46. 闇の底
「イプロディカ・・・お前は狼の誇りを汚し、禁忌を犯し、同族を傷つけた。ゆえに罰を与えねばならん」
目の前で、重い鉄の扉が閉ざされた。
少年が犯した禁忌・・・それは、灰色狼の氏族でありながら、獲物を獲るのに罠を使った事だった。
少年は、いつも飢えていた。
氏族では狩りと戦の強い物が多くを得られ、あまりにも弱かった彼は残飯のさらに端っこ程度の物しか与えられなかった。
だが、これは氏族にとっては正当な事だった。
少年ほどに弱い者は百年単位で珍しく、彼の能力を鑑み掟通りに分配にした結果そうなるしかなかったのだ。
そして少年は、偶々見かけた人族の猟師の使っていた罠を真似た。
見つからぬよう命がけで観察を続け、不器用な手を使い、必死になって模倣した。
飢えに耐えながらの試行錯誤の末、やがて漸くにして、少年は生まれて初めて自分の手でウサギを狩ることができた。
そのウサギは彼自身の口にも、誰も食べることなく穢れたゴミとして捨てられた。
そして少年は全身打撲だらけになるほどの手ひどい折檻を受けた。
絶望した少年はその日のうちに里を抜け、雨に紛れて匂いを消し森の中に消えた。
やっと見つけた穴倉を自身の塒として、漸く彼は罠を使い自身で獲った肉を口にすることができた。
それから暫くの生活を、彼は後に自分の人生の中でもトップクラスに輝いていた時期として思い出していた。
左腕は骨折したままくっついた影響であまり力が入らなくなっていたが、栄養状態が改善したことで右腕だけでも鍛える余裕が出てきた。
罠を作り、その日の糧を得る。
ただそれだけで生命は充実するのだ。
やがてそんな日々にも終わりが訪れた。
灰色狼の氏族が少年の居所を嗅ぎ付け、穢れた忌み子として討ちに来たのだ。
そんな来るべき時のために準備してきた罠で何人かに後遺症の残る傷を負わせることに成功したものの、一人の命も奪えなかった事は彼にとって反省点である。
以前折檻された時以上に酷い状態で彼が放り込まれる事になったのは、硬く重い扉で閉ざされた≪始祖の胃袋≫と呼ばれる洞窟だった。
罰を与える、という言葉ではあったがそう言う人格の矯正を目的としたモノでは決してないのを少年は知っていた。
≪始祖の胃袋≫の名前は、幼い頃より寝物語に聞き続けてきたのだ。
どうしようもない罪人の魂を殺して浄化するための最後の場所、そう氏族の言い伝えとして誰もが体に刻み付けられている物だ。
ただ腹一杯に食べたいと願い、その願いのままに生きて来た少年に下されたのは、極刑であった。
洞窟の中には光源となるようなものは無いが、魔石が含まれているのか岩壁自体が薄っすらと光っていて視界は確保されていた。
その中央には巨大な岩なのか祭壇なのか判別に困るものが鎮座しており、周囲には獣人の骨が散らばっていた。
さて、おとぎ話なんかで聞いた通りであれば、ここで一晩過ごしたものは獣の神の怒りに晒されそのまま気が狂って死ぬ、らしかった。
しかしどんな恐ろし気なオバケが出るのかと思いきや、いつまでたっても少年の前には何も現れなかったし、それらしき声も聞こえなかった。
そういう類のものは一切感じ取れなかった。
音がしたと思ったらネズミだったので、そのまま捕らえて食った。
余りにも何もないので、少年は、胃の中に隠していた胃液では融けない葉に包んだ小さな種を取り出した。
それは、何種類かの毒草の種だった。
物によっては葉っぱでさえも巨大な化け猪が全身から血を吹いて倒れるものだ、種であればどれほどの威力があるのか。
どうせ死ぬなら誰か殺してから死にたい。
そう思って何とか隠し持ってきたものだった。
外から完全に断絶した空間で時間間隔は麻痺していたが、やがて鉄扉が開かれ近づく足音が聞こえてきた。
―――何という始祖の怒りだ―――
―――これほどの重圧、グリフォンの群れと戦った時でさえもなかった―――
そんな会話が聞こえてきた。
うち一人が傍に寄り、確認のためか倒れていた少年の左腕が掴みあげられた。
少年の薄く開けた視界にその胴体が映ったので、何の感情もなく無造作に、室内で拾った骨の中でも特に尖ったものを突き刺した。
その先端には、毒草の種をすり潰したものが塗ってあった。
獣化しておらず油断もしている獣人というのは、存外脆い。
苦悶の呻きと共に倒れた巨体は、灰色狼の氏族の長老だった。
顔を苦痛に歪め荒い息とともに痙攣し、何かを掴むような手を少年に向けて来た。
やがて顔にある全ての穴から血を噴き出し、動かなくなった。
長老と共にいた男は呆然としていたが、ようやく言葉を紡ぎだした。
それは少年の父親であり、この洞窟に放り込んだ男だった。
「長老!!・・・イプロディカ・・・なぜ、お前はこの場所でそんなに平然としていられる?正気も命も保っていられる!?こんな・・・魂をずたずたに食い千切られる様な始祖の霊の怒りの中に一晩も晒されていたというのに!」
「始祖の霊?ボクにはそんなもの見えないし、何も感じないよ。あんな岩だかでかい糞だか分からない物の何をみんなそんなに怖がってるのか、分からないんだけど」
長老を不意打ちに毒と言う卑怯で卑劣な手段で殺し、さらには偉大なる始祖を侮辱した少年を、男はもはや息子とは思わなかった。
激高と共にその身を体毛に覆われた、獣人の真価である姿と化した。
少年が反射的に左腕を前に出して一歩下がると、鋭い痛みと共に肘から先が無くなった。
どうせもう一度リンチされた事で二度と左腕は使えなくなってしまっていたのだ、悔いはなかった。
その時、無くなった少年の腕は父親に掴まれた状態だった。
賭けに勝った。
千切り取られた腕は、父親の眼前で破裂した。
肉片を飛び散らせて粉々になったわけではなく、中に仕込まれたガスのようなものが一瞬で噴出したのだ。
種から生えた細い糸を思い切り引っ張ると強烈な刺激物をばら撒く植物など、とんでもない草があったものである。
瘴気の影響で魔物化した植物なのかもしれない。
そしてそれは、獣化して極めて鋭敏になった男の顔の粘膜に襲いかかった。
その隙をついてもう一本用意されていた致死毒付きの骨が、その脇腹に突き刺さった。
少年イプロディカは自分の父親が苦しみのたうち回り命を落とすまでを見下ろしながら、やっと自分自身の人生が始まった事を実感していた。
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この洞窟は、あの日全てが始まった≪始祖の胃袋≫に似ている気がした。
違いは部屋の中心に鎮座する巨大な瘴気の球体をはじめ瘴気が満ち満ちている事と、そこにボロボロになって横たわっているのが長老と父ではなく、妹のユプリシアである事だ。
氏族の里を遠く離れて魔王派に入るまで裏街道を転々としたが、そこそこエキサイティングで退屈しない日々であったようには思う。
そして最終的には瘴気の毒杯に賭け、負けたと思ったが意地と根性で最終的には勝った。
「アタシを、殺せ・・・!長老と親父を殺したように・・・毒でも何でも、卑怯で卑劣な手段でも何でも使えばいい・・・!」
『オイオイ、間違うんじゃねェゾ?アイツラはなァ――戦って、負けて死んだんだ。誇りだの仕来たりだのにかまけてサボってる間に、知らねェうちに研がれていた鋭い牙に喉笛をかっ割かれたんだよ。何にせよ正々堂々と戦って死んだ事に変わりはねえ。お前ごときが口出して、それを貶めるような真似してんじゃねーゾ』
「正々堂々と思ってんのは・・・お前だけだ・・・ッ!」
その時、金属がうなる音とともに何かがユプシーの首に巻き付き、そのまま彼女の体をを引っ張って壁に突き刺さった。
それは鎖付きの首枷だった。
魔王派のアジトから逃げる際にちょろまかしてきた魔法道具の便利さに感心しながら、イプロディカは部屋の外に向かって歩き出した。
「待ち、やがれ・・・どこに・・・!」
『あン?決まってんだろ、鍛えに行くンだよ。技を稽古して、適当な魔物をぶっ殺して、肉と魔力を食いに行くンだよ。お前が戦技舎でオトモダチと一緒に精進してた楽しみを俺様も味わって何か悪いか?』
と、そこでイプロディカは足を止めた。
『あァ、殺さねえ理由か?間抜けなお姫様を助けに光の王子様が来た時しゃれこうべと御対面じゃ盛り上がらねーからな。まあいつ来るかもわかんねえが、灰色狼の氏族百年に一度の天才様なら二~三週間飲まず食わずでも平気だろ』
遠ざかる意識の中、ユプシーはアルテアの名を心の中で呼んだ。




