順和14年6月30日 5
配信が完全に終わっていることを確認してから、私は窓の外から景色をもう1回見下ろした。建物が変わったり等はあるものの、町並みの本質は、幼いときから何も変わらないように思える。駅前のロータリーから出ているバスも、駅舎も、走る列車も。そんな中で私は生まれ育ち、今アイドルとしてここに座っている。自分がそうなっているとは、昔の私には想像もできなかっただろう。
私は、幼稚園児のころからアイドルになりたいと思っていた記憶がある(親からそう言っていた、と聞かされたのが自分の記憶のようになっているだけなのかもしれないが)。当時から「将来の夢はアイドルになることだ」と言っていた覚えが朧ながら存在する。恐らくベリージェリーという大型ユニットの影響だろう。当時の自分は本気で言っていたのか、それとも単なる憧れで言っていたのかはわからない。
しかし、アイドルになりたいという夢は小5になっても消えることは無かった。中学受験をしていたころは流石にそんなことを考えている余裕もなかったが、受験に合格してすぐ、その夢を思い出した記憶がある。
確か、中1になってからヘリアンサスガールズに合格する前にユニットは6つ受けた(書類選考で落ちたものもある)。ベリージェリー、SUNNYDRIVE、Miffrens含めた6つだ。もちろんどれも不合格。
しかし、それらのユニットに落選したからこそ今の自分があるともいえるのかもしれない。パラレルワールドに行けるのなら、ベリージェリーにいる自分も見てみたい。しかし、その時分になりたいという想いはもう消え失せていた。
今思い返すと、当時気になっていたベリージェリーのメンバーは重本すみれだ。彼女は今も、ベリージェリーのリーダー格の人として立派に活躍している。私も、彼女のように、大学に行くまでの残り4年間(受験の1年は除く)はリーダーとしてあれたらいいな、と思っている。
ヘリアンサスガールズのメディア露出は決して多くない。それでも、市の公式アイドルとして実際に活動で来ていることに対して私は誇りに思っていた。
かわみんにもアイドルを目指そうと思ったきっかけを聞いてみた。
「え? あー、基本的にはしふぉんと同じで、アイドルにあこがれていたんだけど、まぁ厳しくて。諦めかけていたところに市がプロデュースするアイドルの情報が入ってね、それで気になったって感じだな」
彼女は話す。親は特段賛成しているわけではないものの、反対もしていなかったようだった(反対はしないから、できるならやってもいいんじゃない?という感じだったらしい)。
私は、自分の親がアイドル活動についてどう思っているのかということをかわみんに話した。私の母親は、もともと歌手を目指していたらしい。しかし諦めて今に至っている。
親としては、無理だろうと思ってはいたようだが、明確に応援はしてくれていた。親も歌手という道を目指していた(挫折してしまったらしい)こともあり、自分の昔の姿を見ているようだとも思ったらしい。
ヘリアンサスガールズの活動もあと1か月で1年となる。ヘリアンサスガールズの活動開始日は、公式にはお披露目会を行った8月4日とされている。ファンの方によっては、希望の花言葉をリリースした9月18日と認識している人もいるようだ。
楽曲のリリースも行ってはいるものの、滞ってしまっているのが現状だ。「希望の花言葉」「道端花」「ナツアオソラ」「タイムマシン」「大冒険時代」「続く」の6曲に加え、3rdシングルとして「Departure」「必須アミノ酸の歌」「ゆうやけ公園」を今練習しているところだ。
この中で1番良く分からないのが必須アミノ酸の歌だ。単に9個の必須アミノ酸を羅列しただけの歌であり、「ロイシン イソロイシン フェニルアラニン トリプトファン ヒスチジン トレオニン メチオニン バリン リシン」を何ループもしているだけの曲だ。
Departureは長くはないものの、別れを歌っている歌だ。今のところヘリアンサスガールズに別れは存在していない。どうしてこの曲が作られたのかは私にはわからなかった。
ゆうやけ公園は、ラストラベンダーのエンディングテーマである。「過去も未来も行ける時代でも ずっと変わらないものはあるだろう?」という歌詞が妙に印象的だ。
これらのアルバムは8月にリリースされる。しかし、リリース記念のライブを舞台で行うことはできなさそうなのが現状だ。
私はそんなことを考えながら、かわみんと私服に着替えて、家まで帰った。




