87. 救い(巣食い)
往路の一行はそこそこ賑やかだったにも拘らず、復路は妙に皆口数か少なかったことをチャンカは不思議に思った。
中でもフロスギンは常に寡黙なものだが、この時はただ静かなだけに留まらずある種の怖ささえ放っていた。
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「只今戻りました、兄上」
部屋の主に向け、フロスギンが自らの帰還を告げた。
既に時間は夜であり、精霊の入った灯が複雑に揺れながら室内を照らしていた。
そこかしこに里の戦士達が使う武器が整備・調整中のままの姿で置かれ、壁や床に影を投げかけていた。
「帰ったかフロスギン。それで皆無事か?討伐はどうなった?」
フォベルクは工具を持つ手を止め、最も訊ねたいことをフロスギンに問うた。
「全員無事に還りました・・・あの沼の魔物は、正直強すぎたと言う他ありません」
「そうか・・・」
フォベルクが見せる表情確かな安堵はあるものの、「残念」に感じている感情を読み取れない事にフロスギンは気付いた。
続けて帰還したばかりの戦士は布に包まれた背負った荷物を下ろし、縛る縄を解いた。
中からは柄と斧頭に分かれた、使い込まれた業物の斧が一部姿を覗かせた。
「戦闘中に斧頭が外れ、不甲斐ない姿を晒してしまいました」
「その整備を行ったのは私だ。心よりの謝罪をせねばならないな、済まない」
「ええ、それをしたのは確かに兄上です。それ故に不自然なのですよ」
数秒間の沈黙。
精霊の灯の揺らぎがフォベルクの貌を影で隠した。
「貴方は戦士としての一線を退いた後も、現役の戦士達の支援として様々な役目をこなしてきた。中でも装備の調整の完璧さは疑問を持つ者は居ません。当然、決戦に赴く私のこの斧も貴方の手により入念な調整が為された。鋼より硬いものを全力で殴った所で取り付け金具がどうにかなるようなミスを、貴方が侵すとは思えない」
「・・・私が態とやった、と?」
「それを確かめたくてこうして夜分に赴いたのです」
荒野の夜は閑だ。
風もなく、鳴く様な虫も居ない。
「私とて、してはならない時に重大なミスをしない訳ではないよ。それで失くした戦友だって一人二人じゃない」
「それが偶々今回だった、と?」
「ああ、そうだ。斧の金具が折れてしまったのは純粋に私の落ち度だよ」
フロスギンは凍り付いたように黙り込んだ後、一度、自らを落ち着けるように軽く息を吐いた。
「兄上・・・何故、金具が折れたと知っているのですか?私はまだ破損の詳しい状況を話してもいないし、手元で見てもいない。それに私の手にある斧もこの通り、取り付け部分はまだ布から出し切っておらず隠れて見えてはいません」
「・・・!」
「この手の部品の破損は、よくある例だけでもポッキリ折れる他に曲がる、脱落するなど色々なケースがあります。貴方が私に教えた事です。なのに正確に折れたと言い当てたという事は、折れるのが最初から分かっていた・・・つまり折れるような部品を選んでいたか、折れるような細工をしたのどちらかしかあり得ない」
雲が切れ、月光が室内に入り込んだ。
照らし出されたフロスギンの表情は、あたかも可能な限り感情を押し殺したように何も浮かんでいない、冷たい物だった。
「思えば、討伐に赴く我々に貴方が駆けた言葉も、身を案じる物ではあったが勝利のための激励ではなかった。まるで『失敗して無事に帰ってくるのがベスト』とでも言わんばかりに。強くなりすぎた呪沼の囚獣が何を引き起こすのか知らない筈はないでしょう。それ自体が危険なのは勿論、瘴気を引き寄せて一帯を野外ダンジョンにさえもしかねない。少なくともここはプライムオークが棲める地ではなくなるでしょうね」
――どれだけの沈黙が流れた事だろう。
それを破ったのは、フォベルクの方だった。
「・・・なあ、フロスギン。我らが置かれた状況をどう思う?」
「・・・」
「この地は他者を寄せ付けぬ魔境の荒野の奥にあり、追いやられた我々がどうにか生きていける環境ではあるだろう。だが、それだけだ。豊かとは言えぬ実りと貴重な獲物でどうにか食い繋いでいる現状は、言うなればただ死んでいないだけだ。子供の生まれる数もどんどん少なくなり、幼い命は魔境の瘴気が齎す赤風熱で藁屑が風に浚われるように消えていく。始祖より受け継いだ≪闘争者≫としての戦技もいずれ途絶えるだろう」
その言葉には、確かにプライムオーク族の指導者の一人として現状を憂う切実な思いが込められていた。
だが、だからこそフロスギンには受け入れがたいものだった。
「その全ての問題を解決するのに、あれ程強大で邪悪なバケモノにまで育った沼の魔物を使うと?馬鹿なッ!」
「やるしかない、最早後戻りは出来んのだ!砂嵐の通り道には鉄のサボテンしか生えないような荒野などではない、真の安住の地を求めてはならないと言うのか、フロスギン!?我々は瀬戸際なのだよ!滅びの運命に従うか、瘴気を受け入れオークに堕すかの!私はどちらも選ばない。あの怪物を人族の地に放ち、その土地を切り取るのだ!」
「・・・ああ、それがあんたの狙いだったのか」
不意に室内でした少年の声に、フォベルクは常に近くにあった短剣を抜き構えた。
戦いの場からは退いた事を感じさせない、往時の技量の高さや心構えを未だ維持しているのが見る者が見れば一目で分かる鮮やかさだ。
だが、さしものフォベルクでも闇の中から気配もなく人が現れたのには驚きを隠せなかった。
そこにはガメオを始めとして、沼の魔物討伐に加わった面々がスプーを除いて全員揃っていた。
ゾオレの≪姿隠し≫の魔法により完全に消えており、密かにフロスギンの後から続いて全員室内に入っていたのだ。
それでもなお、フォベルクは落ち着いた態度を崩さない。
「父様・・・嘘、だよね?あんな気持ちの悪いバケモノを使ってそんな事をしようだなんて」
娘からの震える声と視線には流石に眉が動いたようだが、それでも使命感と狂気のないまぜになった男は短剣の切っ先が揺るがない。
「プライムオーク族を救う方法は他には無い。あるというなら言ってみるがいい!部外者より無責任に軽い気持ちで『やめろ』と言われて心が動くと思うなよ!」
「あ~・・・興奮してるとこ悪いんだが、アンタのやろうとしてる事はもう無理だぞ」
そう言うとゼタニスは、机の上に大小二つのビンをゴトリと置いた。
貫通したような細長い穴が空いている異状を除けば、フォベルクはそれらのビンに見覚えがあった。
確かに自らの手で、人目を盗んで密かに瘴気の沼に沈めた物だ。
さらにゼタニスの肩にぴょこんと乗ったピンクの小さな塊が甲高く間延びした声で補足した。
「上ニ暴レテイル大キナ魔物ガイル状態デハ、流石ニ沼ノ底カラコレヲ取リ出スコトハデキナイ」
「なっ・・・討伐は失敗したのではなかっのか!?」
「あの魔物は確かに強すぎました。今まで出遭った事が無いレベルで、一人で戦えば万に一つの勝ち目もない程に。世界樹の導きとしか言えぬ彼等との巡り合わせが無かったら、討伐など不可能だった事でしょう」
ここまで畳みかけられてもなおも隙を見せないフォベルクに、全身鎧の金属の足音でヴィリアンボゥが一歩前に出た。
「あー、そもそもだ。どうやってそれを為すつもりだったのであるか?」
その言葉にフォベルクのみならず、一斉にその場の視線が注がれた。
「あの言う事聞かなそうなデカブツをだ、だだっ広い荒野を突っ切って人の地に誘導する手段があるか?仮にあるとしよう。しかしあんな怪物が暴れた後の地が瘴気だらけの魔境になり、貴君の同胞に住みよい土地にならぬ事は想像に難くない。またそんな邪悪なバケモノを使役する連中がいきなり攻めてきて、神聖王国が征伐のために軍の一つも出さぬと思うのであるか?それで里の者達が生き残れると思うのか?・・・吾輩は兵を動かすのは専らにはしておらぬが、この程度の事は分かるぞ」
ヴィリアンボゥの、よく考えると当たり前に過ぎる指摘の数々。
しかしまるで時間そのものが凍り付いたような時間の後に、一行と対峙したままのフォベルクの様子がおかしくなり出した。
短剣を握る手ごと全身が震えだし、表情も混乱のあまり心ここにあらずと言ったのが良く分かる状態だ。
「そ・・・そうだ、確かにその通りだ。何故私は、そんな事が出来るんだと・・・いやそれ以前に、何故にこんな真似をするべきだという結論に至ったんだ?何故、・・・そもそもどうして、このような瘴気の詰まった上に仕掛けのあるビンなどと言う代物を・・・私は持っていたというんだ・・・!?」
その時、ガメオの右手が動いた。
動かそうという意志どころか、無意識の動きでさえない。
背中から魔剣が抜き放たれたところで、右手の持ち主はようやく自身の手が勝手に動いている事に気付いた。
どうやら右手にはまった鎧の腕輪、と言うかそれに宿った意志が勝手にやっているらしいのは一瞬のうちに把握されていた。
だが、ガメオはその動きを止めなかった。
もう一つの異変が眼前にあったからだ。
室内に響く金属音。
フォベルクに振り下ろされた鋭い刃を、ガメオの魔剣が止めていた。
揺らぐ影のような人の形をした何かが、背後からフォベルクの命を奪おうとしていたのだ。
『やぁぁぁぁぁぁっと俺の出番だぜェ、相棒!』
お前やっと喋れたな




