2. 聖勇者アルテア - 2
歴史書を紐解けば魔王との決戦と言うのは、その全てが人類の存亡をかけた大戦と呼ぶのに相応しい規模であったと言う。
どの例を見ても天変地異に等しい戦いだ。
いくつかの国が滅びてしまい、夥しい無辜の民の血が流れるのを避けるのに成功したという記述はない。
それゆえに、勇者の威光を擁する神聖王国も多くの国と同盟を結び、強大にして邪悪なる魔王との最終決戦に備えていた。
だが知らぬ間に今世の魔王の脅威は消え、それらの備えは全て無駄に終わった。
王に連なるアルテアにとっては、言うまでもなく喜ばしい事だった。
手を下さぬまま全ての元凶が去り、理不尽に奪われる命が無くなったのだから。
それでも戦うために生まれ、戦いの力を磨き、「ただ一人の真の勇者」として戦いに生きてきた男としてのアルテアにとっては・・・心の中に燻りの消えない燃えさしが残った結末、と言う側面もまた否定しきれなかった。
よく分からない結末ゆえに大規模な戦勝祭りとまで行く雰囲気はない。
しかし巨悪が消え去った事を皆一様に心から喜び、祝い、日々が過ぎる中やがて魔王の脅威の無い日常へと人々は慣れていった。
金勇者アルテアは王城に勤め出した。
兵の訓練や防衛計画の作成、自ら人員を選んだ専属部隊を指揮しての治安維持や魔物討伐といった任務に当たっていた。
もし予定通りに魔王を討伐していたのがアルテアであったとしよう。
仮に生きて帰ってもその巨大すぎる功績ゆえに国に留まる事は出来なかっただろう。
「王の庶子にして魔王の討伐者」など、政体にとっては神に選ばれた真の勇者という正体と大差ない程度に危険なものだからだ。
実際「勇者アルテアの死」という偽の情報だけ王の口から広く発表してもらい、隠れて国外に出奔すると言う手筈も内々のうちに決まっていた程だ。
しかし、そうはならなかった。
嫡子と庶子をひっくり返さない程度に適度な手柄を挙げてきた「勇者=称号を与えられた冒険者に過ぎない者」という立場であれば話は違ってくる。
今のアルテアに国で役職を与え抱えるのは、言葉を選ばないなら国民に対する人気取りとして悪くないのだ。
また愛着のある祖国のために汗を流すと言うのは、今のアルテアにとっても「魔王と戦えなかった聖勇者」と言う、抜けない小さな棘のような事実を忘れるのにはある意味適していた。
国を出る必要がなくなったからこそ、母の待つ故郷の村に一度凱旋できる機会も得られたのだ。
アルテアの務めは、神が選んだ勇者をして自らの身の上の事を考える暇を与えしめない程度には激務だった。
例えば警備と治安維持に関する情報。
村や町ぐるみで禁止薬草の栽培や悪魔崇拝、敵国のスパイの巣になっている場所などのリストがある。
だが監視できる体制だけ作ってあえて放置している、という政治的意図が理解できないアルテアではなく、また王都から遠い事もありそういった村々に対する直接対応は実質不可能である。
魔王軍戦でズタズタになったそのための監視・情報網の再構築という表に出せない大仕事なども通常の警備、訓練と同時並行で行わなければならなかったりするのだ。
無限とは言わないまでも十重二十重にうず高く積もった懸案事項が、それぞれ複雑に絡み合っている。
剣で斬って魔法で吹き飛ばせばよかった魔物相手の方がどれだけ楽か。
それでも、国民人気と勇者の威光のあるアルテアの隊は一般人の協力が得やすいだけまだマシで、冒険者上がりで素行のいい加減な者の多い一般兵や、居丈高な対応が目立つ騎士など、長年の蓄積により必ずしも武官やその部下のイメージはよくない。
そんな中でも何とか各地の魔術ギルドや個人の魔法使いらに渡りを付け、異変があったら念信魔法によりアルテアの隊の詰め所の受信器に直接手紙を送ってもらうよう、約束を取り付けるのには成功した。
しばらくして、無視できない内容の報告書を受信器が立て続けに吐き出した。
正体不明の敵の襲撃により、僻地にある村や町がいくつも壊滅したと言うのだ。
それらの村は全て王族に近いある大貴族の領地。
だが統治がなかなか行き届かない代わりに租税をかなり免除されているレベルの田舎である。
また、落人や犯罪者を隔離する地という性格もあり治安はそれ相応。
つまりは監視対象の実質治外法権な土地にあたり、組織的な犯罪さえもある程度は目こぼしをするがあまり派手な事をすると締め付ける、という感じで扱われる地域なのだ。
襲撃を受けた村や町は、アルテアの記憶にあるリストと符合があった。
ただの犯罪ではなく、特に魔神絡みや生贄と言った魔法、呪術の気配が濃厚な犯罪を行っている可能性の疑われていた場所ばかり。
神から与えられた直感か、統治者の血に連なるがゆえの聡明さか。
今回の事件の裏にはちりちりと、表面的な惨劇以上に何かとても嫌な、アルテアを駆り立てるものが見え隠れしてならない。
アルテアがその予感の正体に気づくのに、それほどの時間は要らなかった。
治外法権地域とそれほど地理的に遠くなく、にもかかわらず治安は極めて良好な、同じ領主の庇護のもとにある一つの村。
襲撃された村や町と流通などで何らかの関係がないのが不自然なのに、表立っては関係せず極めて巧妙に隠されたルートで繋がりが集中している、と推測される村。
例え構図の工夫された群像画に写る一人を巧緻な油絵の具の細工で隠しても、空いた空白に何もないという不自然さに気づくように、アルテアは答えにたどり着いてしまった。
前王に見初められた母がアルテアを産み育て、今も住む故郷の村こそがその隠された空白だったのだ。
何故?と考える前にアルテアは故郷の村へと駆け出していた。
魔を滅ぼす聖勇者の聖剣をはじめとした決戦兵器などではなく、警備隊の制式装備で剣だけが特別のミスリル合金製という普段の姿のままで、供もつけず。
とは言え部下には勇者の全速力に着いて行ける者などおらず、仮に着いて行けても役には立たなかったろうが。
何故故郷が、呪わしい所業の村々と深く関わっていた?
母はそれを承知なのか?
間違いなく襲ってくる襲撃犯に間に合うのか?
旧き文献にある竜騎士が天を征くよりも疾く、街道を駆け抜ける一人の男。
だがしかし、頭の中を高速で巡る疑問や混乱、焦りで満たしながら走る身にとっては、神の力を得た速度でさえもあまりにも遅く感じられた。
宵闇の中、本来ならば時刻的に見えるものではない地平が紅い光を放っていた。
アルテアにとって、目を瞑っても歩けるほどに子供の頃から慣れ親しんだ故郷は既に炎に包まれ、よく見知った顔の数々が事切れた状態で赤い水たまりに浮かんでいた。
母が前王より与えられ、アルテアの生家でもある一際大きな屋敷もあちこちから炎を吹き上げていた。
女性の腹を一本の剣が貫いていた。
アルテアにとって、女性は生まれた時から知る最愛の存在。
貫く剣は、今まで何度か見る機会のあった魔剣。
肉が裂ける音を伴う鮮血と共に剣を引き抜いたのは、その魔剣と見たのと同じ機会だけ共に魔王軍と戦った男。
「…………ガメオ!貴様あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
アルテアはその男の名を、人生で初めて殺意を込めて口にした。
聖勇者の眼は、ガメオの躰が何か強い呪いに侵されているのをハッキリと見て取っていたが、そんなものは関係ない。
二十歩以上あった間合いなど無いかのような運足から、ミスリルの業物の刃が知覚を置き去りにして閃いた。
だが必殺の剣閃は何もない宙を虚しく切っただけだった。
火の粉とは違う、精霊の力を僅かに宿す光の粒子が頭上から降って来ているのにアルテアは気付いた。
それは、いつの間にか空に浮かんでいたガメオに対し臣下が王にそうするように従う、無数の妖精たちの翅から落ちてきている妖精の粉だった。
二人の名前は名前はアルファとオメガから(安直)
これから一般にあんまり宜しくないとされる、視点と時間軸のぐるぐるが始まります
あ、受信器なるものが出てきてイメージしにくいでしょうが早い話が魔法のファックスです