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ステップ

朝7時、目覚ましのベルが鳴った。

「起きないと、遅れちゃう、遅れちゃう」

洋三はよれよれのパジャマから、いつもの白いポロシャツとだぶだぶになったジーンズに着替えた。肩からはこげちゃのショルダーバック、その中に今はもう誰も使わないであろうソニーのウォークマンと古びたカセットテープを放り込んだ。

ニコリと笑った女性が入った写真立てに「おはよう」と言うと、いつもの駅へと走り出した。


「彼女が乗っている電車は、7時半のいつもの急行、一番前の車両の真ん中のドア、一番前の車両の真ん中のドア、一番前の車両の真ん中のドア・・・・」

家から駅までの15分のダッシュは、洋三のいつもの日課。


「洋ちゃん、おはよう。いつもの急行まだきてないよ。彼女乗ってるといいね」改札口に立つ駅員さんが声を掛ける。

「ありがとう」と笑顔で洋三。改札を走り抜け、階段を駆け上がった。


「おはよう洋ちゃん、いつもの急行、まだ少し時間あるよ。彼女乗ってるといいね」売店のおばさんは、ここ3年間、毎朝必ず声をかけている。でも、いつも涙声にならないように。


洋三の定位置は駅のホームの前の方、白い線が引いてある所。必ず、ホームの全面に圧倒的に広がるR山を向いて大きく深呼吸する。ショルダーバッグから、ウォークマンに繋がれたイヤフォンを取り出し耳に当てる。彼女が好きだったエイトビートの曲。洋三は、軽やかなエイトビートのステップを踏み出す。軽やかに手足がリズムに乗り、みごとなステップが刻まれだす。


ステップは、洋三を一瞬の内に3年前に引き戻した。

洋三にしか見えない、いつもの急行が音も無くプラットフォームに滑りこむ。乗客が誰もいない先頭車両の真ん中のドア、にこやかな顔でステップを踏む洋三をうれしそうに見る彼女がひとり立っていた。


「おはよう」と洋三。

彼女はにこにこした顔のまま、洋三を見つめたまま何も答えない。


発車のベルが鳴る。ドアが二人の間を隔てる。いつもの急行は音も無くプラットフォームを滑るように走り出した。

遠ざかるドアに見える彼女の横顔は、穏やかな笑顔で満たされていた。


洋三にしか見えない急行に乗る彼女。遠ざかる彼女を見送り、ステップを終えた洋三は、額に流れる汗を拭きながら、満面の笑顔でホームの向こうに見えるR山を眺めた。


緑鮮やかな、山並みは、3年前のあの、これから起こるであろう電車事故の時と変わらない澄んだ景色だった。


洋三の耳には、彼女の「洋ちゃん、ありがとう」と言う声がたしかに、聞こえていた。


終わり









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