117. 或る勇者達と言う物語
国王が王都民の前で大々的な演説を行っていた。
それは易々と王都の占拠を許した責を背負う覚悟と、聖剣の勇者三人を含む余りにも大きな犠牲を悼む思い、そしてその末に勝ち取った勝利の宣言と言う内容であった。
如何に痛手を負おうと国民の安心と士気を保つよう言葉を選ぶのは、政の責務なのである。
今回の事件で発生した人的物的被害にも関連し、最後に一つパフォーマンスを兼ねた非常に大きな儀式があった。
大聖堂を中心に温かく包み込むような、それでいて強力無比な光の魔力が溢れ出した。
それは聖女の魔力であり、魔法の素養がない者にさえも肉眼で光って見えるほど力あるそれがドーム状に広がって行った。
以前の深緑の谷での魔族討伐に参加しながらこの場にも居合わせたごく限られた者は、その時の聖女の魔力よりも更に、遥かに強い力を感じた。
戦闘により破壊された石畳の石が一度バラバラになって浮き、再び本来の場所に収まる事で自ら修復して行った。
同時に瓦解した壁などの一部建造物や半壊程度で済んでいた民家など、そして大きな傷を負った城壁も見る間に綺麗になっていった。
ふと、折れた腕に添え木をしていたモリナシのパイ屋の女将が、怪我をした方の腕がやけに熱い事に気が付いた。
「おや、これは・・・私の腕が治ってるじゃないか!動く、痛くない!」
引退さえも頭をよぎる程の怪我が消え去り、彼女は思わず飛び跳ねた。
他にも、軽傷重傷を問わず自身の負った傷が綺麗さっぱり治った事を喜ぶ負傷者の声が次々に上がり、歓声の輪は一気に広がった。
「・・・兄上、これが聖女様の御力なのですか」
「先方からの申し出ではあるが、流石に儂もこれ程とは思わなんだ。だが魔王と戦う神聖王国の役割の一角を担われる事実を勘案すると、さもありなんと言う所ではあるよ。普段から単身にて街道結界を維持しておられるのだからな」
「我等を支えるのはそう言う存在なのですね・・・国王と言う私の立場など飾りに過ぎない、そんな思いさえして来ます」
その会話は、熱狂に包まれる国民たちに届く事は無かった。
生存と勝利を喜ぶように、喪われた者達を忘れないまま過去に変えるように。
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「・・・ふう、流石に疲れましたね」
花の咲き乱れる丘の中心で、少女はそう嘆息した。
陽光の中で不思議に色を変える長い髪、瑠璃色の瞳。
聖女アーフィナその人である。
傍仕えの女性神官戦士が駆け寄り、膝から崩れそうな華奢な体を「大丈夫ですか」と支えた。
たった今余りにも凄まじい魔力の放出現象を目の当たりにし晒されながらすぐ動けるだけでも、十分以上に優秀な人材の証左である。
「大丈夫よ、使ったのは五基の魔力保存器内の魔力だけだから」
それはイオンズに依頼して、古代遺跡から聖域内に運び込んで増設してもらっていた物だった。
王都を修復しつつそこにいる人々を後遺症も無く治す機能は、遥か昔の建国時の設計段階で王都自体に備わっていた。
言うなれば王都自体が巨大な魔法道具なのだが、それを起動して使用出来る程の莫大な魔力は聖女以外に持ちえない。
それも、本来なら命と引き換えの物だ。
だが今は、恐ろしく大量の魔力を貯めて置ける機械がある。
全てフルに満たせば聖女アーフィナ数人分の魔力となり、命を投げ捨てなくとも王都の仕掛けを発動可能なのだ。
とは言え、人の身に余る強大な力の行使そのものに負担がない訳が無い。
くたくたになりながらも、視力はないがあらゆる気配を見通す瑠璃色の瞳が、先日から聖域に住んでいる一人の客人を捉えた。
妖精か獣人かも定かではないのを除けば、見た目の年齢だけならアーフィナとそう変わらない一人の少女だ。
少女カペルが聖域に来たのは、王都の空を覆う不吉な古代の建造物が消え去った正にその時だった。
アーフィナの予知通りに覚醒を果たした聖剣フェアリーブレイドを、何故か携えた勇者イオンズが天空から飛ばされてきて聖域の真ん中に着地し、カペルは彼に抱えられていた。
その時のイオンズは存在が酷く希薄かつ不安定になっており、聖剣を地面に突き刺して「剣とこの娘、カペルを頼む」と言い残し消えてしまった。
彼がそのまま死ぬような人物には思えないが、勝手な人ね、と多少憤慨する程度の感情の動きは聖女アーフィナにもあるものだ。
「・・・すごい、です」
「ありがとう。でも、カペルの方が凄いかもしれないわ」
「それって、どう言う・・・?」
これ以上の会話はアーフィナの体に障ると判断した女性神官戦士の一人がそこでカペルを諫め、打ち切らせた。
身柄の保護は世話係として任ずる形にはしたのだが、そういった教育を何一つ受けていないカペルは未熟以前の段階だ。
だがカペルを指して「凄い」と称するアーフィナの言葉は、紛れもなく本心からの物だった。
アーフィナの予知では、王都が一時的にとは言え邪悪に支配されることも、何代にも渡る勇者が達成できなかった聖剣フェアリーブレイドの覚醒にアルテアが成功する事も分かっていた。
・・・勝利のために取り返しのつかない犠牲が出る事も、また。
しかし、カペルの存在とそれが齎す結果は全く予知になかった。
本当であればアーフィナは魔力保存器の魔力を全て、天の都を無理矢理押し出して再び時空の彼方に封印する用途で使う筈だった。
だがその役目はカペルが果たした。
その為、保存器に魔力を満たすには一月ほど掛かるところをすぐに王都修復を実行する事が出来たのだ。
勇者や魔王と言った聖女より遥かに強大な存在さえも、聖女の予知に現れないと言う事はまずありえない。
そこへ来てカペルの存在は完全に察知の外にあった。
聖女の予知と言うのは見えた範囲においては決定事項である。
理屈の上では誰しもそんな運命を変え得る力はあるものの、それは棒切れで竜を討ち果たすよりも困難である。
そんな未来予知に現れないまま横入りし、さらに覆してしまうような存在・・・それが可能な心当たりがアーフィナにはある。
だが普通に考えてあり得ない事だ、何故なら・・・。
と言ってもこれ以上の考え事は、彼女の疲れ切った体が許さなかった。
これで体を壊しては元も子もない。
イオンズに魔力保存器の増設を頼んだのは、事件の後始末の魔力行使によりアーフィナが命を失わない為だが、単に命を惜しんだと言うのとは違う。
次代の聖女の登場が、未だ予知されていないのだ。
故に簡単に命を投げ捨てる訳には行かない・・・もしかしたら自分の代で、勇者と魔王の因縁を全て終わらせなければならない。
カペルのような存在が現代に現れた事がそれに関係あるのかどうか。
現時点でそれを知る事は、アーフィナの領分を越えていた。
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炎のシグナム、雷のゼタニス、吹雪のイオンズ。
アルテアと共に選定の儀で聖剣を授けられた三人の勇者は、この事件を境に全員が世界から姿を消した。
死体すら残らぬ死に方ゆえに、国葬での棺は全て空であった。
ある者は大いに泣いた。
ある者は静かに偲んだ。
ある者は酒量を増やした。
ある者は勇者たちの死を信じなかった。
ある者は生存を信じようとしていた。
そしてある者は、勇者の一人が生きている事を知っていた。
おんぼろで立て付けの悪い扉が音を立てて開き、所狭しと武具の陳列される店内に外からの光が差し込んだ。
不機嫌そうなドワーフが、来客をじろりと睨みつけた。
「――――ふん、白坊主。くたばり損ないになったのは何度目じゃ?」
「数えるのも嫌になったよ、親方」
目元を革のマスクで隠した白髪の来客の手には、少し遠い地方の珍しい酒瓶が握られていた。
――或る“聖剣の勇者達”と言う物語は、幕を下ろした。
――しかし、彼ら自身の物語は・・・、
・・・肩口からバッサリか、よく生きておるな。
しかしこの女どこから現れた?
・・・命運が尽きねば聞けるか、死にたくないなら踏ん張れよ。
ミノリノニオイガスル。
ミノリノニオイガスルヨ。
ニンゲンカナ?
ニンゲン、ミノリノニオイガスルニンゲン。
ウゴカナイヨ。
ア、スコシダケウゴクヨ。
デモスグトマリソウダヨ。
――未だ、終わりを迎えたわけではない。