Episode_08.04 若者達
「っとユーリー……聞こえてるかー?」
「ん……ああ、聞いてるよ」
「いや絶対聞いてないな。じゃぁ何て言ったか当ててみろよ」
若い男女の間でするならば犬も食わないようなやり取りであるが、残念なことにユーリーの目の前にいるのは、むさ苦しい鎧姿の親友ヨシンである。グングンと背が伸びて今や少し見上げる背丈になったヨシンに対して、ユーリーは右手をヒラヒラと振るようにして答える。
「ハハハ、全く聞いてなかった。ゴメン……」
「まったく、どうせリリアちゃんの事を考えてたんだろ!」
「ちっ、違うよ!」
「ユーリー、お前気を付けないとダメだぜ。この間も寝言で『リリアー』って言ってたぞ」
勿論からかいを目的にしたヨシンの嘘である。しかし、思い当たる夢でも見た記憶があるのか、ユーリーは顔を赤くすると反論する。
「ヨシンだって『マーシャー、結婚してくれぇ』って言ってたじゃないか!」
「なっ! ほ、ほんとか?」
「さてねー、どうだったかなー」
こっちは本当に寝言で言っていたのだから、気を付けるべきはヨシンである。因みに周りの当直兵に聞かれていたヨシンの寝言であるが、誰もそのことでヨシンをからかわないのは兵達が持つ大人の優しさだった。
とにかく、お互い不随意に発する「あずかり知らない寝言」の内容をネタに平和な言い争いをする二人は物見櫓の上である。見晴しが良いこの場所は、当然周囲からも良く見える。と言うことで、
「お前達! 何をふざけているんだ! 早く降りて来い、まったく見っともない……」
と屋敷前の広場からガルス中将の怒鳴り声が飛んできたのであった。思わず首をすくめる二人は二、三回お互いに小突き合うと櫓を降りていくのである。
そんな日常の風景が流れるウェスタ侯爵家の邸宅は今、主である当主ブラハリーと筆頭騎士デイル、それに正騎士と従卒兵の半分が留守にしている状態である。居残りとなったガルス中将は、臨月に差し掛かる一人娘のハンザをハラハラしながら見守りつつ屋敷の留守を務めるという役目に少しカリカリしていたのだろう。
「ガルス、そんなにカリカリする歳じゃないだろ。もうすぐ『お爺ちゃん』になるんだろ」
櫓に向かって怒鳴っていたガルス中将へそんな声が掛かる。声の主は若殿アルヴァンである。その彼の隣には最近ようやく鞍を背に乗せることに同意した無角獣を従えたノヴァも一緒にいる。丁度「遠乗り」から帰ってきたところなのだろう。
「あ! これは若、それにノヴァ殿、不調法者をお見せしてしまい……」
そういうガルスだが、アルヴァンは当然のように全く気にしていない。ニコニコと笑っているのだった。そして隣のノヴァが口を開く。
「ガルスさん、そんなにイライラしなくても」
「しかし、ブラハリー様の不在を守るのは――」
当主ブラハリーの留守を守るのは自分だと言い掛けて、ふとノヴァの隣に立って居るアルヴァンを見るガルスである。
(……まぁ儂がカリカリとしなくても、家中はアルヴァン様で纏まるか)
いつの間にか逞しい青年へと成長したアルヴァンを見るガルスの心情は安心するような、それでいて少し寂しいような気持ちである。お側掛かりとして長年仕えていたゴールスの言葉を借りなくとも「立派な青年に成長した」と思わせる佇まいだ。とにかく、歴戦の老騎士をしてもそう思わせるものがアルヴァンには備わりつつあった。
「アーヴ! じゃなかったアルヴァン様! おかえりなさい」
「今日は何処まで?」
「ああ、ロージアン侯爵の御領地の手前までだ。コーサプールの漁港をちょっと見て帰ってきた」
そこへ、櫓から降りてきたユーリーとヨシンの声が掛かる。アルヴァンは親友二人にそう答えるとノヴァの方をみてニィと笑うのである。
今のノヴァは、ヨシンがたまに顔を出しているマルグス子爵の屋敷に居候している。一応マルグス子爵の遠縁にあたる娘ということになっているが、この「案件」をマルグス子爵家へと誘致したのはウェスタ侯爵家から支給される「手間賃」を目当てにしたヨシンであった。
一方、今のような状況を作るのに相当苦心したのはアルヴァン本人だった。
「なんと……私の許可なく婚約したのか!」
「はい、それにノヴァは滝壺に落ちた私を、身を挺して助けてくれました。婚約云々は抜きにしても命の恩人です」
「しかし……お前の婚姻相手は父上が『儂が考えるから口出しするな』と最近は口癖のように言っていたのだぞ」
そんな父子の会話を思い出すアルヴァンである。アルヴァンから見れば祖父のガーランド・ウェスタ侯爵、孫のアルヴァンには甘い一面もあるが基本的にリムルベート王国の三大侯爵の一角を占める大貴族である。自らの孫の婚姻相手には政治的な思惑がたっぷりと盛り込まれているはずの老獪な人物である。
(やはりそうだったか!)
と当時のアルヴァンは少し焦りを覚えた。そこでノヴァを伴い急遽領地へ戻ると、ウェスタ城の祖父と面談を持った。ガーランド・ウェスタ侯爵は突然の孫の訪問とその内容に二度驚き、マジマジとノヴァを見たものだった。
「ふむ……なるほどのぉ……お前が惚れるのは……分かるな……」
と、ボソッと呟いたウェスタ侯爵。結局祖父の代から三代に渡り、女性の好みが似ているのだった。アルヴァンの説得と、ノヴァが一角獣の守護者だった事。それにその一角獣が角を落としてまで付き従っている事。さらに森の国ドルドの一つの街の代表者であるバルド家の息女であることを勘案してウェスタ侯爵ガーランドが出した結論は、
「良いか、三年間同衾は禁じる。その上ウェスタ家の跡取りとして相応しくない風聞が立つようならこの話は無かったことにする。節度を守って交際するように」
そこで一旦区切ると、二人を見る。一方、突然「同衾」等と言われたものだから二人とも顔を茹で蟹のように赤くしている。
「その間ノヴァは……あ、いやそんなに難しい顔をしてくれるな……儂は基本的には認めるつもりなのじゃ。で、ノヴァはその三年間で行儀見習いと王都に慣れるように。そこの所の手配はブラハリーに頼むが良い」
と言う事になったのだった。他の爵家ならば「そのような娘は妾として、正妻を別に……」となるのだろうが、そう言う選択肢が全く浮かんでこない所がウェスタ家の家風を表わしていると言える。
そんな事があって「清い」交際をしている二人の若い男女を見て毒気を抜かれたようになったガルス中将であった。
「そうですな……私がカリカリしても仕方無いことです。おいユーリーとヨシン、盾と槍を持って広場を五十周で良い、さっさと走ってこい」
という事になった。口調は治まったものの「櫓の上で騒いでいた」罰を与えるのは忘れないガルス中将である。そして結局完全装備で屋敷前の広場を走る事になった二人の見習い騎士は、通り掛かる屋敷の警備兵などに冷かされながらも周回を重ねるのだ。走りながらも、さっきの口論の続きをしていたというのだから、元気なものである。
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