トンネルの向こうに
唐突に思い浮かんだものを書いたので、読みにくいとは思いますが、よろしくお願いします。
トンネルを抜けると駅がある。
高い木々に囲まれた石造りのホームで、駅員はいない。
ベンチもないし、そもそも使う人は少ない。
それでもこの山に取り残された空間は、なんとなく居心地が良かった。
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崩れそうなトンネルを抜けると、駅がある。
小さな駅で、もうすぐ人工物から自然に帰りそうな石造りのホームが横たわっている。
来ない電車を待ちながら、ひび割れたホームに腰掛ける。
そうしていると、人間を警戒していた鳥たちが段々と馴れて、活発な動きを再開する。
鳥が飛ぶと木が揺れて、話し声のような音を響かせる。
遠くの谷から聞こえてくる清流の唸りも心地いい。
ここには誰も来ない。
トンネルの向こうの住人でこの駅を使う人はいない。
静かだけど騒がしい駅。
「横、いい?」
人の声をこの駅で聞いたのは初めてのことだった。
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「この駅、使う人いたんだ」
「だって、電車を待つには駅を使わないと」
「それもそうだ」
その人はぼんやりとホームに座っていた。
鳥が逃げなくなるくらい動かない。
ぼんやりと、ただぼんやりと線路の向こうを見つめている。
何も見ていないのか、でも時々視線が動くから、何かを見ているのか。
上から下に、右から左に。
時々ゆっくりと、何かを追いかけるように動く。
静かに静かに、何かを見つめている。
「電車、遅れてるみたい」
「そうなんだ」
その人の視線がこちらに動いた。
山の一部になってしまったかのように、その人からは音がしない。
「乗りたいの?」
「そうでないと駅には来ないよ」
「此処が好きだからじゃないの?」
「それもあるけど、電車に乗らないと」
「そっか」
それからまた、その人は視線を線路の向こうに戻してしまった。
静かに静かに何かを追いかけている。
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その子は騒々しかった。
話すわけではないけれど、なんだかせわしなく動く鳥のようだった。
こっちを見ては視線を反らし、またこっちを見る。
その子は電車に乗りたいらしい。
一緒に乗れるなら乗ってみたいと、なんとなく思った。
でも財布を持ってきていないから、どのみち一緒には乗れないな。
「どうしてこの駅に来たの?」
「家が近いから」
「隣の街には行ったことある?」
「ある」
その子が質問してきた。
隣の街にも、この駅と繋がる駅があるのだろう。
電車に乗って、行ってみたい。
車じゃなくて、この駅から、電車に乗って。
「隣の街には海があるよ」
「うん、知ってる」
「この山からは見えないけど、この先のトンネルを抜けると少し見えるよ」
「そうなんだ。電車に乗ったことないから」
「なのに駅に?」
「うん。好きだから」
「一緒だね」
その子は騒々しいけど、嫌いじゃない。
鳥と同じ、谷の流れと同じ。
会話が終わったからその子から視線を外す。
その子はまた、騒々しい目を向けてきた。
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その人は、電車に乗ったことはないけれど、隣の街は知っていた。
車で行ったのだろう。
山をひとつ挟んだだけで、トンネルの此方と彼方は大分違う。
此方には木々に埋もれた駅しかないけれど、彼方の駅からは海が見える。
街が見えて、人も多い。
此方に来る人は少ないけれど、彼方に行く人は多い。
隣に座るその人も、彼方に行きたいから線路の向こうを見ているのかもしれない。
この駅は静かで、人も居なければベンチもない。
だけど気持ち良い場所だから、一人占めしていた。
けど、その人となら一緒でもいいかもしれない。
鳥のように静かで、谷の流れのように視線を動かすその人なら。
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「一緒に隣の街に行こう」
「どうして?」
その子はホームに立ち上がった。
そろそろ電車が来るかのように、埃を落とす。
パサパサと、羽ばたきのような音が山に響く。
それにならって立ち上がると視線が合った。
「海が見たくなった?」
「うん。それに、隣の街はこの山にはない木が街路樹だから、そろそろ見頃で丁度良いかなって」
その子が言う街路樹と、山にはない木というのはよくわからなかった。
けど、楽しそうに言うのだから、この山にはないのだろう。
「駅は好きだけど、近くに花を咲かせる木がなくて寂しいよね」
「なんで?」
「だって、春夏秋冬、いつも緑だけだから」
その子の言ってることはよくわからなかった。
隣に座っているのに、その子は目が悪いのだろうか。
でも確かに視線は交わっている。
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「春には、色づいているよ」
その人の声はそこで途絶えた。
電車のガタゴトという音で鳥が飛び、水の音は遮られる。
自然の中に不自然なものが入り込んできた証拠だ。
「おはよう」
「おはようございます」
「君、どこに行ってたの?」
足元を見た。
石で作られた灰色のホームは、淡い白で塗り替えられていた。
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風が吹いて視線を反らすと、その子はもう居なかった。
ひび割れた石と苔の上に白が点々と落ちている。
すでに枕木は朽ちて、鉄の枠だけ残した線路に降りて歩く。
少し先の巨木までたどり着き、太い幹を迂回する。
淡い花びらのカーテンの向こうに隣の街まで続いていたトンネルがある。
暗くていつ崩れるかわからないトンネルを歩く。
息遣いと足音と、遠くから聞こえる何かの音。
静かで騒々しい空間は、少し似ているかもしれない。
「海、見えないじゃないか」
トンネルを抜けても、森が続いていた。
少し先にひび割れたホームが見えるけど、そこはなんだか違うような気がした。
名前を聞いておけば良かった。
戻るために足を踏み入れたトンネルで、ふとそう思った。
お読みいただきありがとうございました。