116. 蜃気楼は幻と消える
彼の肉体は薄暗い中では最早大型のスライムとも区別がつかない状態ではあったが、それでも右腕と頭だけは全力で保持していた。
水晶球コンソールの操作には必須だからだ。
―――最終コード入力完了。
これで、この都は崩落を始める筈だ。
この大質量がこの高さから落下した時の破壊力は、どれだけになるだろうか。
仕留め損ねたアルテアは逃げおおせるかもしれない。
だが忌々しき王都民の殆どは間違いなく死ぬだろう。
無様なぺしゃんこになって、偶々生き延びても誰も見つけに来ない瓦礫の下で絶望の中でくたばるのだ。
実にいい気味だ。
この目で偉大なる主の降臨を見届ける事は出来そうもないが、やれるだけやってやった。
ふ、ふふ、ははは――――!
――――――?
何故だ?
何故何も始まらない!?
「俺が今の王都を見た時、どう思ったか教えてやろうか?」
オルミスロでなくなろうとしている意識に聞こえてきた声。
それは、聖剣の勇者の中でも最も謎に包まれた仮面の男の物だった。
『イお――ンズうぅ!』
「『これが落ちてきたらヤバイな』だ。最後の手段として取って置きなのは一目で分かっていた。もし最初に使われてたら打つ手なしだった、防ぐ手立てなんぞなかったからな。しかし今はある・・・もう一度その水晶球を見ると良い、オルミスロ」
その言葉にハッとなり、不自由になりかけている首を全力で動かし再び光の走る水晶を見た。
古代後の文字列に、彼の目は見開かれた。
――≪上位者権限により操作は拒否されました≫
『じょウイ、権限、だ、ドお』
上位権限と言う言葉に、見覚えがあった気がする。
だが記憶が解け出しているオルミスロには上手く思い出せない。
何故ただの肉塊にしか見えない自分をイオンズは「オルミスロ」と分かったのかと言う、当然の疑問さえも持てない。
「魔王の尖兵としてベストを選ばなかった理由なら分かる。お前は、人間だからだ。だから自分の手で成し遂げ、憎い相手にそれを見せつける事を優先した」
そうかもしれない、違うかもしれない・・・最早、何も分からない。
分かっているのは・・・それでも、やらねばならぬという事だ。
「実際お前は大した奴だよ。ほぼ独力でこれだけの事をやらかすんだからな。もし敵じゃなかったら素直に褒めるしかない、認める」
やめろ。
それ以上言うな。
まだ私を認めるんじゃあない、是を完遂して初めて私は私となるのだ!
貴様らがすべき事は、本当に惨めったらしく敗北して何も守れぬ絶望の中、私の名を怨嗟と共に永遠に魂に刻み付ける事なんだよおおおおお!
這いつくばれ!
犬みたいに涙と洟を垂れ流して許しを乞え!
俺が貴様らにそうしてきたようにッ!
それがッ!
それだけが、俺を――!
その時、どこからか声が聞こえてきた。
『・・・ますか・・・聞こえますか、イオンズさん!?』
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
怪しげな機械や魔法道具が部屋と一体になった部屋の中心に、カペルはいた。
副制御室に入った二人のうちカペルはそこに留まり、「邪悪な気配を追う」と言うイオンズと一先ず別れていた。
本来の主がどこにも存在しない故に、この都のあらゆる機能に関して現状最高の権限を持つのはカペルである。
それゆえ、ランクの低い端末からも制御は容易だった。
システムが幾つか無理にこじ開けられ、機能の極一部を強引に使用しているのはすぐに分かった。
全く知識が無い状態でこれだけ解き明かし、あまつさえ実際に利用するというのは驚異的な能力と、それ以上に執念を感じた。
しかし、付与された権限と言う身も蓋もない物の前では憐れなまでに、滑稽なまでに無力だ。
まずは自動発動の防御機構を無力化・・・これでイオンズが帰る時にゴーレムから攻撃される事は無くなった。
さらに調べを進める。
(本来とは違うやり方で強引に時空連結をしている。繋げている限り必要以上に莫大なエネルギーを使い続ける状態・・・なら、接続を切断したうえで永久に封じる事も難しくはないわ!)
モニターに、館内の生命反応を示すウィンドウを開いた。
メイン制御室に人間サイズの生命体が二つあるのが見え、その部屋のスピーカーをオンにした。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
『時空接続をタイマー切断設定し、全動力炉を暴走させました!それでこの≪ドミナスヘイム≫は永遠に時空の彼方に封印できるはずです!急ぎ脱出してください!』
ドミナスヘイム、というのはこの天の都の名前だろうか。
この手の古代遺跡に何度も潜り、下手な研究者よりも詳しい自負のあるイオンズにも理解できない言葉の羅列・・・しかし兎に角、この都はすぐにでも封印されるため、巻き込まれぬよう逃げなくてはいけないのだけは十分に伝わった。
「そういう訳だ、お前はもう終幕だ」
消えるように距離を詰めつつ、無念を浮かべる貌さえも融けかけているオルミスロに対し魔力を纏ったミスリル合金の剣が無慈悲に薙ぎ払われた。
だが。
ただ邪悪なだけの肉塊に成り果てようとしたその物体が、瞬時にブワアッと膨大な魔力を放出した。
それは自壊する肉体の中で起こった単なる反応か、それとも意地や妄執さえも超えて行使した最後にして最大の攻撃か。
激しい爆発が発生し、地面に突き出すドミナスヘイムの尖塔を轟音、噴き出す煙とともに都本体から切り離した。
落下する建物の中に居ると、そこでは重力の消失した空間が生まれる。
爆心地付近に居ながら無事だったイオンズは仮面の奥の魔眼に魔力を込め、瞬時に状況を把握した。
まずカペルの位置を把握。
また尖塔内にある強力なエネルギー体は都に幾つもある物と同質であり、動力炉とかいう物の一つだろう。
暴走させた、と言う事は・・・これが王都に落ちれば、全て崩落する程ではないにしろ大惨事は免れない。
壁跳躍を繰り返し、副制御室内で気を失うカペルはすぐに見つけた。
少女の体を抱えたイオンズはミスリル剣を壁に投げつけた。
「≪空滅≫!」
対象を消滅させる空間魔法により壁に穴が空き、室内の空気が勢いよく流れ出すのに任せイオンズはカペルと共に外へと飛び出した。
だがここからどうする。
・・・否、手はある。
イオンズの魔眼は、一本の聖剣が完全な覚醒を果たしたのを捉えていたのだ。
少女の体を左腕で抱え、自由な右手は宙を掴むように伸ばす。
「来い・・・【フェアリーブレイド】」
――気絶する勇者アルテアの傍らにある聖剣フェアリーブレイドが突如として光を放ちつつ浮き上がった。
空で起きている異変に引き続いての余りに突然の事に、光を固め作った様な聖剣がその事態の中心の空に飛び去るのに反応出来た者は居なかった。
数秒の後、義手であるイオンズの右手の中にその剣はあった。
しかしまるで拒絶するかのように魔力のスパークをバチバチと迸らせており、それはアルテアが振るう時には無かった現象だ。
「今のお前は俺を知らないだろう・・・だが、お前を俺は本当に良く知っている。分かるだろう?だから今は・・・ただの一振りでいい、力を貸せ。今の主を失いたくないのならな」
その言葉に呼応するように、スパークは完全にではないが収まった。
イオンズは落下途中の巨大な尖塔に、魔力に満ち満ちる切先を向けた。
地上からも、その光景は見ることが出来た。
天から落ちて来た構造体らしきものが爆発と共に完全消滅し、同時に空を覆っていた都が大きく波打ってそのまま消え去ってしまったのを。
後には、雲一つない抜けるような青空だけが残された。