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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第17章 術者、死闘す
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第17章-③ 迫る魔手

 ロンバルディア教国の国都アルジャントゥイユが最も暑くなるのは、7月から8月にかけてである。温暖な気候だが、風が湿気をあまり含まないために、意外なほどにからりとした陽気である。大陸において最も低緯度にある首都でありながら、例えば特異な気象条件のもとで亜熱帯性ジャングルが広がるンゼレコレ地方や砂漠の照り返しが焼けるように感じられるナジュラーン地方など、同盟の都市の方がよほど酷暑に悩まされると言える。

 10月にもなると太陽からの光熱もだいぶやわらいで、国都の風景は秋への衣替えを始める。

 ミコトの、最も好きな季節だ。

 故国であるオユトルゴイ王国で暮らしていた頃にも四季はあったが、この街ほどに鮮やかな光景は見た記憶がない。

 その日、ミコトは得意先の夫人にドレスを納品するため、王宮を出ていた。用が済んで帰る途中、ぶらぶらと散歩しながらボレロ邸を訪れると、妹のミスズと侍女のアオバが在宅していた。

「ミスズ、風邪はもういいの?」

「はい、姉上。すっかりよくなりました」

 ミスズはここのところ、体調がすぐれない。もともと虚弱なたちで、しばしば咳が出たり、熱を発する。骨も細いのか、身長が同じくらいのミコトに比べても、肩幅が一回り狭く、顔も特に頬のあたりがキツネのようにほっそりとしている。母国では、痩せぎすの娘はよしとされない。

 余談だが、近世以前はおおよそどの国もある程度ふくよかであるか、または太っている方が、女性としての豊かさを示すものであり、美の基準ともされた。クイーンの影響で、教国では細身の女性が美的価値観の中心にいるが、これは例外的と言っていいほどに珍しい。

 すでに、養親も同然のボレロを通じて、言い寄る男もいるらしい。

「今日は、王宮に遊びにいらっしゃい」

「よろしいのですか、姉上」

「いつでも遊びに来るようにと、クイーンもおっしゃっていたわ」

 ミコトはレティの伝手(つて)があり、かつ術者の末裔(まつえい)であるというので、宮中に居場所を与えられてはいるが、クイーンは忙しく、ほとんど話す機会がない。だが警戒心の強いミコトでさえ、クイーンの人柄には絶対と言えるほどの安心を抱いており、その言葉に甘えられるようにもなっている。

 ミコトはミスズとアオバを連れ、国都の大通りを北に向かって歩き始めた。アルジャントゥイユは自然発生した村落が都市化して大きくなったわけではなく、ロンバルディア教国の建国時に新都として計画され建設された、人工的な街である。当初から数十万人規模の都市たることを予定して発展してきたという意味では歴史的に希少で、都市計画に沿って整然たる街並みが広がり、特に国都を南北に貫く大通りは、そのまま古都カーボベルデや南方都市エクラン、カルディナーレ神殿などの要地へとつながっており、教国の交通や経済に重要な役割を果たしている。

 大通りは大部隊の行軍も迅速に行えるよう、20m弱の幅がとられている。この道を北に向かえば王宮レユニオンパレスに突き当たる。

 その途上、ミスズはそっとミコトの袖を引いた。

「姉上、あの方は」

 視線の先には、見覚えのある盲人が、目が見えていないとは思えないほどの早足で、彼女たちを追い抜こうとしている。

 (あれは光の術者だという、名前は確か、サミュエルさん)

 横顔に確かな面影がある。それに盲人などごろごろいるものでもない。間違いではないだろう。

 聞いた話では、教国軍の遠征に帯同したものの、途中で本隊と離れて王国に向かい、そのまま行方知れずになったとか。どうやら無事に戻れたらしい。

 ミコトは彼の正体を知る気安さから、声をかけた。

「あの、サミュエルさんではありませんか」

 しかし聞こえないのか、あるいは無視しているのか、振り向きもしない。

 そのまま、行き過ぎた。

 ミコトは不快感、というよりは違和感を覚えつつ見送った。

「どこか、様子がおかしゅうございましたね」

 侍女のアオバが、首を(かし)げて言った。

 術者の血が騒ぐのか、妙な不安を覚えたが、ミコトはこの時点ではサミュエルの変化の理由について確信を持ててはいない。

 さて、そのサミュエルは、レユニオンパレスの南門に達し、当然だが近衛兵の調べを受けた。門は日の出ているあいだは常に開いているが、戦時中でもあるから身元の確かでない者は通すわけにはいかない。

 門を守る近衛兵は、クイーンの主治医であるサミュエルを知っていた。だが下っ端の近衛兵がサミュエルの容姿を完璧に記憶しているわけもなく、型通りに誰何(すいか)をした。

 が、サミュエルの返答に、一同は絶句とした。

「教国女王を殺す」

 緊迫感に満ちた一瞬ののち、近衛兵たちはばらばらと剣を抜き、盲人を取り囲んだ。

「貴様、何を言うか。冗談ではすまされんぞッ!」

 サミュエルは応えない。口元が恐ろしいほどに陰気だ。その口を開こうともしない。

 そのまま、杖で地面を探るようにして歩いてゆく。

 一人の近衛兵が、背後から肩をつかんだ。

 瞬時、サミュエルの周囲にほの白い球状の異空間が出現し、肩に触れた近衛兵はまるで熊の突進でも受けたような勢いで吹っ飛んだ。

 呆然とする近衛兵らにかまわず、サミュエルはそのまま歩いてゆく。

 勇気のある者が、幾人か飛び込んだ。しかしサミュエルの体に触れられる者は誰もいなかった。

 彼は、ただ真っ直ぐに歩いてゆく。

「クイーンだ、クイーンをお守りしろ!お逃げあそばすように伝えるんだ!」

 誰かが叫び、幾人かが走った。

 この時間、クイーンは昼食後のティータイムを、側近のエミリア、筆頭女官のルネと過ごしていた。ルネは女官ではあるが学者も顔負けの博識で、特に歴史に明るく、学問好きのクイーンとは個人的に親しくしている。

 激務の合間、和やかな座談のひとときを楽しんでいると、ノックもなく近衛兵団副団長のジュリエットが駆け込んできた。

「クイーン、お逃げください!」

 ただならぬ様子に一同、思わず立ち上がり、エミリアはすぐにクイーンの手を取って部屋を飛び出た。

 フロアは、騒然としている。悲鳴や怒号が飛び交い、近衛兵も混乱しているらしい。

 (このような有り様で、なぜ騒ぎに気づけなかった)

 エミリアは内心、歯噛みをしたが、悔いている暇さえない。咄嗟(とっさ)に、彼女は考えた。イシャーン王あたりが、第二のアサシンでも送り込んできたのではないか。

 しかし、彼女の予想は大きく外れた。

「ジュリエット、何事だ。説明せよ」

「サミュエルが、あの盲人が、門番に危害を加えたそうです」

「サミュエルだと、どういうことだ」

「何やら人とも思えぬ力で、門番を吹き飛ばしたと。それにこうも言ったそうです。教国女王を殺す、と」

「そういうことか……!」

 鋭敏なエミリアには、たったこれだけの説明ですべての合点(がてん)がいった。人とも思えぬ力、とは彼の扱う術のことであろう。そして彼は、王国の皇妃スミンに、何らかの術を施されたのであろう。術者レティは以前、氷晶(ひょうしょう)のお告げとやらを聞いている。光は闇に飲まれたと。恐らく彼はスミンの手にかかり、クイーンを害するための道具として洗脳されたに違いない。

「サミュエルさんが、まさか」

 クイーンは信じられない様子である。しかし、ジュリエットや近衛兵らが虚偽の報告をするはずがない。それに騒ぎは徐々に近づいてきているようで、危険はすぐそこまで差し迫っている。

 エミリアはクイーンを向き直り、親が子供に言い聞かせるように、ぐいと顔を寄せた。栗色の瞳が、思わぬ事態に直面して、(せわ)しなく揺れ動いている。

「クイーン、よろしいですか。宮殿内を逃げ回っていては、いずれ追いつかれます。馬場まで行って、アミスタを拾います。走れますか」

 クイーンが(うなず)いたときには、エミリアはもうその手を引いて走っている。

 部屋はメインパレスの2階にあり、中央は吹き抜けになっていて、1階の広間にはすでに大勢の近衛兵が群がっている。なるほど、その中央にいるのは疑いようもなくサミュエルである。彼の周囲には淡く白い球状の防御空間が張りめぐらされている。結界、と言われる守護術であろう。言い伝えの通りである。

 術は、絶対に人の目に入れてはならぬ。

 それは亡き姉との約束であったといい、その姉が亡くなってからはクイーンに対する誓いでもあった。

 だが今や、彼は術者以外では用いようのないその術を、多くの人々の目に(さら)している。クイーンに害意があることは明々白々と言っていい。

 階下では、近衛兵団長ヴァネッサ、剣技は近衛兵団随一とされるシルヴィ百人長以下、帯剣を許されている旗本や、警備任務にあたっていた棍持ちの近衛兵がサミュエルを十重二十重(とえはたえ)に取り巻いている。

 だがその誰も、彼の歩みを止めることはできなかった。

 シルヴィが意を決し、長剣で斬りかかったが、苦もなくはじき返され、剣にはひびが入った。

 ヴァネッサの号令で、一斉に躍りかかって抑え込もうとしたが、やはり触れることすらできない。

「こいつ、まさか術者では」

 兵のうちの一人が言い、その言葉を合図に、全員が恐怖を抱き、戦意を失った。少なくとも、ヴァネッサにはそう見えた。

 (こうなれば、ともかくクイーンにお逃げいただくほかない)

 ヴァネッサは、最も信頼する旗本であるダフネに、クイーンの逃走を手助けするよう命じた。

 (たとえ命を捨てても、私が止める)

 すると、決意とともに拳を固めるヴァネッサから、ひったくるようにして剣を奪い取った者がある。背が高く、狼のように鋭い顔立ちとアンバーの瞳を持つ若い男であった。

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