92. ホビットの里の炎の勇者
竪穴の様な広い洞穴の中を、妖しく輝く翼が照らしていた。
天井を突くように伸びながら揺れるその翼の根元に居たのは、一人の女だった。
力の揺らぎに炎の様な赤い髪が靡いた。
『―――見事だ。シグナムよ、お主は既に一端の使い手と言っていいだろう。この短い期間によくぞ成し遂げたな』
さも重々しい口調で、老人にしてはやや甲高い声が彼女に語り掛けた。
「ありがとうございますポポン老師。でもこれ、正直使える者にとっては初歩程度の技術ですよね?」
『い~ではないか別に。ワシもなんか偉そうな師匠っぽい感じで言ってみたかったんじゃよ一回ぐらい!いや実際大したもんじゃとは思うぞ?』
闇の中から背の低い老人が、見た目とは程遠い軽い足取りで現れた。
耳はやや尖っていた。
ポポン老師と呼ばれた彼は、ホビット族の重鎮の一人である。
『いくら精霊の誓いを盾にされても、見込みが無ければ教えるつもりはなかったしな―――最悪の事故があれば一人の命では済まんしの。じゃがそこまでやり遂げたなら十分に太鼓判よ』
翼が消え、代わりに空間内を色とりどりの鉱石の魔力燈が照らし出した。
シグナムがポポンに習っていたのは、魔法ですらない初歩の制御だ。
『さて、これだけ出来れば戦いながらでもお主の中のソレを抑えることは容易かろう。ここで修業を終わるかの?』
「いえ、人前には出せませんが切り札になり得るだけの手応えを感じます。このままある程度使えるまでは続けたいと思っています・・・≪闇魔法≫の修行を」
洞穴内に残る闇魔法特有の瘴気の残滓はシグナムによって完璧にコントロールされ、すぐに無害な空気に変わった。
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シグナムの参加した表向きの任務である「魔王及びそれに関連する異変への対策にホビット族の協力を取り付ける」と言う点に関しては、全く進展がなかった。
しかしそれは別にしてシグナム本人や同行の騎士、役人は客人として歓待してもらえており不自由や肩身の狭い思いはしていなかった。
ホビット族と言う種族の特徴、或いは文化なのか、彼らが集団でいると快適な空間を作るのが恐ろしく上手くなるのだ。
つまり彼らの住まう里は丸ごと居心地のいい町と言う事になる。
妖精の粉を巡る血生臭い事件でホビットたちが犠牲になったのは未だ記憶に新しく、里に入る事さえも拒絶される可能性もシグナム達は考えていた。
その心配に反して非常に良くして貰ってはいるのだが、協力の取りつけは難航どころではなく進んでいない。
とはいえそもそも同行の交渉役の役人が慎重なタイプの人選なので、致命的な決裂がなく交渉窓口を維持さえできればいいと言う方針なのだろう。
「何て言うか・・・本当に仕事で来てるのが申し訳なくなるぐらいいい所よねここ」
長閑ながらも適度に発展している街並みを丘の上からシグナムは、露店で買った串焼きを齧りながら見下ろし独り言ちていた。
とても秘術として、本来は魔王の眷属や一部魔物しか使えないとされる≪闇魔法≫を伝えている里とは思えない。
全くやることが無いわけではなく、役人の護衛には付き従うし、偶に暴れる魔物への対処のヘルプに自ら志願することもある。
それを考慮してもなおレジャー感が勝る。
今回の真の目的は、瘴気の楔に侵されたシグナムの延命にある。
偽の聖剣の勇者とは言え簡単に喪ってはならない重要人材、最強戦力の一角と少なくともガルデルダは考えているという事だ。
その要求の最低限は既に満たしたが、それでは不足だと彼女は考えていた。
ゼタニスの追放が本執行される前に彼と手合わせをした。
以前は純粋な剣ではほぼ五分五分だったのに、その時は十度やっても一本も取れなかった・・・完敗である。
剣を根本から練り直しているのは知っていたが、厳しい訓練を欠かしている訳ではないシグナム自身とあれ程の差が生まれたとは思っていなかった。
アルテアは放って置いてもどんどん強くなって行くだろう。
イオンズは自分達に合わせているが、明らかに実力を隠している。
・・・その列に、何故か不思議な黒髪の少年が並んで思い出される。
このままでは間違いなく彼女だけ置いて行かれてしまうと確信があった。
だからこそ切り札、奥の手としての≪闇魔法≫を求めたのだ。
とは言え、習得したとしてどう生かしたものか悩ましくもある。
「・・・しょっぱ」
串焼きに付いた大きめの塩の粒を噛み砕き、独りそう漏らした。
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ある日の夜、何の前触れもなくそんな安寧が破られる事となった。
荒野しかないはずの場所から神聖王国全土に届く、魔王じみた殺気が放出された事件だ。
心の底から冷やされる様なその殺気に、シグナムは覚えがあった。
王都でのある朝、対峙した相手が最後の一撃を放つのと同時に直接ぶつけられたものによく似ていたからだ。
しかし思い出をほじくり返している暇はなかった。
『た、大変だああ~!≪賢者様≫が~!』
ホビット族は基本温和な妖精族だが、決して暴力に対し無抵抗なわけではない。
とは言え魔物に対する防衛能力が十分なわけではなく、力の強い亜精霊の住まう森の傍に拠を置くことで安全を確保している。
その亜精霊である≪賢者様≫が、先ほどの殺気に当てられて暴れ出したというのだ。
ホビットの守り人たちと共に現場に着いたシグナムは、メチャクチャに破壊された森の無残な光景を目にした。
獣の吠える声と破壊音が同時に聞こえ、その方向に目を遣ると月をバックにして一頭の獣のシルエットが躍り出た。
後足に比べて前足が異常に発達し、まるで逞しい腕のようになっている。
それは、ゴリラだった。
目測で全高十m前後あるゴリラだ。
とは言え神聖王国にゴリラと言う動物を知る者はほぼ居ない程度に本来の住処からは遠く、なぜここに住み着いたのかは不明だ。
ただ一つ言える事は、≪賢者様≫と呼ばれるこの亜精霊はドラゴン並みの力を持ち、そしてホビット達の記録にもないレベルで今現在手加減なしで暴れているという事だ。
『≪鎮静≫!≪昏倒≫!あ~もう、全然効かないや!』
頭上を高速で掠める丸太に身を屈め、泣き言を叫ぶホビット。
ホビット族の密かに伝える闇魔法は文献にある魔族の使うような瘴気で肉を腐らせるとか、邪悪な何かを召喚するようなものではなく、主に精神に働きかける物だ。
とは言え瘴気と結びつきの強い魔法である事に変わりはなく、残滓となる瘴気がどうしてもあちこちに浮遊していた。
『賢者様があんなに暴れるなんて~!お願い鎮まれ~!』
『闇は効かない、他の魔法で何とか食い止めよう!』
「・・・ちょっと待って皆、≪賢者様≫の動きをよく見て!闇魔法の残した瘴気をどことなく嫌がっているように見えない!?」
シグナムの指摘に何人かの守り人が気付いた。
彼らは共に里を守る、と言うより守って貰っているため亜精霊の巨獣と戦った経験などなかったのだ。
『効くのは分かったけど、その後どうしたらいい?賢者様が自然に落ち着くのを待ってたらちょっと持たないよ』
巨岩があり得ない速度で森に突き刺さった。
確かにこの調子では、天然の要害にしてホビット族の食糧庫ともなっている森が壊滅する方が早いだろう。
「強制的に落ち着かせる方法は何かある?」
『え~と、――もう一回ものすごくビックリさせる、とか』
「!・・・分かった、行けるわ」
シグナムの指示で全体の動きが変わった。
ゴリラの亜精霊に対し、全方位の遠距離から適当な闇魔法が山ほど飛来し続ける。
さらに賢者様を釘付けにするために、シグナムは一人ウホウホと振るわれ大地さえも軽く抉る巨拳を凌ぎ続けていた。
そろそろ瘴気が溜まった頃合いと見たシグナムは、闇の翼を展開して周辺の瘴気を支配下に置きつつ飛びのいた。
亜精霊をリング状に囲んだ瘴気に向けて、魔法を連続発動。
「≪暗球≫!≪暗球≫≪暗球≫≪暗球≫≪暗球≫≪暗球≫・・・≪暗球≫!」
それは光魔法の≪光球≫と同じく疑似的な魔法生物の球を作り出すものだが、≪光球≫とは違あまり役に立たず使い手のホビット達も魔法練習のためにしか使っていない。
濃い瘴気を≪暗球≫自体が発生時に吸い上げるため、シグナムの感じた発動負荷は非常に軽い。
加えて維持自体に魔法としての操作は必要なく、現在は多数の黒い玉をゴリラの周囲に浮かべる事が可能だ。
「ウッホホオオオオオオオッ!」
剛腕が≪暗球≫を振り払おうとするも、実体がないためすり抜けるだけだった。
そこにシグナムはもう一撃、大きな魔法を打ち込んだ。
「≪浄火≫ッ!」
黄金色に輝く、物理的破壊力が殆どない筈の清浄なる炎が亜精霊を包み込んだ。
だが・・・今放たれた≪浄火≫は、炸裂した。
ドン!ドドドッドドンドン!
連続した激しい衝撃が爆音とともに賢者様を全方向から殴りつけた。
それが収まり煙が晴れると、澄んだ目に賢者の呼び名通り知性の光を灯した巨漢のゴリラが「ウホ?」と首を傾げて立っていた。
シグナムは自分でやった事に半分呆然としながら呟いた。
「あー・・・上手く行ったようね」
シグナムがその現象を発見したのは、ほぼ偶然だった。
瘴気のコントロール訓練の終わりに過剰な空気中の瘴気を自分の≪浄火≫で掃除しようとしたら、何かの拍子に軽い爆発が起こったのだ。
そして色々やって見た結果、自らの制御下にある瘴気や闇魔法を自分の使用する≪浄火≫によって浄化する瞬間上手い事魔力をコントロールすると、瘴気がほぼ純粋な物理的爆発に変換されるのを発見した。
この場合他のどの魔法よりも、使った魔力に対し爆発エネルギーが大きい。
制御の為には魔法化した方が都合がよく、≪暗球≫はその為に使用した。
また他のホビットの術者に教えても上手く行かず、恐らくは現在の所シグナムにしか出来ない技術のようだ。
やがて、シグナムの合図とともに目と耳を塞いでいたホビットの守り人たちが次々に立ち上がり、作戦成功の喜びを口々に叫び出した。
赤くウェーブした髪を月夜に輝かせ、シグナムは空を見上げた。
「まだ・・・置いて行かれずには済みそうね」