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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第14章 「ヒンデンブルク作戦」と「ディーキルヒの衝撃」
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第14章-② 血戦総統官邸

「彼は裏切り者だ、必ずや断固たる処置をとる」

 4月13日の17時、レガリア帝国の支配者であるベルンハルト・ヘルムス総統は側近の軍幹部らに向かい、罵るような激しい口調でその意志を表明した。

 裏切り者の彼、とはつまり、前の国防軍第二軍集団司令官であるメッサーシュミット大将のことである。もともとこの生粋の武人は、帝国軍きっての名将であり、また独裁者たるヘルムスに対しても臆することなく反対意見を述べるなど気骨のある人柄として知られていて、それだけにヘルムスも彼を信頼し、軍人として尊敬もしていた。

 だが年初からの対ロンバルディア教国遠征軍に対する奇襲作戦では、限りなく失敗に近い結果に終わり、その後も名誉を挽回すべく立ち回るどころか、いよいよ消極的で精彩を欠く指揮を見せるばかりであった。ヘルムスは不満に思い、しかも特務機関は、将軍に内通の疑いがあり、故意に利敵行為を犯して、国を害し、一方で自らの利益を追求しようとしている可能性がある、との報告書を手元に寄越してきている。

 さてこそ、とヘルムスは疑心暗鬼に陥り、メッサーシュミット将軍を前線司令官から解任し、帝都に召還して憲兵隊本部に拘留し、尋問を行った。動かぬ証拠があるわけではないから、まさか拷問まではしないが、長期間の拘束と連日の取調べで、すでに老境に近いメッサーシュミットは次第に憔悴(しょうすい)していった。

 しかし、罪は認めない。当然であった。メッサーシュミット叛逆説は、ロンバルディア教国のクイーン・エスメラルダが、シュリアなる間諜を使って仕込んだ流言に過ぎず、実際には根も葉もないつくり話なのである。メッサーシュミット本人にとっては思いもよらぬ疑惑であり、無実であることは彼自身が誰よりもよく分かっていた。

 彼は正々堂々とこの疑いを否定し、かつはラドワーンなりエスメラルダ女王なりの離間策であろうことを理路整然と述べて、処分の撤回と尋問の中止を求めたが、憲兵隊の捜査官は追及を緩めない。特務機関は総統直属の組織であり、それが将軍に疑いありと言ってきている以上、専門機関である憲兵隊がなまなかな捜査でやめるわけにもゆかないのである。

 将軍が頑として否定しているという途中経過を聞いてヘルムスが述べたのが、冒頭の言葉である。持病のために左腕を震わせながら、彼は怒り心頭に発していた。

 これも持病のゆえなのか、あるいは加齢のために耄碌(もうろく)しつつあるのか、ここ最近の彼は疑心暗鬼を生ずることが多く、しかも癇癪(かんしゃく)を起こすと絶対権力を手にしているだけに際限なく暴走するところがある。そして側近らはしばしば、彼に無理難題を押し付けられるものであった。

 とはいえ、メッサーシュミット将軍が叛意を抱くはずがないと国防軍の将帥たちは誰もが思っている。そのためヘルムスの言う「断固たる処置」には控えめに、だがはっきりと反対の意見が集中した。

 ヘルムスは将軍たちと議論し、時に国防軍の度重なる不手際を叱責し、やがて時刻はまもなく18時になろうかという時分、ノックとともに総統秘書のレベッカ・ハウフマンがドアを開けた。

「我が総統、東エーデル陳情団との懇談のお時間です。すでに陳情団は1階大広間に集まっております」

「分かった。ありがとうお嬢さん」

 先ほどまでの激論が嘘のように、ヘルムスは鋭い目を和ませ、彼女に目線を送った。総統は部下には厳しいが、女性や動物にはことのほか優しいというのは、有名な話である。

 会議を打ち切り、政府や軍の側近とともに官邸の大階段に現れたヘルムスを、大勢の陳情団が右腕を正面にまっすぐ伸ばす独特の敬礼で出迎えた。帝国では軍人も民衆も、地上で絶対の独裁権力を持つヘルムスに対し、このようにして忠誠と敬意を表する義務がある。

 ヘルムスは挙手をもって答礼しつつ、陳情団の代表と笑顔で固い握手を交わした。彼は恐るべき独裁者としての顔を持ちつつも、一方で外交交渉の席や、有力な支持者との会合、私的な友人たちとの時間においては、しばしば親しみのこもった態度を見せ、リラックスした表情で話すことがある。そうした一面、あるいは活動とでも言うべき振舞いが、彼を熱烈に慕う者を増やし、今日(こんにち)の地歩を築くのに寄与した点は否定できまい。少なくとも、この場を訪れた陳情団50名は、全員がヘルムスのこの大度(たいど)、懐の深さに魅了され、忠誠心をより堅固なものとした。

 一行は官邸における最も大きな応接室に入り、そこで本題である陳情に移る。今回の陳情団はオクシアナ合衆国に近い東エーデル地方を代表する政治家、資産家、教授や博士といった知識人や思想家といった構成で、内容はオクシアナ合衆国との極度の緊張状態がエーデル一帯に与える影響について訴えるためである。帝国と合衆国とは目下、正式には戦争状態に入っていないものの、はっきりと対立陣営に色分けされており、開戦は時間の問題であると誰もが見ていた。そのため、国境に近いエーデル地方からは戦火を恐れて逃散(ちょうさん)する市民や農民が増加しつつあるという。それをどうにかしてほしい、という内容の願い出である。

 ヘルムスは陳情団の苦悩に大いに共感し、もともと結論として出ている警察力の強化及び宣撫団の派遣の方向へと、議題は向かいつつある。

 18時17分。季節外れの雪が早くも路面に積もるなか、総統官邸の周囲に配置された守衛はにわかに完全武装した騎兵団の荒々しい訪問を受けた。隊長らしき男は両方の腰と背中に帯刀し、さらに槍を手にしている。

 総統官邸警備隊長のクラウス少佐は予定にない部隊の出現に色をなして、

「どこの部隊であるか! 官姓名を名乗れッ!」

 返答がないため、クラウスは怒気を発して、先頭の大尉章をつけた男に近寄り、再度尋ねた。

「貴様、官姓名を名乗らんか! さもなくば叛乱とみなすぞ!」

「私はマルセル・ユンカース大尉だ。国防軍第二十二騎兵中隊長。もとい決起部隊の指揮官である」

「なッ……!」

 声を上げようとして、クラウスは失敗した。ユンカース大尉なる者の槍は、すでに彼の肺を貫通していた。彼の部下たちが一斉に色めきたち、それを合図に叛乱部隊は全員、馬を下りて、動揺する警備隊を蹴散らしつつ、雪崩のように官邸入口へと殺到した。

 1階の会議場で警備にあたっていた親衛隊長クリンスマン中佐は、この時点で未だ騒ぎを知らずにいる。ひとつには総統官邸は防諜や警備の観点から、高い防音性と気密性が要求されるため、容易に外部の気配を察知することができないこと。いまひとつは、積雪や降雪によって、音が雪に吸収されたことであろう。雪は、空気の振動を吸収する性質がある。

 官邸の門が破られ、警備兵が次々と倒れて白雪が鮮血に染まりつつあるなか、総統官邸の内部はなおも静けさを保っている。

 クリンスマン親衛隊長が初めて異変に気づいたのは、不覚にも叛乱部隊による官邸エントランスへの侵入を許したあとであった。入口で複数の兵がユンカースらに斬り殺され、その絶叫が館内に響いたのである。

 (なんの騒ぎか)

 ヘルムスと陳情団は、談論の熱気に包まれて気づいていない。

 しかしクリンスマンが重いドアを開けると、全員が事態の異常さにその動きを止めた。

「まるで戦場のような」とのちのち陳情団のメンバーは供述している。この場にいる政治家や知識人は、いわば上流階級であり、当然ながら本物の戦場などは知らず、そのような彼らが持ち出す例えとしては妙だが、実際、部屋の一歩外は血みどろの戦場であった。

 不意を突かれた親衛隊は、次々と叛乱部隊に斬殺されている。特に先頭に立つユンカース大尉の鬼気迫る奮迅ぶりには、向かう者とてなかった。彼は建物に突入すると手にしていた槍を捨て、即座に腰のサーベルを抜いた。障害物の多い屋内では槍は不利なのである。見かける者、刃向かう者、逃げ惑う者、手当たり次第に館内の親衛隊員や政府職員らを斬りまくった。叛乱部隊は目印に全員、赤い腕章を着用している。その目印のない者は全員、斬り捨てにせよとの恐るべき命令を下している。そのため行き合う者は一人残らず、殺すこととなる。

 クリンスマンは親衛隊長ながらもとは国防軍での実戦経験も持つ剛勇の男で、この騒ぎが喧嘩(けんか)や間諜の侵入といった偶発的あるいは散発的な事象ではなく、大規模でしかも計画性の高い襲撃であることを瞬時に悟った。

 とすれば、彼の任務はただひとつである。

「我が総統」

 まるで(ひょう)のような敏捷でしなやかな身ごなしでヘルムスに近づくと、その腕と肩をつかみ、抱え込むようにして部屋を出た。

 出た瞬間、クリンスマンの視線は偶然、大廊下のはるか向こうにいるユンカースの血走ったアンバーの瞳をとらえた。いや、それは偶然ではなかったかもしれない。異変の中心にあるのが、その瞳であったからだ。

 ユンカースはクリンスマンと、彼に護衛されたヘルムスの姿を見るなり、烈火のごとくに大声で叫び、猛然と突進した。

「総統閣下はあそこにいる、我らの手で保護するのだ!」

 無論、保護と言いつつ、殺す気でいる。その証拠に、ユンカースの大柄な体躯(たいく)からみなぎる殺気には、一分(いちぶ)の慈悲も寛容もない。ヘルムスを殺すまで、近づく者は全員なぎ倒すという覚悟がありありとうかがわれる。

 クリンスマンは戦わない。剣も抜かず、ただこの場を逃れるべく、ヘルムスを抱きかかえるようにして走り出した。

 ヘルムスは身辺に関して用心深く、総統官邸のいくつかの部屋には、地下に通じる隠し扉があって、さらにそのうちのいくつかはダミーとなっている。地下の部屋には武器や食料が備蓄してあり、総統官邸にはいわば、シェルターとしての機能が備わっている。

 そして最重要機密保持の理由で、総統官邸のその避難経路に関するすべてを知悉(ちしつ)しているのは、護衛責任者のクリンスマンただ一人である。

 彼はヘルムスを連れ、親衛隊員幹部用のダイニングに駆け込むと、ドアを閉め、彼の知る隠し扉へと潜り込んだ。中はぞっとするような暗さと寒さだが、躊躇もせず、足元を確かめつつ階段を下りてゆく。無論、すぐあとにヘルムスがいる。

「閣下、お気をつけください」

 答えはない。だがヘルムスの息遣いは沈着で、この事態に動転も怯懦(きょうだ)も恐怖もないのはさすがと言うべきであった。

 階段を30段ほど下りると、段差が途切れ、突如として前方に空間が広がる。これがシェルターのメインとなる場所で、いくらかの物資が保存されている。

 相変わらず光が一切入らない世界のなかで、クリンスマンは手探りで状況を確認し、やがて椅子を探し当てるとそこにヘルムスを座らせ、自らは隠し階段の途中まで戻り腰のサーベルを音を立てぬよう慎重に抜いた。

 安全の確認が済むまでは、ここに入ってくる者は敵も味方も無言で刺し貫く覚悟でいる。

 (しかし、この場所が安全だと、いつ分かるか)

 その不安とともに、クリンスマンは狭い階段でサーベルを抱きしめるようにして構え、時間の経過をひたすらに待った。

 一方、ユンカースは一度はヘルムスを発見したものの、官邸内の混乱と激しい戦闘のなかでその姿を見失っていた。80人近くの親衛隊が守る官邸にわずか28人で突入した叛乱部隊であったが、いずれもユンカースが選んだ精鋭揃いであり、襲撃から20分ほどの時点で、官邸の制圧に成功していた。親衛隊の半数は突然の事態に驚き慌てて、無様にも屋外へと逃走したが、ほとんどが敷地内で包囲部隊により殺された。ただし、ユンカースの騎兵中隊では総統官邸の敷地から逃げようとする親衛隊や政府職員をすべて捕捉するのは不可能で、ごく近いうちに変事を知った救援の制圧部隊が駆けつけるであろう。

「急げ、我が総統を探し出せ」

 探して殺さねば、作戦の根幹が崩れる。

 ユンカースは、この男らしくもなく焦慮に顔をこわばらせつつ、自らも各部屋を探索して回った。

「総統官邸のいくつかの部屋は、いざというときに避難用の特別室として機能するもので、隠し扉や隠し通路の(たぐい)が設置されている」

 という機密は、親衛隊内部の情報源から得ている。ヘルムスは親衛隊の手引きで恐らくそうした隠し扉から逃れ隠れているものと思われた。

「必ず探し出せ!」

 文字通り血眼(ちまなこ)になりつつ、叛乱部隊はヘルムスの捜索を続けた。

 ヘルムスを殺すか、殺せぬか、それによって歴史が大きく変わることであろう。

 ユンカースはヘルムスが見つからぬ焦燥にさいなまれながらも、同時に今、自分が歴史における大きな転換点を操作していることに大きな興奮と喜びを覚えていた。

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