逢瀬
砕け散ったコンクリートがどす黒く染まった水溜まりに転がった。まるで自分が底無し沼に落ちてしまったかのような錯覚に襲われそうになる。
そこから数mも離れていないところには微動だにしない幼子の骸とそれに寄り添うように散った花が一輪あった。花は原形を失っても尚紅く紅くそれは美しく咲いていた。
秋の訪れを告げる彼岸花にも劣らない儚さとなんとも言い表しがたい存在感がより一層美しさを際立たせているようにも感じる。
その堂々たる美しさになかには不気味だとか迷信を口にする輩もいるだろうが、花言葉はわりとロマンチックなものだ。
今、寄り添う彼女たちにふさわしい言葉であろう、再会というこの言葉もこの花言葉の一つだ。素敵な花言葉だろう。
彼女たちに罪はない。ただ、彼女たちは無知だった。
窓越しに見た風景に僅かな思いを馳せる。地獄と呼ぶには十分な光景だろう。それだけのことだ。
窓の向こうに転がる骸たちを一瞥して何事も無かったかのようにカーテンを閉める。骸たちに私を咎める気配はない。まあそれもそうかと一人で納得した。死人に口はないのだから。
「そうだね、人は死ねば肉片に過ぎない」
心地よい声が静寂を裂く。振り返れば其処には都方 終の姿。
ベッドに腰掛けている彼は私に手を伸ばし微笑んでいる。彼もまた先程の花の様に美しく可憐だった。
「そういう君はどうなの」
そう言って彼の元へと近付き手を取る。ひんやりと表現するにはその手はあまりにも冷たすぎた。彼の両手を自らの手で覆う。
「さあどうなんだろうね。ただ、僕の場合は君次第かな。そういう君はどうだい」
君は、今、生きているのか、と彼は言葉を紡いだ。穏やかな表情を歪めることなく言葉を待っている。数十秒が経った頃、直ぐに返答することが出来なかった私はようやく重い口を開いたのだった。
「死んだよ。無月 一は死んだ、そうあの日に」
違うかな、と尋ね返せば終は首を振ってゆっくりと私を抱き寄せる。幼い頃、かつて母親から受けた抱擁のように。そして幼子を宥めるかのように、言い聞かせるかのように口にした。
「いいや、一はまだ生きている。僕たちが居た世界で」
そっか、と私は素直に頷いて彼の背中に手を回す。細い体だった。私なんかよりもずっとずっと細くて薄い体だった。
「死ぬのは怖いかい」
肩に顔を埋めたまま首を二、三回左右に振る。冷たい何かがぽたりぽたりと首筋を伝っていったのはきっと気のせいじゃない。
「さてそろそろ戻りますか。大丈夫、また会えるよ」
生暖かい何かがつうっと頬を伝う。嗚呼、そうかもう時間なのか。暫しの別れを惜しむ間もなく私たちは引き剥がされる。
為すすべもない私は目を伏せたままゆっくりと頷いたのだった。
「月が綺麗ですね」
「死んでもいいわ」
彼は満足そうに笑う。
「明日の月は綺麗でしょうね」
「明日は晴れるかしら」
そして私は今宵の短い逢瀬を終えたのだった。