105. 魔人はその時を待ち焦がれる
魔人オルミスロが人間だった時の事だ。
彼は自身の才能を認めない人間社会全体にも強く不満を持っていたが、とりわけその矛先は貴族と言う存在に向いていたものだ。
魔法研究に対し、パトロンになるのは基本的に貴族だ。
実利はあるが魔法発展に寄与する名誉という側面がやや大きく、平民の商会は確実性の低いこれにはあまり金を出さない。
魔術ギルドに入るにしても大抵の場合その資金元の相当な割合を貴族が担っており、彼らに睨まれたらギルドは立ち行かなくなる。
必然的に貴族が忌避するような人材も、ギルドでは入会を断られる事になる。
男の魔法研究の先進性は、世の常識と比べて一人の人間が生まれ孫が出来る程の年月に相当する開きがあった。
のみならず、成果の為なら倫理を無視するきらいがあった。
ゴブリンのような魔物ならともかく買ってきた犯罪奴隷相手に実験と称し、台に固定して切り刻みまた繋げるような所業に眉を顰めない者は居ない。
誰にも理解されない理論、そして半端に成果を上げて名を得てしまった故に付いた悪名で、魔術ギルドへの所属は門前払いされてばかりだった。
或いは、犯罪組織や闇ギルドであれば彼を受け入れたかもしれない。
しかしそれは彼のちっぽけな矜持が許さなかった。
正義感ではなく、あくまで表の世界で称賛されたいのが男の望みだった。
それが彼の生きる道を狭めたのは皮肉と言う他ない。
やがてその恨みは、自身を認めないばかりか転落の切欠ともなった貴族と言う存在そのものに集中する事となった。
時を経て、彼は名や顔を変え人間さえも辞めて表に戻ってきた。
男は見る間に出世し、今や宮廷魔術師団副団長兼魔術参謀と言う立場を得た。
そしてようやく見つけた真の主に王都と最強の軍勢を奉げる大願を実行に移し出した今、その仮初の栄光に最早用はない。
王都住まいの貴族は面倒だから全て処分するつもりだったが、その段になって人間時代の恨みつらみがムクムクと顔を上げた。
見つけてしまったからだ。
傀儡となった魔王派を使い攫い集めて来た王都の貴族の中に、嘗て男が転落する直接の原因となった一人の女を。
その伯爵令嬢は、男が理想的な実験素体として盗賊団に誘拐を頼んだが結局未遂に終わった相手であった。
この事件を持って、男は実家から一切の支援も無い義絶をされたのだ。
そして当時は幼かった彼女も今では結婚し、幸せな家庭を築いていた。
普段は夫の領地に居る彼女が王都に出てきたタイミングと言うのは、一体何と言う運命の悪戯であろうか。
もっとも運命ががどうのと言うのはオルミスロの勝手であり、結局実行にも移されず計画があった事実も握り潰された誘拐の対象にとっては知った事ではないのだが。
――ただ殺すだけでは飽き足らない。
――だがこの人数の貴族に苦痛を与えて殺すのには人手が足りない。
――傀儡となった元魔王派どもには言われた事しかこなせない愚鈍な知性しか残しておらず、そんな知的に高度な作業には使えない。
――しかしせっかく捕まえたのだからどうせなら僅かなりとも有効活用しよう。
そしてオルミスロは地下牢にて自ら、偉そうで反抗的な貴族を何人か選び惨殺した。
伯爵令嬢本人は敢えて手に掛けなかった。
昔実験素体として注目した期待通り、その強いマイナスの感情は良質なエネルギーとなった。
そしてこの地下牢は、王都全体で『天帝様』などと言う出鱈目な神への信仰を収集するのに比べ若干効率のいい恐怖のエネルギーを集めるプラントとなった。
多少は足しになる程度ではあるが、ギリギリの食料を置いていれば勝手にエネルギーを生み出すので放置しておいても良い。
最低限の警備だけ残し、オルミスロの関心はそこから外れた。
そして現在。
――王城から何者かの≪信号弾≫が上がった。
――先程見失ったドブネズミ共が地下牢の貴族共を確保した合図だろう。
――だがここからどうするつもりだ?
――人質はそこにいる貴族だけじゃあないぞ?
――街に紛れ込ませた魔王派や堂々と歩いている神装兵は、私の命令一つで王都民の虐殺を開始するのだからな。
――さあどうする?
――居るのは分かっているんだぞ、忌まわしき聖剣の勇者めが!
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
王城の上空に上がった≪信号弾≫の閃光と魔力の波動に反応し、アルテアは素早く聖剣の封印帯布を解いた。
鞘はないため、神々しい刀身がすぐに顕れた。
光の魔力の込められた切っ先が黄金の軌跡を描き、宙空に「光」を意味する魔法文字を作り出した。
既に姿を隠蔽する必要はなく、たまたま近くにいた王都民はその美しい剣舞のような姿に目を奪われた。
聖剣を通して増幅された凄まじい魔力が、所有者の思い描いた魔法発動のための強大な力の奔流となって上空に放たれた。
「≪大浄化≫!」
王都の上空、天穹に居座る逆さ都との間に遮るように、もう一つの太陽が出現したような巨大な光が出現した。
神装兵の出す人を狂わす煙は、≪浄化≫の魔法により消し去って無効化できる事は既に何度も試し確認している。
火や雷などでも霧は破壊可能な様だが、一番効率がいいのは≪浄化≫だった。
それを今はただ只管に大きく発動させる為に、勇者としての手加減なしの魔力と聖剣を駆使している。
――しかし。
(くっ、王都全体までは行き渡らない、か!?)
そうアルテアが判断し掛けた時だった。
王都を囲う城壁の外側に、≪大浄化≫とは別の強力な魔力が発生した。
(これは、ゼタニスさん・・・ラムザイル騎士団長・・・あと一人分からないけど、かなり強い人がいる!)
勇者の眼が捉えたその三人程の気配を中心に、更に魔力が膨れ上がった。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
「あのアホみたいな魔力と規模はアルテアの魔法か!良く分からんが、何でもいいから何かでかい魔法をぶっ放せ!」
「何かって・・・なんすか!」
「考えがある!ゼタニスよ、確か雷魔法には威力度外視で兎に角広範囲に広がるものがあったな!それを聖剣を使って放つのである!」
「・・・分かんねえけど、3、2、1で撃つぞ!何かやるんならちゃんと合わせろよヴィリアンボゥ!3、2、1・・・≪電網≫!」
雷の聖剣の先から、紫の細いスパークが無数に迸った。
雷系統の中でも殺傷目的の攻撃手段として使われる事は殆どない、威力の低い魔法だ。
敵を一瞬痺れさせたり、返ってきた手応えで見えない場所を探ったりと言う目的などの為に使用されている。
聖剣を範囲拡大の為だけに使って放たれたそれは、アルテアの≪大浄化≫程ではないが上空をかなりの広さに渡り覆った。
ヴィリアンボウは空の≪電網≫に向け、砲撃モードにしたハンマーを向けた。
「フォースチャンバー・コンバート:ライト・・・≪浄化砲≫!」
光の魔力が砲口から炸裂し、≪電網≫の作り出す線に同化して空まで駆け上った。
そして放電の終端に達すると、無数の炸裂となった。
それは一つ一つが≪浄化≫の魔法に近い何かとして働き、霧を猛烈な勢いで掻き消していった。
ヴィリアンボゥが光魔法を使えたという記憶が無い点についてラムザイルに聞かれると、彼女はこう答えた。
「ハンマーの機構で吾輩の魔法を光系統に変換しているのである。流石に何割かは目減りするがな」
それは、魔法を学問として究めんとする人がそこにいたらどれだけの衝撃を受けるか分からない何気ない一言だった。
とは言えラムザイルもゼタニスもそこまで学問に浸かっているわけではなく、この場は「そんな事も可能なもんなのか」で終わったのだが。
「それよりも俺達ばっか働かせてないで、旦那も何かしてくださいよ」
「ああ、それもそうだな、っと!」
ラムザイルは≪身体強化≫を発動させ、城壁に向かって駆け出したかと思うとその勢いのまま二本の足で駆け上った。
壁に対して垂直ではなく斜めに走り、張り出しに当たるとそこを蹴って反対側にまた斜めに駆けた。
それを何度か繰り返して上まで達すると、「うおりゃあ!」と言う掛け声とともに周辺に僅かに残っていた霧が衝撃波の様なもので散らされた。
掛け声の発生源は城壁を移動し、その先で次々に霧を晴らした。
「・・・ホント思ってたのと違う事しかしねーな、あの人は」
「それより吾輩等も行くのである。今なら壁を越えても騒ぎにもならぬ」
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
「やはり貴様が来ていたか、アルテア!」
巨大な光の塊が王都を覆う霧を灼く様を見ながら、オルミスロは怒りか歓喜か分からないもので表情を歪ませながら叫んだ。
アルテアの側はオルミスロの事など印象にも残っていないだろう。
目立たぬ様に振る舞い、その様に認識される魔具を常に身に着けていた。
魔具の出力自体極限まで微弱になるよう工夫し、勇者の眼さえも欺ける物を作り上げたのだ。
だがオルミスロはアルテアの事をよく知っている。
真の主にとっての不倶戴天の仇敵以外に表現できぬ相手なのだ。
具体的に行動を起こし始めたのは、魔王の覚醒が近付いた最近になってからだ。
ゼタニス追放を最も強く進言したのはオルミスロだ。
ラムザイルを始末すべく時空魔法で狙撃したのは、オルミスロの命を受けた魔王の影だ。
シグナムはフォーリムが執着しているので任せ、ある意味最も厄介なガルデルダは猜疑心と用心深さの為近付けない。
イオンズに至っては危機感のセンサーと言うべきものがアルテア相手以上に働き、手出しを諦めざるを得なかった
そう言った小細工的な工作は、結果的に全て失敗した。
やはり直接叩く以外に倒す方法はない、と言う事だろう。
(ノイズを発する浄化の光が切れたと同時に命令を下す!王都にある神装兵千体、傀儡にした魔王派千匹が一斉に手当たり次第の攻撃を開始するのだ!メインディッシュ前の前菜程度だが、貴様ら勇者には十分な絶望となる事だろう)
オルミスロは自らの手で起こす殺戮劇の開演を今か今かと待ち焦がれていた。
彼にとって一秒一秒がこれ程長いのは、買い与えられた器具で生まれて初めて魔石の色を変えるというシンプルな魔法実験を行った時以来であった。