大きくなった妹は今、
私には兄がいた。といっても兄に名前はない。
「こちらにいらっしゃいましたか。探しましたよマーガレットお嬢様」
「あら、デューク。お勤めご苦労様」
広い屋敷の庭で裁縫をしているとそば付き騎士のデュークがやってきた。
彼は私がゴブリンの群れにいた所を救い出してくれた恩人だ。
年齢は私の倍以上あるが、未だにその実力は衰えず、まだ私じゃ勝てない。
「裁縫ですか……その刺繍は?」
「ゴブリンよ。私がデザインしたの。可愛いでしょ?」
「ゴブリンを可愛いだなんて言っているとお祖母様に叱られますよ」
「はーい。わかりました」
デュークに私の生まれ故郷だという都市に連れてこられて数年。私は群れで見かけた女性たちと寸分変わらないくらいまで成長していた。
年齢は十八歳。兄に拾われたのが二歳で、デュークに助け出されたのが十二歳だと考えると、私は人生の半分以上をゴブリンの中で過ごしたことになる。
私の実家は大きな貴族で、母はそんな貴族としての生活に嫌気がさして使用人の男と駆け落ちし、私が産まれた。
後継が産まれたので私を無理矢理取り返そうとした実家から逃げる為に国を出ようとした際、群れに襲われたようだ。
オヤジ……ゴブリンの父は私の実家で飼育されていた飼育用のゴブリンで、世間知らずだった母がこっそりと逃してしまったらしい。まぁ、そのおかげで私の命は救われたのでその点は母に感謝しなくてはならないだろう。
「そういえばデューク。最近、ゴブリンの被害者っている?」
「ゴブリン自体がどこにでもいますからね。まぁ、お嬢様が心配なさっている地域では極端に少ないようですが……」
「そう、それならいいの」
あれ以降、兄には会っていない。デュークに連れて行かれる時も私は兄に無理矢理に薬を飲まされて眠らされてしまったから。ただ、私に薬を飲ませる時の兄の悲しそうな顔は今でも思い出せる。
目が覚めたら屋敷にいて、すぐに住処に戻ろうとしたけど、地理がわからないんじゃどうしようもなくて、脱走しようにも使用人やデュークに邪魔されてできなかった。実家を取り仕切っている祖母は私のことを孫だと愛してくれたが、そもそも人間は敵だと思っていた私はその祖母に襲いかかろうとまでした。
そのせいで巷では《怪物少女》だの《ゴブリンに操られた悲劇のヒロイン》と呼ばれていた。
物好きな人がゴブリンとの生活を取材しに来たり、学者が私がゴブリンの洗脳を受けているかもしれないと調査しに来たりした。
そんなことに嫌気がさしたので、私は我慢しながら人間の生活に馴染むことにした。テーブルマナーや化粧には慣れなかったけど、一般的な挨拶ややっていいこと悪いことの区別はすんなりついた。言葉もゴブリン訛りが少なくすぐに消えた。
洞窟での暮らしで私の所だけドアやカーテンがあったり、食事が器に入っていたのは兄が私の教育のために用意したからだったのだろう。
ゴブリンなのにどこまで私のためにしてくれていたのだろうか。
今の生活に馴染むまでに時間はかかったが、何度か護衛をつけて兄に会いにいったことがある。
結局、会うことはできなかったが、何故か私の家の家紋を掲げて通るとゴブリンはおろか、他のモンスターにすら襲われないというジンクスが出来上がっていた。
きっと不器用な兄なりの優しさなのだと思い、それ以降は会いに行っていない。たまにデュークに近状や冒険者の噂話を調べさせるだけだ。
「それと、今度のお見合いの件ですが、護衛の人数をもっと増やしましょう」
「護衛の人数を増やすくらいなら恵まれない町の子供たちに食べ物を買ってあげて。スラムの子たちはゴブリンと変わりないくらい卑しくなってしまうわ」
「ですが、お嬢様に万が一のことがあれば」
「まだあなたには勝てなくてもその辺の冒険者よりは強いのよ私。それに、私のお見合いがうまくいけば隣国との戦争も終わるかもしれないのでしょ?」
隣国との戦争。モンスターという脅威がありながらも人間同士で争う行為。
母が貴族に嫌気が差したのも戦争目的が貴族達の私服を肥やすために行われているから、ゴブリンの父が飼育されていたのも戦争で肉の壁にするため。
町に住む親のいない子供たちが他人を襲って盗みをして暮らしているのも戦争のせい。
それを終わらせるためにお見合いをして政略結婚をするのが今の私のやるべきこと。
戦争を終わらせたら私はこっそり書いている優しいゴブリンの本を出版してあの兄に渡したいと思っている。勿論、いずれ産まれるかもしれない子供にも兄の話をしてあげたい。
「わかりました。護衛の数は増やしません。その代わり、お嬢様にはこのデュークがしっかりと付いて行きますので、勝手な行動は謹んでください」
「はいはい。わかりましたわかりました」
「……本当にわかっているのだろうか?」
もっと護衛を増やせばよかった。
周囲の喧騒の中で私は自分の選択を後悔した。
「お嬢様はお下がりください!」
山を越えて隣国へ行く際、黒ずくめの集団に囲まれてしまった。最初はゴブリンやモンスターの群れかと思ったが、やけに統率のとれた動き、それに持っている磨かれた剣。
「まさかお嬢様を殺しにくるとは⁉︎」
剣術に秀でたデュークが言うには相手は隣国の暗殺者で間違いない。倒れた敵の持ち物には私がお見合いに行く貴族の家紋が彫られたものもあった。
「なるほど……私が終戦に肯定派だから殺すためにお見合いを装って誘い出したわけね」
今私がここで死ねばモンスターや盗賊のせいにできる。
そして、お見合いがなくなれば両国の戦争は泥沼化して貴族だけが武勲を立てたり、領民から税金を巻き上げたりできるというわけだ。
モンスターのせいになれば冒険者たちがモンスターの討伐を依頼され、邪魔なモンスターを減らすこともできるだろう。
「ゴブリンよりも人間みたいね」
それに気づかずに嵌った私は道化師といったところだろうか。
デューク率いる騎士たちはみんな手練れだが、相手はいかんせん人数が多い。それに待ち伏せをしていたくらいだから罠の一つや二つはあるはず。
「とにかくみんな!自分の身を最優先に逃げることだけ考えて」
「それは出来ません。このデューク、今度こそは主人を失うわけにはいきません!!」
デュークが嬉しいことを言ってくれるけど、多勢に無勢。騎士たちは数を減らしていき、とうとうデュークまで傷を負った。
「私だって!」
護身用の剣を使って刺客に斬りかかるけど、所詮はゴブリンの中で剣を振り回していただけ。相手を殺すために技術を磨いてきたプロには敵わない。
ついに私の命運もここまでか。
「おい。勝手に諦めるんじゃねェ」
護衛の騎士でも暗殺者でもない第三者が割って入る。
「大人になっても泣き虫なのは変わってないじゃないかよォ」
「ひいぃっ⁉︎ オーガだぁ!!」
それは大きな鬼だった。大柄なデュークと同じ、いやそれ以上に大きかった。
手足も太く、両手剣を軽々しく振り回している。
その配下のゴブリンだろうか。ナイフを手に持って小回りを活かしながら暗殺者たちを牽制している。弓を構えて威嚇するゴブリンもいた。どの個体も真新しい布の服を着て、群れのリーダーであるオーガの指示に従っていた。
突如現れたモンスターの群れに私は警戒するより先に安堵した。
だって、私に声をかけてくれオーガの声は記憶にある声と同じくらいに優しく、腕につけられた装飾品はゴブリンだった彼の首のサイズに合わせて作ったプレゼントだった。
「にーに!!」
「オレの妹を泣かせたのはテメェらか?覚悟はできてんだろうなァ!!」
私が世界で一番大好きな怪物が助けに来てくれた。
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最終話は今夜更新予定です!