01:死神と人間
光希は走っていた。ひたすらに。
「っは……あーもうっ! なんでこんな面倒なことになってるのかなー」
声を上げながらも光希が追いかける先にいるのは一人の青年。
正しくは、その魂。
死神である光希はいつも通り、仕事前に渡されるリストに記載されている人物の魂を狩り取るという、いかにも死神らしい仕事をこなしていた。
死神協会日本支部――別名モルテジャパン。
光希が所属しているのはここの死者の魂を狩る部署であるプシュケだった。
死神協会に所属している者はどの部署の所属であっても全員が死神だが、人間界に降りて直接ヒトの魂を狩ることが許されたプシュケに所属する者は、総じて能力が高く、多くの特権や能力の使用が許されていることから、エリート部署で死神達の憧れの部署でもあった。
今は汗を流しながら全力疾走をしているが、光希もプシュケの一員。
それだけでも女性から人気があるのだが、光希は見た目も整っているためにプシュケの中でもかなりの人気があり、本人もそれを自覚している。
花形部署に所属する色男。そして後輩の面倒も良くみて、上司陣の評判もいい。
それだけなら非の打ちどころがなく、人によっては嫌味に見えるが、光希の性格を知り尽くしている同僚達はどうして光希がもてるのか、と本人を前に軽口を叩いて笑い合っているのだから、そういう所に光希の性格が表れているのだろう。
こうして楽しく暮らしている光希が、今日も順調にヒトの魂を狩り、本日最後となる魂の持主の所にやってきた所で思わぬアクシデントが起きた。
いつものように相手の身体から魂を引き離して、手にした鎌を振り下ろそうとした、その一瞬の隙をついて魂が突然飛び出したのだ。
それまでただ大人しかった魂の突然の行動に光希もすぐに反応したものの、青年の魂は光希の手を鮮やかにすり抜けた。
それからはこうして逃げる魂を光希が追いかけ回っている。
「待てって言ってるでしょーが!」
「待てって言われて待つ奴がいるかよ!」
「こんにゃろ……!」
二人はそんな言い合いをしてゼェゼェと苦しそうに息継ぎを繰り返しながら、それでもひたすら走り続けていた。
逃げる魂と追いかける光希。
全力で追いかけること三十分。
少しずつ魂との距離は埋まっているのだが、それも僅かずつ。
思うように埋まらない距離がもどかしい。
光希はもうこれ以上走りたくない、辛い、と心の中で叫んでいた。
こんなに苦しい思いをするのなら、格好なんてつけていないで誰でもいいから相棒を見つけておくべきだった、と今更ながらに光希は歯を食いしばった。
基本的に死神は二人一組で行動することになっている。
死に面した魂は驚愕、混乱、不安、恐怖……様々な負の感情を背負っていることが多く、魂を狩り取る際に何が起きるのかがわからない仕事でもあった。
この青年のように突然飛び出して逃げようとする魂も少なくない。
その為に魂を狩る者とそのフォローをする者とで二人一組で仕事をするのが基本とされている。
だが光希には今、相棒はいなかった。
少し前までいた相棒は、今は後輩と組んで仕事をしている。
本来ならばすぐに相棒候補を紹介されるが、名実ともに実力派と言われている光希と組めるだけの実力を持つフリーの死神がいないこともあり、光希はしばらくは一人で仕事をすることになっていた。
実力があれば相棒に対してある程度の要望を伝えることができるため、光希も下手に足手まといになるくらいなら一人の方が楽だと思いながら仕事をこなしてきた。
実際一人での仕事に支障がなかったのだ。これまでは。
今日初めて、こんな時に相棒がいればと前の相棒を思い出していた。
「なんて、今更言っても仕方ないんだけどね」
魂は狩った後に異界に送らなければ、行き先を失って人間界に留まり続けることになってしまう。
誰にも気付かれない、見つけられない、話せない、伝えられない。
長くそんな状態でいると次第に人間界に留まりたかった理由を忘れて、悲しさや苦しさから暴走するケースがあるのだ。
そこで人間に危害を加えることがあれば、折角決まっていた行き先が悪い方向へと変更されてしまう場合もある。
そうならない為に死神が魂を狩り、送る必要があるのだが、そんなことを知るはずもない魂は感情のままに逃げ出してしまうのだ。
(ほんと、人間界で迎えに来た死神の言う事は聞けってルールがあればいいのに!)
一向に止まる気配のない青年の魂に、いい加減止まってくれと思いながらその背を追った。
同時に何が悪かったのかと考える。
光希がやってきて、魂を肉体から切り離すまでは問題はなかった。
光希の言うことに静かに頷く、大人しい魂だった。
順調だった。
それが何故、今全力で走っていることになっているのか。
青年の名前は伊藤和真。十七歳、高校二年生。
明るい性格で勉強よりも部活に精を出す、まさに青春真っ只中の若い魂。死因は事故。
確かに若い魂は突然の死を受け入れられずに混乱し、暴走するケースは多い。
それを受け止めて、道に迷わないようにするのも光希の大事な仕事だ。
魂を恙なく送る為に許された特権が死神には与えられている。
その特権ゆえに魂狩り本部に所属する死神はエリートと呼ばれているのだ。
だが、こうして騙し討ちに合うと、この魂にかける時間が減っていき、この次に待っているだろう魂の元に向かう時間にずれが生じてしまう。
死亡予定時刻が変わってしまう。
光希はリストにあった次の人物のことを考えて、プシュケに連絡を入れようかと考える。
一人のずれが積み重なれば、やがて多くのずれを生じることに繋がる。
だからこそ、この時間だけは変えることは許されない。
もしも予定通りに動くことができなければ、速やかに本部に連絡を入れて、待機している他の死神に向かってもらう。
常にアクシデントに見舞われる仕事なので、通常勤務の他に常時、待機組が本部に詰めている為、連絡をすることは珍しいことではない。
これまでの光希のように、死亡時刻にズレもなくきっちりと仕事をこなすことで実力が認められることはあっても、時刻に間に合わずに待機組に連絡を入れても光希には何ら落ち度はない。
あるのは魂の方。
ヒトの世界で言えば公務執行妨害とでも言えばいいだろうか。
悪意の有無によらず、死神の仕事を妨げたことで、この先に進むときに不利に動くことが考えられる。
青年のことを考えるなら、待機組に連絡をするのは避けたい。
(それに……ちょっと目を瞠るものがあるんだよね)
まだ、まだ猶予はある。だからギリギリまではこの魂に寄り添いたい。
「まあ、実力派の俺の手にかかればねー」
軽い口調で呟くと、光希はスーツの内ポケットにしまった携帯電話に伸ばしかけた手をそっと戻した。
二人はこれまでずっと川沿いを中心に走っている。
障害物があまりなく走りやすいことや人が少ないこともあって、余計なことを気にする必要がないのは助かるが、それ故に純粋な追走劇が続いていた。
いつまでこれが続くのか。
早く手を打たなくては、と考える光希達の前から一人の女の子が歩いてくる姿が見えた。
少女と言うには大人びていて、女性というにはまだ幼さが残るような、そんな狭間にいるブレザー姿の高校生だった。
「いいね」
前にいる女子高生を見て、にやりと笑ったような気がする伊藤に光希は嫌な予感しかしなかった。
直感的にまずい、止めるしかない。そう思った。
「ちょっ! それはだめだって!」
「面倒だから?」
「そうそう、面倒だか……ってそうじゃなくて! 伊藤ちゃん!」
先程からの嫌な予感は伊藤が目の前にいる人間の身体に入りこむことだった。
伊藤が言う通り、そうなれば面倒なことになる。
生きた人間に伊藤が危害を加えないように気を回さなければいけないことはもちろん、光希にも人間から伊藤をうまく切り離す能力が求められる。
ただの追いかけっこよりも遥かに面倒なことになるのは明らかだった。
「それじゃお言葉に甘えて」
「甘えちゃだめだって……あ」
光希が止めるのも虚しく、伊藤は現れた高校生の中にスウッと静かに入りこんでしまった。
それまでスタスタと歩いていた高校生がピタリと立ち止まる。
そして、女子高生の中で伊藤が話しかけているのだろうか、突然頭の中で聞こえた声がどこから聞こえるものかを探ろうとしてキョロキョロと、栗色の柔らかそうな印象を与える髪を揺らしている。
「本当にやってくれたよ……」
光希は手で顔を覆って大きく溜息をついた。伊藤が高校生の中に入ってその意識を奪おうとしている。
こうなれば二人を引き離す手段は三つしかない。
このまま伊藤を説得するか、伊藤が入りこんだ女子高生を説得するか、無理矢理引き剥がすか。
最も避けたいのは無理矢理引き剥がすことだった。
死神がその魂を異界へと送る時、その魂を身体から引き出すのだが、それと同じ事をすれば伊藤の魂だけをヒトから引き剥がすことは可能だった。
だが、今は生きている人間に伊藤の魂が入っている。
生身の人間から別人とはいえ無理矢理に魂を引き剥がした時に何が起きるかわからない。
伊藤が抵抗している状態では最悪、伊藤の魂と一緒に女子高生の魂も引き出してしまう可能性もあるため、この手段は使いたくなかった。
そして伊藤の説得はどう考えても骨が折れる。
あの手のタイプはのらりくらりと躱しながら自分の有利になるように事を進める。
だが光希としてはこれ以上、伊藤の好きにさせるわけにはいかない。
ならば、一見優しそうに見える女子高生を説得する方が早そうだと考えた。
死神の能力の中には飛行能力以外にもいくつか特殊なものがあった。
その一つは、死神は人間にその姿を見えないようにできること。
今は魂を追いかけている状態だったので、宙に浮いて空を全力で駆けていた。
一言に死神と言っても元人間。
その見た目は人間と何ら変わらない。
そんな者が空を飛んでいれば騒ぎになるなんて考えなくてもわかる。
その為に今は人間に見えないように姿を消していた。
光希が、伊藤が入りこんだ女子高生を説得するために地面に降りて姿を現そうとした時、女子高生が急に顔を上げて光希を見た。
真っ直ぐに、まだ宙に浮いている光希を。
辺りには人間の興味を引くような物は何もない。
その目はしっかりと光希を捉えていた。




