オレンジジュースと焼きそばパン
「だったら、おれが買いますよ」
「え?」
面食らったように爺さんの小さなお目めがめいっぱい開かれる。
「だから、俺が買って、おじいさんが飲む。それならいいでしょ?」
「うん」
短気なちっさい爺さんが素直にうなずく。
俺は知らず知らずのうちに笑っていた。手を自販機の下に差しだし「それじゃあ、それ」と言うと、名残惜しそうに500円玉を俺の手に爺さんはのせた。その大事な500円硬貨を握りしめ、俺は今度こそ硬貨投入口に滑り込ませる。
「何が飲みたいですか?」
足元ですっくと立つ爺さんに声をかける。
「何があるんじゃ?」
「えっと……」
「いい! 自分の目で見る。ほれ、手!」
万歳をする爺さん。
「はい、はい」
いつの間にかちっさい爺さんに慣れてしまった俺は、躊躇なく手の甲を地面につける。その手にぴょんと飛び乗った。自販機の下は暗くてよく見えなかったが、爺さんはジャイアントハムスターくらいの大きさだった。その小さな小さな指の一本が、一点を指し示す。
「これを押せ」
それは果汁100%のオレンジジュースだった。懐かしい。小さいころ、よく飲んでいたことを思いだした。
ピッ。
電子音とともに、ガシャンと落ちる缶の音。
爺さんを肩に乗せ、でてきたオレンジジュースのタグをあける。
カキッ! プシュッ!
何ともさわやかな音だった。
自販機の横に設置された古びたベンチに腰を掛けた。どのくらいの年数がたっているのだろう。手すりは鉄骨でできていたが、座面は木造で、もろく、今にも朽ちはててしまいそうだった。ところどころ剥がれた木片が、過ぎ去っていった歳月を慮られる。その上に爺さんを乗せ、缶ジュースを差し出した。
「どうぞ」
「うむ」
短い腕で缶にしがみつき、爺さんにとっては重いそれを少しずつ傾けて、米粒3つ分ほどの小さな唇をつける。俺は自分の水を買おうと思ったが、やめた。爺さんの隣に腰を下ろし、缶を支える。
「そんなことしても、やらんぞ」
缶の向こうから、じろりと顔をのぞかせる。一瞬、何のことだか分らなかった。
「一口狙っているんだろ。だから、わしに優しくするんだろ」
思わず、吹いた。そんなこと、これっぽっちも思っていなかった。ひとしきり笑っているあいだ、爺さんは「最近の若者は何を考えているのか分からん」と、ぼやいていた。
こんなに笑ったのは久しぶりだった。それに、何の見返りも考えずに人に優しくしたのも――――。
笑いすぎて目の縁にたまった涙をぬぐい、ゆっくりと目を開けた。
今日もだだっ広い深い青が、空を覆い尽くしていた。そこにかかる入道雲。真夏の太陽。
忘れかけていたオレンジジュース。それから、見知らぬちっさい爺さん。自分には関係ない、どうでもいいものばかり。それが少し気になるのはいったいなぜだろう。
「言っておきますけど、それ、もし飲めたら全部飲んでくれても別にかまいませんから。あっ、焼きそばパンもあるけど、食べます?」
爺さんの鋭い眼光が、一層深くなる。
「食う!」
俺は横に置いていた焼きそばパンの封を切る。
知らない間に、笑みが口に浮いていた。