93. 黒の女王
≪フォーリム―――貴女は、女王となるには優しすぎた≫
ダークフェアリーとなって以来普段は夢など見ない、それ以前に殆ど眠る事もないフォーリムは、久しぶりにうたたねの夢から覚めた。
それは妖精郷から離れた一団を率い全員ダークフェアリーになることを決めた後、妖精郷に残った女王メニャーンから一度だけ声を受け取った時の夢だった。
当時、隠れ住むために一時的に作った住処にどこかから投げ入れられた魔石にメッセージが込められていたのだ。
『ッ―――何だってこんな時に、あの女の夢なんか!』
フォーリムはそう語気を荒げたが、現在彼女の置かれている状況がその時と似ている以上むしろ自然なのかも知れない。
その頃フォーリムの一団は妖精郷から離反したお尋ね者だった。
ダークフェアリーに堕ちてでも本懐を果たそうと言う先鋭化した彼女たちはどこにも寄る辺が無く、全ての妖精族から狩られる立場になっていた。
何とか妖精の耳目の網を掻い潜り人族の街を襲い、一度は全員ダークフェアリーとして受肉に成功はしたものの、結局はその場で一人残して全滅した。
今でこそ魔王の瘴気を武器に使えるフォーリム一人で全フェアリーに対するメタ的存在ではあるが、この致命的な敗北が無ければ今の様に天秤の均衡する余地すらも与えなかったろう。
ダークフェアリーの数を力として本懐とて遂げていたに違いない。
しかし優しすぎるとは何なのか、と彼女は夢の内容を反芻した。
どう見ても自分は傍から見て悪逆非道の狂った女じゃないか。
フォーリムは現在、魔王派の正気の生き残りをどうにか集めて隠れていた。
―――あの時と同じように。
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話は神聖王国王都からゼタニスが追放され、次いでシグナムも任務のために離れた直後まで遡る。
この時王都内における魔王派のアジトへの一斉捜査が行われ空振りに終わったが、言うまでもなく王宮内に人知れず巣食っていた魔人・オルミスロの手引きである。
絡繰りは実に単純で、捜査前日のうちに王都に居た構成員全員がオルミスロによる「誰からも警戒されなくなる認識歪曲の指輪」を装着して堂々と正門から出て行ったのだ。
言うまでもなく、配られた指輪はそんな生易しい代物ではなかった。
それは、王都に居た千名近い魔王派の構成員たちが一度バラバラになり、予め決めていた秘密のアジトに集うまでの数日間を掛けてゆっくりと精神を侵食する仕掛けがあった。
更に王都近隣に潜伏する魔王派にも集合を掛けるとその数は二千に達した。
斯くしてオルミスロは殆ど労さず多数の完全な傀儡を手に入れる事に成功した。
だがもともとパトロンの一人兼錬金術師として名前も顔も出さず魔王派に与していた存在―――正体はオルミスロである―――に以前から強い疑念を抱いていた一派が百名ほど居り、彼等は王都からは離れたところに潜んでいた。
フォーリムは、彼等とともにあった。
「・・・何と言う事だ、あの男は魔王派が現在の形になる前から糸を引いていたのか!?」
その書類が偶然発見されたのは、放棄されたアジトを再び探った時だった。
だが人払い結界があるとは言え捨て置かれていると言う事は、オルミスロにとってどうでもいい情報と言う事でもある。
『へぇ―――私を引き入れたのもコイツの差し金っぽいわね。まー魔王の瘴気を大量に持ってこれるヤツなんて他に居ないでしょうけど』
フォーリムの魔力は、妖精郷の女王の一人に相応しい規模がある。
その魔力を持って≪収納≫を体内に作って応用する事で、魔王領の瘴気を何とか人の手で使える鱗粉の形に出来ていたのだ。
そんな魔王派にとって最重要人物のはずのフォーリムだが、オルミスロにとっては今や彼女さえもどうでもいいように見える。
いやむしろ、用済みとばかりに排除しようとしている。
『私の力がなくとも魔王の瘴気を確保できるようになった?それとも別の何かが―――』
彼女の思索は中断された。
瘴気を受け入れダークフェアリーへと変異した彼女だから分かる、襲撃の前兆だ。
妖精にさえも気取られず影から影へと渡る闇の住人。
『―――敵よ、備えて!』
フォーリムの言葉に一斉に武器を取る者達。
魔王派に属する様な者は基本的に殆どが世の中でやって行けず逃げ込んだ弱卒だが、例外はあった。
ここにいる彼らは歴戦の傭兵団レベルの精兵と言っていい。
元々実力と言うより素行の悪さで組織から弾かれたような者達が、魔王派の内部できな臭さを感じ独自に集まって練兵していたのだ。
種族も来歴もバラバラなそんな者達がフォーリムのもとに集まり、さらに魔物や追手との実戦で連携や統率を磨ぎ上げたのが彼等だ。
フォーリムが指さし、百の武器が向けられた先に朧に揺らぐ人の形をした数個の影。
それが魔王の影と言う存在なのは、魔王派にとっては皮肉と言うものだ。
とは言え今はその全てがオルミスロの意思または指示に従って動いている以上、仮に魔王を信奉していたとして崇め奉る必要もないのだが。
姿を現して放つ気配こそ異様ではあるが、単体の純粋な戦闘力ではオークあたりを多少強くした程度しかない魔王の影が、一方的に駆逐されるまではあっという間ではあった。
しかしその作業のような戦闘が終わっても、武器を納める者は居なかった。
もう一匹居たのだ。
物陰から強大な殺気とともに現れたのは、オウガだった。
ただのオウガでないことは渦巻く膨大で黒い魔力の時点で分かるが、それが無くともただ歩くだけの動作に武術家のような洗練さがある時点でおかしい。
『まさか―――乗っ取ったって言うの?オウガの体を!』
あまりにもスムーズな初動からオウガの棍棒が振るわれ、何人か纏めてなぎ倒され苦悶の悲鳴が上がった。
果敢なる反撃が殺到するが、まるで消えるような素早いステップで鬼の巨体が踊り、もう一撃。
ドワーフの戦士が反射的に盾を構えた上から直撃し、防御虚しく岩に叩きつけられて崩れ落ちた彼は一目で手遅れと分かる状態となった。
魔王の影には、生物や無生物に乗り移って自分の肉体にした上まるで別物の様に強化、或いは改造出来てしまうというという特殊能力がある。
ただし無制限と言うわけではない。
無生物に乗り移ってもまず意味はなく、魂を入れる前のゴーレムの体のような物でも無ければ随意に動かせる肉体にはならない。
また生物相手でもハードルは高い。
魂の波長が合い、なおかつ生き物であれば必ず持つ精神の障壁を侵食し尽くさないとその肉体は乗っ取れないのだ。
そして、一度乗り移ったならその肉体から離れる事は出来ない。
王都の住人に魔王の影に乗っ取られた者は度々居たが、それは場所や立場の価値ゆえに影による乗っ取りも数多く試みられているのだろう。
野生のオウガを肉体とするのは、可能であれば強力だろうがハードルが高すぎる。
今彼女達の前で棍棒を振るい暴れる鬼は、それに成功したという事だ。
懸命に応戦する戦士達が、独り、また一人と脱落していく。
『みんな逃げるのよ!あんなの相手にしてらんないわ!』
しかしフォーリムのその声に応えた者は居らず、武器を振り続けていた。
『―――どうしてッ!』
「そいつは駄目だフォーリム、あのオウガの狙いは明らかにお前だ。俺達が食い止めていればお前一人だけなら逃げられるはずだ!」
どうして、と重ねようとするフォーリムの言葉が手で制された。
種族も性別も年代も様々な彼等は、カラスアゲハの翅を揺らして焦る嘗てのフェアリー族の女王を振り向いた。
一様に、妙にすっきりした笑顔を浮かべて。
「皆お前のことが気に入ってるのさ。どんだけ悪ぶって見せてもなんだかんだ俺達みたいな情けない半端者を見捨てられない甘ちゃんのお前がな!・・・だが、今だけは見捨ててくれ。フォーリムさえ生きてればそれでいい、どいつもこいつもそう思っちまってるのさ」
≪フォーリム―――貴女は、女王となるには優しすぎた≫
メニャーンの言葉がリフレインされた。
―――ああそうだ、私はただあの時見捨てられなかっただけだ。
放っておいたら消滅以外の末路がないフェアリーの同胞達を。
今だってそうだ、何も変わっちゃあいない。
スローモーションで舞う血の付いた剣が、視界を横切る。
ぎらついた刃の輝きに、イプロディカが残した黒く輝く力の塊の存在が不意にフォーリムの頭をよぎった。
いいだろうさ、毒を食らわば皿までってやつさ。
何だか分からないこの力、使ってやるよ。
反吐が出るほどの甘ちゃんの女王である事を貫くために!
果ての無い黒の中に広大な星の輝きを内包するが如き石が、一際大きく輝いた。
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嘗て魔王派と呼ばれた集団は、この時完全消滅した。
地方には構成員だった者もいるが、組織としての体を成せるほどのネットワークは無く最早ただの王国内の不満分子に過ぎない。
それと入れ替わるように急に暗躍を開始した集団が存在する。
小柄な白髪の女性に率いられた彼等は、≪女王の騎士団≫と呼ばれた。
ダブル主人公詐欺になりそうなぐらいアルテアとガメオの出番がない
閑話じゃないけどそれに近い話が続いてるしなあ・・・
なお影に乗り移られたオウガの戦闘力は例の単位と化した飛竜君一頭分です
フォーリムさんは直接戦闘が微妙だったし仕方ないね