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ミネルヴァ大陸戦記  作者: 一条 千種
第12章 キティホークの死闘
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第12章-④ キティホークの死闘(幕間)

 その日の夜、両陣営は互いに夜襲への警戒を厳しくしつつも、現状の再確認と翌日からの作戦行動について議する時間をもうけた。

 まずは帝国軍である。

 前面の敵軍に対して優位な兵力を活かし、左翼から戦線を広げて圧迫し、あわよくばロンバルディア女王の首をとらんと息巻いていたリヒテンシュタイン中将は、敵将カッサーノ師団長を討ち取ったとはいえ、第四軍は戦局のなかで総崩れに近いかたちで押し返されたこともあり、この軍議の場では珍しく意気消沈であった。

 レーウの作戦指揮に対して最も強硬に文句をつける性格のリヒテンシュタインがこうも暗いので、レーウも諸将も各軍の参謀どもも不気味に思った。

 第八軍のシュルツ中将は、ベルガー中将がデュッセルドルフの奇襲戦でレイナート師団長のために戦死してから指揮権を引き継いで中将に昇進したばかりであり、軍人にしては控えめで無口な人柄でもあったから、自然、軍議の場は第二軍集団司令官のレーウ大将と、第五軍司令官のツヴァイク中将が中心となった。

 ツヴァイク中将は、麾下(きか)の第五軍がデュッセルドルフでカッサーノ将軍の第二師団に甚大な被害を与えることに成功したことから分かるように、攻勢に定評のある将帥である。その剽悍(ひょうかん)さ、破壊力はリヒテンシュタインにも劣らない。ただリヒテンシュタインと違うのは、僚友がややもすれば猪武者の粗忽(そこつ)さが露顕するのに対し、彼は冷静かつ客観的な判断力を持ち、硬軟と剛柔の使い分けができるという点にあった。この日の戦いでも、教国軍の名将レイナート将軍と同数の兵力で互角の勝負を繰り広げている。

 彼はキティホークの全戦線にわたって帝国軍が敗勢もしくは互角という戦況に終わったことから、早々に前線を下げ、より帝都に近い要害の地を選びそこに新たな防衛線を築くべきだと主張した。

 対して、司令官のレーウは戦術方針の変更によって局面の打開が可能だと考えていた。なまじ敵軍の斜線陣に対応する格好でこちらも同様に布陣したのがまずかった。敵軍で最も突出しているラドワーン軍を全軍で包囲殲滅(せんめつ)し、間髪入れず教国軍をひた押しに押してゆけば、ついに連中をナジュラーン宮殿まで再び追い払うことが可能であろう、と主張するのである。

 諸将は内心で少々呆れつつ、レーウの無邪気なほどに希望的なスカイブルーの瞳と、自信に満ちた高い鼻梁とを黙って見つめるほかなかった。

 レーウの構想は、なるほど構想としては間違っていないが、実現には極めて高度な作戦遂行能力が要求される。敵味方の位置関係や機動力の掌握、運用の管理を完璧に近い水準でやってのけるだけの情報把握と統率力をもってして、常に敵軍の先手をゆかねばならず、そうでなければ作戦行動中に敵から意図せぬ攻撃を受け、味方は瓦解し、大敗する。

 前任のメッサーシュミット将軍ならば、あるいはそれだけの能力があったかもしれない。だがメッサーシュミットはそのような華麗とも言える、裏を返せば綱渡りのような危険できわどい作戦はそもそも立てなかった。彼の戦術は実に手堅く、重厚で、隙という隙を念入りに埋めてから戦いに臨むものであった。膠着した戦線を鉄壁の守りで維持する粘り強さもあるし、戦勢不利と見れば執着せず素早く後退するだけの決断力もあった。

 だが彼らの目の前で我が作戦を披露し、戦況の逆転を信じるレーウは、実戦の経験や実績がほとんどないのにも関わらず、まるで自分が歴史的な名将にでもなったような錯覚に陥っているのか、大胆であり、華々しくも雄々しい兵略に自ら酔っているようでもある。

「机上で立案した作戦が失敗することはない。実行に移したときに初めて失敗する。だからこそ、作戦を立てる者は誰よりも自らの作戦に批判的であらねばならない」

 メッサーシュミットは常々、そのように表現して、机上に描いた夢想的な勝利に耽溺(たんでき)することを戒めていた。諸将にはそれが思い出されてならない。

 ツヴァイクは言葉を尽くして(いさ)めた。

「戦況は当方に利あらず。今はこの地に拘泥(こうでい)せず、戦線を下げて態勢を整え、しかるべき要害を選んで再びの決戦を挑むべきと存ずる」

「ここで戦況思わしくないまま無様に後退すれば、シュレースヴィヒを失う。ほかにも帝国領内で敵軍の侵略に(ゆだ)ねる町が出てこよう。そうなれば我が総統に対し面目を失うばかりか、お叱りを被る。この地で将兵ともに決死の覚悟で死守すれば、敵もその気勢に怯んで撤退する」

「面目がどうであると。お叱りがなんだと言われるか。確かに一時(いっとき)は敗将の汚名を甘受することになるかもしれぬ。我が総統の厳命に背くことにもなる。だが帝国を守るため、それが必要とあれば、我らは泥水を飲む思いをしてでも、最善の道を選ぶべきではないか。そのときは我ら軍司令官一同とて、レーウ閣下とともに処罰を受ける覚悟がある」

「いや、その覚悟はよろしい。だがまだこの地での戦闘継続に望みはある。充分な望みだ。私の作戦案通りに各軍が動けば、状況を好転させ、この戦争を帝国の勝利に導くことができる」

 レーウとツヴァイクとは、それからも小一時間にわたって議論を続けた。

 が、最終的にはレーウが司令官権限をもって自らの作戦を裁決し、ついに平行線のままに終わった軍議を決着させた。

 リヒテンシュタインは、翌日の作戦方針に対し意見を述べることはなかった。軍議でも終始(うつむ)きがちで、明らかに覇気を欠いている。

 本営からの帰り道、ツヴァイクは常になく元気のないこの僚友に声をかけた。

「ヴィルヘルムよ。司令の作戦をどう思う。貴様が口を閉じたままというのは、珍しいじゃないか」

「ラインスフェルトか。俺は任務を果たせなんだ。レーウの奴が立てた作戦なんぞ底の知れたものだが、俺に批判する資格はない」

「おいおい、ずいぶんと弱気じゃないか。貴様は敵の師団長を討つ功を挙げた。それに戦いとは、四割を負けて六割を勝てれば上々と、メッサーシュミット将軍もおっしゃっていたではないか。一度の不調でしょげていてどうする」

「そのメッサーシュミット将軍だがな、彼は義と情に(あつ)く、(まこと)の名将と評するに値する方だった」

「我らはメッサーシュミット将軍の子飼いも同然。教わるまでもない」

「義に沿って行い、義を掲げて戦うからこそ、戦意を旺盛にして戦うことができる。貴様も気づいていただろう、デュッセルドルフでの将軍の苦悩を。苦悩し、義に背く戦いだと知っていたから、彼は女王を故意に逃がした。後日、正々堂々の再戦を望んだために、龍を大海に放ったのだ。俺が討ち取ったカッサーノなる師団長も、それは見事な男だった。だが俺はどうだ。我が軍は不義の戦いを戦っているのではないか」

「滅多なことを言うな。声を落とせ」

 リヒテンシュタインの声は決して大きくはなかったが、夜の静けさのなかでその発言はあまりにも不用意に思われた。

 リヒテンシュタインは嘆息して言った。

「心配するな、俺は軍人だ。任務に専念する。たとえ愚かな指揮官が立てた愚かな作戦と分かっていても、全力で戦う」

 ツヴァイクは呆然として、月明かりに照らされた戦友の背中を見送った。

 さて、一方の教国軍とラドワーン軍も、夜の軍議を開いている。場所はラドワーンの好意で、教国軍の本営とされた。

 こちらも、意気揚々の会合というわけではない。戦局は全体的に有利と見ていたが、教国軍はカッサーノ将軍を失った。師団長級の戦死者が出るのは、帝国との開戦以来初めてのことである。クイーンは深く心を痛め、兵を引いたあとに報告を受けたときなど、失意のあまり、膝が崩れたほどである。エミリアとクレアが危うくも同時に彼女を支えなかったら、地面に崩れ落ちて嘆いたかもしれない。

 だが、軍議の場では落胆している様子はおくびにも出さない。最高指揮官が悲観したり気落ちしたりした姿を見せれば、末端の兵にまで影響が及ぶし、盟友のラドワーン王も不安になる。

 指揮官は内心を隠し、勝利を疑ってはならず、将兵を導く姿に(かげ)りを見せてはならないのだ。その演技と演出を、堅牢な自制心で、完璧にこなしている。

 カッサーノの席には、第二師団の副師団長であるティム・バクスターが師団長代理の資格において着席している。さらにレイナート第三師団長、ヴァネッサ近衛兵団長、そして無論、エミリアもこの場にいる。

 ラドワーン王は、彼の第一の弟で右翼部隊を指揮するラフィークと、第二の弟で参謀のヤアクーブを連れている。ラフィークは、教国遠征軍が彼の領土に入った際に案内役を務めた国境警備隊の隊長だったが、今回の戦いでは一軍の将として参陣している。ラドワーンの最も近い弟だから当然といえば当然だが、ラドワーンはこの弟の酷薄な資性を敬遠して、長いこと閑職に回して冷や飯を食わせてきた経緯がある。今回は、宮殿の警備に就いている第四の弟スレイマーンと合衆国軍とともにある第五の弟ムアンマルを除く五人の弟が従軍していた。

 席上、帝国軍が思いのほか士気高く、頑強に抵抗し、あるいは苛烈に攻勢を加えてくることについて意外の念を共有した。恐らく軍司令官級の将領がそれぞれに優秀であることと、帝国兵がよく訓練された精鋭揃いであることに由来するものであるとの認識も一致していた。ただ、各軍が局地的に善戦しようと、方面軍司令官たるレーウなる男が才覚に欠けている以上、楽観もできないが悲観する状況でもない。

 それに、彼らにはまだ戦場に投入していない予備兵力が残っている。遊撃旅団が戦場を大きく迂回し、既に帝国軍の後背に出てその補給線と退路を遮断しているはずだ。これを動かして、帝国軍を前後から挟撃する構えを見せれば、連中を確実に混乱の淵に陥れることができよう。

 また、本軍も位置関係はそのままに、斜線陣を解消し、両翼を広げ、より積極的に帝国軍を包囲下に置くべく進撃を開始することとした。

 クイーンは、近衛兵団から機敏で目先が利く者としてサミアを選び、早馬として遊撃旅団に派遣した。彼女は夜通し疾駆して、遊撃旅団のドン・ジョヴァンニ将軍に命令を伝えた。

 果たせるかな、ドン・ジョヴァンニは勇躍し、翌早朝のまだ日も出ていない時間、ヌーナ街道を遮断していた手勢を東に差し向けて、第二軍集団司令部の後方わずか9km地点まで接近して、ようやく帝国軍の物見に発見された。

 キティホークの会戦第二幕である。

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