07:絡めた小指
「お待たせ」
「別に待ってないよ」
会おうと約束をしてから二週間。
本当は一週間ほどで来られる予定だったのだが、光希と伊藤の都合が合わずに更に一週間ほど遅れてしまった。
時間が経ったことで環の体質が変わったかもしれないと人間界に降りるギリギリまで姿を隠していたが、結局今日も環は空を飛んでいる光希に気付いた。
「ただ会ってるだけってのも味気ないからさ。どこか行かない? 歩きながらでもいいし、行きたい所があればそこに行くのもいいなって思うんだけど」
環に何の変化もないに越したことはないが、環自身も気付いていないこともあるかもしれない。
ただ会って話しているだけではわからないこともある。
普段と同じような事はもちろん、いつもはやらないことをしたりするころで、何か気付く事があるかもしれないと考えていた。
「それなら私の気分転換に付き合ってもらってもいいかな?」
「決まり。行こう。タマちゃんのお気に入りの場所、楽しみだな」
「確かに気に入ってるけど、何もない普通の場所だよ」
「いいんだよ」
やってきたのはこの街が一望できる小高い丘の上。緑の多い場所を利用して広い公園になっていた。
広くて明るい公園には今も子供たちが元気に走り回っている。
のどかで賑やかな、でも騒がしくない場所。
その一角に東屋があった。
きっと暖かい季節になれば、ランチタイムには親子連れや会社員の女性達がやってきそうな、そんな場所だった。
だが今は冬。
寒さを嫌ってか、たまたまなのか。
東屋には誰もいなかった。
二人はそんな東屋にあるベンチに並んで座った。
「良い場所だね」
「そう? 月城君がいる所とは違うでしょう?」
そう言うと環は興味津々と言った表情で身体を乗り出した。
「ね。もっと月城君のいる世界のこと、聞かせてほしいな」
「うーん、でもなー」
考え込むような光希に環は話してはいけない部分のことだったかと慌てて手を振った。
「もちろん、話しちゃいけないんだったら聞かないから安心してね」
死神だという光希には仕事上、人間には話せない部分もあるだろう。好奇心だけでもその部分に触れてしまったことを詫びる環に月城は首を振る。
「そうじゃないんだ。俺のいる世界は名前がなくてさ。呼び方は人それぞれなんだ。俺は人間界とは異なる世界で異界って呼んでる。異界は君がいるこの人間界と同じなんだよ」
「同じ?」
小さい頃に読んだ絵本や小説に出てくるような、この世界とは全く違うものを想像していた環は面喰らったような顔で光希を見た。
「拍子抜けしちゃった? だから面白いことなんて何も……」
「それって、こっちみたいに商店街があったり、公園とかもあるってこと?」
「え、あ、うん」
「すごい!」
「……え?」
この世界と同じだと聞いて、何が凄いのかはわからないが、環は目をキラキラとさせながら光希を見ていた。
何がそんなに環の興味を引いたのか、月城には正直わからなかった。
「この世界と異界……が同じってことはさ。この世界のことを死神は大事にしてるってことだろ? それって凄い事だと思わないか?」
「そう、かな?」
これまでに触れたことのない考え方だった。
光希にとってみれば、異界に辿り着いたその時から同じ世界だったから。
だから違和感なく受け入れることもできたし、困る事なく暮らすことができる。
変わりゆく人間界と同じように変わって行く異界。
心残りを昇華させる世界、心の傷を癒す世界、未練を断ち切る世界。
異界が人のために存在するのなら、環の言うことは決して的外れではない。
「そっか……同じだから最初から不自由なく過ごせるのか」
環の言葉に光希は初めて気付かされた。
これまで特に意識していなかったが、こうして気付くと妙にスッキリとした気分になった。
「異界は、未練を残した人間達のために作られた世界だから。あとは天国に行く人達の気分転換や、少しばかりの後悔を払拭できる場所になってる。休憩所みたいな所なんだ。だから人間界と似てるんだよ」
「ちゃんとした理由があるんだね」
「それもタマちゃんに言われて気付いたんだけどね。すごいね、タマちゃんて」
「そうかな? 当たり前のことだと思うよ」
その当たり前のことに気付けることが難しいんだと光希は心の中で続けた。
「でも、そっか。ここと変わらないなら異界って所も楽しそうだな」
「まあね。楽しいか楽しくないかって言ったら、楽しい所だと思うよ。だから俺も長く死神をやってるわけだし」
「月城君に案内してもらったら、また楽しそう。折角こうして会っているんだから、普通の友達になれたらいいのに」
先程までのキラキラした目を陰らせる環を励ますように光希は明るい声を出した。
「こればっかりは仕方のないことだからね。それにまた会いに来るよ」
「本当に?」
「それじゃ約束」
そう言って光希は環の小指に己のそれを絡ませると小さく揺らした。
初めて交した約束にはにかむように笑う環とは対照的に今度は光希が寂しそうな表情を浮かべた。
「月城君? どうしたの?」
「うん。本当に人間の体温がわからないんだなあって」
「え……?」
最初、光希が何を言っているのか環にはわからなかった。
「俺の手、冷たい? それとも、温かい?」
「っ……」
光希に言われて初めて気付いた。
光希の指からは何の温度も感じないことに。
普通なら小指だけでも絡ませていれば相手の温もりが伝わるはずなのに、伝わってこなかった。
まるで熱を出した時に入る湯船のような気持ち悪さだった。
「どうして……」
「わからない。でも、こうして触れあうことがないからかもしれないね……」
小さく呟いた光希の声と同時に二人の小指が離れた所で、視界の端に伊藤がやってくるのが見える。
そのタイミングで光希はわざとらしく咳払いをした。
「今日は特別ゲストをお呼びしてまーす」
「ゲスト?」
「何がゲストだ。……久しぶりだな」
突然現れた死神らしい特別ゲストを環は驚きで目を丸くしながら見つめると、確認するようにゆっくりとその名前を口にした。
「もしかして、伊藤君?」
どこかで聞いたことのある声。記憶の中にある声の主の名前を問いかければ、満足そうに伊藤が笑った。
「そうそう。ハジメマシテってのもおかしいけどな」
「伊藤君の顔初めて見た。かっこいい人だったんだね」
「そうか? 自分じゃよくわからないんだけどな。でも元気そうで良かった。あの時も、今もすまない」
スッと頭を下げる伊藤に、環は慌てたように両手を横に振る。
「そんな気にしないで! 協力するって決めたのは私なんだから! それにこうしてまた会えて本当は嬉しいから」
だからもう頭を下げないで欲しいと続けると、ようやく伊藤は顔を上げる。
「優しいな、環は」
恐らく環が死神が見える体質になっているのは伊藤に責任があるだろうに、それを口にしない環の優しさのおかげでこうして死神になることができたと言っても過言ではないだろう。
「そんなことないよ。でも伊藤君が死神になったって月城君から聞いた時はビックリしちゃった」
「俺自身、死神になるなんて思ってもいなかったからな。でも月城はあんまり驚かなかったみたいだな」
「伊藤ちゃんは死神になるって思ってたからね」
「そういえば、前にもそんな事言ってたよな。なんでわかったんだ?」
「……伊藤ちゃんの魂は、ちょっと歪だったから」
光希の理由を聞きながら、環は伊藤の魂を見た時のことを思い出していた。
「あ、そういえば。なんとなく丸い形はしてたけどトゲがあったような……?」
「そう。本来、人間の魂は綺麗な球体だって言われてる。この世への未練が強ければ強い程、やり残したものが大きい程、歪になっていくんだ。伊藤ちゃんの魂は所々が歪んでいたから、天国に行くよりも死神になってこの世との繋がりを持ちたいって言うかもしれないなって思ったんだよ」
「なるほどな。これからの仕事の参考にさせてもらう」
「でもほとんどの人は綺麗な球体なんだよね?」
環の問いに光希はゆっくりと首を横に振った。
「完全な、綺麗な球体の魂は俺も見た事がないよ。どんなに大往生して、家族皆に看取られた人でも、どこかに歪みがある。でもそれは子供や孫が可愛くて仕方がなくて、もっと側にいたいっていう気持ちで、歪みがあるからって必ずしも負のイメージではないんだ」
「そうなんだ」
歪と聞くとどうしても悪い印象が勝ってしまうが、優しさゆえの形もあるのだと知った環はホッと安堵の溜息をこぼした。
「要はその時の状況次第ってことだよ。伊藤ちゃんの時は結構なことをやらかしてくれたからね。異界に来るだろうなーって予測してた。だからあの一件も内々に処理した。感謝してよー? 俺がきっちり報告してたら、問題を起こした伊藤ちゃんは死神にはなれなかったかもしれないんだからねー」
「やっぱりそうだったのか」
伊藤にも思い当たる節があったのか、やっと合点がいったというように頷いた。
「俺が研修を受けていた時も月城の話は聞いたが、問題を起こした俺の話は一つも聞かなかったからな」
死神の研修中は専用の研修棟があり、そこで同じ研修生達が寝食を共にしていた。
その中では先輩の話はもちろん、同期から噂話を聞く事も多く、その中の一つに伊藤は驚いたことがあった。
魂を狩られる時に問題行動を起こした魂は死神になることができない。
それを聞いた時、伊藤は自分の行動が問題になっていないことを不思議に思い、どこかで情報が止められている事にも気付いた。
それが光希だったのだ。
「前にも言ったけど、俺のモットーはアフターケアは万全に。だからね。暗い話はもうおしまーい。それじゃ俺達は帰るよ。タマちゃんも気をつけてね」
「うん。それじゃまた。あ、伊藤君!」
背中を向けようとした伊藤は、環の声に再び身体を向き直す。
「一之瀬君、元気だよ」
「ああ、知ってる」
その言葉に、死神となった伊藤が一之瀬のことを気にかけて、様子を見ていたことを知ると、環はにこにこと笑いながら手を振り、環に見送られながら、二人は異界へと戻って行った。
異界へと帰る最中で、伊藤が躊躇いがちに光希に話しかけた。
「意外と普通だったみたいで安心した」
「でしょ? タマちゃんはホント頭がいいっていうか、肝が据わってるんだよね。俺達以外の死神も見えるらしいけど驚かなかったみたい。声もかけてないって」
「慎重なんだろ」
「おかげで助かってるってこと。もちろんこの事は三人だけの秘密だからね。問題が大きくなったら、その時は上に報告できるようにはしておくから」
「すまない」
「だーから大丈夫だって! それに俺はこうしてタマちゃんに会えるのは嬉しいんだよ」
それから光希は環の話を始めた。
笑った顔が可愛い、優しい、今度家に行くことになった、など怒涛のごとく話して聞かせた。
もしかしてこれからも伊藤は光希の話を聞く事になるのだろうか。
「随分と仲良くなったな?」
伊藤の言葉に、それまで捲し立てるような勢いで話していた光希がピタリと言葉を止めた。
相槌のつもりだったのだが、何か悪いことを言ってしまったのだろうかと思っていると、やがて光希は静かに口にした。
「うん。そうなんだよ」
環といる時間は温かくて、楽しくて。
会ったらまた次も会いたいと思ってしまう。
何があるかわからないから様子を見に行く。
なんていうのはあの時に咄嗟に思いついたことだった。
大義名分があれば環に会える。
もちろん心配だからというのは嘘じゃない。
それ以上に環との関係を断ち切りたくないと思ったのだ。
たった一回だけのはずだった時間が引きのばせた。だが。
「いつか、タマちゃんは俺達のことが見えなくなるんだろうね」
「見えなくなるのが先か、経過観察期間が終わるのが先かだな」
どちらにしても、別れは必ず来る。
思い出すのは小指の約束。
触れている感触はあるのに、環の温もりには触れられなかった。
それが二人が住む世界が違うのだと突き付けていた。




