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嘘とエッセイ#1『マラソン大会』

作者: これ

遅くなりましたが、この小説はエイプリルフールネタです。

ここに書かれていることは全て嘘です。ネタです。

それでもよろしいのなら、どうぞ寛大な心を持って読んでいただけると嬉しいです。

何卒よろしくお願いします。



 マラソン大会に出てみよう、と思った。


 コタツに入りながら、新年を迎えた瞬間だった。年が変わるというのは区切りが良い。


 億劫で面倒くさがり、普段スクランブルエッグさえ作るのでさえためらい、結局、二枚舌の代表格であるグラノーラを食べてしまうような私でも、古い年とともに今までの自分を置き去りにできるような気がした。


 年が明けた瞬間の万能感というのは、いったいどういったことだろう。何も成し遂げていないのに、自分が急に偉くなったと錯覚してしまう。


 小さな国で、自分がルールブックみたいな、気分次第で朝食に必ず牛乳を飲むことにできるような、そんな心持ちになってしまう。


 きっと、いくつもの王国で新しい法律が一夜にして出来上がり、施行されているのだと思う。革命と呼ぶには足りない、微細な変化が向かいの家でも起こっているのではないか。


 そう思うと、大言壮語を吐くテレビの中のお笑い芸人にも、うんうんと頷くしかない。笑ってもらってなんぼの彼らには、少し辛いかもしれないけど。


 そう思いながら私は、何個目か分からないミカンに手を伸ばした。自然の糖は体に良いんだと言い訳をしながら、皮をむく。


 果糖が一番太るのなんて、マトリョーシカがロシアの工芸品だってぐらいに、みんな知っている。言わないだけで。


 リンゴやらミカンやらを食べ過ぎた結果(あと、お酒もたしなむ程度には)、人間ドッグで出た数値は、血糖値が基準値の二倍。中性脂肪は基準値の三倍。他にもLDLコレステロールやら、γ-GTPやら、トリグリセライドやら訳の分からない項目が、軒並み高かった。


 BMIは32.9。語呂合わせで肉と読めるのが嫌味たらしいし、後ろに1がついたら「醜い」になってしまうのが、寒気がする。けど、これでも去年よりは少し痩せた方だ。


 まあ、たった五〇〇グラムだから誤差の範囲内だろうって笑われるだろうけど、私からしてみれば、増加しなかっただけで御の字だ。


 このでっぷりとしたお腹のおかげで、陰では「細谷なのに、全然細くないね」とか、昔放送されていたテレビ番組に出ていそうなんて、言われているのも分かっている。


 その度に、「私は痩せたらカッコいいんだぞ」なんて強がってはいるけれど、子供のときから太っていたから、私は痩せている自分があまり想像できない。


 初期設定からして、人よりちょっとだけ太ましいのだ。デブ専の神様から寵愛を受けているんじゃないかってぐらい、私は痩せるということに無関係だった。


 でも、とにかく私はマラソン大会に出るのだ。もう、決めたのだ。デブでも本気を出せば、42.195キロメートルぐらい走破できるところを見せてやる。


 デブが動けないなんて、誰が決めた?それが世間一般の常識なら、私は最初のペンギンにだって、何にだってなってやる。


 痩せられるかどうかは、副次的なものでしかない。むしろ、痩せない方が耳目を引き、英雄になれるというものだ(とはいっても、やっぱり痩せたい気持ちはあるけれど)。


 そんな小学一年生でも今日びしないような、青臭い決意を私はした。これだから元旦というものは恐ろしい。


 二十八年間これといった行動を起こしてこなかった私を、いとも容易く、それこそサーカスのゾウみたいに、その気にさせる。


「一年の計は元旦にあり」なんて言った人間は、きっとまだ冷静だ。地に足がついている。私みたいにティッシュよりも軽く、舞い上がってなんていない。腐りかけのバナナを、躊躇なく捨てられる人間なんだろうと思う。



 さて、決まったのなら、善は急げだ。今私にできることは、とにかく寝ることだ。夜更かしをしていると、太る。そんなことは、イモリとヤモリの違いぐらいはっきりしている。


 朝になれば、ポストに数枚の年賀状と一緒に(宛て先は郵便局とか、近所の美容室だろうけど)、いつもの倍くらい分厚い朝刊と、大量のチラシが入っているはずだ。そのなかにはスポーツショップのチラシもきっとあることだろう。


 靴屋でも一番安かったスニーカーだと、走るには心もとない。あとランニングウェアとか、膝を壊さないようにサポーターなんかもほしい。脂肪を筋肉に帰るためにも、プロテインも買おう。


 そんなことを、私は残り半分になったミカンを食べながら考えた。そして、皮をゴミ箱に投げ捨てて、見事ゴールインしたことを見届けると、こたつに入りながら眠った。人肌よりも少しだけ暖かいその温さが、魔物みたいに心地よかった。







 一月一日は、親戚の家に行って、近所の学問の神様に(人は死んでも人だと思うけど。心の持ち方の問題だ)、参拝したら夜になっていて、バラエティ番組をスマホをいじりながら見ていたら、終わった。


 祖父や叔父から勧められても、お酒は飲まなかった。「今年から禁酒することにしたんです」と言うと、あっさり引き下がってくれた。UFOでも見るみたいな目で見られたけれど、時間が解決してくれると思って、特に気にしなかった。


 一月二日は、午前中に駅伝を見て、昼食に清純派グラドルです、みたいな顔をしたグラノーラを食べて、午後にスポーツショップに行ったら、夜になっていた。


 冬至が過ぎて、日が長くなり始めたと思っても、そんなの気の持ちようでしかないと思い知った。


 ランニングシューズは、想像以上に種類があって、一番安いものでも五〇〇〇円と、今のスニーカーの倍ぐらいした。29センチメートル(これも肉だ)と、大きい私の足のサイズにもちゃんと配慮されていて、店員もミーアキャットを見るような目で応じてくれた。プロテインは、バニラ味を選んだ。カロリーが低いことが、決め手だった。


 一月三日は、午前中に駅伝を見て、昼食に、万が一ご満足いただけなければ一か月以内なら返品可能です、みたいな顔をしたグラノーラを食べて、あとはだらしなく昼寝をしていたら、夜になっていた。


 昼寝は芸術だと思う。一瞬のうちに私を惹きつけて、時間が経つことを忘れさせる。実際に、ルーブル美術館でモナリザを観たら、こんな風に感じるんじゃないかと、起き抜けのぼんやりとした頭で思った。


 でも、それは言い訳に過ぎなかった。だって、外は寒いし、夜は暗いし、不気味だ。年端もいかない子供みたいな、甘ったれのこんちくしょうであることは、私にだって分かっている。


 だけれど、今は走る時じゃない。準備万端にしないと、思わぬところで躓いてしまう。敵を知り、己を知れば、百戦危うからずというヤツだ。孫子が唱えた兵法の基本である。一月一日午前〇時一〇分の私は、巨大な時の流れみたいなものに、いいように流されていた。


 一月四日は仕事をして、帰ったら疲れて、走る気分になれなかった。


 一月五日は仕事をして、帰ったら眠くて、走る気分になれなかった。


 オフィス街の片隅の片隅、電灯の中に入ったコバエみたいな一室で、経理の仕事をしている私だ。会社の財布の紐を握っていると言えば聞こえはいいが、実態はパソコンと、終わりのないにらめっこをしているようなものである。


 私は気を紛らわそうと、自分がマラソン大会に出ているところを想像した。デブに追い抜かれて、この世の終わりみたいな顔をしたランナーを想像すると、たいへん心地が良かった。






 そうこうしているうちに、気づいたら一月も六日になっていた。いつもは馬車馬のように土曜も働かせる会社だけれど、この日は些細な革命が起こったのか、休みになった。


 私は昼まで汚泥のように眠り、起きたら眠気覚ましにインスタントコーヒーを淹れて、飲んだ。椅子に座って、窓の外の景色を眺めていると、くすんだねずみ色みたいな光景でも、自分がイケメン俳優みたいに思えてしまう。


 まあこんなデブは、度の合わない眼鏡を掛けさせられて、ステレオタイプなオタクとして、記号みたいに消費されてしまうんだろうけど。


 それでも、一瞬だったとはいえ痩せた自分がイメージできた。あの夜の自分が、岩にしがみついて流されまいと抗っている。


 私は、椅子から立って、3Lのランニングウェア(スポーツショップは何でもある)を着て、膝にサポーターをつけた。締め付けられている感触が、ああ自分はこれから走るんだな、と月並みに思わせる。


 通気性に優れているだけあって、エアコンの生温い空気が、関節にダイレクトに当たる。バカみたいにツーカーだ。モラルといったものを感じさせない。


 箱に入ったままのランニングシューズは、氷みたいに固くて冷たかった。お前なんかが、本当に履けるのかと、挑発されているような気にもなってくる。


 私は何も考えず、それはほとんど一心不乱と言ってよかったのかもしれない、足を入れて靴紐を結びなおした。余裕を持って29.5センチメートルのを選んだランニングシューズは、思っていた以上にすっぽりと私の侵入を許した。


 今年に入って、お酒を飲んでいないから、もしかしたらむくみが少し取れていたのかもしれない。


 外に出ると、時間が速度を上げたみたいに寒かった。私の決意に、喧嘩を売っているみたいだった。脂肪の鎧は何の役にも立たないし、第一、そんな鎧、着たくて着ているわけじゃない。ほしい人間がいるなら喜んでくれてやる。


 上等だおいコラ、デブなめんなよと、私は玄関のドアを勢いよく閉めた。ガコンという音に、隣人が迷惑するんじゃないかと思ったけれど、そんなの言わせておけばいい。今の私なら、睨み一つで蹴散らせるだろうから。新たな装備を身に着けた私は、まさに戦場に勇んで出ていく兵士だった。


 私の家の近所には、公園がある。巨大な亀の甲羅の上みたいに広く、いつも誰かがジョギングをしているような、ザ・平和といった風情の公園だ。


 ミステリーサークルみたいに大きく開けた広場は、外周の道路を一周すれば二キロメートルになる。二一周とちょっとでフルマラソンになる計算だ。

 

 とはいえ、運動不足が服を着て歩いているみたいな私に、いきなりそれだけ走るのはハードルが高い。まずは、半分の一〇周を目指そう。そこから徐々に距離を伸ばしていけばいい。


 このとき、私はそれでも自分が、超絶楽観的予測をしていることに気づいていなかった。万華鏡を覗いているときのように、周りが見えなくなっていた。


 スタートはどこでもよかったが、0.0キロメートルと書かれている地点に決めた。スマホにイヤフォンをつないで、音楽を流す。好きなバンドの新曲だ。私は、心の中で「よーい、スタート」と叫んで、足を一歩前に踏み出した。


 軽快なイントロとともに、私の足もどんどん前に進んでいく。サラブレッドにでもなったみたいな心地よさだ。走ることが、これほどまでに喜びに溢れた行為だとは。もっと早く知っておくべきだったと、私は弾む息の中で、あっけらかんと考えていた。


 みたいに現実が働いてくれたら、どれほど良かったのか分からない。私の息は、一歩目からすでに上がりかけていた。一歩一歩踏み出すごとに苦しさは、乗り物酔いみたいに増していく。


 足元を見ると、歩幅がえらく小さかった。どれだけ歩幅を小さくできるのか、挑戦しているのかと見間違うほどに情けなかった。


 目の前に、還暦を過ぎたであろう初老の男性が急に現れて、追い抜かれたのだと知る。彼もマラソン大会を目指しているのだろうか。足取りは軽やかで正確だ。きっとそれなりのキャリアを積んできたのだろう。


 なんてことを考える余裕すら、私にはなかった。息が拷問みたいに苦しくなる。これが今までデブを放置してきたことに対する罰なのか。私は神様に助けを求めたけれど、人が神様になることはないように、神様なんてどこにもいない。


 ふと気づくと、曲はサビに入ったばかりだった。うっわ、マジかよ。足元を見ると、0.2キロメートルという表示。嘘だろ。歩くのとそんなにペースが変わっていない。


 一体、何をしているんだろう。そこまでして走る意味が、どこにあるんだろう。一月一日午前〇時一〇分の私は、とんだバカ野郎だな。


 なにが、「マラソン大会に出てみよう」だ。できもしないことを、高らかにぶち上げて。世の中が白と黒にはっきりと分かれていると思っているヤツみたいに、現実が見えていない。


 気づくと、私は足を止めていた。糸が切れた操り人形みたいにうなだれて、膝に手をつく。開いた口からよだれが垂れて、買ったばかりのランニングシューズで、思いっきり地面に擦り付けた。


 ああ生きていると、皮肉にも思った。そんなこと、今年に入ってから初めて感じた。生きているというのは、向いていないことを諦めた瞬間に実感するものなんだなと、思い出す。


 イヤホンを外すと、世界が私に雪崩れ込んできた。目を開けてみた光景は、乾燥した空気もあって、憎たらしいほど晴れ晴れとしていた。


 私は、スマホをポケットにしまって、公園から帰った。途中、コンビニで三五〇ミリリットルのビール缶を買った。


 ランニング用に買ったグッズの数々は、一回出動しただけで、その出番を終えた。


 私はもう、マラソン大会に出てみようなんて、それから一度たりとも考えなかった。



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