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本日部下と残業デー

「ーーあ、お帰りなさい!待ってました!」

「やだ」

「やだじゃないです。仕事ですよ、香坂こうさか主任」



 折角魅惑のオムライスで天国にいっていたというのに、会社に帰ってきた途端地獄に落とされた。ナナが会社を出る時よりも書類が増えている。軽く泣きそうだ。

 後輩男子のつじが腹黒い笑顔で出迎えてくれやがった。ナナは殴りたい衝動を必死に抑える。ナナはどちらかというと、口よりも先に手が出るタイプである。うっかり殴りそうになる自分を諌めるのに毎日必死だ。



「これ、今日中に終わらせる案件です」

「………」

「…頑張りましょう」



 ナナはなかなかの厚さを誇る書類の束を見て沈黙した。もはや無表情だ。そんなナナを元気づけようとして、辻は失敗した。ひきつる笑顔に自覚がある。



「おうちかえりたい…」

「終わったら帰れますよ!」

「終わるの?これ」

「気合いです」



 ナナは書類を流し読みしながら、エナジードリンクを飲み干した。本当に翼を授けるというのなら、この場から逃げたい。そんなことを思いながら、判を押す機械に徹する。

 後輩男子の辻は、ナナのいる経理課の期待のホープだ。仕事が早く、かつミスが少ない。そして気が利く。今もこうして夜遅くまで残業しているナナに付き合ってくれている。顔も悪くない。というか、良い。人懐っこい笑顔は誰からも好かれ、爽やかな好青年である。女子からの人気も高い。



「コーヒー淹れたので、どうぞ」



 キーボードを打つ手の邪魔にならない位置にマグカップが置かれた。顔をあげると辻が困ったように微笑んでいた。彼の手にも同様にマグカップが握られており、湯気が立ち上っている。こりゃ大層モテるんだろうな、とメガネの奥でナナは目を細めた。

 書類は辻が先に確認して渡してくれていたため、ミスもなくスムーズに仕事が出来ている。更に自分はナナの右腕だからと笑って残業をしてくれている。他のメンバーは残っていても手伝えるほどの回転の早さが無いため帰らせた。ちなみに課長じょうしは出張でいない。


 いつも思うのだが、なぜ自分が主任という人の上に立つ地位にいるのかが分からない。たぶん半分はあの課長の嫌がらせ、もう半分はナナのことを気に入ったからだろう。もげろ。



「ありがとう。そっちは?」

「こっちはあと30分もすれば終わります。香坂主任はどうですか?」

「私もそのくらいで終わる…かな」



 凝った肩を軽く回してから片手でマグカップを持ちコーヒーをすすった。可愛らしい女子のように両手で持てば、モテるのかもしれないな。ナナはどれくらい恋人がいなかったんだっけ、と考えを巡らせて落ち込んだ。


 もう、3年は独り身だ。二十歳であのバカに恋をして、しかし半分諦めて何人か他の男性と付き合ったことがある。デートをして、付き合って、セックスをした。順序が逆になることもあった。そんな経緯を幾らか繰り返したナナも大学を卒業し、就職して仕事の忙しさにそんなことも言っていられなくなった。

 最後の彼氏はほぼ自然消滅だった。だって忙しくて会えなかったんだ。会うくらいなら、寝ていたかった。そう思うナナを知っていたのか否か、向こう側から別れを切り出された。居ても居なくても変わらなかったので何も思わず頷いたのが最後、パタリと男の影は途絶えた。

 晩婚化が進んでいるとは言え、友人は続々と結婚していく。結婚式に行く度に、母親に微妙な顔をされることも気づいていた。

 まだお局と言われる年ではないけど、そろそろ婚活しないとダメかな。ナナはふと思った。


 かつての親友であり、現在の親友でもあるあの男のことが好きになったのは、あの事件があったからだ。だけど同情から恋をしたのではないと断言出来る。それくらいの分別は出来た。これが恋愛の好きでなければ、あいつのことを思って自慰なんてするわけがない。

 親友あいつは自分の中で折り合いをつけ、ゲイとして生きる道を選んだ。彼の親にはあの事件の後に、彼は土下座してカミングアウトした。その経緯が経緯だったため、受け入れられたのは幸運だったのだろう。

 ()()がなければノーマルとして生きれたかもしれないし、なくともその道に走っていたかもしれない。今となっては分からないけれど。

 あいつが男を好きになり、男とセックスするのを知っていた。あれから彼はナナによく相談するようになった。アタック中だ、と聞かされた時はなんとも言えない気持ちになったものだ。

 そんなことを幾度も繰り返した。今、あいつはフリーだが、またそのうち好きなひとが出来るのだろう。



「うーん、不毛だ」

「何がですか?」



 苦いコーヒーは不毛な恋の味かもしれない。ナナは辻を見た。



「辻って好きな人いるの?」

「いませんね」



 辻はあっけらかんと答えた。いっそ清々しいまでの回答だ。



「でも気になる人はいます」

「へえ」

「主任は?」



 椅子を引っ張ってナナの隣に座った辻。あ、居座る気だ、とは思ったものの咎めることはなかった。もう仕事もほとんど終わっている。



「いる、けど」

「けど?」

「もう諦めてる。そろそろ他の恋、探そうかなぁ」



 ふぅん、と辻はコーヒーを飲みながら返事をした。興味があるのかないのかよく分からないなとは思ったものの、自分もさっき同じような返事をしたことを思い出した。ごめん、辻。

 この青年は、やはり女の子らしい女が好きなのだろうか。節々にずぼらな性格が滲み出るナナには、女の子らしくなんか出来やしない。それなりに見れる顔だとは思ってるし、流行にも乗っかるタイプだが、中身は乗っかれない。どうしたものか。



「辻の気になる人って、どんな人なの?」

「性格はサッパリしてて、お弁当はいつも手作り。仕事は丁寧で、部下には優しい。仕事中はメガネだけど普段はかけない美人さん」



 それって。ポカンとしているナナに、辻はデコピンをした。



「痛っ!」

「仕事、終わらせちゃいましょう」



 辻は楽しそうに笑って自分のデスクへと戻っていった。ひとつ溜息をつき、ナナもパソコンと睨めっこを始めるのだった。

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