03:伊藤と一之瀬
高校へと向かう途中に他愛のない話をしながらも、環は死神が余程珍しいのかじっと光希を見つめることがあった。
人間界にも死神をテーマにした話はいくつもあったはずだが、こうして目の当たりのするとじっと見つめてしまうものだろうか。
何度目かに光希を見つめ始めた環に苦笑を浮かべる。
「そんなに死神が珍しい?」
「あ、ごめん。興味本位で見ていたんじゃなかったの。月城君は一瞬で服装を変えたりできるの?」
「一瞬で服装を変える……? 今の人間界ではそんなスキル持った死神キャラがはやってるの?」
光希の答えは環の予想とは違う方向だったのか、環は一瞬だけ死神キャラという言葉に首を傾げたが、すぐにその意味がわかったのか、吹き出すように笑い始めた。
「ああ、やっぱりできないのね」
「いや、できる方がおかしいでしょ、どう考えても!」
「ごめん、違うんだよー! そうじゃなくてさ。服装が変えられないなら学校に着いたら姿を消して欲しいなって。うちの制服を着てない人が学校内に入るのは、さすがにまずいから。月城君がスーツでも保護者には見えないし」
「ああ、そういうこと。それにしてもタマちゃんてば死神を一体何だと……」
『最初に見たのが空を飛んでる所だったんだから無理もないだろ』
「そうそう、なんか大抵のことは『できるよ』とか言いそうだったもの」
「また新たな死神キャラが人間界で大人気になっているのかと思ったよ」
つい最近あったのは妖怪ブームだったが、それに便乗して死神ブームでもやってきたのかと思った光希は大仰に肩を竦めてみせた。
時折いるのだ。生死を越えた先にいる者が。
自分は死んでしまったというのに、死神という未知の存在に対して目をキラキラとさせて色々質問をする人間が。
職業病であったり、ファンタジー作品が好きだったりと、老若男女問わずいる。
彼らは光希が死神だと知るやいなや、死神のことをあれこれと聞いて楽しそうに笑ったり、自分の知る死神とは違うのかと残念がったり。
己の生死よりも、死神のことを気にする。
そういう人間はどんな時代にも時折いるが、人間界で死神にまつわる作品が流行すると、その数が増える傾向にあった。
だからまた死神をモチーフにした作品やキャラクターが流行りだしたのかと思ったのだ。
「何がきっかけで流行がくるのかなんて、わからないもんね。もうすぐ着くよ」
「基本的には人間と一緒だって。じゃあ姿を消すね」
学校の正門を視界に捉えると、光希は姿を消した。
消したとは言っても環には少しばかり透けて見えるだけなので、あまり視覚的には変わらない。
「それじゃ、まずは校庭からだね。陸上部がいるといいんだけど」
環の話では、グラウンドは野球部やサッカー部なども使うため、曜日で使う部が決められているとのことだった。
伊藤がその話を聞きながら、どこの学校も同じようなものなのかと同意すれば、同じクラスにいる陸上部の友達から色んな話を聞くらしい環との間に花が咲いた。
「使用日じゃない日は外を走り込みしたり、たまに市のグラウンドを借りることもあるみたい。私はこれ以上は詳しくないけど、いるといいね」
『部外者が突然行っても大丈夫なのか?』
「邪魔にさえならなければ大丈夫だよ。見学してる子もいるし、最近じゃOBの人達も来てるみたいだし。記録会もたまにやって活気づいてるから」
説明しながら環は慣れた足取りで校庭に向かった。
グラウンドを取り囲むようにしてトラックが作られている、その内側を二つの部活が活動をしている。
グラウンドの中央あたりにパーティションが置かれているのを見て、環の表情がパッと明るくなった。
「良かった! パーティションがあるから、陸上部の活動日だよ」
ニコッと笑う環に光希が不思議そうにしながら問いかける。
「ここからじゃパーティションに遮られて見えないね。あのパーティションって何の意味があるの?」
『球避けだな。集中して走り出した時にボールが飛んできたら洒落にならない』
「なるほど。それなら回り込もうか」
大きな掛け声と、ランニングをしているシューズのゴム底が校庭を蹴る度に響く規則正しい摩擦音、ボールがバットやミット、ラケットに当たる音。
多くの賑やかな音の中で楽しそうに皆が練習をしている姿を見ながら、パーティションの内側へと回り込んで、光希が伊藤に確認する。
「いる?」
『ああ、あの背が高い奴がそうだ。一之瀬だ』
「おお、モテそうな感じだね。高跳びの選手なのか」
伊藤が指した方向にいるのは、スラリとした体格で高跳びのバーの前に立つ一人の男子生徒。ただ立っているだけなのに、その姿は様になっている。
容姿と相まって、女子生徒から人気がありそうな、そんな雰囲気だった。
「そうだね、一之瀬君は人気があるよ」
『知ってるのか?』
「同じクラスなの。たまに話をするよ」
「まさかこんな所に接点があるとは思わなかったな」
「さっきの陸上部の友達も、一之瀬君が跳ぶのは綺麗だって言ってたけど、見るの初めてなんだ」
話しながらも三人の視線は一之瀬から離れない。
だが、すぐにでも跳ぶような空気を纏っているのに、一之瀬は一向に跳ぼうとはしなかった。
「中々跳ばないのは、何かあるのかな」
『……』
伊藤にもわからないのか、光希の呟きに答える代わりに首を傾げるだけだった。
やがて。一之瀬は深呼吸を何度か繰り返してから走り出した。
最初は軽いものが、すぐに強く踏みしめるような助走に変わり、最後に力強く地面を蹴る。
一連の流れがリズムに乗るような流麗さ。そのしなやかな動きはほんの数秒の短い時間なのに、目に焼き付いて離れないくらいの印象を与える。
頭の天辺から脚までを、大きな弧を描くように撓らせるものの、バーは腰の辺りが越えようとした所で落ちてしまう。
「あー惜しいっ!」
心の内を代弁するように握り締められた両手や、無意識に緊張していた肩、知らずに詰めていた吐息。
三者三様の表情を浮かべながら一之瀬を見て強張っていた身体から力が抜けると、部活が終わる時間らしく、顧問が鳴らす笛の音とそれに続く部員全員の大きな声が聞こえる。
環が一旦入り口から離れて見ていると、一之瀬は片付けようとする部員に声を掛けて先に帰るように促している。
恐らくは自主練を始めるつもりなのだろう。
一之瀬はその場から離れてスポーツドリンクを飲んで、大きく溜息をついた。
その表情は決して明るいものではなかったが、この風景自体は何てことはない、高校生の部活の一ページ。
『もう少しだけ見ていてもいいか?』
「もちろん」
「まだ来たばかりでしょー」
環は不審に思われないようにグラウンドの片隅に置かれたベンチに座ると、鞄から本を取り出して読んでいるふりをした。
「声はかけなくていいのか?」
『ああ、向こうはいきなり声をかけられても驚くだろ。それが俺でも、見た目は環なんだからな』
確かに。
環が声をかけたとして、いくらクラスメイトだと言っても伊藤の状況を説明して納得して貰えるとは思わない。
ましてや人の生死に関わることを口にすることで、環に迷惑がかかるかもしれない。
『それに、ライバルって言っても……いや、ライバルだからこそ、かな。仲が良かったってわけじゃなかったんだよ。俺が構いたくて構ってるって感じでな』
「……そっか」
「でも伊藤ちゃんはあの子のことを気に入ってたんでしょ?」
『気に入っていたと言えばそうだな。あいつが飛ぶ姿は凄く綺麗だから。初めて見た時、そのフォームの綺麗さに見惚れたくらいだ。今はまだ記録は出てないが、育てばきっと面白くなる。きっと俺のライバルになる。……もっと伸びる所を見ていたかったんだよなあ』
最後の方は寂しそうな声になりながらも伊藤は笑う。
無意識に出ただろう、最後の呟き。それがきっと伊藤の中の未練になっているのかもしれない。
本人でも意識していない部分で。
そんな伊藤を見て光希も環も何も言う事はできなかった。
伊藤は仲がいいわけではないと言っていたが、こうして見る一之瀬は確かに見た目は気の強そうな、生意気そうにも見える容姿だが、一人で居残って練習をするくらいなのだから、真面目に部活に取り組んでいることはわかる。
伊藤と一之瀬が、どんなやりとりをしているのかは光希達にはわからない。
他校であっても、合同練習で時折会う一つ上の生徒から気に入られていることを、なんだかんだと言いながらも一之瀬が受け止めているのなら。
細くとも、二人の間には確かなものがあったのではないだろうか。
だが、それを伊藤に告げることは憚られて、二人が口を噤んでいると、休憩を終えたらしい一之瀬が再びバーの前に立った。
それからどれだけの時間が経っただろうか。何度も、何度も助走をつけて走り出したものの、一之瀬の身体がバーを越えることは一度もなかった。
越える前に足を止めてしまう場面もあった。
そして今またバーを前にして失速してしまった一之瀬に、黙って見ていた光希が、ポツリと零した。
「スランプ?」
『……スランプと言うよりも慣れだな。高校からハイジャンを始めたって言ってたから、まだ身体がベストなタイミングを掴めていないんだろう。なんとなく跳んでいるんじゃなくて、記録を出すための跳び方に変えようとした時に頭と身体がバラバラになっているのが今の状態だろうな』
今までは身体が跳びやすい場所とタイミングで無意識に踏み切っていた。だが、それでは記録はでない。
自分の癖や脚力などを加味して、記録を出すためのベストなタイミングとのずれが大きければ大きい程、すり合わせることが難しい。
一之瀬は今、このタイミングを擦り合わせている最中なのだろう。気持ちよく跳ぶことができない為に、うかない表情を浮かべている。
何度やってもできない自分に焦りも感じているのかもしれない。
そして再び、バーがカラカランと乾いた音をたてる音が響いた。
「くそっ……」
思うように跳べないストレスからか、一之瀬の表情が悔しそうに歪む。
マットに沈む一之瀬を見下ろす空から逃れるように、両目を右腕で覆う。
「来月までには、これくらいクリアするって、言ったのに」
(覚えて、いたのか)
低く、唸るような声に悔しさが滲んでいる。そんな一之瀬の言葉に伊藤はハッとしたように目を見開いた。
思い出すのは、最後に会った先月の記録会。
伊藤が通う高校と、環と一之瀬が通う高校は少々離れてはいるものの、昔からの付き合いがあり、記録会や合宿を合同で行っている。
他校とは言ってもライバル校としての付き合いがあり距離感が近いため、両校の生徒同士も仲が良く、時にはライバルとして切磋琢磨しあう、良い関係だった。
そんな中、今年の新入生が入った最初の合同練習で一之瀬と出会った。
最初は生意気だと思った。
だが、伊藤が跳ぶ姿を見てからは、態度が軟化したのを見て、それが面白くて構うようになった。
揶揄われることが面白くないのか、伊藤に会えば嫌そうな顔をする癖に、構い始めるとアドバイスなどにも素直に頷く他校の後輩が可愛かった。
そんな時で一之瀬に訪れた最初の壁。
自分の跳び方と記録を出すための跳び方の違い。
わかっても跳べないもどかしさ。
もちろん人によってはすんなりと乗り越える場合もあるが、一之瀬はその壁に当たっていた。
合同練習の帰り際、伊藤がいつも通りに揶揄うように告げた言葉は。
『どうしたー? 前はあの高さも跳べてたのに、今は難しいか?』
『そんなことない。次に会うまでにはこれくらいの高さクリアして、記録伸ばしてるから』
二人の間ではよくある会話の一つだった。
それを、一之瀬は覚えていたことが、一之瀬の原動力になっていることが、純粋に嬉しいと思った。
そんな他校の後輩を伊藤は黙って見つめる。
しばらくマットに沈み込んでいたものの、一之瀬は悔しさを飲み込むように唇をキュッと引き結ぶと、身体を起こした。
約束をした。
再び見上げた空は、先程よりも橙色のグラデーションが濃くなっている。そろそろ自主練も終わりにする頃合いだった。
「あと、一本」
一之瀬はそう言って、再びバーから少し離れた位置へと向かった。
静かに立って、目を閉じて深い深呼吸を一度だけ。
次に目を開いた時には真っ直ぐにバーだけを見つめて、走り出す。
跳ぶべきポイントはわかっている。ただ、そのタイミングが掴めないだけ。
踏み切る場所を見ながら助走をつけるものの、このままの歩幅とスピードではいつも一之瀬が跳んでいるよりも、バーから遠い。
このままではタイミングが合わないかもしれない。タイミングが合わせても、バーを越えることはできないかもしれない。
迷ったのはほんの一瞬。だが、その瞬間。
「今だっ!」
「っ!」
突然の声に何を言われたのかを理解するよりも早く、反射的に突き動かされるように一之瀬は思い切り踏み切った。
そこから先は流れるようにしなやかな動きに三人とも目を奪われた。
振り上げられた腕、振り上げられた脚、大きく仰け反らせた背中。
これまで何度も失敗していたとは思えないほど、一之瀬の身体はバーを余裕を持って跳び越えた。
「すごいな」
『……行くぞ』
「きれいって、ええっ!?」
バスンッと勢いよく身体を預けたマットから見上げるバーは落ちていなかった。
目で見て、吐息をついた所でようやく出てきた実感。
ここ最近なかったくらい、自分でも驚くくらい気持ちよく跳べた。
一旦ずれ始めた踏切のタイミングが上手くかみ合わずに、前なら跳べた高さが越えられなくなった苛立ちが嘘のように消えていく感覚。
その発端となったのは、あの時の声。
今だ、と叫んだ声は女子のものだった。
あの声は一体誰の声だったのか。
確かさっきまでクラスメイトの望月環がいたが、彼女なのだろうか。
むくり、と上半身を起こして、辺りを見回す。
あの時はどこから声が聞こえてきたのかわからなかったから、ぐるりと見回したものの、予想した人物はおろか、周りには誰の姿もなかった。
「……気のせい?」
確かに聞こえた声をもう少し探そうとして、やめた。
ここは学校内。探そうと思えば、声の主は探すことはできるだろう。
望月には明日話を聞くこともできるし、もしかしたら何か知っているかもしれない。
それよりも今はかみ合い始めたこの感覚を忘れたくない。忘れる前に身体に覚え込ませたい。
一之瀬は頭を振ると、もう一度バーから少し離れた場所に立ち、地面を蹴った。




