6. 聖剣と魔剣 - 魔剣
―――なぜ人間を連れてきた―――
―――お願い、出来る事なら何だってするから―――
水面で揺蕩う木の葉の欠片の様に頼りなく浮き沈みする意識。
その端で、そんな会話が聞こえたような気がする。
そして少年の意識は再び深い水底に沈んだ。
『―――これが人間の子供の持っていた魔剣か』
『ゴブリンの血が着いてたし重かったし捨ててきたかったんだけど、この剣を凄い力で放さなくって。でもあたしが手をギュッてしたらやっと放してくれてさ。かわいいんだよ?―――どうしたの、お父さん?』
『―――いや、世界樹の導きがまだ道を示すのならばこの剣はあの子供の物となるだろう。その時話せばいい事だ』
『なんにもない時にそんな古臭い言い方するの、長老以外でお父さんぐらいだよね』
娘が亡き母に似て美しい翅をひらひらと揺らした。
そして彼女が連れ帰った、考え得る限りの治療を施した上で薬湯に沈められている人間の少年の様子を見に行った。
命が助かって欲しい所ではある。
中ツ国にて突然の瘴気に当てられ、動けなくなったところを悍ましきゴブリンに襲われた娘の命の恩人なのだ。
しかし娘同様に外からの珍客に興味を持った郷の者たちが入れ替わり立ち代わり見物に来るのは、重い怪我に障りかねないのだが。
遥か昔に中ツ国で冒険者として活動していた男は、傷を負って伏せる人間を数えきれないほどに見てきたのだ。
同時に助かったら助かったで厄介事になりそうだと言う事もまた、やはり同じ経験から導き出されていたのだが。
『―――まさか再びこの剣を目にする事があるとはな―――しかもあのような魔力の欠片もない子供を主と認めているとは、槌を振るった奴に似てどこまでも捻くれた剣だ』
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
闇の底からぼんやりと意識を取り戻していく中、少年は自分の置かれる状況を本当にゆっくりと把握していった。
あたりは草と花の混じったような少しだけ甘い匂いに包まれていて、見上げた見慣れない天井は木で出来た柱や梁に蔓が這い花を咲かせている。
そして自分は何か大きな陶器の容れ物の中でぬるめの湯か何かに浸かっているらしく、また体のあちこちに大小の葉っぱが貼り付けられていた。
葉で保護するように覆われている部分は確か、ゴブリンの剣で斬りつけられ・・・ゴブリン・・・?
「・・・ッうああああぁぁぁぁぁ-----!!!!!」
刹那、ゴブリンと言う頭で浮かべた言葉からフラッシュバックされた数々。
思わず少年は飛び起きて叫び声を上げた。
部屋の入り口や窓から様子をうかがっていた幾つかの人影が、驚き頭を引っ込めたのには気付かない。
そんな中から、軽い足音と共に誰かが飛び出した。
『大丈夫!大丈夫だから!』
今にも暴れ出しそうな少年の頭を、誰かが抱きしめて止めていた。
涙で歪む少年の視界の隅には、虹色の大きな蝶の翅のようなものが揺れていた。
暴れるのをひとまず止めた少年の手が陶器の縁に掛かっている、その上に柔らかい手が添えられ、誰かに抱えられていた頭は放された。
『いやなやつはいない、もう大丈夫だよ』
目の前には少年と同じか少し上ぐらいの年齢に見える、笑顔の少女の顔があった。
その人間離れした綺麗な顔立ちには少しだけ見覚えがあり、頭には蝶のような触覚が生え、感情に合わせるようにようにぴこぴこ動いていた。
『ねえ覚えてる?キミがね、あたしを助けてくれたんだよ』
少年はこの時、全て思い出した。
しかしたった一日のうちに色々な事があり過ぎて、記憶に合わせた感情の動きをこれ以上再現するのを死に掛けからの病み上がりの幼い肉体は拒否した。
万全の状態でさえも受け止めるのは至難な類の、凄惨で濃厚な経験である。
再び疲れと眠気が襲ってきて、少年は目の前の少女の腕の中に倒れ込んだ。
「シィ・・・タ・・・」
『それがキミにとっての大切な人なんだね?―――大丈夫、今はゆっくり休んで。大丈夫だから』
騒ぎを聞いて駆け付けた少女の父親がいつの間にかそこにいて、娘と部屋の外に隠れている者たちに手早く指示を出し始めた。
『薬湯から上げて藁のベッドに移すぞ。体を拭く。衣は―――変装用の人間の物がいくらかあったか。貼り薬葉も替える。傷はほぼ塞がっている、数は半分の半分から二枚引いた数で良い』
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
少年が全快した体調で目を覚ましたのはさらに丸一日後だった。
目覚めた時、背中に蝶の翅を生やした者達に興味深そうに顔を覗き込まれているのにはさすがに驚かざるを得なかった。
妖精は旅のホビットとドワーフぐらいしか見た事が無かった。
そんな妖精族の中でも人間にとってはとりわけ遭遇する機会の無いフェアリー族、その住処である妖精郷が存在し、その入り口が自分の生まれた村の近くにあったという事実は何重にも驚きが重なるというものだ。
『私は戦士長のヴギル。こっちは―――』
『ザアレだよ、よろしくね!えっと―――』
「名前・・・おれの」
父娘らしい二人のフェアリーに名前を尋ねられ、少年は固まった。
何があったか全てを思い出したと同時に、ゴブリンに囲まれて最後に妹が悲痛な叫びと共にその名前を呼んだ事も思い出されてしまったのだ。
急に体の震えに襲われ口を閉ざした少年に、ヴギルは一計を案じた。
『―――ガメオ。これまでの名を名乗れぬのなら、今からガメオと名乗ると良い』
「ガメオ・・・おれの名前、ガメオ」
少年がガメオという、生涯使い続ける名を得た瞬間だった。
ガメオは何度か口の中でその名前を反芻した。
『お父さんその名前、どこから取ったの?』
『―――ザアレが産まれるより前、私の友だった人族の名だ。それよりもガメオ、まずは私の娘を穢れた刃より救ってくれた事―――精霊に誓い感謝する』
『あっそうだ、本当にありがとうね!食べられちゃうかと思ったよ』
食べられるだけならまだマシで、中には生きたまま甚振って反応を楽しむような個体も存在するので質が悪い事をヴギルは知っている。
ただこの場では余計な事なので口には出さない。
『それでガメオよ、これからどうしたい?どうして欲しい?―――娘の命の分の恩は返さねばならぬ』
ガメオの目は、壁に立てかけられた一振りの剣に向けられた。
記憶にあるのとは別の鞘に収まっているが、鍔と柄の形に見覚えがあった。
絶望に落ちた草むらの中で偶然に拾い、ゴブリンを殺し妖精の少女を救ったあの剣だ。
ガメオはこれが魔剣である事を知らない。
と言うか田舎に住んでいては、武器の中でも高価な長剣と言う物に触れる機会は妖精族に会う事の次ぐらいにない。
代官の見回り兵でさえ基本的に村人上がりなので、使い慣れた道具に近い弓や斧、あとは槍を持っている事が多い。
加えてこの辺りは冒険者にとって魅力的な物もなかった。
だが仮にこれが何の変哲もない鈍らの、使い捨てられるような数打ちのシロモノだったとしても、ガメオにとっては間違いなく運命の剣に他ならなかった。
「ヴギル・・・さんは、戦士長って言ったよな?」
『さんは要らない。―――私は確かに、この妖精郷にてフェアリー族の戦士長として剣を振るっている』
「戦士って事は、戦えるんだよな?」
『ああ』
次いでのガメオの言葉は、ヴギルにとっては余りにも予想できたものだった。
その決断が如何に神聖不可侵で、同時に地獄への一方通行と言う側面を持つものなのか知りすぎていたフェアリーの戦士は、ほぼ無意識に姿勢を正していた。
「おれに、剣を教えて欲しい」
予定では魔剣の能力説明とガメオ君初の本格戦闘まで行ってたのに。
これは妖精の仕業だな!