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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第18章 平和を求めて
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第18章-④ 戦いを終わらせるための戦い

 近衛兵団において屈指の美貌とされるリタ近衛兵。

 彼女はロンバルディア教国では非常に珍しいバブルイスク連邦からの移民の子で、この年の7月に旗本に昇格したばかりである。

 デュッセルドルフの戦いで遠征に参加した近衛兵団は殲滅(せんめつ)に近い憂き目に()い、帰還後は多くの新兵が補充されたが、彼女もそのうちの一人である。

 肌が抜けるように白く、髪は限りなく黒に近い茶で、アクアマリンを思わせる明るく涼しげな色の瞳を持っている。

 男だけでなく女も振返るほどの容姿、という点では彼女が仕えるクイーンにさえ遜色ないほどと言われる。

 しかも微笑みは妖艶で、油断なく(べに)をつけた唇はいかにも男に媚びているように見える。

 そのリタ近衛兵を、ドン・ジョヴァンニ将軍が狙っているらしい。

 しかしリタ近衛兵はなかなかしたたかで、もったいぶっているそうだ。

 他愛ない噂話を交わしつつ、会議場へと姿を現したのは、第二師団のバクスター師団長と突撃旅団のコクトー旅団長である。両名は同い年で、ともに教国軍陣営を代表する猛将である。

 部屋にはすでに多くの将軍や官僚が先着している。

 第一師団のデュラン将軍は、貴族育ちらしく折り目正しく着席し、第三師団のレイナート将軍はゆったりと背をもたれ、腕を組み目を閉じて会議の開始を待っている。第四師団のグティエレス将軍は弁論家で、周囲の軍官僚らとしきりに議論を重ねている。

 最後に遊撃旅団長であるドン・ジョヴァンニが入室すると、彼を噂の材料にしていたバクスター、コクトーの両名が冷やかした。

「将軍、首筋に口紅が残っているようだ」

「もしかするとそれは、美貌で名高いリタ近衛兵のものではないかな」

「いいや、あいにくだが夕べの相手は別の女だ」

 ドン・ジョヴァンニはこの手の話題について隠すということをしない。この発言からすると、彼は噂の通りリタ近衛兵に目をつけているが、まだものにはできていないらしい。

「気をつけることだ。近衛兵団と宮廷の風紀を乱すこと許しがたい、とオルランディ兵団長がカリカリしていたらしい」

「あれはまだおしめのとれないおぼこさ」

「おぼこと言うが、オルランディ兵団長は確かクイーンと同じ27歳だろう」

「なぁに、男を体で感じたことのない女は、ただの生娘(きむすめ)だ」

 バクスターとコクトーは顔を見合わせ、呆れたような笑いを浮かべた。彼らにはともに妻子がおり、元来、実直な性格である。ドン・ジョヴァンニの漁色家ぶりを面白く思ってはいるが、根本的に人生観が異なるために、しばしば理解に苦しむ言動がある。女を道具のように(もてあそ)ぶのは、彼らの持って生まれた精神に反する。それにヴァネッサはエミリアとはまた違った意味で、前線の将軍たちからさえ一目置かれている。

「貴公は怖いもの知らずのお方だ。オルランディ兵団長の気の強さは知っているだろうに」

「気の強さは、心の弱さの裏返しさ。あれは女王様と幼馴染で、それだけに縁故で今の地位を得たと言われぬよう、精一杯、気張っている。かわいいもんだ」

「なるほどなぁ」

 コクトーが妙に感心しているうち、当のヴァネッサがクイーン、エミリアとともに姿を見せた。ここしばらく、ドン・ジョヴァンニが彼女の部下にしつこく言い寄っていることを知っており、しかもその当事者がこの場にいるから、ヴァネッサは機嫌がよくない。事実、ドン・ジョヴァンニに対し、すさまじい視線でにらみつけている。にらまれる方は、どこ吹く風とばかり、愛用のフェルトハットを指でくるくると回して、相変わらず女王の御前とは思えない行儀の悪さである。

 この日は作戦の概要がクイーン自身の口から発表される。

 作戦の骨子は次の通りである。

 ひとつ、前回と同様、教国海軍はアポロニア半島西の沿岸部を北上し、ブリュール港に達してこれを占拠し、帝都ヴェルダンディを西方より脅かすこと。指揮官は海軍のハチャトゥリアン提督並びに第四師団長グティエレス将軍。

 ひとつ、王立陸軍最高幕僚長たるラマルク将軍は、第四師団の副師団長アリギエーリ将軍とともにカスティーリャ要塞を堅固に守り、万が一の帝国軍による逆襲に備える。

 ひとつ、第三師団長レイナート将軍は、カスティーリャ要塞から帝国軍主力が集結する要衝ベルヴェデーレ要塞へと直進し、その眼下にあるシェーンブルンの町を制圧する。ベルヴェデーレ要塞から敵軍が出撃した場合は、迅速に退避するとともに、この方面の帝国軍の動向を本軍へと通知する。また帝国軍の主力が西へ向かった場合は、これを追尾し、ただし戦力の温存を第一として交戦は控える。

 ひとつ、遠征軍本隊は近衛兵団、第一師団、第二師団、突撃旅団、遊撃旅団で構成され、帝都の南を南北に流れるクライフェルト川を伝い、ベルヴェデーレ要塞を無視して帝都を直撃する動きを見せる。ベルヴェデーレ要塞から帝国軍の主力が出撃した場合は、クライフェルト川を挟んで布陣し、これを要撃する。野戦で有利に立ったのち、一転して東へと進み、ベルヴェデーレ要塞攻略を目指す。

 ひとつ、遠征軍本隊はベルヴェデーレ要塞攻略ののち、帝国領北東方面から進撃してくるはずの合衆国軍と呼応し、強行軍で帝都ヴェルダンディを陥落させ、帝国の支配体制を崩壊させて一挙に降伏へと追い込む。

 名前と役割が告げられるたび、将軍たちは快い緊張と興奮を味わい、作戦の全容が明らかになってゆくごとに議場全体を熱していった。誰もが、作戦の成功を確信していた。帝国への復讐心もあるし、クイーンの軍事的才幹に対する絶対と言えるほどの信頼もある。

 一通りの説明が終わったあとで、デュラン将軍が冷静かつ控えめな声で懸念の態度を示した。

「今回もやはり、クイーン自身が()かれますか」

 この種の慎重論は、本来であれば枢密院議長のフェレイラ子爵あたりが論陣を張るべきところであるし、実際に二度にわたる出兵においてはいずれも彼が親征の反対を唱えた。だがこの日は軍事作戦の方針決定に限定した会議であるので、フェレイラ議長は出席していない。しかし、クイーン自身の統率による作戦であることを印象づけ、かつ血気に(はや)る連中を落ち着かせるためにも、誰かが慎重派としてクイーンを止めるという形式が必要とされているのであった。

 この場合、デュラン将軍は自ら、その役を買って出ていることになる。

 クイーンはデュランのその見識を知った上で、にっこりと微笑み、ただ(うなず)いた。

 戦い起こるところ、すなわち王旗の立つところ。

 玉座は宮殿になく、馬上にあり。

 兵に守られる王ではなく、兵を守る王。

 それがクイーン・エスメラルダである、と後世よく評される姿が、そこにはある。

 会場の全員が仰ぎ見るその先で、クイーンは表情を凛々しく引き締め、改めて宣言した。

「この作戦は、単に帝国軍の要衝を制圧し、その首都を攻略して、彼らにかりそめの和平を約束させるのが目的ではありません。王国軍の悪逆非道な侵略に始まる一連の大規模紛争を終わらせ、大陸の平和と安定を取り戻す、その道標(みちしるべ)とするべき作戦です。我々は戦うために()くのではありません。戦いを終わらせるためにこそ往くのです。戦いを憎むからこそ、戦うのです。これを肝に銘じてください。もしこの理念を忘れることがあれば、私は皆さんを罰しなければなりません。もし私が忘れたときは、皆さんが私を罰してください。そしてそれを、全軍に徹底させてください。誰にとっても困難な作戦ではありますが、その終わりに必ずや平和をもたらしましょう」

 勝利をもたらそう、とは言わなかった。彼女にとっては、勝利の栄光は問題ではないようであった。願いは、ただ平和だけであった。

 震えるような高揚感が音もなく部屋に満ちるなか、先んじて声を上げたのはドン・ジョヴァンニであった。

「よし、女王様のその夢に、俺も一枚噛ませてもらおう。戦いがなくなるのは退屈そのものだが、俺はあなたの本当につくりたい世の中を見てみたいんでね」

「ドン・ジョヴァンニさん、戦いがなくなったら、あなたはどうされますか?」

「そうですな、女遊びでも始めましょうかな」

 ふふふ、とクイーンが華やかな笑い声を上げた。彼女は実はドン・ジョヴァンニの女癖の悪さをよく知っていて、それをひとつの個性として珍重しているようだった。彼女の目に映る男というのは、ほとんどが謹直で堅実な人物ばかりである。それは例えば、公明正大と質実剛健を人間の形にしたデュラン将軍のような。少なくとも、クイーンの前であるから誰もがそのように振舞うものであるが、ドン・ジョヴァンニというのは誰の目があろうと、あくまで彼のそのままの姿でしか生きてはいない。クイーンにはそれが珍しく、むしろいとおしんでさえいるようにも見受けられる。

 だから、彼女のそば近くに仕える旗本のリタ近衛兵を執拗に口説いている、と聞いても、不愉快に思うどころか、ぷりぷりするヴァネッサをなだめてもいるのであった。

「暇になったらぜひ、私にも面白い遊びを教えてくださいね。私は、あなたともっとお話ししたいのです」

「楽しみにしておきましょう。世の中にはあなたの知らない面白いたしなみがまだまだたくさんある。ただし、まずは戦いを終わらせてからだ」

 ドン・ジョヴァンニのその言葉を合図のようにして、コクトー将軍がすくと立ち上がって叫んだ。

万歳(ヴィーヴァ)!」

 コクトーの雷鳴のような雄叫(おたけ)びに続いて、幾度も幾度も万歳(ヴィーヴァ)の声が熱狂の渦となって室内を席巻した。

 クイーンによるこの出兵計画の共有は、彼ら作戦参加者たちの忠誠心を改めて堅固にし、「戦いを終わらせる」ことへの決意を新たにさせたようである。

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