第16章-⑤ 第二次ランバレネ高原の会戦
第二次ランバレネ高原の会戦は、6月22日の朝に開始された。
戦いはまず、合衆国陣地の矢倉からの射撃戦で幕を開け、王国・イシャーン両軍はじりじりと歩兵で間合いを詰めながら、突入の機会をうかがう。
合衆国軍の陣は西方の一角のみを三重の柵で固め、ほかは空堀をぐるりとめぐらし、備えは万全である。連合軍は当然、空堀がなく最も突破が容易に見える西方に攻撃を集中させたが、これはむしろフェアファックスの仕掛けた罠で、彼はこの方面に守勢に強いとされるストーン中将の部隊を配置し、巧緻な計算のもとで建設した矢倉からの集中射撃も合わせて、攻撃側に出血を強いることに成功した。
フェアファックスとしては、数的劣勢の状況に対し、こうした地の利を大いに活かすことで対抗しようと考えていた。敵の猛攻に耐え、耐え抜いて敵に疲れが見えたとき、精鋭を逆突出させて、敵の戦力に打撃を与えるとともに、戦意を鈍らせるのが狙いである。手強し、と見れば、敵も撤退する合衆国軍を無理に追うことはすまい。追っても、追わずとも、彼らがこの方面の支配権を手に入れることに変わりはないからだ。
攻防は、王国軍・イシャーン軍が強固な合衆国陣地を前に攻めあぐねている、という戦況のまま、昼を過ぎ、徐々に両軍に疲労が蓄積してきた頃合いで、フェアファックスの指示のもと、西方を守るストーン中将の残しておいた予備戦力がにわかに柵外へと躍り出て、逆襲を開始した。ストーン部隊はまるでばねのような弾みと勢いで駆け出し、たちまち王国軍を敗走させた。
「よし、予定通りに撤退を開始する。ウェルズ中将は輜重を守りつつ、北上を開始せよ」
陣内に大きな動きが発生した。西から柵外へと出ようとする者、手薄な部署へ応援に駆ける者、踏みとどまって敵と交戦する者。グラント、フェアファックスらを含む遠征軍司令部も、こうした乱れのなか、移動を開始した。
影が、侵入した。
刹那、殺意がフェアファックスを襲った。
低い呻き声に、側近らは音の源を探り、そして瞬時に表情を氷結させた。
馬上のフェアファックスの右肩と右膝に、小刀が突き刺さっている。刺客の仕業だ、と分かったのは、彼らの状況判断よりも早く、仕留め損ねた刺客自身がフェアファックスに走り寄るのを見たからであった。
フェアファックスの副官でペイトン少佐なる者が、咄嗟に上官の乗馬の尻を鞭打たなければ、刺客は任務を遂げたかもしれない。
ペイトン少佐の機転で刺客は殺されず捕縛され、フェアファックスは保護されて、治療を受けた。傷は深く、特に膝の傷は骨に達して、乗馬はおろか歩行も困難であると思われた。
フェアファックスは脂汗を流しつつ、うなされるようにして命令を下した。
「私に構うな。遠征軍5万の兵を、無事に本国へ帰すことが先決である。私のことは路傍の石と思って、この地に置き捨てていくがいい」
負傷兵を見捨てて撤退せねばならぬことも戦場にては間々あることだ、とも彼は言った。確かに重傷の兵をすべて回収して撤退することなど、戦闘中では不可能である。だからといって、遠征軍の副司令官たる者を足手まといだと見捨ててゆくこともできないであろう。
ペイトンは独断で上官を馬車に乗せ、負傷の件は司令官のグラント大将と、撤退戦の位置関係上、殿軍の役目を担うこととなるストーン中将にのみ、事情を伝えた。
フェアファックスの作戦指揮に期待できないことを知ったストーン中将はむしろ悲壮な決意を固め、撤退を許すまいとする王国軍及びイシャーン軍を最後まで引きつけ、本軍をほぼ無傷で撤退させることに成功した。
その代償として、合衆国軍はストーン中将を失っている。その名前の通り、石壁のように敵軍の前に立ちはだかり、激闘に次ぐ激闘の末、戦死していったのである。
チャン・レアンはむしろ戦い足りなかったが、イシャーンは自軍の損害を軽視できず、合衆国軍に対する追撃を諦めて、情報の掌握に努めた。彼は戦争狂のチャン・レアンとは視点が違う。マキャヴェリストであり、リアリストである。フェアファックスの読んだ通り、これ以上の犠牲を払ってまで合衆国軍を追い詰める必要はなく、戦略的要地であるランバレネ高原周辺を手に入れ、同盟領の完全制圧を目指すための下地を整えることが何よりも重要である。帝国軍、王国軍と呼応して同盟領全域を掌中に収めれば、あとは合衆国なり教国なりに進出してその領土を切り取ることもよほど容易になるであろう。物事には優先順位というものがある。
彼はこの日、ランバレネ高原の合衆国軍が陣を築いていた跡地に幕舎を設営し、愛人のアイラとともに最高級の絹で編んだ寝具の上で祝杯を挙げた。
「アイラよ、どうやら打開の目途がついた。明後日にはランダナイ宮殿の陥落を目指して進軍を再開する。王国軍もついてくるが、アーディルごときであれば我らの手で充分に片付くだろう」
「今回は、勝利の女神の方からあなたに媚びを売ってきましたわね。御運のよいこと」
「なんの、運だけのことがあるか。戦いは戦場で槍を交えるだけが能ではない。要は、利用することだ。人というのは、主君であろうと僚友であろうと、あるいは親子や兄弟であっても、条件が揃えば殺し合うようにできている」
「では、あなたも私を裏切るかもしれないと?」
「そうさ」
ぐい、とヤシの酒を喉に流し込んで言い放つと、アイラはすかさず口づけをして、そのまろやかな芳香を味わう。イシャーン領である同盟東部では女性が酒を飲むことは宗教上の理由で嫌悪されるが、奔放なアイラはイシャーンの口を通して、その香りを楽しむことが多い。頬が、不敵に色づいている。
「ということは、私もあなたを裏切ることがあるかもしれませんわね」
「それは命取りだ。愛した女に裏切られたら、男の人生は終わる」
「女だってそう」
アイラの手は、ごくさりげない動きで、愛人の下腹部へと伸びている。イシャーンは、いついかなるときも性欲を失うことがない。特に、決死の戦いを終えたあとは、精神がこの上なく高ぶり、異常とさえ言っていいほどの情欲が起こって、それは肉体の疲労を感じさせぬほどの切迫感で男に襲いかかってくるものだ。
アイラはその機微をよく心得ていて、よき頃合いに、誘いをかけてくる。イシャーンにとって、このあたりの呼吸というのが実に心地よく、アイラの存在は貴重であり、近年ではこの第六夫人を最も寵愛している。
絶妙な愛撫を受けつつも、イシャーンは顔色も変えず話を続ける。
「合衆国軍は内部の腐敗を一掃するために、本国で立て直しの期間が必要だろう。フェアファックスをおいて、大軍を意のままに統御できる将帥はいまい。奴に重傷を負わせたのは会心の結果だ。ラフィーク、アーディルなんぞは兄の七光りに過ぎないから、物の数ではない」
「しかし、砂漠に囲まれたランダナイはこれから夏に入りますし、密林地帯のンゼレコレも性急に攻めるとなると、軍の負担も大きいのでは?」
「そうだな。何かよい策があるか?」
「仲の悪い二頭の虎をそれぞれに狩るよりも、むしろ争わせて、生き残った方を始末すればよろしいでしょう」
「なるほど、二虎競食の計か」
「争い、傷つけ合うのを高見から見物するのも一興でしょう」
「よし、それで決まりだ」
イシャーンはいよいよ性欲の発散に集中する気になったか、アイラの寝衣を剥ぎ取って、あとはひたすらに動物的な交わりを遂げ、疲労のため朝方に気を失ってようやくその動きを止めた。
翌々日から、充分に休養したイシャーン軍はドワングワ湖東岸を南へ進み、アーディルの逃げ込んだランダナイ宮殿へと到達し、当地で講和の約定を結んだ。講和、と言ってもその実、イシャーン軍の威圧にアーディルが恐れおののき、その膝下に屈したわけで、要は降伏である。アーディルは、宿敵である兄ラフィーク討伐の先鋒となることを条件にランダナイ地方を安堵され、かろうじて命脈を保つこととなった。
ラドワーン亡き今、同盟はいよいよイシャーンの独壇場になりつつあるかのように見える。




