プロローグ.04
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小雨の中、一面に広がる原っぱは足首ほどの高さの青草を茂らせている。遠くにかかったもやもやはまるでこの空間を世界から切り離しているようで、その中を行く一台の馬車は丘の砦へと轍を進んでいた。
それはそれはノロノロと動く馬車だった。馬車と言っても引いているのは泥水でも被らされたかの様な焦茶色のロバに似た動物だ。
二頭並んで時々肩をぶつけてはお互いの体毛に土くれを擦り付け合いながら、ぬかるんだ泥道を蹴散らして歩いている。
荷車部分はデコボコ道に車体を小刻みに揺らされており、その軋む音も合わさって側から見れば鼻歌混じりに下手な踊りを嗜んでいるようだった。
「お前タバコ持ってんのか、少し分けてくれ。すっかり切らしちまってるんだ」
薄汚れた服を着込んだ無精髭の男が赤く腫れた鼻を擦りながらぼやいた。
その荷車には同じようなボロを着た男が4人ほど、砦に運び入れる木箱や麻袋と一緒になって何とか収まっている。
「そこの箱に入ってんじゃないすかぁ」
そばかすで顔の荒れた青年はねじれたパイプをふかしながら悪態を突きながら顎で指した。無精髭は口を一文字に結んで睨みを効かせたが、青年はどこ吹く風かというように煙をくゆらせている。
「おいおい、うちのもんは盗るんじゃねぇ。きちんと耳揃えて納めなきゃならねえんだ。やるならそっちのを開けてくれ」
深々と帽子を被った大柄な男は窮屈そうに貧乏ゆすりをしながら、か細い老人が小脇に抱えている節穴だらけの小さい木箱を指さす。
老人は肩まで伸びた荒れ果てた白髪と、同じくらい長い口髭を風に揺らしながら何かを訴えているらしかった。
しかしあまりにもか細いその声は小雨の音にさえも遮られる程だった。
「お前ら、あんまりその爺さんにちょっかい出すんじゃねえぞ」
荷台の前方、運転席からは口髭の豊かな太った男が垂れたまぶたの隙間からこちらを睨んでいた。
帽子の下から覗く白髪混じりのもみあげや口髭の上から伸びる深いシワでこの中では老人の次に老いている事がわかり、落ち着いた声色の中にも特有の重みを感じる。
青年と大柄な男は訝しむ表情をしたが、無精髭の男はその男の目から何かを汲み取るように押し黙っていた。
それからすっかりと静まった荷台はうるさい程に馬車の軋む音が聞こえ、車輪が泥にはまる度に荷台の床が凹む音が響いた。
辿り着く前に壊れやしないかと思い始めた大柄な男は、神経質なのか益々貧乏ゆすりを激しくさせていった。
馬車が砦の手前の森に差し掛かると空を覆う雲が厚みを増し、崖崩れを思わせるような低音が遠い所から鳴り響いてきた。雨足は変わらないが、じっとりとした雨の匂いが一段と強くなっていく。
「ほら、急げ」
運転席の男が鞭を鳴らした。どうにかして雷雨になる前に辿り着きたい算段だろう。
ばたつかせるようにして脚を速めるロバもどきであったが、荷台の軋みが増えるだけで大した速度は出ていなかった。
結局、鞭の音も虚しくその馬車はのんべんだらりとして森の中へ消えていった。
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