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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第17章 術者、死闘す
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第17章-⑤ さだめ

 サミュエルは、闇の術者スミンとの交わりのなかで、光の思念のほとんどを消費している。

 レティも、老いの衰えは甚だしく、実のところ残された思念はわずかである。

 しかし、王宮のメインパレス裏口で展開された術者同士の戦いは、居合わせたすべての人間の想像をはるかに超えるすさまじさであった。術者一人で、国を一つ滅ぼせるという。なるほど、その表現は決して誇張ではなかろう。

 分厚い氷の壁を、聖なる光の束が崩す。

 淡い光のカーテンを、氷の槍が貫く。

 氷は岩となって(うな)り、光は龍となって咆哮(ほうこう)す。

 術者同士が文字通り死力を尽くし、戦いは互角の様相を見せている。

 だがレティが不利な点がひとつある。彼女はクイーンとエミリアを守りながら戦わねばならない。結界内に他者を入れることは、思念に乱れを生じ、本来の力を存分には発揮できない。

 術者が互いに杖を振るたび、徐々にではあるが、レティは疲労し、防戦に回りがちになった。一方、サミュエルは若く、疲れも見せない。

 レティはついに結界の生成のみに集中し、集中しつつ、結界内にいるふたりにしわがれた声で語りかけた。

「氷晶が最後のお告げをくれた。どうやらお別れみたいだよ」

 クイーンはすぐにその言葉と声色の不吉さに気づいた。

「レティさん、何を」

「勘のいいお嬢さんは好きだよ。アタシの思念すべてを力に変えて、光を闇から解き放つ」

「まさか、そんな!」

「こうするしかない、と氷晶が言ってる。お告げに従うのが、氷の術者のさだめさ」

 言った直後、レティは渾身(こんしん)で念じ、その周囲は空気さえも凍りついて結晶化することがあるのか、豆粒大の氷が渦を巻いて吹雪いている。

 と同時ににわかに天がどす黒く(くも)り始め、一説では国都全体がまるで真冬に時を進めたかのような酷寒に覆われたという。

 氷の渦は轟音とともに天からまるで竜巻のように降り注ぎ、レティの結界の周囲を厚く取り囲んだ。クイーンとエミリアはただ抱き合いながら、この人智を超えた力の発動を目に焼きつけた。恐らく結界の一歩でも外に出れば、彼女らはまばたきひとつするうちに氷の彫刻のように凍ってしまうであろう。

「レティさん!」

 クイーンは幾度か叫んだが、レティはすでに応えようとはしなかった。彼女は老いた肉体と思念を、現世における最後の術として具現化しようとしているらしい。低く重い(うな)り声が続き、そしてついに術者としての限界を超えたか、すべての思念を吐き出すように一息に気炎を吐き出した。

 無数の氷の粉が舞い、目撃した全員の視界を遮った。風さえも()てつき、人の息さえ吹雪と化す。

 やがて。

 視界が徐々に回復し、静寂が戻ったあと、人々の前には氷晶を砕いて一面にばらまいたような光景が広がり、そして人が倒れている。

 レティであった。

 クイーンはエミリアの片腕のなかから()い出て、氷の瓦礫(がれき)の上に横たわるレティに駆け寄った。その手に触れてすぐ、クイーンは愕然とした。

「嘘、こんなの嘘……」

 エミリアが手首の脈をとると、血の流れがない。しかも肌は氷のように冷たい。

 彼女の予言通り、いやそれも氷晶のお告げであったのだろう、我が思念すべてを使い果たして、彼女は倒れ、現世から永遠に旅立った。

 命の尽きるそのときに、何を思ったのか。顔はまるで化粧を施したように白いが、表情は存外なほど、柔和で安らかにさえ見える。

 遺言、と言ってかもしれない、最後の言葉は、

「お告げに従うのが、氷の術者のさだめ」

 というものであった。

 術者は誰しも、さだめなるものを背負っているのであろうか。そのさだめは、誰が決めているのであろう。さだめに(あらが)うと、術者はどうなってしまうのか。

 エミリアには分からない。クイーンにも、分からないであろう。

 サミュエルは、サミュエルには、己のさだめとやらが見えるのだろうか。

 視線を、サミュエルへと向けた。より正確には、巨大な氷晶のなかで氷漬けにされたサミュエルの方へと。

「サミュエルさん……」

 術者がともに息絶え、魂が抜けたように座り込むクイーンのもとへ、近衛兵たちが集まり、ひざまずいた。冷気が残っているために、みなの吐く息が白い。

 全員が、無言だった。クイーンとエミリア、ヴァネッサ以外は初めて見る術者の力であった。そして術者という、伝説上の偶像が実世界に存在したことを、全員が知った。

 知ってしまった。

 エミリアは、クイーンか、ヴァネッサか、あるいは近衛兵たちになにか語りかけるべきことを考えたが、言葉が出なかった。

 ただ寒さと沈黙だけが続いた。

 それを破ったのは、集団のなかでただ一人、クイーンではなく巨大な氷塊の方へと歩み寄っていた、ユンカースであった。

「氷が崩れ始めている。術者が死ぬとともに、その神通力も消えるか」

 近衛兵たちは再び騒然として、氷塊を取り巻いた。確かに氷が、溶ける、というよりはまさに崩れるような勢いで消えつつある。サミュエルは生きているのか、生きているとすれば、また襲ってくるか。

 一度は収めた剣を全員が抜いて、時を待つ。

 やがて氷がきしむ音ともに、サミュエルの体は地面へとゆっくり倒れた。ヴァネッサが確認すると、静かな呼吸がある。まるで、眠っているようだ。

 クイーンの指示が下された。

「サミュエルさんを、貴賓(きひん)室へ運んでください。きっともう、危険はありません。レティさんが、私たちを助けてくださいました」

 呆気(あっけ)にとられる近衛兵は多かったが、エミリアが()き立てるように命令を重ねると、きびきびと動き始める。人を動かすには、とにかく頭ではなく体を動かすことだ。

 近衛兵たちは、サミュエルを貴賓室へと担ぐ者、レティの遺体を運び出す者、クイーンを自室まで護衛する者、宮殿の警備任務に戻る者、それぞれに忙しく動き始めた。ユンカースとローゼンハイムも、一旦は自室に引き取っている。

 あとに、ミコトら三人だけが残された。

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