112. アビス・ドラコ
地響きか破砕音か、そういった物が綯い交ぜになった轟音が辺りを支配していた。
背丈ほどもある巨剣を携えた男が土煙の中から飛び出し、それを追う様に小山のような黒い巨体がサイズ感を無視したような速度で現れた。
粘着質の殺意をドラゴンじみた形に固めた様なその魔物は、見る者に「邪悪」と言う言葉を想起させずには居られない。
「クソッ、ばかでかい癖にチョコマカと!おまけに無駄に賢くてやがる」
そしてその賢さは、敵と戦うと言うよりも、牙や爪を人の血で染める歓喜を味わうために使われている。
建物よりも巨大な肉体を躍動させ、誰かの命を苦痛や絶望と共に奪うのに成功するごとに、人の目には表情など分かりにくいはずの竜の貌に醜く浮かんだ笑みが、背筋に怖気を走らせるのだ。
光沢のある鱗の上に赤い筋が走る尾が振るわれ、通りに面した建物を三つほど纏めて吹き飛ばした。
既に区画丸ごと瓦礫と化しているが、ラムザイルはヴィリアンボゥと協力しどうにか他に被害が広まらぬよう押し留めていた。
機械風のハンマーから伸びた鎖分銅の横殴りが邪獣の首を僅かに揺るがしたが、とてもではないがダメージらしきダメージは見て取れない。
幾人かの勇者を含む冒険者や騎士、兵隊達に加え怒りに燃える工房街のドワーフ達も戦いの為に集まって来ていた。
しかし牽制一手さえも命懸けな程の戦力差はどうにもならない。
流石に歴戦の戦士達だけあり「これ以上踏み込むと持って行かれる」ラインは厳守しているが、それも少しづつ人造の邪竜アビス・ドラコに対応されている。
「せめて王都の城壁の外に叩き出せれば、周囲とか足場とか考えねえで思いっ切りぶっ飛ばせるんだがなぁ・・・!」
「それを易々とさせてくれる奴ではあるまい!」
また二人には気になる事もあった。
アビス・ドラコは未だに肉弾攻撃しか使っていないのだ。
これでも災害の如き暴威となってはいるのだが、イミテーションとは言えこれだけの魔力を持つドラゴンであるならば、炎や雷、はたまた見た目通りに瘴気のブレス程度使えない方がおかしい。
しかし邪悪な擬竜そのものならざる身には、ただ単に使えないのか、それともより深く絶望を与えられるタイミングを計っているだけなのか推し量りようが無い。
とは言え血気に逸りそうなドワーフ達も、アビス・ドラコの放つ重圧に対し特攻出来ないでいるため結果的に戦線が膠着し、ある意味ラッキーではあった。
「卑怯だぞこの黒トカゲ」などと罵声は飛ぶのだが。
ラムザイルに一旦任せ、負傷者を下がらせていたヴィリアンボゥの足元にコロンと小さな石が投げ込まれた。
ただの石ではなく、屑石ではあるが魔力の煌めきを秘めた魔石だった。
その魔石が、女の声で喋った。
『辺境監視武官のヴィリアンボゥ殿とお見受けします』
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
「ラムザイルよ!奴を城壁の外に出す作戦がある!瘴気が強く集まっている二番通りの広場まで奴を誘い込むのだ、あとは何とかする!」
「よくわからねえけど、やりゃあいいんだな!?」
如何に超人と言えど、ゴールの見えない中で延々と戦い続けると言うのはのは精神をすり減らす行為なのだ。
そこへ小目標が提示された事で、彼の動きは俄然良くなった。
丘丸ごと一つが人食いの化物の如き存在を唯一人で翻弄できる程に。
剛腕を掻い潜ってのデスブリンガーの一撃が牙の一本をへし折った。
砕かれた歯だけで人の肩から指先ぐらいまでの大きさはあった。
「オラオラ隙だらけだぞ?」
「ヴヴォアアアアアアアアアアァァァァァァ!!!」
続いての、両手で顔をムニュッと広げて舌をレロレロさせる子供でもやらない様な挑発にアビス・ドラコは賢さを捨て切った様に怒り狂い、ラムザイルを追い始めた。
その時にはもう歯茎から、新しい牙の先端が生え始めていた。
程無く、アビス・ドラコの撒き散らした瘴気が何故か他よりかなり強く、そこだけダンジョン並みの濃さで溜まっている広場まで辿り着いた。
美しかった建物は破壊し尽くされ瓦礫の山に囲まれており、ランドマークとなる戦乙女の像に往時の面影を残す程度となっていた。
ここから大門までは一直線ではあるが、それでも相当に距離がある。
さてどうするんだ、とラムザイルが思っているとアビス・ドラコの尾に鎖が巻き付き、先端ががちゃりとロックした。
鎖は丁度大門の方向から長く伸びてきており、始点にはヴィリアンボウがハンマーを支持して踏ん張っていた。
のみならず冒険者や兵、ドワーフ達も彼女とハンマーを支えるような形で集まっていた。
使える者は≪加重≫や≪固定≫などの地魔法を使い、また支えると言う単純な動作の為人によっては≪身体強化≫も使用可能で、さしものアビス・ドラコも多少足を取られるような動きになった。
それでも門までは遠く、そこまで引っ張れるような力では無い。
「ここからどうするんだ」とラムザイルが考えていると、知っている女性のよく通る声が聞こえてきた。
「伏せていてください、騎士団長」
声は瘴気溜まりの中心からだった・・・しかし、野生の勘を持つラムザイルがそれに気付けなかったのは驚くべき事だ。
実際彼も一瞬驚きと共に目を見開いた。
声の主である炎の勇者シグナムの気配は良く知るところなのに、第一声まで誰かいると言う事さえも分からなかったのだから。
さらに驚愕すべき事に、駆け出した彼女を中心に空間内に渦巻く大量の瘴気も丸ごと動き出したのだ。
ラムザイルは反射的にアビス・ドラコから飛び退いて転がり、そこに地面に腹が直接つかない対爆発系魔法の姿勢で四つん這いに伏せた。
「≪浄火・虚爆鱗≫!」
ダッシュで黒い巨体の下に潜り込んだシグナムを中心に、大爆発が起こった。
強烈な轟音とともに発生した衝撃波は、ちょっとした砦位のサイズがあるアビス・ドラコの肉体を空高くかち上げた。
そうして支えの無くなった肉体を、魔法の鎖が容赦なく巻き上げた。
「どぉっっっっっせええええええええぇぇぇぇぇぇい!!!」
魔法の鎖に引っ張られた巨大な黒い竜の躰が空に描く軌跡は、延長すれば王都の城壁を軽々と越えるものだった。
途中で鎖が外されヴィリアンボゥ達が背中側に転がり、アビス・ドラコの軌道は完全な放物線となるもそれは変わらない。
だが、そいつは足掻いた。
より広く開けた場所でこそより有利な敵の存在を、また空気抵抗と激しい重心移動で軌道が変わり得る事を翼持たぬ身で知ってか知らずか・・・その甲斐あって、城壁を胴が越えたタイミングで前股の爪が壁の上辺を掴めそうになった。
人であれば「残ぁ~ン念だったなあ!」あたりの科白でも吐くであろう、凄まじく醜く歪んだ笑顔。
掴んで体が止まったと同時に今まで温存していた猛毒のガスのブレスを放とう、とアビス・ドラコは考えた。
それは肉が腐る恐ろしい物だが、抵抗力が十分にある者には効果は無い。
しかし、そんなもので終わるような代物ではない。
大きく開かれた口腔から、瘴気を多量に含むガスが噴射・・・だがそれは、不意の下からの強い衝撃と共に一瞬で止まった。
城壁の上に、備え付けとは違う巨大な魔法仕掛けの弩砲を上に向けた老ドワーフが居た。
黄鉄の指、という一人のドワーフの名はアビス・ドラコの材料となった人々であれば知っていた可能性はあった。
「ミスリルと精霊銅のクォレルじゃ、少しは効いたじゃろクソが!」
黒い擬竜の首に深々と刺さったそれは、短矢と言うより馬上槍程のサイズがあった。
衝撃力はブレスを止めるのみならず、禍々しい爪が城壁に食い込むのも阻止するだけの威力があった。
そして黄鉄の指親方の隣には、紫電を纏う聖剣を構えた一人の男。
「年寄りの冷や水を止めようとしたのは余計なお世話だったな」
「ハン、言ってろ餓鬼が。お主はお主のやる事をやれぃ」
「やるさ。あンだけでかくて空中で身動き取れない的には、取っときの必殺魔法だって目を瞑っても当たるってモンさ。つーわけで親方、眩しいから目ェ瞑ってな!」
―――≪雷光穿≫!
雷を束ねた眩い閃光が、聖剣から真っ直ぐに伸びた。
この強力極まるゼタニスオリジナル魔法であるが、荒野で戦った狂獣を一撃で仕留める威力は無かった。
そしてアビス・ドラコはそれよりも強大だ。
だが偶々ではあるが現在、その首には黄鉄の指親方の放ったミスリルと精霊銅のクォレルが突き刺さっている。
それを通して中から灼いたならば、その殺傷力は如何程か。
命中と共に爆発が起こり、更に巨大な重量物落下の土煙で暫く何も見えない時間が続いた。
それが、晴れた。
「・・・まあまあ、効いてやがるってとこか」
首元で中から爆ぜた様な痕があり、広範囲の肉を鱗ごと吹き飛ばしていた。
煙とスパークは全身から噴き上がり・・・貌には、これまでにない激しい憎悪が浮かんでいた。
だが万全で動ける状態では流石に無いようで、呻き声を上げながら脚をガクガクとさせながら立っている有様だった。
一方ゼタニスも前回同様、すぐには動けない状態になった。
ふと、城壁内の王都側から阿鼻叫喚の叫びが聞こえた。
先程までアビス・ドラコと戦っていたうち三人程の急に体が燃え上がったようなのだ。
「ブレスを浴びた者に回復魔法を使うな、発火するぞ!」と、そんな怒号交じりの言葉が聞こえてくる。
「ッ――――!なんちゅー性格の悪いばけものじゃ!アレを完全に撃たせちょったら――――!」
さて取り敢えずのプランの通り、アビス・ドラコは城壁外に叩き出された。
しかしここから先どうするかなど、ラムザイルが周囲を考えずに暴れてそれ以外は遠距離から援護ぐらいしか無い。
流石に行き当たりばったりが過ぎると言う物だ。
その時、燃えていた者達が大きな魔力の発生と共に鎮火した。
のみならず爛れていた肉体も時を巻き戻すように癒されて行く。
只の回復魔法ではあり得ない、麻痺や栄養ゼリーの補助なしの強力な回復は、悪質な罠の仕込まれた毒のブレスにも有効だったようだ。
それを行った人物は続けて≪風≫の魔法で城壁の上に登り、疲労と痛みを取る回復魔法をゼタニスに掛けた。
「・・・いつぞやとは少しは面構えが違うかな」
「そんな事自分じゃ分かりませんよ、ゼタニスさん」
まだあどけなさのある彼は、今度は城壁外にふわりと降り立った。
伝説の一幕の様に、光の魔力を聖剣に漲らせて。
「邪悪にして哀れなるアビス・ドラコ。私の眼には、お前がどう生み出され、どう在るのか見えている。その苦しみを、この――勇者アルテアが、終わらせる」