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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第14章 「ヒンデンブルク作戦」と「ディーキルヒの衝撃」
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第14章-① 忘れ雪の帝都

 教国軍が本国に帰還し、戦時の落ち着きが生まれるかと思われたのも(つか)の間、風雲は止まることを許されない。

 帝国におけるこの時期の変事といえば、ひとつは帝国第一軍とラドワーン軍のあいだで交えられた「ディーキルヒの衝撃」であり、いまひとつはヘルムス総統暗殺及びクーデターを計画した「ヒンデンブルク作戦」である。この章はさだめし、ハーゲン博士とユンカース大尉が主人公ということになるであろう。

 まずは時系列として先に発生したヒンデンブルク作戦について触れる。

 レガリア帝国はヘルムス総統による独裁体制が8年にわたって続いている。民衆の熱狂的な支持によって発足したヘルムス内閣は、経済を立て直し、領土を拡張し、軍事力を倍増させ、国家に威信を取り戻すことに成功した。ヘルムスの施策の多くは民衆に好意的に受け入れられたが、とはいえ反対勢力がいなかったわけではない。政治中枢からは駆逐されたものの、ヘルムスの敷いた極端なまでの国家社会主義体制や強権的な民衆統制のあり方は当然、反発や、あるいはその先の反抗も呼ぶ。

 1393年には、そうした一部叛乱分子が徒党を組んで、ヘルムスの暗殺を企て、実行した。

 このときの総統暗殺計画は、1390年にヘルムスが引き起こした政変「次なる革命」で一掃された民主派・中道派の残党勢力が主導し、既得権益を奪われた財閥や旧コーンウォリス公国領のかつての実力者らが裏で支援していたとされる。

 だが計画は決行当日、にわかに天候が悪化し、雷雨となって襲撃側に混乱が生じたことで、ヘルムス直属の護衛隊である親衛隊によって撃退され、憲兵隊の一斉捜査でほとんどが検挙された。

 事件以降、反対派勢力は根絶やしにされ、こうした動きは少なくとも表面的には沈静化した。

 だが、どれだけ巨大な権力を手中にした独裁者であっても、人の心に潜む反骨心を変えることはできない。

 今回の叛乱勢力のなかで主体的な役割を果たすのは、国防軍であった。無論、計画を立案し、賛同もしくは参加するのはごく一部である。共鳴者が多いのは一見好ましいように思えて、秘密が漏れる危険も大きくなる。計画の存在は慎重に、入念に人を選んだ上で知らされ、同志を少しずつ、着実に増やしていった。

 計画の中心は国防軍のユンカース大尉とローゼンハイム大尉で、彼らは国防軍のエリート養成所である士官学校の同期である。ユンカースが計画し、ローゼンハイムが実施面の細かい調整をする。莫逆(ばくぎゃく)の友として、互いの心も能力もよく知る間柄であった。

 そしてミネルヴァ歴1397年4月に絶好の好機が訪れる。

 ローゼンハイム大尉が帝都防衛隊の歩兵指揮官としてヴェルダンディにあり、そこへユンカース大尉の所属する第七軍が帰還して、帝都の防衛を当面の任務として与えられたからである。しかも第七軍以外の主要な戦力はすべて前線に配備されていて、ヘルムスや軍幹部の耳目(じもく)は遠き戦場に向けられている。さらに計画の実施後に担ぎ上げるメッサーシュミット将軍も、その職を解任されてのちは、帝都で軟禁されている。これほどの条件が整うのは、いわばポーカーの絵柄が揃うほどに好都合というものだ。

 ユンカースはヴェルダンディの安酒場でひっそりとローゼンハイムと密会し、店の隅で人目を忍び、(あり)の鳴くような小声で最後の打ち合わせをした。節約のため最低限に抑えられたランプの明かりのなかで、アンバーの瞳が異様なほどにきらめいている。

「総統官邸の親衛隊員から買った情報だ。日時は4月13日、つまり明明後日の18時だ。この時刻、総統は東エーデル地方からの陳情団約50名と会合する。親衛隊の警備力が官邸内部に向かうところを、我々が兵を率いて急襲し、総統とその側近どもを皆殺しにする」

「いよいよか。計画を練っている最中に教国との戦争が勃発し、もはや機会はないかと案じていた」

「機会はつくるさ。ただ今回は幸運が重なった。ここで奴を仕留めれば、我々はメッサーシュミット将軍を政権の臨時首座として推戴(すいたい)し、教国のエスメラルダ女王の支援を借りて、国家を再建できる」

「しかしだ、メッサーシュミット将軍は更迭(こうてつ)され、今や無役の身で軟禁も同然という。彼を奉じても、我々に時勢がなびくか」

「彼が率いていた実戦部隊の長はなびくさ。彼の対抗馬であるゴルトシュミットは傲岸(ごうがん)で取り柄のない男、後任のレーウは能力も人望もない。第四軍のリヒテンシュタイン中将、第五軍のツヴァイク中将、第六軍のシュマイザー中将、そして第七軍のフルトヴェングラー中将。彼らはヘルムス総統が死ねば、メッサーシュミット将軍の傘下(さんか)に集まるほかない」

「メッサーシュミット将軍は、ヘルムス総統を殺害した我々の奉戴(ほうたい)に応じるだろうか」

「応じざれば、応じさせるまでだ」

 ローゼンハイムは、ユンカースの覇気と不遜に気圧(けお)されたように、一瞬、息を呑んだ。ローゼンハイムは緻密な計算のできる男で、実戦における俊敏さや決断力といった要素よりも、事務方としての調整力や運営能力といった方面に実力がある。その分、物事に慎重、悲観的なきらいがあり、計画はその発案も推進も、ユンカースが主導している。計画自体、ユンカースが大枠を組み立てた段階で、最初の同志としてローゼンハイムを引き込んだというのが経緯(いきさつ)であったのだ。

 準備は整っている。が、いざ決行となればさしも大胆不敵なユンカースでさえ、平常心を保つのが難しい。

 ぐっ、とウィスキーを胃に流し込み、その夜は別れた。このあとは作戦の実施段階まで、彼らは何食わぬ顔でそれぞれの通常任務に励むこととなる。失敗すれば、これが今生(こんじょう)の別れとなろう。

 当日、総統官邸を守護する親衛隊の内通者から最終通知を受け取ったユンカースと同志たちは、おのおの独断で麾下(きか)部隊を召集し、完全武装させた上で、初めて部下の兵らに総統官邸の襲撃計画を伝えるとともに、訓示を与えた。この段階では、兵らの動揺を抑えるため、総統自身の暗殺ではなく、総統周辺にあって国家を私物化する君側の奸を除くことが目的であるとしている。ただしその過程で総統の身柄を一時的に拘束せざるをえず、その際は丁重に軟禁するよう命令された。最終的には同志のいずれかが総統の首を挙げることになるはずだ。

 兵は多くが内心で動揺したものの、離反者は一人も出なかった。ひとつは、ユンカースやローゼンハイム、さらにその腹心である計画の幹部らが決死の覚悟でいること、また集結地点であるリッツの広場にはすでにあちこちからこの作戦に参加すべく小隊や分隊が集まってきており、いわば群集心理によって、叛逆への抵抗と恐怖が薄れたものであろう。

 作戦に参加する主な実働部隊の同志とその兵力は、下記の通りである。


 国防軍第二十二騎兵中隊 180名 中隊長ユンカース大尉

 帝都防衛隊第六歩兵中隊 160名 中隊長ローゼンハイム大尉

 国防軍第六十三歩兵中隊 177名 中隊長ブレナー大尉

 国防軍第八兵器中隊 150名 中隊長ヘッセ大尉

 国防軍第七軍所属歩兵小隊A-8 31名 小隊長ベルツ中尉

 国防軍第七軍所属補給小隊F-2 24名 小隊長カウフマン少尉

 帝都防衛隊所属情報小隊D-2 17名 小隊長マイアー少尉


 このうち、ユンカースの騎兵部隊がクーデターの主力となるのは言うまでもない。計画ではその大部分で総統官邸を包囲し、ユンカース自身が少数の精鋭を率いて官邸に突入して、この国の絶対的独裁者であるヘルムス総統を殺害する。それ以外の同志は、同時多発的に、帝都防衛隊司令部、警視庁、特務機関本部、国防軍最高司令部、そしてメッサーシュミット将軍を軟禁している憲兵隊本部を第一次目標として制圧を目指すこととなる。予定時刻はすでに日没を過ぎており、各制圧目標の警備も手薄になって、少数の襲撃班でも充分にこれら軍事的中枢をおさえうるであろう。

 (計画は完璧だ。あとは天の加護を願うのみ)

 決行の朝、ユンカースは鏡のなかに映るアンバーの瞳に向かい、高ぶる心を落ち着かせるように幾度か(うなず)いた。

 クーデターに成功し救国の英雄となるか、総統を殺して自分も死ぬか、あるいは暗殺に失敗し同志もろともに血祭りに上げられるか。

 3つのうちの2つ、いや可能性を考えれば100のうちの99は死ぬ。だが国に(じゅん)じる覚悟はできていた。

 そして今、彼は180名の部下の前にある。全員の肩に、季節外れの忘れ雪が舞い落ちている。雪は年に一度か二度、降ろうかという帝都の気候で、しかも時期は4月である。珍しいこともあるものだ。

 ふと、彼は教国の近衛兵団長を思い出した。

 (ヴァネッサといったな)

 彼と近しい黄褐色の勝気な瞳を、よく覚えている。容貌の美しさはせいぜい十人並といったところで、女に不足したことのないユンカースからすれば、取るに足らぬ女ではある。

 だが思い返すと、たまらなくいい女に思えた。気高く、決して誇りを失わない女だった。ああいう強さを持った女を、ユンカースは未だ知らない。恐らく、信じるもの、守りたいもののためであれば、己を命をなげうつこともいとわないであろう。その意味では、彼に似ているであろうし、似ているからこそ、このようなときにこうして思い起こすのかもしれない。

「中隊長殿、準備すべて整いました」

 補佐役のアイスバーグ中尉の声で、彼は追憶の世界から引き戻された。死を前にした男は最後に子孫を残すべく異常性欲を催すというが、彼は何も自分が死ぬと決めてかかっているわけではない。さしあたり、目の前の大事を片付けて、生き残っていたら、女の肌を愛する機会もあるだろう。

 彼は今回の蜂起における最大集団である第二十二騎兵中隊を前に、訓示を与えた。演説者として、彼はその標的であるヘルムス総統に、あるいは勝るとも劣らなかったかもしれない。

「諸君、私はこれから諸君に選択肢を与える。決然として立つか、立たざるか。立てば諸君は一時的にも叛逆者の汚名を被るかもしれない。下士官は軍法会議も覚悟せねばならないだろう。だが今や、国の受ける災いはそのような恥辱よりもはるかに甚大である。貧富の差は拡大し、私権は制限され、よき風俗や文化は姿を消しつつある。まやかしの富国強兵で、庶民は貧困にあえいでいる。この原因が、我が総統閣下の周囲にはびこって利権を(むさぼ)る君側の奸にあることを、諸君も承知していよう。逆賊を討ち、歪んだ国の姿を正すことは、我ら軍人の責務だ。諸君らはもはや私の部下ではない、同志である。ともに決起せよ! 今こそ正しい歴史を奸賊どもから取り戻し、我らの正義を世に知らしめようではないか!」

 扇動とは多くの場合、自分でも信じていないことを、群衆に信じ込ませることを言う。この場合もそうであった。彼の敵はヘルムス総統その人である。君側の奸は確かに多く存在するが、それらはユンカースからすれば枝葉に過ぎず、枝葉をいくら切り取っても幹である国は変わらない。国を変えるには、あの凶悪な独裁者を葬るほかはないと思っている。

 だが、部下に対しても、総統を捕らえるその瞬間までは、真の狙いを秘すべきであった。なるほど国は強くなる一方で、民衆の権利は厳格に統制され、貧困は広まった。しかし、ヘルムス総統に対する支持はなお圧倒的である。ヘルムスを討つ、と言えば部下が従わない可能性がある。それまでは、つまりヘルムスの身柄を掌中に収め、生殺与奪の全権を手に入れるまでは、彼は麾下の兵たちを欺いておかねばならない。

 そのために、この種の演説はまるで芳醇な酒のように、群衆を酔わせる効果がある。彼は部隊をまるごと酔っ払いの集団に仕立てて、雪の降りしきる4月の帝都を暗殺の現場へと向かう。

 レガリア帝国総統官邸。そこが、彼の生死と名誉を賭けた一世一代の舞台となるであろう。

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