを優位な兵力を活かして撃退し、撤退する敵の後背を撃ち、その機動戦力を殲滅(せんめつ)して教国領へと逆侵攻する構想を描いている。この計画が実現すれば、シュトラウス上級大将の名は華麗かつ壮大な戦略を見事に完成させた屈指の名将として、大陸の歴史に輝かしい武名を刻むことができたであろう。

 が、状況は彼の甘い期待を裏切った。

 彼は諸将を緊急召集して協議した。会議の主要メンバーは、以下の通りである。


 国防軍最高司令部副総長兼第二軍集団司令官 シュトラウス上級大将

 第一軍集団司令官 ゴルトシュミット大将

 第二軍司令官 ベーム中将(兵力:約14,000)

 第三軍司令官 シュテルンベルク中将(兵力:約13,000)

 第四軍司令官 リヒテンシュタイン中将(兵力:約6,000)

 第五軍司令官 ツヴァイク中将(兵力:約11,000)

 第七軍司令官 フルトヴェングラー中将(兵力:約13,000)

 第八軍司令官 レーウ中将(兵力:約14,000)

 特務機関工作課特殊研究室主任 ハーゲン大佐


 簡易的な情報共有ののち、まずはシュテルンベルク中将が発言した。彼は第三軍司令官職の前は士官学校の副校長と校長を歴任した、いわば教育畑の人で、理論や研究には優れるが実戦には向かない。ただ部下をうまく使うことに()けており、また教育者には珍しく謙虚で上官や同僚への挨拶も如才なかったから、現在の職を可もなく不可もなく務めている。

「敵の狙いは明らかです。教国軍は堅牢な我が要塞を攻略することを困難と判断し、むしろ主力をクライフェルト川に沿って北上させ、性急に帝都攻略を狙ったものでしょう。対するに、我が軍は積極的に進出して、教国軍主力を追尾し、その後背を急襲して、連中の死体を路傍の土くれに返してやればよいかと考えます。地理に不案内な教国軍は、複雑なクライフェルト川流域の地形に進退ままならず、早々に限界点に達するはずです。ここは打って出るにしかず」

「それはいかがなものかと存ずる」

 反論したのは、第五軍司令官のツヴァイク中将である。知と勇、剛と柔の均衡という点で帝国軍屈指の存在であり、人格も清廉で、故メッサーシュミット将軍からは、帝国軍の次世代の総帥たることを嘱望(しょくぼう)されていたほどの人物である。実際、デュッセルドルフ、キティホークでもその評価に(たが)わぬ活躍を見せている。

「相手は教国の女王。その戦術構想を分析するに、虚なるは実、実なるは虚。つまり相手の裏をかき、出し抜いて優位に立つ。今回も、その神速の用兵を活かして帝都を目指すように見せて、我が軍を要塞からおびき出し、別動隊とのあいだに掎角(きかく)の勢を築いて野戦に勝利し、要塞の攻略を企図しているのではないか」

「ツヴァイク中将。貴公はいささか敵将を過大評価している。私にはそう思われてならない。どれほどの名将でも全能ではない。教国軍の本隊はクライフェルト川、一部の別動隊だけがこの要塞へ向かっている。別動隊は足止めのための部隊に違いない。貴公自身が言ったように教国女王の用兵はその速さにこそ真髄がある。我々がこの要塞を後生(ごしょう)大事に守り抜いたとて、手薄な帝都を教国軍に長駆陥落させられたら、軍が無事でも国が滅ぶ」

「しかし、やはり教国軍本隊を追尾するのは悪辣(あくらつ)な罠が用意されている可能性もあり危険と思われる。ここは六個軍を三手に分け、三個軍を帝都へ先回りさせ、二個軍で敵の補給線を断ち、一個軍でこの要塞を守っては」

「そうだな。見たままを真実と断じてはならない。我々の死命を制するはまさに、帝都とこの要塞、そして教国軍の補給線だ。この三者を確保し維持できれば、教国軍は立ち枯れる」

 ツヴァイクの意見に賛成したのは、第二軍のベーム中将である。彼もかつては故メッサーシュミット将軍の子飼いの部下であって、軍事のすべてを知り尽くした練達の宿将である。将軍亡き今、帝国軍の名将といえば衆目の一致するところ、第一にベーム中将、次いで第六軍のシュマイザー中将が挙げられる。

「私の考えは違う」

 さらに名乗りを上げたのは、第八軍のレーウ中将である。全員が、この男の異常なほどに高い鼻と生真面目で神経質そうな目元へと視線を注いだ。

「今、敵は帝国領を我が物顔で蹂躙(じゅうりん)し、要塞に駐留する我が軍を無視し、北へと向かっている。我が軍に対する許しがたい侮辱であり、これを便々(べんべん)と見過ごして連中の跳梁(ちょうりょう)するがままに任せることはできない。断固、出撃して、帝国軍の栄誉と威風を内外に知らしめねばならない」

 諸将は一様に呆れ、文字通り閉口した。今、彼らは戦術の話をしている。だがこの男は、シュテルンベルク、ツヴァイク、ベームの討議に割り込んで、感情の話をした。教国軍をどう駆逐するか、それを戦術ではなく感情の問題として処理しようとしている者は、この男以外には一人もいなかった。

 リヒテンシュタインはだんまりを決め込みつつも、改めてレーウという男の愚かさに痛烈なほどの絶望感を味わっている。このような無能者が、一瞬とは言え彼の直接の上官となり、キティホークという晴れがましい決戦の場で帝国軍の指揮をとり、教国女王と雌雄(しゆう)を決したというのが、信じられないような思いである。勇敢で意欲にあふれた無能ほど、世の中で厄介なものはないという、生きた例証と言えるだろう。

 さて、レーウの発言に諸将は沈黙したが、ここで思わぬ援護が入った。ハーゲン博士である。彼はラドワーン軍に対する天然痘攻撃が成功してのち、なおも前線に残り、二階級を進んで大佐にまで昇格している。

「私には、勇名の誉れ高い諸将方が、なぜそれほど教国軍を恐れるのか、理解に苦しみます。この要塞の地下施設には、まだ教国軍の生きた捕虜が数百人単位で収容されており、さらに天然痘に感染させた捕虜も厳重に管理してあります。ラドワーン王の軍を壊滅させ、王も天然痘で死んだ。同じことを、教国軍にも再現させてやればよろしいでしょう。カタパルトの射程内に近づき、連中を天然痘により内側から瓦解させる。これ以上の勝機を、いかにして求めるというのですか」

 司令官たちのうちの幾人かは、内心に深刻な嫌悪感と不快感を催した。感情の豊かすぎるほどに豊かなリヒテンシュタインが真っ先に激昂したことは、言うまでもない。

「この腐れ学者、貴様のような鼠輩(そはい)が、なんの資格あって実戦に口出しするかッ!」

「おいヴィルヘルム、口を慎め。場を(わきま)えろ」

「ラインスフェルト、お前も同じ意見のはずだ。我々はメッサーシュミット将軍のもと、軍人とは勝利でも名誉でもなく、己一個の誇りのために生き、誇りのためにときには死をも辞せぬものと教え込まれた。それが今や、このような蛆虫(うじむし)に誇りを(けが)されている。黙っていられるものかッ!」

「分かった、分かったから少し落ち着け」

 立ち上がったリヒテンシュタインの肩をつかんで、隣席のツヴァイクが必死に止める。このまま放っておけば、ハーゲン博士を殴り倒しかねないと思ったのであろう。

 対するハーゲン博士は、軍司令官からの激しい攻撃に思わず鼻白んだが、別に自分が間違ったことを言ったとも思っていない。むしろ職務に忠実なだけの自分にいわれなき罵声を浴びせるリヒテンシュタインこそ、錯乱したのではないかと疑った。そして、このような男を軍司令官職に就けておくことに懸念さえ抱いた。

「リヒテンシュタイン閣下。捕虜を利用した天然痘攻撃には、我が総統のお墨付きを得ております。私の意見を愚弄することは、すなわち我が総統を愚弄することです。そのことを銘記しておいていただきたい」

「虎の威を借る薄汚い(きつね)め。俺は断じて、貴様の戦法を部下に強要することはせんぞ。貴様に従うくらいなら、俺は自らの誇りのため死んでみせるわ!」

「閣下のそのお言葉、必ずや我が総統に伝えますぞ」

 ハーゲン博士は、ヘルムス総統と個人的に親しく、全幅の信頼を寄せられている。ラドワーン王とその軍を葬った実績が、その信頼をさらに強化している。彼の脅しは、単なる脅し以上の意味を含んでいる。彼の報告がヘルムス総統に届けば、司令官職は解任となり、それまでの失態の責任もあわせて追及されることになるであろう。

 少なくともシュトラウスはじめ列席者の全員が、リヒテンシュタインの言動は高位の軍人としての自殺行為だと思った。総統の不興を買えば、栄達の道が閉ざされるだけでなく、降格や左遷の対象となり、最悪の場合は処刑されてしまう。例えば前年、ブリュール方面に上陸した教国軍を撃退するため派遣され、無様にも多くの兵を失い逃げ帰った帝都防衛隊副司令官のハプスブルク少将は、帝都に帰着してそのままギロチン台に直行となった。本来、高級軍人の公務中の犯罪や失敗は軍法会議によって裁かれるものだが、この場合はヘルムス総統の鶴の一声で、一切の法的手続きが省略された。類似の例は、特に教国との開戦後、目に見えて増加している。

 それほどに、ヘルムス総統の意向は絶対なのである。

 シュトラウスは、彼自身がなだめることでようやくリヒテンシュタインの逆上を静め、会議の進行に戻ることができた。

 さらに議論を重ね、結局はシュテルンベルクの案にゴルトシュミット、レーウ、ハーゲン博士が同調し、ツヴァイクの考えにベーム、リヒテンシュタイン、フルトヴェングラーが賛同した。意見が分かれ、両論の並立に迷ったシュトラウスは、ここでその思考に不純な要素を混入させることで、結論を導こうとした。つまり、どちらを選択すればより勝ちやすいか、という判断基準に、自らの保身というまったく別次元の論点を持ち込んだ。

 彼は、迷いを生じた様子などおくびにも出さず、いかにも積極策をもって教国軍に対処しようとしているように見えるよう、声に張りをつけて宣言した。

「シュテルンベルク中将の意見にこそ、理がある。敵は一路、帝都を目指して行軍している。クライフェルト川のあの流域は、山や谷が密集して大軍の進退には適さない。敵に追いすがって神出鬼没に攻め立てれば、領内深くに入り込んだ敵軍を覆滅(ふくめつ)することは繊細な卵の殻を割るほどにたやすい。(ただ)ちに出撃準備を」

 ベーム、ツヴァイクの両将は、命令には従いつつ、なおも内心で危惧(きぐ)をぬぐえずにいた。教国の女王は稀代(きたい)の戦略家である。要塞に駐留する帝国の大部隊に横腹を見せつつ、クライフェルト川沿いを北上していくのは、用兵の専門家である彼らの勘からすれば、明らかに罠である。敵も遠征で疲労しているであろうが、こちらも前線の駐屯が長引いて士気が低い。勝てるだろうか、とこれほどの高級指揮官が疑念に思っている時点で、不利にあることは否定できない。対する教国軍は、中級指揮官以下全軍が勝利を明快に確信していた。彼らの総指揮官は、大陸一の軍事的天才であるとの信仰心がある。

 すなわちこの時点で、両軍にはすでに無視しがたい優劣が生じていたのである。

 まして、主力部隊が出払ったあとの要塞司令官に任命されたのがリヒテンシュタイン中将であるとなれば、なおさらであろう。

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