明日目が覚めた時にも君がいて
「……くら、何?」
目の前の医者の言葉に眉を寄せ、オウム返しも出来ずに問い掛ければ、一文字一句違わず同じ言葉が返された。
はふ、欠伸を噛み殺し、再度聞く。
「クライン・レビン症候群です。強度の睡眠衝動を引き起こす病で、一度眠ると長期間眠り続けてしまいます」
いつも通っているのとは違う病院なので、何となく普通に話を聞いていても居心地が悪く、はぁ、と曖昧に頷きながら、首の後ろを撫でた。
「通称、眠れる森の美女症候群と呼ばれるものですね」と、カルテに何かを書き付けながら言う医者に、またしても、はぁ、と頷く。
その通称は、何と言うか、綺麗過ぎる。
詰まるところ、睡眠障害らしい。
眠り続けると言っても、時間はまちまちであり、数日だったり数ヶ月だったり、食事やトイレなどには起きるようだ。
そもそも、睡眠障害があるのでは、という疑いから病院に来る羽目になったのだから、知らない病名を言われても特別驚くことはない。
キャンバスと向き合って数ヶ月、のんびり描いていたつもりで完成したら、五日間、眠り続けた。
これを睡眠障害と言わずに何と呼ぶのか。
今も眠くて溢れそうになる欠伸を噛み殺し、涙の滲む目を擦る。
覚えていないが、その五日間の間でも、食事を摂り、トイレに行き、風呂にも入っていた。
ただ、まともな意識がなく、酷くぼんやりしていたらしく、学校にも行っていない。
出席日数がどうのこうの、という電話が丁度昨日、来たばかりだった。
「あー、母さんに連絡いれるか?」
「え。あー、うん。じゃあ、お願いします」
一応平日で、母子家庭である我が家では、母の付き添いは期待出来ずに、幼馴染みのお兄さんを借りた。
既に成人済みのお兄さんは、困ったように笑ってこちらを見ていたので、欠伸を奥歯で噛み殺しながら、緩く頷く。
しかし、医者の方は、腰を上げようとしたお兄さんを止めて、こちらを見る。
「詳しい治療法が存在しないので、自然治癒することを待つしかありません」と真っ直ぐに、こちらを見て言う。
自然治癒、繰り返すボクに対して、お兄さんが頭を抱えるのが視界の端に見えた。
ついでにその瞬間、堪えていた欠伸が漏れた。
***
「……おはよ」
寝癖の付いた髪を掻き、同時に欠伸を漏らしながら、キッチンを覗けば、何故かいる幼馴染み。
病院に行ったあの日に、わざわざ着いて来てくれたお兄さんの妹である、幼馴染みだ。
ずり落ちたらしい黒縁眼鏡を押し上げ、こちらを見た幼馴染みは形の良い眉を歪めて見せる。
「今、何日」
「……アンタが寝てから二週間よ」
舌打ちでも聞こえてきそうなくらいに、苦々しく吐き出した幼馴染みに、そっか、と呟く。
妙な方向に捻れている髪を撫で、二週間も寝ていたのかと思うと、時間を食い潰している感が否めない。
否めなくとも、どうしようもないので欠伸を噛み殺して出る涙を拭う。
それにしたって、きっかり二週間ならば、平日だろう。
学校に行かず、制服すら身につけていない幼馴染みは、寸胴の鍋を見ながら、ぐるぐると中身を掻き混ぜている。
何でいるんだろうか、本当に、マジで。
「何作ってんの?」
「ポトフ」
「お野菜たっぷりだ」
ひょっこりと覗き込んだ鍋の中には、白菜やら馬鈴薯やらがゴロゴロ入っていた。
あまり空腹などを感じない質なのだが、こうして作っているのを見るとお腹が減る、かもしれない。
摘み食いが一番美味しいんだよね、と小皿を出そうとすれば、伸ばした手を叩き落とされる。
微妙に強い力だったので、手の甲がヒリヒリとするのを感じ、唇を尖らせた。
見上げた先では、難しい顔をした幼馴染み。
綺麗と呼ぶに相応しい、切れ長の瞳に薄い唇と筋の通った鼻で、キメ細かい肌は若さの象徴のように潤いの艶を見せる。
綺麗な顔をしているのに、勿体無い。
そう思っても仕方ないくらいに、深く深く刻まれた眉間の皺と、噛み締められる下唇。
首を捻ってみれば、ゆっくりと眼鏡の奥で瞳をこちらに向ける幼馴染み。
紫の光を含む綺麗な瞳だった。
「……次は、いつ、起きるのかしらね」
まだ寝る予定はないのだが、そんなことを言われてしまうと、更に首を捻ってしまう。
寝起きの体は思いの外固まっており、首周りがポキポキと音を立てた。
「今度は、起きないことも、あるのかしらね」
首を直ぐに真っ直ぐに戻し、少し上の方にある幼馴染みの端正な顔を見た。
長い睫毛が伏せられ、頬に小さな影を落とす。
眠っているだけで、単純に余命宣告されるような病気ではない、と楽観視していたのはボクだけらしい。
母親とは病院から帰って話をした後からは、殆ど長い間寝ては短い間起きてを繰り返しているので、会話どころか、まともに顔を合わせていない。
ボクが知らないだけで、目の前の幼馴染みと同じような顔をしているのかもしれない。
参ったな、内心細く息を吐いて、後ろ髪を撫でた。
「……平気だよ。こうやって、お腹空いた時に美味しそうな匂いしてたら、嫌でも起きるもん」
はい、と食器棚からスープ用のボウル皿を取り出し、ぐるぐると鍋の中身を掻き回す幼馴染みに差し出す。
記憶はないけれど、食事を摂っているボクでも、意識をし出すとお腹が減る。
ぐぅ、とか細い音を立てる腹の虫に、幼馴染みも気付いて皿を受け取ってくれてた。
「じゃあ、また、作らなきゃいけないわね」
「うん。次は鍋焼きうどんが食べたいなぁ」
皿に盛り付けられていくポトフを見ながら、次のリクエストを漏らせば、調子に乗んなよ、とでも言うように鋭くなった目で見られたので肩を竦める。
欠伸は出なくなっていた。