108. 黒い雷
閉ざされた扉を斬り倒し、大聖堂の中に突入したアルテアとシグナム。
ここは神官戦士として修業を積んだアルテアにとって思い出深い場所であり、選定の儀で聖剣を引き抜いたのも昨日の事の様だ。
しかし今、往時の面影は見る影もない。
そこは凄惨な戦場の痕となっていた。
神装兵と化物たちが暴れ出した正にその時に聖堂内に居た神官戦士は、逃げられなかった信者達を守るために最後まで戦い、そして散った様子が手に取るようにわかる。
そして現在、生きる者の気配はここに感じ取れない。
「・・・!聖剣が、無い!?」
シグナムが指をさした先は、普段聖剣が安置されている場所だ。
大神像の掲げた手に当たる部分に、常在魔力で空中に浮かぶ形で4本の聖剣は置かれているはずなのだ。
そこには現在、何も無かった。
無いものを召喚できる道理もない。
アルテアとゼタニスの2本の聖剣は召喚されそれぞれの手元にあるが、他の炎と吹雪の2本はどこへ行ったのか。
イオンズは不明だが、少なくともシグナムは聖剣を喚んでいない。
加えて、死体の中に高位の聖職者が一人も見当たらないのも気になる。
「・・・考えるのは後ね。まずは地下に行くしかない」
「ええ。地下の≪双天儀≫の所に何かがあるはずです。ひょっとしたら敵の首魁も」
だが、そうスムーズには行かせてくれる気はないようだ。
更なる神装兵と化物達が、正門や窓から勢いよく侵入してきたのだ。
「チッ!アルテア、早く行って!」
シグナムのその言葉に素早く反応し、アルテアは壇の後ろにある隠し階段を開く仕掛けに飛びついて魔力を流し込んだ。
重い石の引きずられる音と共に、扉が開いた。
「任せました、お気を付けて!」
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その古より伝わるアーティファクトの本来の用途は誰も知らない。
ただ現在は判明している機能の一部を使い、聖女の魔力を神聖王国中の街道結界に分配する役割を果たしている。
空中に浮かぶ二つの半透明の球体、その周囲をゆっくりと回る多数の複雑な金属の輪・・・決して狭くはない地下空間の中央に陣取る巨大なその姿は、古き魔法文明の神秘を現代に伝えていた。
そして、球体に取り付くあからさまに生物的な異物。
アルテアは気合とともに飛翔すると、その異物を魔力を込めた一撃で一刀両断。
バチン、と弾けるような音と共にそれは消滅し、双天儀と呼ばれるアーティファクトを流れる魔力の違和感が完全に消え去った。
パチパチパチ、と白々しい拍手。
『流石は最強の勇者と名高いアルテア殿。見事な剣捌き、感服するよ』
「!」
双天儀の台座のさらに奥、闇の中だったところに幾何学的な光が灯った。
魔導装置と思しきものが並ぶそこが、声の発生源だった。
双天儀を巡る魔力が阻害していたため勇者の眼でも見えなかったそのローブ姿の声の主に、アルテアは覚えがあった。
「・・・宮廷魔術師、オルミスロ・・・!」
『御名答。栄光ある勇者殿は記憶力にも優れる様だ』
何故貴方が、という問いに先んじて遮るようにオルミスロは続ける。
『まさか、分からないとは言わぬよなあ?今この時、こんな場所にいると言う意味が』
「全て貴方の仕業なのか!?王都を覆う霧も、空に浮かぶあれも、神装兵や化物も!」
『そうだと言ったら、どうする?』
嘲弄する返答とほぼ同時に、光を纏う聖剣がローブを切り裂いていた。
アルテアの右手にあった僅かな手応え・・・しかし次の瞬間、オルミスロの姿はその場から掻き消えてしまっていた。
『全く酷いじゃあないか。分身体じゃなかったら死んでいたところだよ』
「待てッ!お前はどこに居る!」
『外に出て頭上を見給え。慌てなくても、私はそこだ』
「頭上だと?まさか・・・!」
『遊びは終わりだよ、勇者君』
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その男は、呻き声と共に血を吐き膝を突いた。
「ぐ・・・千分の一程度しか存在率を置いていない分身でこのダメージのフィードバックか・・・!流石は・・・我が主の仇敵と言っておこう」
王都の頭上に居座る幻の都。
その地上に向かい、逆さに突き出した尖塔の先に当たる部分の内部に魔人オルミスロは居た。
一度に一体しか出せない分身魔法は研究者たる彼のオリジナルであり、分かたれた両方ともが本物と言う特殊な性質を持つ。
双天儀乗っ取りを含む膨大な準備のために地上に送っていたのだが、既にそちら側はダメージが完全に来る寸前に消滅させた。
なのにオルミスロの胸には横一文字の焼ける刀創が深々刻まれている。
極限まで薄めていた分身の存在率にギリギリで消した事実を重ねると、ざっと本来の二千分の一程度の損傷と言った所だろう。
つまりアルテアの聖剣の直撃はこの二千倍の威力と言う事だ。
ああ、そうだ。
それが彼が戦う聖剣の勇者という存在なのだ。
オルミスロはニヤリと笑い、左手を胸に当て傷に沿って動かした。
小さな青い炎とともに傷が消えると立ち上がり、最早知る者も居ない古い言語のパネルを何やら操作した。
魔法金属の装置が並ぶ部屋の床が開き、大小二つの物がせり上がった。
一つは見上げるような巨大な肉塊。
もう一つは透明なケースの中に入った、掌大の黒い塊だ。
オルミスロの手はケースを透過し、黒い塊を掴んで掲げた。
王都を霧で包み、王都民の精神を操り、信仰のエネルギーを集めたのは全てこの時のためだ。
忌々しい勇者共が妨害に来なければそのまま行使していた。
しかしそれは希望的観測に過ぎ、実際奴等は来た。
とは言えあそこまでの抵抗を見せて来るとは思わなかったし、騎士団長のラムザイルに至っては天から一方的に鏖殺する兵器のはずの慈悲の雨を訳の分からない方法で逆に破壊してしまった。
その結果として、予定していたよりも若干エネルギーが足りない。
せめてあと一日あれば・・・だが、今こそがその時であると決意した以上オルミスロに躊躇いはなかった。
「顕現せよ、偉大なる我が主の力!」
迸る黒い雷。
それは魔人オルミスロの目の前に座る肉の塊を激しく貫き、また尖塔の先端部分から眼下の王都にも降り注いでいた。
―――同じ瘴気にて変異するものでも、単なる魔物と魔族の違いは何か。
それは長らく数多のの研究者達のテーマであり、また同時に今に至るまで答えの無い問いでもあった。
しかし善用すれば人類史に残ったであろう真の才能の前に実際に魔族へと変化したサンプルが現れた事で、彼は答えに辿り着いてしまった。
魔王由来の十分な瘴気を浴びて魔族となった者は『魔族の核』とでも呼ぶべき特別な結晶を持つ。
これこそがただ単に魔王の影響が強いだけの魔物と、魔王の眷属としての魔族という知性ある強大な存在を隔てる物だ。
この魔族の核を使っての変異実験は、通常とは違う手応えがあった。
そしてもう一つ重要なのが、魔族変異へのプロセスだ。
獣人の男は一度ドロドロのスライムになってしまい、然る後に獣人型の魔族となった。
また南方の少数民族が儀式で作り出した際は、衣を重く染め上げる大量の血を変異する本体とする事でやはり「一度元の人としての姿形を捨て去る」と言うのを踏襲し、オルミスロの考えを裏付けていた。
彼が捕らえた二千人もの魔王派は、素体としての適性が見られなかった五百人を怪物化を仕込んだ傀儡として、千人は精神を持ったまま肉体が融解する仕掛けを施した神装兵の中身、そして最も適性の高い五百人は肉塊の素材となった。
王都から集めた膨大な精神エネルギーを魔族の核を通して浴びせられたそれらは、すぐに異常な変化を開始した。
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「な、何だ今の雷?バケモノが爆発して燃えちまったぞ」
「あっちの神装兵もだ。俺達・・・勝ったのか?」
そう恐る恐る確認し合う、王都の死守に参加していた二人の兵士。
だがそうでない事は、立て続けに起こった悲鳴と魔獣じみた鳴き声によりすぐに分かってしまった。
空からの黒い雷は、王都中で暴れる神装兵や破裂しそうな筋肉の化物達を正確に狙って打ち据えた。
神装兵の大半、加えて神装兵でない方の化物の全ては完全に死んだ。
だが生き残った神装兵は、全身に濃密な瘴気を立ち昇らせつつ装甲の表面に黒い血管のような模様が走り、中から何かが膨れ上がる様にメキメキと変形しを開始した。
やがて王都のあちこちに、異形の怪物が機械的な鎧を着た様な姿の何かが顕れた。
次いで、天から巨大な肉塊が降下して来た。
それは落下しながら中から膜を破り、着地すると轟音を上げた。
土煙の中から立ち上がったその姿は、王都の民からは黒くぬめるような表皮を持つ翼のないドラゴンのように見えた。
『人工的に作り出した、魔族であって魔族でない存在だ。私は≪亜魔族≫と呼んでいるがね。エネルギー不足分予定よりも少なくなったが、それでも50体残った。アビス・ドラコと名付けたその竜も加え51体だ。ではせいぜい足掻いて見せてくれ給え』
嘲る様な空からのその声は、王都中に響き渡った。