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嫌煙男と振られた女

台風○号の影響により、電車の運転を見合わせております……。響き渡るアナウンス、途方にくれる人々。今年も台風シーズンがやってきた。


「まじかよ……」


 横で顔を引きつらせている男を、私はちらりと見た。


「どうする? 五十嵐」

「どうするって、電車が動かないんじゃ仕方ないだろ」


 五十嵐は顔をしかめて言った。ここは空港に直結している駅。頭上の電光掲示板は真っ黒だ。私と五十嵐の周りには、途方に暮れている人々で混雑している。おそらく帰宅難民は増える一方だろう。


「私空いてるホテル調べるから。五十嵐は駅員さんに運行状況聞いてきて」

「命令するなよ、羽柴」


 命令じゃなくてごく普通の提案だけど。


「わかった。私が駅員さんに聞いてくる」


 さっさと歩いて行き、駅員さんに近づく。


「すいません、三時間以内に電車は動きそうですか」

「申し訳ありません、当駅は海辺なものですから、暴風圏内にあるうちは動かないかと」


 おそらく何百回も同じことを聞かれたのだろう、駅員さんは疲れた顔で答えた。仕事とはいえ大変だ。私はありがとうございます、と頭を下げ、空港内に設置された大きなテレビ画面に視線を向ける。


 今度の台風はかなり大きい。しかも、四国に上陸したばかり。進路予想からして、おそらく夜にかけてひどくなるだろう。そして明日は日曜。私も五十嵐も、フライトで疲れている。

 泊まったほうがいい。経験則で私は思った。五十嵐のところに戻ると、彼はスマホを見ていた。


「ホテル、見つかった?」

「徒歩5分のとこにナイスコンフォートってビジネスホテルがある。ダブルで、一部屋なら空いてる」

「ならそこ予約して」

「は?」


 五十嵐が怪訝な顔をした。


「二つ星ホテルだぞ」

「別にいいわよ、寝られれば」

「いいか、日本のホテルは基本的に質が高くて、ほとんど三つ星だ。その中で二つ星っていったら相当ランクが下がるんだ」


 ああそう。私は五十嵐からスマホを奪い取り、予約ボタンを押した。


「何するんだよ」

「早くしなきゃ埋まっちゃうじゃない」

「俺は三つ星ホテルにしか泊まらない。だいたい同じ部屋なんて」

「ああそう、じゃあ私は一人で泊まるから、五十嵐はその辺のベンチで寝れば?」


 私はスーツケースを引き、さっさと歩き出した。後ろから靴音が聞こえてきた。


「くそ、だから日本は嫌いだ」


 彼は、ガラスばりの壁を揺らす風を睨みつけている。海外帰りのエリートさまは台風に対しても偉そうだ。災害に腹を立てても仕方ないのに。私は足元を指差す。


「ねえ、歩く歩道よ。楽でいいわね」

「ふん、そんなもの珍しくない」

「外の景色がゆっくり見られるでしょ?」

「嵐の海を見て何が楽しい」


 嫌味なやつ。私と五十嵐はまったく馬が合わない。五十嵐が右を向けば私は左を向くだろう。なのになぜかよくペアを組まされる。うちの会社はブランドものの食器を扱っていて、よく海外へ買い付けに行くのだが、最近はずっと五十嵐と一緒なのだ。五十嵐はなにせ英語が堪能なので、海外出張によく駆り出される。

 私は食器に対する熱意に加え、独身で身軽なので、スーツケースひとつで何処へでも行く。


 五十嵐健人は私の同期だが、入社試験をスルーして会社に入ってきた。コロンビアだかハーバードだか、なんだか忘れたけどその辺の大学を出ているらしい。

 同僚の女の子たちはイケメンで高学歴ですごいと騒いでいたが、すごいのは五十嵐ではなく大学ではないか。

 私がそういったら、後輩のシホちゃんに苦笑いされた。


「羽柴先輩って男にキビシーですよねー」


 厳しいというか、みんなの価値基準がよくわからないだけだ。顔がいいとか有名な大学を出たとか、そんなことで人の価値が決まるとは思わない。

 それに、五十嵐は嫌味なやつだ。私は優しい人が好きだから、何大出だろうが彼を素敵だとは思わない。


 ──莉子はすごいよ。てきぱきしてるしかっこいい。でも、なんか莉子といると苦しくなる。自分がふがいなくて。


 一か月前。別れたい、の一言もなく、同棲していた彼氏がいなくなった。テーブルの上に、鍵だけを残して。私がぼんやりしていたら、声をかけられた。


「おい」


 腕を引かれ、私はハッとする。


「危ないだろ、足元を見ろ」

「あ、ごめん」


 歩く歩道のおわりだ。五十嵐は眉を寄せ、私の手からスーツケースを取り上げた。


「貸せ」

「自分で持つよ」

「さっきから俺の足を轢きそうでこわいんだ」


 五十嵐は私のスーツケースを引き、エレベーターに乗り込んだ。


 強風に耐えながらホテルに入ると、わっ、と異国の言葉が聞こえてきた。ロビーに集まる団体客を目にし、五十嵐が顔を引きつらせる。


「ぐっ……」


 彼はつかつかカウンターに近づいていき、ばん、と手をついた。


「あの連中からできるだけ離れた部屋にしろ」

「あいにく本日の空き部屋はこちらだけでして」


 ホテルの従業員は困った顔をして205号室のキーを差し出す。階下に近いほどやかましいのはホテルに泊まる上では常識だ。私たちの後ろには、チェックインを待つ客の列ができていた。私は五十嵐を下がらせ、


「わかりました」

「はあ? おい羽柴、勝手に決め」


 私は鍵を受け取り、ごちゃごちゃうるさいエリートさまの腕を引いた。入り口付近に置かれているアメニティを指差す。


「ほら、寝巻きとって。髭剃りはこっち」

「アメニティが部屋にないだと? shit!」


 アメリカ映画みたいな舌打ちをしている。用意してあるだけいいじゃないか。部屋に入るなり、五十嵐が絶句した。


「なんだこの狭さは。兎小屋か?」

「まあ、大きさ的にはね」


 そう思えばうさぎは結構広々とした生活をしているのだな。部屋はクイーンベッドとテレビ台だけで一杯だ。私はスペース確保のため、ベッドの下にスーツを押し込む。


 五十嵐はベッドに腰掛け、スーツの上着を脱ぎ捨てた。ハンガーを手にし、英語で悪態をついている。なによその態度は。私だってあんたなんかと一緒の部屋は勘弁だわ。


「狭い部屋だな……髪の毛落ちてるし」


 まったく、神経質な男ね。とりあえず一服しようかな。喫煙マークを確かめてからタバコを取り出すと、五十嵐が速攻でそれを奪いとった。


「ちょっ」

「俺の前でタバコを吸うな」

 ああ、こいつ嫌煙か。

「わかったわよ……下行ってくる」


 確か、入り口の近くに喫煙所があったはずだ。


「ついでにコンビニに行ってくるわ。何がいい?」

「なんだっていい。どうせ不味いものしか売ってない」


 ああいえばこう言う。私は肩をすくめ、財布を手に部屋を出た。入り口付近の喫煙所へ向かい、タバコをくわえたあと、火を忘れたことに気づく。ため息をついていたら、隣にいた男がライターを差し出してきた。


「使います?」

「あ、ありがとうございます」


 私とその人は、並んでタバコを吸った。彼はタバコを口から離し、


「出張ですか?」


 私はええ、と答えた。


「僕も足止めです。参りましたね」

「今年台風多いですよね」

「仕方ないです、自然災害だから」


 普通の人との会話は心穏やかにできるな。

 自動扉が開いた、と思ったら、五十嵐が出てきた。彼はじろりと私を睨む。


「何よ」

「腹が減った。コンビニに行くぞ」

「私はもう少し一服……」

「早く」


 私は仕方なくタバコの火を消した。なんなのだこいつは。火を貸してくれた人に会釈し、五十嵐とともにコンビニに向かう。店内は、おそらくホテルの客だろう。大量に食料を買い込む人々で混んでいた。五十嵐は驚愕の表情で彼らをみている。私は特に気にせず、お弁当コーナーで足を止めた。


「このお弁当、美味しいわよ」

「こんなものばかり食ってるのか」

「だって、料理作るの大変だし」

「いいか、コンビニの弁当なんて何が入っているかわからないんだ。農薬漬けの野菜、人工着色料たっぷりのウインナー、やたらと固い飯……」


 力説する五十嵐を無視し、私は必要なものを籠に入れて行く。五十嵐は仕方なさそうにパンを籠に入れた。会計の際、五十嵐が手を突き出してきた。


「俺が払う」

「いいわよ、ホテル代出してもらったし、私が」

「いいから」


 彼は籠を奪い取り、なんだこのやり取りは。まるでロマンがない、とつぶやいた。ロマンって何の話。


 部屋に戻り、ベッドに腰掛けコンビニ飯を食べる。五十嵐は死んだ目でパンをかじっていた。よほど安いものが嫌いなのだろうか。


「パサパサする……」

「スープにつけたら?」

「いやだ。離乳食じゃあるまいし」

「ねえ、五十嵐っておぼっちゃま?」

「は?」

「だって理屈っぽいしワガママだし偉そうだし」

「家政婦はいたが普通だろう」


 いや、普通はいないよ。


「親が帰ってこなかった。だから俺の世話を丸投げに」

「ああ、仕事が忙しかったんだね」

「違う。両方浮気してた」


 私はなんと言っていいかわからず、黙り込んだ。


「なんで黙るんだ」

「……だからそんな性格になったの?」

「ああ、精神的苦痛を味わったからな。高校のとき、デイトレーダーで儲けた金を使って弁護士を雇い、両親を訴えて慰謝料を請求した。それからは一人で生きてる」

「ごめん、あんたの性格は多分生まれつきね」


 同情しかけて損した。


「羽柴はどんな家族だ」

「私は普通」

「普通?」

「親と妹。たまに里帰りするし、仲も悪くない」

「それは普通じゃない」


 幸せな部類だ。彼はそう言った。そうかもしれない。腹立つ男だが、少しだけ優しくしてやろうかと思う。


「五十嵐、お風呂先に入っていいよ。私の後じゃ嫌でしょ」

「いい。レディファーストだ」

「なんでたまに紳士ぶるわけ?」

「俺は紳士だ。おまえがレディじゃないだけで」


 ああそうですか。私は着替えを持って、ユニットバスへ向かう。

 ユニットバスから出ると、五十嵐は本を読んでいた。


「何読んでるの?」

「スティーブン・キング」

「怖くない?」

「泊まると必ず人が死ぬホテルの部屋の話だ。うってつけだろう」


 よくそんなの読めるな。しかも原書だし。私が本を覗き込んでいたら、五十嵐が目をそらした。


「……髪を拭け。ベタべタで見苦しい」

「ねえ、五十嵐って海外育ちなのに日本語もうまいよね。どうやって覚えたの?」

「家では日本語だった。親が日本人の誇りがどうとかうるさかったからな」

「へえ」


 よく海外にいく仕事だから、バイリンガルという点は羨ましい。

 彼は手を伸ばし、私の頭をわしゃわしゃ拭いた。


「ちょっと何!」


 五十嵐はふん、と鼻を鳴らしたあと本を伏せ、バスルームに向かった。


 異国の言葉。スーツケースをガタガタとぶつける音。ドンドンとドアを叩く音……廊下から聞こえてくる騒音に、五十嵐が舌打ちした。


「やかましい……」


 時刻は0時。神経質だから他人の気配がすると眠れないんだろう。

 彼はドアを開け、異国の言葉で注意を始めた。何を言ってるかはわからないが、かなり流暢だ。あいつ一体、何ヶ国語話せるんだろう。五十嵐がドアを勢いよく閉めたら、一瞬しんとする。しかしまた会話が再開された。五十嵐がshit、とつぶやいた。

 いつもなら、寝られるはずだった。


 なぜだろう。恋人がいなくなったあの日から、寝つきが良くない。何が悪かったんだろう。一人でいると、そんなことを考えてばかりいる。


 ──タバコ、よくないよ。俺は絶対吸わないな。料理人だしさ、一応。

 そう言われた時やめればよかったのか。

 ──莉子はすごいよな。俺より給料いいし、大学もいいとこでてるし。


 そんなことないよって言えばよかったのか。そんなことで、人間の価値は決まらないよって。

 彼が願ったのは、私が彼よりも「下」だと認識できること。


 私が楽しそうに仕事するのを、彼は嫌がった。好きな人に応援されないのは辛かった。


 涙がこぼれ落ちた。大丈夫、暗いし。静かにしていれば、五十嵐は気づかない。彼が気にするのは騒音だけ。ふと、シーツが音を立て、ふわりと暖かいものが身体を包んだ。


「っ」


 なに、寝ぼけてるの? 私は五十嵐の腕を引き剥がそうとした。すると、ぐ、と力がこもる。


「……何泣いてるんだ」


 掠れた声が耳に響き、私はびくりと震えた。


「泣いてなんか、ない」

 なんでこんなこと。

「嘘つくな」

「嘘じゃな……」


 唇を奪われ、私は目を見開いた。ひっくり返された身体が、シーツに沈む。暗闇の中呆然と、五十嵐を見上げた。


「飛行機の中でも泣いてた」


 うそ。私は慌てて目尻を拭う。


「振られたのか」

「関係ないでしょ」

「泣きやめ。うるさいから」

「だから、泣いてな……」


 また唇を塞がれる。彼は私を抱き寄せ、頭を撫でた。暖かくて、優しくて、私は彼の寝間着に、しがみついて泣いた。

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