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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第14章 「ヒンデンブルク作戦」と「ディーキルヒの衝撃」
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第14章-⑤ 群星は陸続と墜ち

 ユンカースはブレナー、ヘッセの両大尉らとともに憲兵隊本部にある。

 メッサーシュミットが政権の首班たるを了承してから、彼は情報収集や指揮系統の再編に忙しかった。メッサーシュミットのもとでいかにして国を統御してゆくか、その骨格をクーデターの首謀者として考えねばならない。

 それは無論、希望と高揚に満ちた作業ではあったが、一抹の不安もある。

「ヘルムス総統は、確かに死んだか」

 遺体を確認してはいないから、絶対の自信は持てない。しかし絶対に近いだけの確信はある。あれだけの炎と煙に包まれて、なおも総統官邸の地下で生き延びているとは到底、思えない。

 夜も深まり、雪も降りやんだ時分、彼は突如として驚愕と絶望を味わうことになるが、それはヘルムス生存の情報ではない。もっと足元で、変事は起こっていた。

 憲兵隊司令官執務室でクーデター部隊の幹部らと協議していたユンカースのもとに、アイスバーグ中尉が早足で近づいて、静かに耳打ちし、別室に連れ出した。石のように感情の起伏が少なく、決して動揺しないアイスバーグにしては、これはいささか慌てている様子と言えたろう。

「メッサーシュミット将軍が自殺しました」

 その報告は、まさに簡にして要を得ている。

 大胆不敵なユンカースも、思わずよろめき、視界が暗くなった。彼は動揺のあまり、意味のない問いを発した。

「確かか」

「確かです。便所にて、隠し持ったナイフで首を」

「確かだな」

 二度目は問いですらなかった。

 彼はまるで子供がそうするように、床に尻餅をつき、両膝を抱くようにして、しばらく自失の時間を過ごした。

 (作戦は、失敗した)

 それも、確かなことであった。メッサーシュミット将軍以外に、帝国全軍を糾合(きゅうごう)できるだけの信望を持った人物はいない。独裁者ヘルムスが消え、メッサーシュミット将軍も死んで、帝国はついに分裂の末、不毛な荒野のみと化すであろう。

 (いや、まだだ)

 ユンカースは、転んでもただで起きる気はない。

 (ロンバルディア教国のエスメラルダ女王を引き入れ、かの方に国家再建の道を託すのだ。たとえ一時的に教国の衛星国家に成り下がったとしても、同胞同士で闘争に明け暮れるよりは、長期的に見てもまだ救いがある)

 だが今度は周辺に配備していた斥候から、さらなる衝撃がもたらされる。

「ヘルムス総統は生きている。彼の命令で第七軍が鎮圧に動き、大軍が押し寄せてくる」

 報告を聞いた同志たちは一瞬、愕然としたが、やがて口を揃え、ユンカースに脱出を勧めた。特に同格のブレナー大尉は、失意のあまり脱力するユンカースを抱きかかえるようにして、彼を励ました。

「ここは俺が引き受ける。貴様はローゼンハイムとともに血路を開き、ロンバルディア女王のもとへ行け」

 なおも下を向くユンカースの頬を、ブレナーの拳が襲う。常は冷静沈着なブレナーの顔色が、この時ばかりはほとんど土色に変色していた。

「いいか、俺たちの命を無駄に散らしてくれるな。作戦は確かに失敗した。だが貴様らにここで死ぬ権利はない。帝国を出て、外からこの国を変えるんだ。行け!」

 ブレナーはユンカースの去ったあと、残る同志と兵らを集め、直ちに周辺建物への放火を指令した。時間稼ぎのためである。が、気温が下がり、雪が積もっているためにほとんど燃えない。やがて第七軍の先陣が彼らを包囲し、ここに絶望的な市街戦が開始された。

 一方、ユンカースはアイスバーグ中尉とともに国防軍最高司令部へと戻り、本作戦の副司令官と言ってもいいローゼンハイム大尉と合流した。ローゼンハイムも、事態の深刻さに年寄り臭い眉間の皺をさらに深くしてみせた。部下の一部からは、若いくせにまるで図書館に住みつく老教授のようであるとして、「ローゼンハイム教授」などと影で揶揄(やゆ)されている。

 彼は短いが素早い計算の上で、ひとつだけを親友に尋ねた。

「状況は理解した。事ここに至ってはやむをえない。だが捕らえた人質はどうする」

「今はもはや人質などに用はない。一刻も早く国外脱出を」

「よし、ならば貴様は早く脱出の用意を」

「何を言っている」

「俺は人質を盾にしてここに立てこもり、少しでも連中の注意を引いて時を稼ぐ。最後は人質もろとも派手に焼け死んで、真の帝国軍人の気骨というものを見せてやる」

「ローゼンハイム大尉、その役目は私が」

 割り込んだのはアイスバーグ中尉であった。第二十二騎兵中隊長付き将校として、いわばユンカースの右腕として、作戦の当初から深く関わっているこの男は、この切羽詰まった状況にあって、ローゼンハイムの案によるいわば自爆の役目を、自ら買って出ている。

 ユンカースもローゼンハイムも、例えば光にぴたりと従う影のように、自我というものの極端に少ない彼が初めて自分の意志を表明したことに意外の念を持った。有能だが地味で目立たない男として、彼をあらゆる任務に使ってきたユンカースをして、見てくれはどうでも人には必ず熱い魂が宿っているのだと再認識させるには充分な出来事ではあった。

 ローゼンハイムも、一度は死を覚悟して人質を使った自爆を申し出たが、アイスバーグの目の奥に宿るけがれなき輝きに押され、この場を委ねることにした。

「分かった。それではこのヒンデンブルク作戦の最後の栄光を、君に譲る」

「アイスバーグ中尉」

 ユンカースはさすがに悲痛な声色で呼びかけた。しかし当のアイスバーグ中尉は、いつものように淡々として、早々の脱出を促した。今は、確かに一秒の遅れが命取りになるであろう。

 かけるべき言葉が見つからず、ユンカースはただ無言の握手でこの有能な補佐役との別れを惜しんだ。

 ユンカースとローゼンハイムがわずか一個分隊の騎兵を連れ、帝都を脱出すべく司令部を後にした5分後、ブレナー大尉の防御線を苦もなく破った第七軍が、叛乱部隊の最後の砦を取り囲んだ。

 建物のなかから、アイスバーグの凛々たる声が響いた。第七軍は数こそ多いが、もとより決死の覚悟でいるアイスバーグとその最後のわずかな一味の異常なほどの戦意に一瞬、尻込みしている。

「聞け、同胞たちよ。我らが帝国は、国は貧しく、山河も荒れ果てている。信義に背いて友好国に奇襲を仕掛け、世界からの信用を失った。国を乱す元凶は悪しき独裁者ベルンハルト・ヘルムスにて、これを討たんと決起した。しかし武運はつたなくまさに敗れんとしている。諸君、鳥のまさに死なんとするや、その鳴くや哀し。人のまさに死なんとするや、その言や善しという。願わくは我らの遺志を聞き届けよ。ヘルムス政権は滅びる。必ずや滅びる。古来、逆賊が栄え続けたためしはないからである。諸君も、我らが死に様を見て、気付くがよい。正義を行い、誇りある国家を人民の手に取り戻すのだ」

 アイスバーグは、平素が無口なだけに、演説があまり上手ではない。所詮はユンカースの二番煎じといったところであろう。だが彼に従う兵士たちに生への未練を捨てさせることには効果があった。ヘルムス総統の打倒が目的であったことを、多くの者が初めて知ったが、同時にクーデターに(くみ)した以上は自分たちも過酷な処罰を加えられる、そうした絶望感が、かえって壮烈な死へと彼らの精神を向かわせた。

 もとより時間稼ぎが目的のアイスバーグである。彼はさらに冗長な演説を続け、包囲軍の降伏勧告も無視し、一方で大量の乾いた薪を官邸の柱や壁に設置して、準備を進めた。玉砕の準備である。

 やがて部隊が官邸を制圧すべく突入を開始し、残った兵らは一斉に火をつけて、たちまち大火となった。300人近い叛乱部隊は激しい交戦と猛火のなかで、ほとんどが業火ごうかのなかで焼け死に、人質や鎮圧部隊にも多数の巻き添えが発生した。

 アイスバーグによって陽動された帝国第七軍は、この時点で未だユンカースとローゼンハイムの逃亡を知らない。叛乱の首魁(しゅかい)はこの二名であったが、彼らは帝都を南へ向かい、祖国を捨ててロンバルディア教国へ亡命する算段を立てている。ロンバルディア女王自身がデュッセルドルフの難を逃れ、同盟領からの捲土重来(けんどちょうらい)に成功したように、一時的に教国に亡命し、その外的圧力をもって、帝国の打倒を目指そうというのである。

 今や、彼らを追う敵はヘルムス総統ひとりではなく、帝国全土であった。

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