114. 真なる力
「これで止めッ!」
両手を合わせた金色の抜き手が亜魔族の胸を貫通。
そこから左右に開くことで邪悪そのものの肉体は引き裂かれた。
それを青白く燃え散るのを背景に、貴族然とした一人の男がその少女に訊ねた。
「助かったぞカペルよ。しかしこの金色の、神装兵・・・か?この形はいったいどうした事だ?それに、お前のその姿は・・・」
タウルキアスは、たった今カペルに助けられた。
そして姿も戦闘力も自分が知るモノと明らかに違う神操兵らしき機体、それと共に現れた少女カペルの姿について疑問を口にした。
カペルは姿を人に変える指輪を敢えて外し、種族の分からない本体の姿を現していたのだ。
額の角に獣人ともエルフともつかぬ耳、フェアリーのような五枚のアシンメトリーの翅、肌のところどころにある鱗や美しい体毛。
カペルは空に浮かぶ不気味な構造物を見上げながら、答えた。
「私のやるべき事が分かった、と言う事です」
「やるべき事だと?・・・あの空の妙な街を何とか出来る、と!?」
「私の知る通りなら、あそこまで行けさえすれば手立てはあります。肝心の行く手立てがないですけど・・・」
その時、一人の人物が二人の前に歩み出た。
いついかなる時でも白い金属の面で目元を隠す銀髪のその男を、聖剣の勇者の一人と知らぬ者は神聖王国の王都には存在しない。
「む、イオンズ殿か。この状況で今まで何処に居たのだ?」
「今まで王都に帰って来れなかったのは言い訳のし様もない。代わりと言っては何だが、妙な鎧を付けた魔物の気配は分かる限り掃討したとは思う」
「・・・あの霧でおかしくならなかった事は怪我の功名、か。これ以上の追及はすまい。それよりもだ・・・この娘の話を聞いてはくれないか?」
タウルキアスは、イオンズにカペルを紹介した。
神装兵に命令を下す妙な力や、上空の街も何とか出来ると主張している事も含め。
じっと話を聞いていたイオンズだが、彼が反応するよりも先にタウルキアスが先程まで指揮していた兵隊や冒険者たちが我慢できず口を挟んだ。
「待ってください。そのおかしな娘は敵の手下ではないのですか?」
「そうだ、見てみろ!特にその角、魔物か魔族かもわかりゃしねえ妙な姿じゃねえか!本当に信用できるのか、この場で殺した方がいいんじゃねえのか!?」
彼等は妖精族や獣人族など多くの種族の混じったカペルの姿に対し敵意、と言うより不安を口にした。
さっきまで王都を蹂躙せんとする亜魔族達と戦っていたわけだが、それは霧で認識をいじくられて神の使いの如く思っていた神装兵がいきなり化けたものだったのだ。
金色に光り形も違っているが神装兵らしきものを連れた種族不明な者を見て、疑心暗鬼になるなという方が無理である。
カペルはそれらの声に敢えて反応は見せなかった。
イオンズは顎に手を当て数秒ほど考え、口を開いた。
「分かった、このカペルと言う娘は俺が見ていれば安心だろう」
「見ている、とは?カペルは空の上のアレに向かおうとしているのだが・・・まさかイオンズ殿!」
「俺一人の魔法ではあそこまで行くのは無理だ。だがタウルキアス殿は地系統に加え魔法陣術を得意としていたな?助力があれば娘一人とこの金のゴーレム風の物を連れて跳躍するのも難しくはない」
そのような事を事も無く言う、それが聖剣の勇者。
アルテアに限らずとも彼等は皆そうなのだと、タウルキアスは自身との違いを思い知らされたような気がした。
「・・・少しばかり準備の時間が要る。しばし待たれよ」
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『意外な展開ではありますが――私が一番厄介と思っていたのはガルデルダ殿下、貴方なのですよォ!研究者として心より尊敬申し上げておりました!そして未熟な勇者諸共御機嫌よォォォォォォォォウ!』
オルミスロが広げた両手に、心の弱い者が見たなら発狂する程の瘴気と魔力が集中し大気をゆらゆらと歪めた。
同じ札を使っても防ぎきれない、とガルデルダは瞬時に見切った。
だが動かない。
最強の魔力を持つ最強の勇者に、絶対なる信頼を寄せていたからだ。
否、信頼と言うよりも明日も太陽が東から上る様に、鳥が低く飛べば天気が悪くなる事の様に当然のものとして知っているのだ。
しかし、圧力の前に心身のじりじりと焦げる思いがしない訳ではない。
(アルテア・・・お前なら、出来る!)
その思考を遮るように、長く伸びた致死性の瘴気を纏い二枚のギロチンと化したオルミスロの両腕が、振り下ろされた。
・・・応えよ、【旧き約定の剣】!
恐るべき光量と共にガルデルダの背後から放たれた何か。
広がる速度は速くはないが、≪浄化≫とも違うそれにより鋭い瘴気の刃が津波の前の木片か何かの様に呑み込まれて消え去り、全く勢いを減じずオルミスロに襲い掛かった。
反射的に飛び退こうとした彼の足を、何かが引っ張った。
それは魔法金属の太い鎖だ。
ヴィリアンボゥがせめてもの抵抗に放ったものが、上手い具合に・・・魔人にして人造魔族の男にとっては不幸な事に・・・左足首に引っ掛かったものだ。
次の瞬間、力の奔流に飲まれるオルミスロ。
『ぐ、がああァァァァァァッ!』
それでも、すぐに力の届く範囲から全身を包む煙と共に飛び出した。
力の中心と思しきアルテアから百m以上離れた地点に何とか着地したオルミスロの左膝から下が、無かった。
退避のために自ら切断したのだ。
右脚一本で立つオルミスロの前で、更なる異変が起こった。
アルテアのあたりから大量の赤い光が飛んで来たのだ。
数えきれない程に殺到したそれは、火魔法の≪火矢≫だった。
数だけでなく一撃ごとの威力も高位のマジックユーザーのそれだ。
タイミング的に避けられないが、防ぐ事は出来る。
だが、問題はそこではない。
(同系統魔法の多重使用、だと!?それもあれだけの数!)
同系統同士の魔法の同時使用は、一人の術者では絶対に不可能だ。
オルミスロもそれを可能とする研究にそれなりの情熱を費やしたが、成果どころか手応えさえも無かった分野である。
それが、無数の弾幕で放たれている。
瞬時に張った魔力障壁がズドドドドド、と無数の衝撃に揺すられた末に砕け散り何発か命中を許したが、ダメージは最小限に抑えた。
しかし息を吐く暇はない。
足元がいきなり砂となって「ドウ」と割れ、呑み込まれたのだ。
地系統魔法の≪砂化≫だが、ちょっとした谷程度の規模でそれを発動するなどどんな大魔法使いや、昔の勇者の文献に遡っても聞いた事が無い。
何とか翼で飛翔して谷底から脱出するも、轟音と共に左右から迫る砂の壁に加えて頭上からの無数の魔法の乱打が浴びせられた。
炎に石礫、風の刃に雷と数だけでなく種類も多種多様、それらを避け、掻い潜りあるいは直撃を耐え、砂の谷が閉じるより前にオルミスロは何とか上に出た。
そこで、音も無く首を背後から薙ごうとする刃を紙一重で躱した。
『ッ!!!!』
身を翻すと、玲瓏たる白銀の光に身を包んだ何者かが飛翔していた。
それは、聖剣の勇者アルテアであった。
それまでを遥かに越える魔力、いや存在力。
力の出所は、オルミスロの知識にもない魔法的、いや教会の古文書にあるのに似た神聖なる文字が刀身に光って浮かんでいる聖剣なのは間違いない。
『――く――くく――素晴らしい!そしてなんとも忌々しい!それが神が聖剣の勇者に与えた、真の力か!』
「御託はいい、お前はここで滅び去れ」
普段の屈託のない少年のそれとは違う、冷たい目と声。
それはあたかも慈悲無き神罰を描いた宗教画の様だった。
呼応するように、オルミスロも強力な瘴気を全身から吹き出した。
角や爪が伸びるのをはじめ肉体のフォルムがより邪悪な、魔物じみた物にミチミチと変形していき、左脚も再生させた。
僅かの対峙の後、両者はそこから消え失せた。
否、通常では視認不能な速度で移動したのだ。
断続する衝撃音に、炸裂した魔力の気配が混じる。
何度目かのそれと同時に、空中にアルテアとオルミスロが聖剣と爪を交差させ、競り合っている状態で現れた。
両者はまた離れ、黒い閃光と七色に縒り合された魔法が干渉し合い、幾つもの魔力爆発を起こした。
それを目にする者達の、理解を超える光景だ。
彼等は声も出せず呆然として、だが目は見開いてそれを見ているしか出来なかった。
眼前の戦いは壁画として伝説に残る様なものなのかもしれない。
だが、頭も感覚も追いつかない。
人が人として踏み込んではいけない領域なのが、優れた戦士であればあるほどに分かってしまうからだ。
キルゾーンに半歩でも入ったなら、命の保証はない。
「そうだ・・・それこそが聖剣と宿命に選ばれし【聖勇者】よ」
ガルデルダの呟きは誰に向けた物でもなく、また誰にも届かなかった。
その怒りとも悲しみとも、自嘲ともとれる表情に気付く者もいない。
しかし神代の如き決戦の中で、虎視眈々と諦めない者が唯一人。
必殺を期した聖剣の突きが、オルミスロの左胸を貫通した。
そのまま光の魔力を込めれば、邪悪なる存在と化した肉体は塵と化す・・・だがその前に、聖剣の柄を握る少年勇者の手首をオルミスロの両の手が鷲掴みにした。
手を通して流し込まれる強大な瘴気に抗う為、聖剣まで殆ど魔力が回らない。
気を抜けばどちらかが一瞬で爆散する、そんな均衡が作りだされたのだ。
『ヘドロを啜ってでも諦めなかった私とォ!ヌクヌク守られ生きてきた栄光ある勇者様のォ!我慢比べと行こうかアアアアア!』
「ッッ!!ぐ、ああああああああああ!」
オルミスロは、未だ未熟なアルテアの精神的な脆さを見逃さなかった。
この聖剣の真の力は、ただ単に存在するだけで邪悪なるものにダメージを与える程に光の魔力を増すのみならず、同系統を含む魔法の同時使用を可能にする究極の魔法発動体と言う点にもある。
それを発揮させず単純な力比べ、我慢比べに持ち込むのが最も勝率の高い作戦だと彼の頭脳は結論付けたのだ。
そして敢えて隙を見せ突きを誘う目論見は成功し、この状態に持ち込んだ。
・・・計算違いがあったとすれば、アルテアの底なしの魔力と言う才能。
ドン、と胸に響く様な爆発音とともに弾かれたのはオルミスロの方だった。
ゴロゴロと転がったその肉体は、左腕丸ごとを含む胴体の一部、そして右腕の肘から先がゴッソリ無くなった状態であった。
傷口はすぐに青白い炎を噴き上げた・・・が、魔人オルミスロはもはや人としての原形も留めていない貌でにやりと嗤った。
――――勝った!
力を使い果たしたアルテアが、その場で気絶して倒れたのは見えている。
一方、自分はこうして立っている。
後は止めを刺すだけだ。
魔力を碌に練られない状態の肉体に鞭打ち、それを可能とする瘴気の黒球を口元に作り出した。
これを射出すれば、全ては――――終わりだ!
刹那、魔族化した肉体の中を幾条もの冷たい線が通り抜けた。
「今、『終わりだ』とか思ったろう?」
いつの間にか、オルミスロの背後に一人の男が居た。
神聖王国騎士団長にして、人類最強の男と呼ばれるラムザイル。
その姿勢は、愛剣デスブリンガーを振り抜いた後の形をしていた。
「こっちの台詞だよ、クソ野郎」
ラムザイルは血を払うように、一度だけデスブリンガーを振ると、体勢を自然体に戻した。
直後、オルミスロの肉体に直線が走った。
邪悪なる夢、いや妄執を形にした肉体は、生じた線に沿ってバラバラになってその場に崩れ落ちてしまった。