11:迷い人
叫び声を上げた後の光希は自分がどうやって異界まで戻ってきたかを覚えていなかった。
ただあるのは虚無感と無力感。
どれだけあの場所にいたかなど覚えてはいなかった。
だが、環を送ったことだけは上司に報告しなければならない。
それが環の魂を狩った自分に課せられた仕事。
これだけは最後までやり遂げる。
その一心で憔悴してフラフラとした足取りでもここまで戻って来たことは確かだった。
いつものように上司である上田の執務室にくると、そこには会議中のプレートがかけられていた。
「タイミング悪……」
暗い表情のままポツリと零すと、上田の隣の扉が開いた。
そこからひょっこりと顔を出したのは、上田の部下兼、相棒として隣室に執務室を構えている下野だった。
「お。戻ったか。上田さんは見ての通り会議中でな。光希が戻ったら俺が報告を受けるように言われてる。入ってくれ」
上田が不在の時や所要の際にはこうして下野が代理となることがあったため、光希も慣れた様子で下野の執務室に入る。
報告と言っても、リストにある人物の魂を狩ったと告げるだけの、簡単なもの。
(そうだよ。この世界においては紙きれ一枚で終わるだけの、簡単なもの。だと、思ってた)
これまでは自分の知らない相手だった。
だから、仕事だと割り切って狩ることができた。
送ることができた。
だが、光希は今日初めて自分が知る相手を狩った。
簡単に割り切ることなどできはしない。
「ここにある人間の魂を狩りました」
「……ご苦労さん」
明らかにいつもとは違う様子の光希を見ても下野は何も言わなかった。
もしかしたら異様とも取れるような雰囲気の光希に何と声をかけていいのかわからないのかもしれない。
だが今の光希にはそれが有難かった。
何かを聞かれても、特定の人間と接触していたことを報告していない光希には『何もない』と答えることしかできない。
長居はしない方がいい。
いつ光希の異変を問われるかわからないし、変に気遣われるのも今は煩わしかった。
光希は無言で一礼して、そのまま執務室を出ようとした。
「光希」
ドアノブに手をかけようとした時、下野に呼ばれた。
やはりこんな顔では何も隠し通せないかと、投げやりな気持ちになりながら振り返る。
「そろそろ相棒を作らないか」
「興味ありません」
基本的に死神は二人で一組。
そんなことはわかっている。
下野が話すということは誰か候補でも現れたのかもしれない。
だが今はそんなことはどうでも良かった。
正直下野の気遣わしげな視線すら光希にはうっとおしいものでしかなかった。
「失礼します」
そう言って光希は今度こそ下野の執務室を出た。
「よお」
執務室から出た光希を待っていたのは廊下の壁に身体を預けている伊藤だった。
伊藤は唯一、光希と環の二人を知る人物。
そんな伊藤を見て、光希はほんの少しだけホッとした。
全てがどうでも良くなった気分も少しだけ軽くなった。
光希の顔を見て伊藤が短く溜息をついた。
「ひっどい顔してるな……終わったのか?」
「うん。ちゃんと、狩ったよ」
「そうか。良かったのか?」
「良いも悪いもないよ。あのまま魂を狩らなかったらタマちゃんはどこにも行けなくなって、あの場所から動けなくなっちゃうんだから」
「まあ、そうなるだろうな」
光希の答えば上辺だけのものだった。
伊藤は光希の気持ちに気付いていた。
そして、恐らく環の気持ちにも。
そんな伊藤が聞きたいのはそんなことではない。
仕事の話ではない、光希の本音が知りたいのだ。
「こう……」
「タマちゃんの」
伊藤の言葉を遮るように光希は言葉を続けた。
その言葉の強さに伊藤は言葉を飲みこんだ。
「タマちゃんの魂ね。すごく綺麗だった。すごく綺麗な……球体、だった」
半ば伝説化している、誰も見た事がない魂の形。
それがまさか環だったことは伊藤も信じ難かった。
予想もしていなかったことだった。
「そんなのを見せつけられちゃったらさ。汚せないでしょ。何も言えないでしょ」
言いながら嗤う光希の姿は異様だった。
憔悴しきった顔で笑っているから、それを際立たせているのかもしれないが、普段の光希からは想像もつかないほどの姿だった。
目は見えているのに何も映していないような暗さがあった。
(どうしたもんかね……)
直感的にまずいと感じた。
このまま放っておけば自暴自棄になりかねない。
いや、今の光希の状態を見るに既にその片鱗は現れているのかもしれない。
伊藤は腕を組んで少しだけ考えるような仕草をしてから、低い声でゆっくりと告げた。
「それで、光希は何をしてるんだ?」
「……何が?」
「環の魂が綺麗だったのはわかった。それで、今は? 光希はその感傷に浸っているだけか」
腫れた目は泣き崩れた跡を、いつもならばっちりと決まっている髪が乱れているのはその激情を。
それらの重苦しい感情をどこにもぶつけることができずにいると、わかっていて伊藤は言った。
伊藤が何を言わんとしているのかを、光希にはすぐに理解することができなかった。
いつもならこれだけ言えばすぐに理解できるはずなのに、虚ろな目をした光希には届かなかった。
伊藤は小さく溜息をつくと、いつもの人を食ったような表情を作って、わざと光希を挑発させるような言葉を使った。
「もし環に会えたら、光希の所に連れて来てやろうかと思ったけど、当の本人がこれなら必要ねえな」
「伊藤ちゃん?」
環に会えたら。
その言葉に光希が反応した。
「ここにいる間は魂なんて関係ないだろ。ここでは生前の姿なんだから。それに。ここに着いた時点で魂の選定はなされている。環が天国に行ける存在なら、その意思で四十九日間はここに留まることができる」
地獄に送られる魂は問答無用で送られるがな。
そう付けたして伊藤は光希を見ると、虚ろだった光希の目に光が灯されていた。
相変わらず疲れきった顔をしているが、投げやりで生気のない顔をしているよりはずっといい表情になっていた。
光希は伊藤の言葉にハッとしたように顔を上げると、いても経ってもいられないとばかりに走り出す。
「探してくる。それと、タマちゃんを見かけたら頼む」
伊藤に言われるまでこの世界のシステムを光希はすっかり忘れていた。
伊藤の言う通りだった。
死後最長で四十九日の間はこの世界に留まることができるのに。
環さえそれを望んでくれれば、もう一度だけ会うことができるかもしれないのに。
環の魂があまりにも綺麗だったから、未練も何もなく、あっさりと天国に行ってしまうものだとばかり考えていた。
だが、もし、環が。ほんの少しでもこの世界にいたいと望めば。
ほんの少し、欠片だけでも光希にもう一度会いたいと願ってくれれば。
環はまだこの世界にいるかもしれない。
これからの四十九日の間、光希は時間がある限り異界で環を探す。
だが。人が増えては消えていく世界の中では、この世界の住人以外の者を見つけ出すことは不可能にも近い難しさだった。
例え、伊藤に協力してもらったとしても。
「それでも、探すしかない……!」
光希はあらゆる可能性を考えた。全力で環を探し始めた。
まずはここに留まると決めた時に門番達から紹介される宿舎。そこへ向かった。
「おーおー。さっすがエリート様は真っ先に一番可能性が高い所に向かったか」
伊藤が光希の背中を見送っていると、ひょっこりと小さな影が現れた。
「いいの? あんなこと言っちゃって」
「仕方ないだろ。投げやりな顔よりマシだ。それに、ああでもしないとすぐに気付かれる」
「確かに。光希ってば、ああ見えて優秀ではあるからね。勘も鋭いし」
言いながら琴美は今はもういない光希を見るように廊下を見つめた。
「そういう事だ。もう時間か?」
「うん。だから呼びに来た」
「今日から忙しくなるな。研修生の教育ってのが仕事に盛り込まれるとは思わなかった」
「ああ、一人かなり優秀な子が入ったって話だよ。伊藤の時もやり手が出てきたって噂になってたけど、やっぱり誰かが教育に来たの?」
「ああ、俺の時は光希の元相棒が来たな」
研修生の中に能力の高いものが現れた時には先輩死神から個別の教育が設けられることになっていた。
その教育を伊藤も受けている。
「それで光希の噂に詳しかったのか。研修生の教育って私も初めてなんだ。だから気持ちのいい人だといいんだけど……」
「それは実際に会わないとわからないだろうな。ほら行くぞ」
「なーんか最近伊藤ってばエラそうじゃない? 私の方が先輩なのにー!」
先を歩く伊藤に琴美は小走りになって隣に並ぶと二人は光希とは真逆の方向に歩き始めた。




