Episode_11+α.03 少女と雛鳥
それから二週間ほど経過した或る日の午後、リリアは森の中を歩いていた。六月も終わりに近づいたドルドの森は、芽吹きの春を過ごした木々や下草が成長の時を迎えつつあった。若芽色の淡い緑は、日の光を受け、湿った大地から養分を吸い上げることで深い緑へと色合いを変じていく。そんな季節の正午前の森はむせ返るほど濃い草いきれに満たされるように包み込まれている。
そんな森の中を一人で歩くリリアは、背中に短弓と矢筒、腰には父親の形見である双剣を差したこれまで通りの姿だ。ただ一つ変わった点として、今のリリアは自分の背丈ほどの長さの切りっ放しの木の棒を持っている。丁度、師であるカトレアが持っている物と同じような木の棒だ。
リリアは片手に持った木の棒で、最近一気に伸びた下草を脇へ退けながら森の中を進む。彼女が進むのは獣道に毛が生えたような小道だ。ドリステッドに近い森の中ではあるが、街道からは離れているため、周囲に人の気配は感じられない。その代わり、生き物の気配は濃密に漂っている。しかし、今のリリアは弓を取り出して狩りの真似事をする気分では無かった。
時刻は正午の少し前。普段ならまだ訓練を続けている時間でもあるが、この日は「お休み」であった。最近、少し根を詰め過ぎている様子のリリアを心配したカトレアがそう決めたのだった。
「しっかり休んで疲労を抜く事も訓練の内よ」
とは、カトレアの言葉だった。そして、彼女をしてそのような気を遣わせている理由がリリアにはあった。それは、
「はぁ……私って才能ないのかな……」
というため息交じりの言葉に端的に表れていた。
日々繰り返されるカトレアとの訓練は相変わらず厳しいものだ。しかも、近接戦闘に精霊術を織り込むことを意識するようになった彼女は、同時に使い始めた「短槍」の扱いにも梃子摺り、これまでの訓練の積み重ねで身に着けたリズムまで崩してしまっていた。
何かを習得する上で壁に突き当たることは良くあることだ。しかし、暗殺者だった養父ジム直伝の「隠密術」や「弓術」「剣術」を身に着け、天性の才ともいえる精霊との親和性の高さで精霊術を習得してきたリリアにとって、今の状況は初めての経験だった。そんな状況に、もっと早く上手く出来るようになりたい、と焦る気持ちが拍車をかける。そして、これまでは難なく出来ていたことまで難しく感じるようになるのだ。それをリリア自身は「才能が無い」と思い溜息を吐くが、実際は才能があるが故に今まで味わう機会が無かった挫折といえるだろう。
そんな彼女は、カトレアに「しっかり休め」と言われていたにもかかわらず、結局普段訓練で使用している開けた空き地へやって来ていた。身体を動かしていないとどうにもならない気持ちだったのだ。そして空き地の中央、少しすり鉢状に窪んだ場所に立ったリリアは、いつも訓練で使っている短槍を模した木の棒を構える。
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ヒュンヒュンと空気を斬る音を響かせ、リリアはドルドの守護者たちに伝わる槍術の基本的な型をなぞる。それは簡略化され単純化された、兵士達が持つ長槍の扱い方とは大きく異なり、騎士が馬上で扱う馬上槍の技術に似たところがある。しかし、騎士の槍が馬上から相手を攻撃する技術に偏重していることに比べると、守護者の槍術は攻守のバランスが取れたものだ。穂先、柄、石突の各場所と、二メートル前後の長さを活用し相手との間合いを一瞬で詰めたり、逆に間合いを詰められるのを制したりする。
リリアは小柄なので、持っている木の棒は自分の身長と同じ程度のやや短いものだ。それを風車のように手元で回転させ、その勢いで殴打を放つ。そして振り抜いたところで、持ち手の左右を入れ替え、石突側で突きを放つ。ブンッという風切音が鳴るが、その時には既にリリアは半歩引き下がり、穂先を地面に向けた防御の姿勢を取っている。
流れるような動作は、とても数週間前から槍を扱いだした初心者には見えない。もともと器用な上に、その左右の手を使う双剣術を体得していたことが奏功して、リリアに左右の苦手は無い。そこに生来の素養の高さと思いの真剣さが加わり、並みの兵士や傭兵、冒険者には引けを取らない技術を身に着け始めていた。
そのことは、カトレアもたまに顔を見せるレオノールも認めているし、内心では上達の早さに驚いていた。しかし、他人の評価はいざ知らず、これも生来の少し物事を悪い方へ考える性向が災いし、リリアは自分の現在の実力を過小評価している。
そんなリリアは、休みなく型を繰り返す練習を一時間ほど続けると、一度動きを止める。そして、再び窪地の中心に戻ると、スッと目を細めて呼吸を整え意識を集中する。精霊術を使用し、練習の段階を一つ上げるのだ。
リリアが発動した精霊術は「俊足」という地と風の精霊の力を同時に借りる高度な複合術。元々、精霊術はロディ式魔術と異なり厳格な系統体系が存在しない。そして使用した術の効果の現れ方は、その術者の個性に大きく左右されるという特徴がある。例えば一角獣の守護者ノヴァが使用する「風の囁き」や「地の囁き」は広範囲を大雑把に捉える効果を有する。一方、同じ術をリリアが使うと探知範囲は狭まるが、かなり詳細に周辺の状況を読み取ることができるのである。そのような効果の違いは、一般的に高度な精霊術になるほど大きな違いとして現れると言われている。
効果の振れ幅が大きい精霊術だが、今リリアが発動した「俊足」もそんな術の一つだ。この術をノヴァが使用すると、効果は緩やかに長い時間続く。一方でリリアのそれは身のこなしの機敏さを極端に増大させるが、持続時間はほんの数分である。
そして、この術をつい一か月前に習得したリリアは、大幅に向上した自分の敏捷性に対応しきれていないと感じていた。そんな彼女は片手に持っていた切りっ放しの棒を短槍のように両手で握り直すと、細めていた目を大きく見開く。そして、想像上のカトレアを追うように、再びそれを振るい始めた。
「俊足」の効果を得たリリアは疾風の如き速さで想像上のカトレアの懐に飛び込み、素早く突きを放つ。相手はそれを軽く躱し、横殴りに鋭い打撃を放つ。リリアはそれを受け止めれば、威力に押し込まれてしまうことを知っているので、寸前で飛び退いて躱した。そこへ、相手の振り抜かれた槍の反対側、石突が風を巻き込むように襲いかかってくる。リリアは、それを槍で跳ね上げるように上に逸らせた。そして、
「地の精よ、怒りを現せ!」
鋭い声と共に、目の前の地面から人の腕ほどの太さの土柱が真上に向って突き出した。地の精霊術「土槍」だ。リリアの想像の中のカトレアは、その土槍を仰け反るように躱すと、一旦後ろへ飛び退り距離を置く。そこへ、
「風よ! 吹き飛ばせ!」
追い討ちを駆けるように、風の精霊術「強風」が空き地を吹き抜ける。想像の中の相手は、仰け反った体勢を整え切れずにその場で転倒した。リリアは、そこへ飛び込むと短槍の穂先を相手の首元に押し付ける。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
肩で息を吐くリリアは、納得のいかない気持ちになる。一人で想像上のカトレアを追って練習する時は、周囲の精霊の声を聞く事が出来るし、今のように精霊術を近接戦闘に織り交ぜる事も出来るのだ。しかし、
「なんでかしらね、相手がいると……駄目なのよね」
ということだった。一人ならば出来るが、相手がいると途端に難しく感じる。それがリリアの突き当たった壁であり、悩みだった。
しかし、考えてみればこれは当然のことと言える。精霊術とは、その場に存在する精霊を使役する術である。その場の精霊を使役するためには常にその存在と意識を交わらせておく必要がある。そんな状態を近接戦闘中でも保っておく、それには才能素養もさることながら、一定の「慣れ」が必要なものなのだ。しかし、近接戦闘という状況に不慣れなリリアは、現実のカトレアと対峙したとき、つい目の前の相手に意識を集中し過ぎてしまう。そして、相手が放つ気配や精霊を手繰り使役しようとする思念に邪魔されて、上手く周囲の精霊と意識を交わらせることが出来なくなってしまうのだ。
つまり、彼女の突き当たった壁であり悩みであるものは、結局のところ、訓練を続けて慣れていくことでしか解決できないもといえる。しかし、まだその事に気付かないリリアは、もう一つ溜息を吐くと、少し重く感じる足取りで来た道を戻ろうとした。
その時、頭上で木の枝が風に揺れる音と共に――
ドサッ
不意に、視界の端で物音がした。
「なに?」
不意に気配も感じさせずに物音だけが響いた状況にリリアは警戒する。彼女のいる場所は昔古代樹が立っていて、今は空き地となった場所だ。その中央の窪地に立つリリアは、風の精霊に呼びかけて周囲の状況を探る。ドリステッドに近いといってもドルドの森の中だ、ゴブリンやオークの類はいないが、替りに野生の魔獣である梟頭熊や灰色熊、大山猫等が出没することがある。また、それらより脅威は低いが魔犬種が群れで徘徊することも無いとは言えないのだ。
しかし、リリアの操る風の精霊は周囲に危害を加えて来そうな存在を伝えてこなかった。
(なにかしら……)
そう思うリリアは、その物音がする直前に、頭上の高い所で風に木の枝が靡く音を聞いたのを思い出す。しかし、リリアの頭上には初夏の空が広がるだけで、頭上には何も無い。軽い混乱を覚えたリリアは、とにかくその物音がした空き地の端へ行ってみることにした。
空き地の端の灌木の下は背の高い下草に覆われている。リリアは手に持った棒で下草の間をつついてみたり、下草を退けてみたりするが、直ぐに音の主だと思われる物を見つけていた。それは、両手で抱えきれない大きさの鳥の巣であった。高い所から落ちたように、巣はグシャリと変形して小枝が周囲に飛び散っている。しかし、巣が変形することで衝撃を吸収したのか、その中央にはリリアの握り拳よりも少し大きな卵が一つ、傷一つ無く置かれていた。
「なんで?」
しかし、リリアは不審そうにその巣と、上空を見比べる。その場所は背丈の低い灌木しかなく、その灌木の上は何も無い空なのだ。昔立っていたという古代樹がそのまま残っていれば、丁度その枝から落ちればこのように成る、と言えるかもしれないが実際にはリリアの頭上には何も無いのである。
頭の中を疑問符で一杯にしたリリアだが、次いで巣の中の卵の様子に釘付けとなった。卵が突然揺れ出したのだ。
「な……なに?」
リリアは街育ちの少女だ。そのため、自然や動物のことにはあまり詳しくない。それでも、目の前で揺れ、そしてカツカツと内側から音を立てる卵がどういう状況かは分かった。そんなリリアが固唾を飲んで見守る中、不意に卵の表面に小さな穴が開いた。そして内側から割られた卵の穴から、逞しく太い嘴を持った雛がヒョッコリと頭を出した。
「あ……」
その雛は、思わず発したリリアの声に反応すると、彼女を見上げる。そして、
「クェー」
と余り可愛らしく無い鳴声を上げるのだった。




