97. 霧の中
目測で全高4mから5m程度のそれは、アルテアが神官戦士見習いとして習ってきた記憶中によく似た物があった。
現代の技術では作れない、古代遺跡のゴーレムだ。
背中からもくもくと何かの煙を噴き上げながら重い足取りで歩く様子は見ようによっては神秘的ではあるが不気味さ、異様さの方が勝っていた。
さっきまでは霧の強力な妨害の為か勇者の眼でもその存在を捉えられなかった。
しかし今なら、アルテアが生まれた時から持っている最高クラスの魔眼はその中までもハッキリと見通していた。
(中に・・・人がいる!?)
勇者の眼は魔力やマナ、生命力に瘴気と言った魔法に関係しうるエネルギーであれば遮蔽物の向こうにあっても大抵の物は見える。
生き物、特に人間や魔物と言った存在もそれで感知可能だ。
感情など現在の状態も凡そ感知出来るし、良く知る相手なら個人や個体の見分けも付く。
そしてあの巨大な鎧の中にいる人間はアルテアの知らない誰かで、加えて眠りの中で心地のいい夢を見ているような状態に見えた。
だが見るべき所はそれだけではない。
巨鎧には従者の様に人間の兵士が二人程付き従っており、それはアルテアともある程度面識がある王都警備兵だったのだ。
「≪祝福の霧≫がやけに薄くなっているな。まさか外からの侵入者か?」
「にしては何も見当たらないな。≪神装兵≫様が霧を癒すのだけ見て、あとで念のため報告だけ上げるとしよう」
(何だ・・・一体あの二人は何を言っているんだ?)とアルテアが思うのも無理はなかった。
神装兵とか言うゴーレムじみた物体の後を歩いて見回りをする様子が、まるで長らくその仕事に従事してきたかのように慣れたものだったのだ。
二週間前に城門でアルテアを見送った彼らは、そんな任務に就いたこともなければ神装兵や祝福の霧なる妙な存在にも関わりなど無かったはず。
魔法で身を隠したまま帰還する彼らの後を追おうと言う方針を一旦は決めたアルテアだったが、それはすぐに破綻してしまった。
『お前達は戦士か?』
突如として一人の人影が、神装兵と見回りの兵の前に立ち塞がったのだ。
珍しい蒼い髪をしたその人物は、魔法文字と思しきものがびっしり入った大振りな剣を殺気と共に構えた。
鞘などなく、恐らくは≪収納≫か・・・人には自在に使えぬはずの。
兎に角その瞬間アルテアは息を呑み、思わず魔法の隠遁が解けそうになった。
いつ登場したのか全く分からなかったのだ。
霧に巻かれている間は魔力感覚も勇者の眼も全く効かなかったため、神装兵達には気が付かなかった。
だが外からなら魔法的ジャミングはある程度貫通可能で、霧が薄い現在はやろうと思えば1km四方のリスの数だって数えられる。
それが、あの闖入者には全然気付けなかった。
「何だ貴様、侵入者か!怪しい奴め!」
『いいから答えろ・・・強き戦士か?』
警備兵の一人は抜刀、もう一人は背中から折り畳まれた槍を取り出し鮮やかにジャコッと伸ばして見せた。
言動などの様子はおかしいものの、その技は間違いなく神聖王国軍で高度に鍛え上げられ洗練されたもの。
だが、最初の一太刀を交わす前に勝負が決しているのは彼等にも分かっていた。
蒼い髪の剣士の放つ圧倒的な雰囲気に呑まれながらも何とか構えを取る、そう言う状態だった。
神装兵の巨体は僅かにその剣士を見たような身じろぎをしただけだ。
『強者ではない・・・が、戦士か。いいだろう』
黙して座していれば結末は明白。
故に・・・アルテアは、勇者としての己に従った。
次の瞬間、激しい金属音と共に蒼髪の男の剣は止められた。
『!・・・ほう』
「ここは私に任せて退け!」
横から飛んできたアルテアに一撃を防がれた事に、蒼髪の下に赤く光る瞳に興味の色が浮かんだようだ。
正面から相対して初めて、その顔には手にした剣同様に怪しげな紋様が走っているのが見えた。
年の頃はアルテアと同程度か・・・人間ならば、だが。
「いや、しかし」と僅かに逡巡を見せた警備兵達だったが、流石に判断が早く数秒のうちに「誰かは知らぬが感謝する!」と踵を返して離脱を始めた。
誰かは知らぬが、とは・・・やはりアルテアの事も記憶にないのだ。
予想はしていても心に寸毫の細波も立たぬほどには年若い勇者は鈍感ではなかった。
時間にして一瞬もない、対峙者に生じたその意識の隙間を蒼髪の男は衝いた。
「グハッ!」「ご・・・ぁあ!」
妙にぬるりとした退歩と同時に剣を持たない方の手が横に振るわれたかと思うと、苦悶の声と同時に命が急速に萎む気配をアルテアは感じた。
魔術的な文字が刻まれた投擲用の短剣が、全力での退却を始めた二人の兵士の見るからに急所と分かる部位に突き刺さっていた。
神装兵の胸の装甲にも短剣よりは長い針状の物が生え、膝を突いて崩れた。
中にいる何者かの肉体まで貫いているのが勇者の眼で見えてしまった。
「貴様ァッ!」
声を荒げ激しく斬りかかるアルテアだが、荒ぶっているように見えて頭は冷静だ。
蒼髪の男が短剣を飛ばしたのは確かなのだが、どのように出したのかが全く分からず油断ならないと認識し警戒したためだ。
振るった手に瞬間的に魔力の揺らぎが生じていたので、それで何かをしたのは間違いない。
だが仮に≪収納≫魔法だとしてもそもそも人間に使えないのは横に置くとしても、あそこまで鮮やかに何かを取り出すのは妖精族の優秀な使い手でもそうそう出来ない筈だ。
そうでないなら他の場所から召喚しているのか無から瞬時に生み出しているのか・・・いずれにしろ只事ではない能力なのだけは確かだ。
そしてそんなものがなくとも、この表情一つ変えない男は強い。
しかし激しい剣戟は、十合も無いうちに終わった。
『お前は強き戦士のようだ・・・が、求める者ではない』
一足一刀よりも長い間合いに離れたタイミングで男はそう残し、霧の中に溶け込む煙の様に消えてしまったのだ。
「待てっ!」
無意識に魔法的な打撃力を込めていた少年勇者の叫び声は近くにあった木を揺らしただけで、応える者は既に居なかった。
アルテアは兵士二人を見た。
完全に命が抜け落ち、手遅れだった。
・・・だが。
膝を突いた神装兵の中にある命の気配は弱ってはいたものの、手当てが間に合えばどうにか無事な水準に留まっていた。
刺さっていた針だか槍だか分からない者は男が失せたのと同時に消えており、その部分に穴だけが残っていた。
アルテアにはこんな物の開け方は分からないので、ミスリルの剣に魔力を込めると中の人型の気配を避けて三度、鋭く振るった。
胸の装甲が三角形に斬れ、地面にどかっと落下した。
「・・・!」
中には、色素が薄く儚げな気を失った少女の姿があった。
薄衣にのみ身を包んだ姿は凄惨な腹からの出血さえなければ煽情的にも見えるが、目を引く部分はそこではない。
額に生える鬼種の魔物の様な角。
一部のエルフ族ぐらいしか持たない筈の、美しく緑掛かった髪。
獣人族のように毛に覆われているものの付いている位置が人間と変わらない不思議な耳。
体の所々に僅かに生えたリザードマンか魚人、或いは竜の様な鱗。
そして、背中に生えた蜻蛉の様な翅は左が二枚、右が三枚と言う歪な生え方をしていた。
この世の物とも思えない異形の融合したその美しさに、見惚れるのと驚くのに一瞬思考を支配されたアルテアだったが、気を取り直して回復魔法の準備に入るまでそれほどの時間は必要なかった。