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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第14章 「ヒンデンブルク作戦」と「ディーキルヒの衝撃」
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第14章-③ 天国か地獄か

 ヘルムス総統襲撃の同時刻、官邸近くの憲兵隊本部をブレナー大尉の歩兵中隊が急襲していた。ブレナー大尉は士官学校ではユンカースの一期上ではあるが、年少のユンカースの志に心酔していて、同志たちのなかでも今回の作戦に最も主体的かつ積極的に参加をしている。

 作戦の初期段階における目標は大きく三つで、まずは独裁者たるヘルムス総統の命を断つこと。これは作戦の首謀者であるユンカースが自らあたる。次に帝都防衛隊や国防軍最高司令部をはじめとする軍の主要機能の奪取。こちらはローゼンハイム大尉をはじめとするほかのメンバーが手分けして担当する。そして三つ目はメッサーシュミット将軍を軟禁している憲兵隊本部の制圧で、この任務をブレナー大尉が任されている。

 メッサーシュミット将軍には、実力も人望もある。国防軍の首脳たちよりもはるかに、将軍や兵卒からの彼への信頼は(あつ)い。ヘルムス総統が死に、メッサーシュミット将軍が一声かければ、前線の将軍たちは彼のもとに集い、その号令を欲するであろう。そして重要なのは、メッサーシュミット将軍が有能な軍人でありながら穏健派・良識派とされている点で、彼が政権の臨時首班として政務と軍務を掌握することになれば、帝国は悪夢の独裁体制から緩やかに中道へと戻ってゆく確かな見込みがある。

 つまりヘルムス打倒後の国家再建に、メッサーシュミットというピースは欠かせない。

 憲兵隊本部の制圧という、作戦の死命を制する任務を任されたブレナーという男は、ユンカースに輪をかけて怜悧(れいり)で冷徹な性格を持っている。戦場の猛将というタイプではないが、その分、完璧な計画を立て、緻密に作戦を遂行してゆく。彼の指揮ならば確実に将軍の身柄を確保できるであろうというユンカースの読みであった。

 実際、彼は武装させた部隊に憲兵隊本部を完全包囲させた上で、憲兵隊司令官のクライスラー中将を呼び出し、正面から正々堂々、メッサーシュミットの身柄引渡しを要求した。無論、拒めば武力行使も辞さない、という脅しつきである。

 クライスラー中将は鼻であしらった。無機的なほどに冷淡で抑揚のないブレナーの語調と相違して、この男の声には恫喝(どうかつ)するような響きがあり、その節ごとに、大量の白い息が寒気の向こうへ吐き出される。

「貴様、血迷ったか。大尉の分際で、栄光ある憲兵隊にそのような脅しが効くと思うか」

「選択の余地はありません。拒むのであれば、私のこのサーベルにかけて、閣下を刺し殺し、必ず目的を成し遂げます」

「大きく出たな。そのような脅し文句はこの私には通用せんぞ。どうだ、やってみるがいい。貴様のような軟弱者にそのような度胸があるか」

「時間がありません。失礼します」

 憲兵司令官たる者、相手の真意と覚悟を見抜くだけの観察眼は持っていてしかるべきであろう。だがクライスラー中将にはその能力がなかったということのようである。ブレナーは宣言通り、手にしていたサーベルを石火の速さで突き、クライスラーの心臓を正確に貫いた。

 一瞬で力なき(むくろ)と化したクライスラーの太った体から剣を引き抜き、ブレナーは冷静無比な表情を一切崩すことなく、あくまでも堂々と、覇気のみなぎる足取りで憲兵隊本部建物へと乗り込んだ。あとに、抜刀した歩兵中隊が続く。

 先頭を行くブレナーの全身からは異様な殺気が発せられて、抵抗する憲兵隊員とてない。本来、憲兵隊とは軍隊内の不正を取り締まる組織であり、特にヘルムス総統の時代になってからは司法警察としての性格も多分に帯びており、その意味では叛乱部隊への対処と鎮圧に大きな役割を果たすべきところだが、実際にはその長官をあっさりと失ったこともあって、全員が腰が抜けたように武器を捨て、呆然と立ち尽くしてばかりいる。憲兵隊そのものが、一個中隊の叛乱の前にほとんど無血降伏したということになるであろう。

 ブレナーは高位の憲兵隊員にメッサーシュミットを軟禁せる部屋に案内させ、彼の身柄を無事に保護した。将軍は不本意な尋問が続いたために疲労した様子ではあったが、ブレナーの物々しくも有無を言わせぬ出迎えにじたばたすることもなく、従容として同行した。

 作戦目標のひとつであるメッサーシュミットの身柄をおさえたブレナーは、同時に310名の憲兵隊員を人質として憲兵隊本部を完全に制圧し、ここを根拠地に据えて味方の集合を待つとともに、メッサーシュミット確保の報を首魁(しゅかい)のユンカースの元へと送った。

 さて、憲兵隊本部と並んで重要な占拠目標とされていたのが国防軍最高司令部で、ここはユンカースの親友でクーデターの副首領格であるレオンハルト・ローゼンハイム大尉が向かっている。国防軍の中枢を制圧してその命令機能を掌握すれば、事実上、叛乱部隊が前線の諸軍団を自在に動かせることとなる。特に国防軍最高司令部総長シュトレーゼマン元帥を拘束すること。この成否が、クーデターの行方に決定的な影響を与えうる。

 だが不幸なことに、事前の偵察では通常、19時頃までは在勤しているはずとされていたシュトレーゼマンが、この日に限って帰宅時間を早めており、司令部に高位の将官は不在であった。

 ローゼンハイムは制圧した司令部建物の窓から、徐々に強まりつつある雪の舞い降るさまを眺め、わずかな時間だが呆然とした。シュトレーゼマン元帥を捕らえることが、すなわち国防軍への指揮権を掌握することであったが、どうやらそれはかなわぬらしい。

 (いや、元帥の私邸の場所は知られている。小隊を派遣して捕縛させよう)

 ローゼンハイムはユンカースが同志として見込んだほどの男であるだけに、機敏な判断力を有している。

 選抜された小隊が直ちにシュトレーゼマンの邸宅を目指した。だが途中、叛乱の事実を知った憲兵の小隊と遭遇し、乱戦となって、やむなくローゼンハイムのもとへ退却した。

 (失敗か……)

 内心で無念の(ほぞ)を噛みつつ、表面上は冷静を装って、彼はユンカースとその部隊の到着を待った。ユンカースはヘルムス総統を殺害したら、官邸からこの国防軍最高司令部へと向かうこととなっている。

 そのほか、帝都防衛隊司令部や警視庁、特務機関を占拠した同志たちから順次、連絡が入るはずだ。

 (シュトレーゼマン元帥の拘束にしくじったとて、ヘルムス総統の首を落とし、メッサーシュミット将軍の保護に成功すれば、作戦としてはまずまず成功と言える。頼んだぞ)

 一分が一時間に感じるほどに、彼は先ほどまでの闘争と流血が嘘のような静けさに包まれた屋外の気配に神経を研ぎ澄ませつつ、ひたすらに急報を待った。

 歴史の流れは無論、彼ら同志たちの命運も、天国に行くか地獄に落ちるか、そのすべてはユンカースが握っているのであった。

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