第19章-⑤ 術者に問う
翌日、昼になってからようやく、ミナヅキがミコトとサミュエルを呼び、話し合いの場をつくってくれた。
(昨日は結局、朝からアオバとは顔を合わせずじまいだった)
夜も、ミコトらの部屋には戻っていないらしい。
(アオバは、どこにいるのか)
いくら久方ぶりの里帰りとはいえ、ミコトに一言もなく、姿を見せないというのはらしくない。
ところがミコトには、さしあたっての問題がある。頭が痛い。昨日の酒には、いったい何が入っていたのであろう。サミュエルも慣れない酒を一晩中飲まされて、今朝からぐったりしている。
ミナヅキは二人の顔色を交互に見ては、苦笑をした。
「昨夜はだいぶ、酒が過ぎたようだ」
「不甲斐ないことです」
「いや、里の者が無遠慮に勧めたのであろう。恥じ入るには及ばぬ」
「恐れ入ります。ところで、昨日からアオバの姿が見えないのですが」
「あぁ、あれは旅の疲れもあるし、息子とともにおる」
その言葉と声に、一点の影もなく、ミコトは疑いを持つことはなかった。アオバに子がいるというのは今でも信じられないが、再会を喜んでともに過ごしているというなら、それも当然のことではあろう。
「あらましはアオバから聞いておる。確かに、あれはヤノ家に送り込んだ間諜であった。我がヒュウガ流頭領家はヤノ家の縁戚であると同時に、悪しき術者が生まれ、暴走することを未然に防ぐために、監視する役目を帯びていた。ただ、悪しき術者がヤノ家ではなく、傾国の美女スミンという、どこの馬の骨とも知れぬ女として現れようとは予想だにしなかったが」
「アオバの言っていたこと、真実だったのですね」
「そのスミンと、サミュエル殿は接触し、操り人形にされたと」
「はい。結果としてサミュエルさんはスミンの闇に命ぜられるまま、ロンバルディア教国女王エスメラルダ陛下の暗殺に向かうことに。私もその現場に居合わせましたが、氷の術者が身を呈して阻止しなかったら、スミンの謀略はサミュエルさんの手によって遂行されていたかもしれません」
「ほう、氷の術者」
「えぇ、氷の術者は氷晶のお告げを預かる預言者であるとか。いずれにしてもサミュエルさんは氷の術者によって目覚めたものの、教国に留まることができなくなり、アオバの勧めもあって、ここにこうして参った次第です」
「なるほど、よく分かった」
ミナヅキは視線をミコトからサミュエルへと移し、ひとつだけ尋ねた。
「サミュエル殿、であったな。私は貴殿の意志を問いたい。ありのままを答えられよ」
「意志……」
「話を聞く限りでは、今回、この里を尋ねられたのは貴殿の意志ではない。アオバの具申と、ミコト殿の計らい、そしてロンバルディア教国の女王の賢慮によるものと推察する。つまり貴殿の意志が見えぬ。よって、あえて問いたい。貴殿はこれからどうされたいのか」
ミコトはそっと、サミュエルの顔に視線を向けた。目には枯葉色の綿のさらしが巻いてあり、口元には表情がなかった。
確かに、ミナヅキの言うことには理がある。彼と行動をともにするようになって、その口から何か主体的な、能動的な意志が発せられることはなかったように記憶している。どこへ行くか、どう行動するのか、それはミコトやアオバや、あるいはクイーンの指し示した道をなぞるだけで、彼自身の意志ではなかった。
彼自身が、今後どのように生を送りたいのか。光の術者として闇の術者たるスミンを討つ。そのような高尚な志があってもよいし、単に復讐を遂げる目的でもいい。スミンを倒したいのか。その手段として、術者としての力を手に入れたいのか、どうなのか。それともスミンと戦う気はないのか。
ミナヅキとしては、彼の意志を確かめ、その覚悟なり勇気なりを測って、行動したいのであろう。
ミコトとミナヅキは、催促するでもなく、じっとサミュエルの返答を待った。
「僕には、よく分かりません」
「それは考えた末に分からぬのか、あるいは考えること自体がいとわしいのか」
「たぶん、後者です」
サミュエルは正直な青年だ。変に自分を飾ったり、虚勢を張ったりするところがない。それは彼の美点でもあったが、同時にミコトからすると多少、もどかしい気持ちもある。彼との距離が縮まり、彼を少しずつ知るほどに、意気地がない、とさえ思うことがあった。
もっとも、彼女はサミュエルにスミンと戦うよう勧めたり、促したりする気は毛頭ない。サミュエルが光の術者であるという、そのようなさだめのもとに生まれついているからといって、一度は彼を虜とし支配したスミンに戦いを挑むよう強制するのは、あまりに酷である気がした。それに、術者の思念の極端に衰えた今のサミュエルでは、到底スミンに抗しえないであろう。
ミナヅキとサミュエルの問答は続いた。
「なぜ、考えることに躊躇される」
「僕はスミンが、怖いのです。もしまた、スミンに闇の術を受けたら、僕はまた、僕でなくなってしまう。前回は僕のために、術者が一人、犠牲になりました。今度こそ、僕は自分の大切な人を傷つけてしまうかもしれない。そんな思いはしたくない。それに、どんな相手であっても、僕は人を傷つけたくはない。たとえ世界に災厄をもたらす闇の術者であっても、自分の術を戦いのために行使するのは嫌なんです」
サミュエルの吐き出すような言葉の一つひとつに、ミコトは胸が締めつけられる思いがした。彼が経験した苦しみや恐れは、ミコトの想像をさえ絶する。今回の旅で、彼は自らの思いを吐露することがきわめて少なく、ミコトもあえて積極的には尋ねはしなかったが、ここへきてようやく、告白の場を得たのかもしれない。
「光の術者は、闇の術者を制するのが宿命。それと知ってなお、戦いたくないと?」
「僕も、亡き姉からそう聞かされて育ちました。でも僕にそんな力はないし、戦いは嫌いです」
「戦いは嫌い、か。戦うために生まれた光の術者らしからぬが、それが貴殿らしいということなら、その言葉こそが真実なのであろうな。戦いのなかでしか生きられぬ忍びにとっては、にわかに理解はしがたいところではあるが」
「戦いたくない、と言い出す忍びの方はいないのですか?」
「いるさ。どれほど鍛え、あるいはどれほど折檻しようとも、虫一匹、猫一匹殺せぬ者が。そのような者は忍びの資格はない。最終的には里の結束と風紀を守るため、追い出すことになる」
「では僕も、この里に生まれていたら、追い出されていましたね」
「そうであろうな」
両者はしばらく黙っていたが、サミュエルをじっと見つめていたミナヅキが、不意に座を立つように促した。
彼は二人を頭領屋敷の地下深くにある部屋へと連れていった。松明がなければ光の気配さえも届かぬ、酷寒の地下室で、それは保存されている。
氷晶であった。それも、人頭大ほどの巨大な氷晶である。普通、地下深くに潜ってもここまで寒くはならない。この凍えずにはおられぬほどの冷気は、この氷晶が自ら発しているのかもしれない。
ミコトは消え入りそうな松明の弱々しい光のなかでそれを発見し、思わず息を呑んだ。
「これは……!」
「そう、恐らく事情をよく知るミコト殿は見たことがあろう。氷の術者の現出せし氷晶」
「これは、ですが」
「いや、みなまで言わずともよろしい。私も幼きみぎり、あのヴァイオレットなる術者の生み出す氷晶を見たことがある。あれはせいぜい、団子ほどの大きさで、ここまで巨大ではなかった」
「ヴァイオレット、その名をご存じなのは」
「知っているとも。私が生まれる前から、三年に一度、この里へ来ては自らの思念をこの氷晶に託し、去ってゆく。最後に会ったときは老婆であったが、若かりし頃は、名前の通りの可憐で清らかな婦人でな」
「驚きました。しかし、この氷晶はなんのために」
「光の術者に託すため、だそうだ」
ミコトは再び、呼吸も止まるほどの驚きを覚え、目線を氷晶からサミュエルへと移した。松明の光は暗く不安定だが、彼は確かに、ミコトの以上の衝撃の前にそれこそ凍りついたように立ち尽くしている。
ミナヅキは続けた。
「彼女に聞いたことがある。なぜ、光の術者に託すために我が思念を差し出すのか、と」
「彼女はなんと?」
「それがお告げだからだ、と言っていた。恐らく術者になってから、命のすべて、自分のすべてを術者としてのさだめに捧げていたのだろう。いつか光の術者に、我が力のすべてを託すために」
三人は、松明の弱くはじける音だけが響く暗い地下室のなかで、それぞれの思いと対峙した。
(確かにレティさんは、その命を捧げて、サミュエルさんを救った)
ミコトは、まるで鉛を飲み込んだような重さを胃に感じた。術者とは、なんと壮烈なさだめを負っているのであろう。生涯、自らの持って生まれたさだめを全うするよう、その命を定義づけられている存在なのかもしれない。
サミュエルは、どうするのだろう。
「選ばれし者が氷晶に触れれば、思念が託されるそうだ。よくよく考え、決めるがよい」
ミナヅキは松明をミコトに渡し、先に地下室を出た。
まばたきをせねば眼までも凍ってしまいそうな冷気のなかで、ミコトは辛抱強く、サミュエルの決断を待った。




