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変化と恐怖

 重傷を負って治療を受けた後のような、全身から来る強い怠さに襲われて、身体が高速で落下するような感覚を味わった。眠りを妨げる不快な感覚に唸り声を上げて、無理矢理に目を開いてみると、視界一面に、最後に見た白い天井が広がっていく。

 妙にはっきりとしている頭を使って、いつ負傷したのかを思い出していくが、それよりも先に、いつも治療後に感じている、鈍い痛みのような後遺症が無い事に気がついた。

 自己治癒力に頼る人間とは違い、インパウンドは部品を交換する事で、簡単に身体を治す事が出来る。しかし、怪我という物をより強い印象付ける為、損傷の度合いに応じて、後遺症が残るようになっていた。その為、ただ怠いだけというのは、あまり感じた事が無い。

 普段とは異なる感覚に、戸惑いながら身体を動かすが、全身の数カ所が止められているような物を感じた。しかし、身動きした瞬間、誰かが手の平を強く叩く。その事にすぐ気が付いて、僕は胸を撫で下ろしながら、身体の動きを止める。アーミーパウンズが決めている、精密検査終了の合図だった。

 少しずつ身体に力が戻っていき、視界や意識も段々とはっきりしていくと、今まで風景だと思っていた物が、メセトさんだという事に気が付く。真剣な表情を浮かべたメセトさんが、僕の事を見つめていた。

「そのまま動かないで」何か返事をしようとして、呻き声を上げた僕を、メセトさんは少し鋭い声で押し留める。「すぐ起きるから、そのまま」ぼやけている視界の中で、メセトさんは僕と何かに対して、忙しなく視線を動かしているようだった。

 更に意識と視界と戻っていくが、はっきりと見えてきたメセトさんの外見に、僕は強い違和感を感じていく。「本人何ですか」

「本人だよ」警戒心から出た言葉に対して、目の前のインパウンドは、内蔵通信で返事をした。そして、落ち着く間も無いまま、続けて送られてきた内容に目を見張る。「ナナキ君も変わっているからね」

「え」何故か視界の中に突然表れた、メセトさんの階級表示を消しながら、慌てて身体を起き上がらせる。しかし、まだ身体が固定されているようで、動かす事は出来なかった。

 その様子を見たメセトさんが、「アーミーパウンドだってばれないように、工業用のインパウンドに似せたって言ってたよ」と口を開いた後、「台を回転させるから、前にある鏡を見てね」と言って、はっきりとしていた僕の視界から姿を消す。

 そして、「動かすよ」というメセトさんの声が聞こえた後、ゆっくりと、目の前の景色が前へと動いていく。

 その動きと合わせるかのようにして、濃い緑を基調した、一つ眼の大型が、僕の目の前に現れた。そのインパウンドは、薄い緑色の瞳を大きく見開いた後、自分の眼を三日月の形にして、こちらを警戒し始めるが、すぐにその顔が情けない物へと変わる。

「どうしても嫌だったら、言ってね」メセトさんに答えないまま、僕は唸り声を上げて、鏡を睨みつけるようにしながら、自分の姿を確認していく。

 胸から腹の所にあった、膨らんでいるような丸みが無い。タスキー少尉や、他のインパウンドと同じ、標準的な外見に変えられている。

 大きさは変わっていないが、ボールのようなお腹が凹んで、代わりに他の部分が出ているだけなのに、とても自分とは思えない。

 観察している内に、僕は以前とは違う自分の姿に、得体の知れない嫌悪感を感じ始めた。目の前で映っている物が、本当に自分の事だとは思えなくて、気持ち悪さから逃げるように、「何ですかこれ!」と言う大声を上げる。

「急激な変化だし、慣れるのには時間がかかるだろうけど」何処か楽しそうな口振りで、メセトさんは僕の視界に入ってくると、そのまま鏡の隣に移動した。「それ程おかしくはないと思うよ」」

 僕と似たような外見に作り替えられたというのに、メセトさんは不満を感じている様子が無い。それを見て、僕は声を小さくしながら、「そんな事言われても」と答えた後、もう一度眼を鏡に戻す。

 嫌悪感を含んだ視線で、こちらを見つめているアーミーパウンドは、確かに身体付きが良くて見栄えがある。でも、自分では無い、他の似ている誰かにしか見えなかった。再び唸り始めた僕を見て、メセトさんは少し笑いながら、「今度は近くで見るといいよ」と言った後、僕の身体に取り付けられていた、作業台への固定器具を外し始める。

 身体、腕といった部分が外されていき、最後に両足の固定が解かれた後、僕はそのまま鏡の近くまで歩み寄って、全身の細かい所に目を光らせていく。顔を間近まで近づけて、笑ったり泣いたりといった表情を浮かべると、考えている事が出やすいという、自分の顔が少しずつ姿を表していった。

 そのまま恐る恐る振り返って、自分の背中も確認していくが、こちらはあまり変化が無い。少し細くなっているようにも見えるが、あまり変化は無いようだった。

 納得した後、もう一度正面を振り向いて、今度は敬礼をするように、背筋を大きく伸ばして胸を張る。気のせいかもしれないが、以前よりも顔の厚みが減って、眼が大きくなったかもしれない。そのまま敬礼をしてみると、自分とは思えない程、引き締まった表情を浮かべている、アーミーパウンドの姿が表れた。

 おかしくはないなと思った瞬間、だったらもうこれで我慢するしか無いんだろうな、という考えになって、自分の目線がどんどん下に降りていく。「ナナキ君って分かるんだから、大丈夫だよ」僕の後ろから、メセトさんが暖かな言葉をかけてくれたが、僕はうんざりと、「もういいです」と答えた。

「どうしても無理だったら、相談してね」メセトさんは強い口調で、僕にもう一度念を押す。「最後に、仮想空間で一通りの動作を確認するから、もう一度作業台に乗って下さい」

「はい」僕は消え去りそうな声で返事をしながら、メセトさんの指示に従って、作業台の上に戻った。それを見たメセトさんは、部屋の扉近くにある引き出しから、昨日使っていた固定器具を取り出して、もう一度、僕の全身を固定させていく。そして最後に、シミュレーターで使っているヘルメットの、後ろ部分が無いような物を、僕の頭に取り付けた。

「仮想空間で待機して下さい」メセトさんから、ヘルメット越しから送られてきた指示に、僕は「はい」と言う返事をしながら、静かに自分の目を瞑る。それを見たらしいメセトさんが、仮想空間への秒読みを開始した。

 その秒読みが終わった直後、いつも行っているシミュレーター訓練のように、目の前の景色が激しく変化して、背中から武装の重みが伝わってくる。


 その後、僕は自分のすぐ隣に居た、メセトさんの指示に従って、変化した身体の確認を始めていく。検査の為によく使用される、灰色の殺風景な空間の中で、日常と戦闘の動作は問題無いと言われた後、次に、内蔵機能の確認へと移って行った。

 内蔵機能の殆どは、僕が意識しなくても自動でやっている事なので、特に何かをする必要は無い。楽な姿勢で地面に座ったまま、結果が終わるのを待つだけだった。少し身体を動かして気が紛れたのか、僕は検査の結果が出るのを待ちながら、お腹が凹んでいても、身体の重さや感覚は変わらないんだな。という、呑気な事を考え始めていく。

 暫くすると、数多い灰色の情報ウインドウを見ていたメセトさんから、全ての状態は正常だ、と言う診断結果が伝えられる。そのまま、今回新しく追加されたという、内蔵機能の説明に移っていった。身体を変えた事により、情報との連携機能が強化されて、これからは僕が眼で見た相手を、自動的に識別してくれるらしい。今までのように、手動で相手の階級を確認しなくても、相手がどのような階級なのかが分かる、という話だった。

 メセトさんが出してくれた、テスト用のに目を向けてみると、すぐに相手の情報を表したウインドウが、僕の視界の中に表れる。表示を小さくする事も出来るようで、それを見た僕は会心の笑みを浮かべながら、便利だな、という感想を漏らす。僕のような遠距離型としては、非常に心強い機能の一つだろう。

 最後にもう一度、全ての動作を確認し終えた後、メセトさんが灰色の情報ウインドウを消して、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。「少し体調に気をつけてね」

 精密検査の結果、地球に降りた時から、僕は普段以上に気を張り詰めすぎているらしい。普段と比べて、寝相がとても悪かったりするのは、疲れている証拠だと言われてしまった。それを聞いて、僕は恥ずかしそうに視線を逸らす。「何かあったら頼りますね」

「うん、いつもと同じでいいんだよ」メセトさんは表情を柔らかくして、相手に納得させるような、深い言い方で返事をした。「他に何か気になる所はありますか?」

 少し考えるが、特に何も思い浮かばない。僕が「特にありません」と答えると、メセトさんは軽く頷きながら、「了解」と言って、次の指示を出す。「じゃあ、シミュレーションを終了させるので、目を閉じて下さい」

 指示に従って、シミュレーターが終わる時の違和感に、少し覚悟を決めながら目を閉じた。すると、眼を閉じた景色の中に、一瞬だけ不自然な暗闇が走る。僕がそれを見て、終わった、と思いながら眼を開けてみると、シミュレーション開始前と同じ景色が表れた。


 検査後、メセトさんから教えてもらった話によると、ここから出てすぐ左の部屋で、検査を終えたバルドとタスキー少尉が待っているらしい。精密検査の後始末を始めたメセトさんに、礼を言った後、僕は一人部屋から出て、教えられた通りの扉を開く。

 開けた瞬間、バルドらしき黒いと、まだ見慣れていないタスキー少尉の二人と目が合った。二人を見た途端、自動識別機能が働いて、視界の中に第十七部隊のコードネームが表示される。そこに出てきた表記を見て、僕は、これがバルドである事を確信した。

 予想以上に姿が変わっていて、その変化に言葉を失ったのは、相手も同じだったらしい。無言となった僕達の間に、気まずい雰囲気が流れるが、それを打ち破るようにして、バルドの隣に居るタスキー少尉が、明るく「ほら挨拶」と言いながら、相手の黒い背中を軽く叩く。それを受けて、お互いに眼が点になっていたバルドは、慌てて僕から視線を外しながら、「おはよう」と口を開いた。それを見た僕も、同じような眼の動かし方をしながら、「おはよう」と答える。

 その一言がきっかけになったのか、バルドは大きな溜息を付いた後、普段通りに僕と目を合わせて、うんざりしながら「元に戻りたい」と愚痴る。「事前に言われて無かったから、姿変えたアナクルさんを、敵だと思って殴っちまったよ」

「それは」絶句しながら、バルドと視線を外した僕とは正反対に、タスキー少尉がわざとらしい口調で、他の部屋の惨状を伝えていく。「司令官達を担当した、マルカ身体軍医は、部屋の中で絶叫してたな」

 自分達よりも、実力が遥かに高い上官達が、どんな事をしたのか想像出来てしまった。僕は気の毒だと思いながら、「大変でしたね」と言いつつ、時折バルドと視線を合わせる。しかし、こちらをしっかりと見ている、別人のようなバルドの視線を、常に受け止める事は出来なかった。

「バルド。ナナキってカッコ良くなったと思わないか?」面白がり始めたタスキー少尉の話に、バルドは本当に感心した様子で、「全然良くなってるし、ちゃんとナナキですね」と答える。それを聞いて、僕は小さく、「そんな事は」と言いながらも、バルドの全身に目を向けていく。

 元々迫力があったバルドの姿は、逆三角形の太い体形に変わって、随分と前よりも見た目が良い。見方を変えれば、漫画や本の挿絵に描かれていた、格好良いインパウンドのようにも見える。バルドだという事がハッキリわかる事も、僕にとっては好印象だった。

「やっぱり変だろ」少し落ち込みながら、また僅かに下を向いたバルドとは逆に、僕は率直な感想を伝える。「いいなぁ」それを聞いたバルドは、言葉に詰まりながら、恥ずかしそうに顔を伏せた。

「僕もそんな風に見えるのかな」少し本気で羨ましがった時、僕は普段と同じ感覚で、バルドと会話している事に気が付き、何も考えないまま、思ったことを口にする。「ああ、やっぱバルドなのか」

 何気ない会話だったが、僕達にとっては、相手が本人だと分かる、良いきっかけになってくれた。以前と変わらない口調のままで、自然と話が進んでいく。

 そして、他人から見ておかしくないのなら、とりあえずは問題無いんじゃないかと、僕達二人が一区切りがついた所で、話を黙って見守っていたタスキー少尉が、観光話を持ちかけてきた。

 これから一緒に、アーミータウンの観光に行かないか、という話を聞いて、これも任務の一つだろうと思った僕は、素早くその話に同意する。ほぼ同時に答えたバルドも、恐らく僕と同じような事を考えているんだろう。

 機密情報を漏らさない話し方を、タスキー少尉の目の前で実演して、やり方の再確認と修正を行った後、スペースポーターの近くにあるという、外出用の車を取りに向かった。その途中、僕は基地の通路を歩きながら、初めて地球に降りた時の、あの車の大群何だろうかと、大体の見当をつけていく。


「随分と戦艦が増えましたね」基地の外に出た途端、僕は目に入ってきた数機の戦艦を見て、驚きの声を上げた。それを聞いたタスキー少尉は、僕達に振り向く事無く、前を歩きながら、「あの時は全員、任務で出払っていたからな」と答える。

 僕達を先導していくタスキー少尉は、戦艦の中心にある、二列に分かれた軍用車の群れと、少数の戦闘ヘリコプターがある方へと向かっていく。

 予想通りの場所から少し離れた所で、タスキー少尉から送られてきた内蔵通信の話によると、これらの機械は、見えない強化硝子で仕切られているらしい。知らないインパウンドや人間が、この強化硝子に触れると、基地に連絡が行くと同時に、対応した機械が爆発する仕組みになっているとの事だった。機密保持の為だと言われたが、あまりにも過激な防衛方法に唖然とする。

 そんな僕達の目の前で、タスキー少尉は、今は許可を取っているから、と強い口調で前置きをした後、自分の右手を前へ突き出しながら、近くにある黒い軍用車へと近づいていく。そのまま車に迫っていくと、何か硬い物が当たった時の、鈍い音がした。今のうちに触った方がいいと言う、タスキー少尉に促されて、僕とバルドは恐る恐る、見えない強化硝子の存在を確認していく。

 触っただけでは分からない、特殊な硝子十分に堪能した後、僕達は左の軍用車から、少し離れた場所にある道路を歩いて、さらに列の奥へと向かう。

 すると、左右二列に並んでいる、段階式の駐車場が姿を表した。そこに止まっている車達は、今まで見てきた軍用車の外見とは大きく異なっていて、何処か少し丸みを帯びた、明るい色合いをしている。場違いな外見にも見える、その不思議な車達を眺めながら、僕達は列の中央を進んでいく。暫く歩いていると、駐車場の柱に、黒い文字で32と書かれた所で、タスキー少尉の足が止まる。

「ちょっと連絡するから、待ってくれ」タスキー少尉が口を開いた瞬間、僕達の手前にある、駐車場の機械が静かに動き、上から明るい緑色をした車が降りてきた。車が完全に降りるまでの間に、タスキー少尉はこちらを振り向き、もう一度内蔵通信を使って、僕達に命令を下していく。機密保持の為、外出時はここにある車を利用する事と、ナビゲーションに登録されている場所以外で、買い物はするなという内容だった。

 僕達がそれぞれに、内蔵通信で「了解」と返事をすると、タスキー少尉は、「普段と同じようにやればいいんだよ」と言って、降りてきた車の運転席へと乗り込んで行く。


 続けて、僕達が車の後部座席へと移動すると、タスキー少尉は運転席の左側に取り付けられていた、車のナビゲーションシステムを起動する。そのままタッチパネルを使い、左手で、恐らく車の目的地を入力していくと、自動音声らしき物が車内に響き渡った。

「車が発進致します」それと同時に、車のエンジンが起動したような、小さな音と揺れが車内に響くと、車はすぐに動き出して、先程まで歩いていた道路と合流した後、さらに奥へと進み始める。この間取った、美しい桜並木の道へと続いていたようで、先日と変わらない景色をもう一度堪能しながら、車はさらに街の方へと進んでいく。

 その途中、赤信号の白線前で止まったのを見て、僕は少し感動してしまった。「本当に交通ルールを守るんですね」

「ああ、水星は信号も標識も何も無いのか」苦い表情を浮かべながら、タスキー少尉は前方座席からこちらを振り向く。それを見たバルドが、疑問を投げかけた。「これから何処に行くんでしょうか?」

「ここら辺で有名な、大型ショッピングセンターの、食料品店だな」何処かで知った事のある単語を聞いて、僕はタスキー少尉から軽く目を逸らしながら、以前の資料を思い出していく。

 確か、一つの建物の中に、様々な種類の店が集まっている場所の事だ。その中でも、食料品店という所では、一般的な生活用品は勿論の事、貴重な生鮮食品も多く販売されていて、生活の要となっている場所、と教えられた記憶がある。画像データを見ながら、本当にこんな場所があるのかと、半信半疑になった事を思い出した。

「あそこは夢の場所だから、この国がどんなに良い所なのか、良く分かるはずだ」何故か暗い表情で、タスキー少尉は憂鬱そうに、深い溜息を付く。「日本みたく、さっさと受け入れればいいのに」

「インパウンドの事ですか?」地球の資料が頭に浮かんでいた僕は、すぐに察しが付いた。すると、タスキー少尉は暗い表情を変えないまま、「そうそう」と言って、目線を更に下へと落とす。

「この国が四年で復興したのは、インパウンドを受け入れたからだよ。技術はあるけど人手が無いって状況なのに、どうして認めようとしないのかね」

 腑に落ちない物を感じた僕は、誤魔化すように喉を鳴らして、タスキー少尉から目を逸らした。都合が良すぎるといった事は、口に出さない方がいいだろう。しかし、僕とは反対に、バルドは車内の重い沈黙を破って、怒りを露わにしていく。「そんな事、出来ないですよ」

 何も言わない方がいいと思った僕は、痛みを堪えるかのように下を向いて、自分の身体に力を入れる。「やりたい放題やって、今更助けて下さいとか、そんな都合の良い話があるわけねえだろ」バルドの半分怒声混じりな声を聞いて、タスキー少尉が少し間を置いた後、厳しい口調で話を続けていく。「そりゃそうだけど、こっちだってやられっぱなしじゃねえからな」

「え」予想もしていなかった言葉に、僕は自分の顔を上げた。「どういう意味ですか?」

 次の瞬間、タスキー少尉の表情が、少しだけ決意のある物に変わる。昨日の訓練を連想させるような表情に、慌てて「すみません」と頭を下げると、タスキー少尉は悩んでいるような様子で、「まあ、いいのかなあ」と答えていく。

 視線を元に戻すと、タスキー少尉は少しの間、何かに対して頭を悩ませていた。しかし、暫くすると「まあいいんだろう」と言って、自分の表情を引き締める。「アーミーパウンズは各国の復興と、人間の共存に向けて、インパウンドを労働者として派遣していることは知ってるな?」資料で見た事がある話に、僕は小さく、「はい」と頷く。

「今はインパウンドも人権を持っているから、派遣されたインパウンドを邪険に扱う事は出来ない。それを利用して、アーミーパウンズは派遣先に、インパウンドだけの街を作っているんだ」

「街?」想像もしなかった答えに驚いて、僕は鸚鵡返しのような返事をしてしまった。「インパウンドだけ?」

「そうだ。人間は一人も住まわせない」真面目な表情ではっきりと答える、タスキー少尉の極端な発言に、僕は首を傾げてしまう。

「バルドの言う通り、人間とインパウンドの間には根強い恨みがあるから、今までと同じ生活をする事は出来ない。だから、まずは国の復興という建前を使って、インパウンド達の居場所を作る。これで、とりあえずはお互いの顔を見なくて済むだろ」

 冗談を言っているのかと思ったが、タスキー少尉の顔は真剣その物だった。突拍子も無い話だが、何処か興味を惹かれる物だったので、黙って続きを聞いていく。

「この状態で、インパウンドと人間達は、アーミーパウンズの指示に従って、お互いに国の復興作業を行っていく。アーミーパウンズは問題が発生しないように、二人の間を取り持っていくんだ。後は、お互いの何気ない会話や作業を通じて、人間とインパウンドの仲を、少しずつ回復させていく」

「そんな簡単に行くとは思えません」そんな事が本当に出来るのかと、黙って訝しむ僕とは正反対に、バルドは声を荒らげて反論する。「あんな自分勝手な連中、復興が終わったら、何かしてくるに決まっているじゃないですか」

「インパウンドは人権があるから、何かあったらアーミーパウンズからの警告が」

「動くったって、どうせ注意か何かで終わりでしょう!」タスキー少尉の話を遮って、バルドの大きな怒声が響く。

「俺だって話したいんだけど、階級が違うから話せないんだよ」タスキー少尉はバルドを労うように、優しく怒りを収めようとする。「上等兵ってのは、成長途中の兵士だ。そんな奴に貴重な情報を渡したら、どんな事に使うか分からないだろ」

 それを聞いて、バルドが一瞬にして黙りこむ。頭に血が上っていても、軍隊や階級の事は頭から外れていなかったようで、暫くしてから、「了解しました」と、一言だけ返事をする。

「あ、復興作業が終わったらな」タスキー少尉が黙り込んだ僕達を見て、何かを思い出したような様子を浮かべた。「本人の希望で、他の国の支援に行くか、もしくは今居る場所で、その国の仕事をしてもらう事になっているんだ。俺が説明出来るのは、ここまでだな」

 話が終わった後、タスキー少尉は体勢を元に戻して、前部座席に深く腰掛ける。自然と、車内には胸が痛くなる程の、重い沈黙が漂い始めていくが、僕はそれを利用して、話の内容を頭の中で整理していく。

 信じられない話だったが、少し憧れるやり方だった。僕だって、人間と一緒に生活する事は出来ないし、離れて暮らせるならそのほうがいい。ただ、本当にそれが行われているのだろうか。

 実際に行われているのなら、聞いてもいいだろうと思って、僕は恐る恐る口を開く。「先程の話は、実際に成功しているのでしょうか?」はっきりとした事が分からない為か、自分の声が思っていたよりも小さい。

「成功している所もあれば、上手く行かない所もあるって言ってたな」タスキー少尉は、身体をまたこちらに向けながら、僕の質問に答えてくれた。「実際の数字が分かるのは情報軍だけど、実際に見た所、成功と失敗が入り混じってる感じだな」

 アーミーパウンズの各部隊に指示を送っている、情報軍の名前を出した、タスキー少尉の口振りからは、動揺といった物は含まれていないように見える。

「やり方が原因で、何かしらの問題が発生した国もあるし、アーミーパウンズの影響力が怖くて、支援を拒否している所も多い。それに、インパウンドが街を作るってことは、拠点を作るって事だから、侵略や戦争、隔離と一緒だっていう意見もある」

「今更戦争何かしてどうすんだよ」憂鬱そうにぼやいたバルドに対して、タスキー少尉の口調が、少しだけ落ち込んでいく。「まあ、動いていたのはだからな。でも、また力で押さえつけたら、それこそ戦争になっちまう。だから、時間をかけるしかないんだよ」

 バルドの大きな溜息が流れる中で、更にタスキー少尉の話が進む。「難しい話は抜きにしてな。アーミーパウンズが派遣したインパウンドは、この街の建物を、少し減らした所で生活しているんだよ。住む場所があるって言うのは、有り難い事だろ?」

 そう言って、タスキー少尉は車の窓を指出した。それに釣られて、僕は自分の右にある、車の窓の外に視線を移す。

 いつの間にか、車は完全に基地を抜けて、アーミータウンの街中に入っていた。外の景色は以前と同じく、汎用型の建物と、自動販売機、ガードレールや太陽の光といった、宇宙には無い魅力的な物が溢れている。どれも綺麗な形を保っていて、治安が悪いようには見えない。実際に成功しているのなら、達はこういう場所で生活しているんだろうか。

 そう思った瞬間、僕は強烈な罪悪感に襲われる。「こういう所に、だけが住んでもいいんでしょうか」良い所に住み過ぎているような気がして、独り占めしているような印象があった。僕はタスキー少尉に視線を戻しながら、小さな声で、この考えを否定する。「こんな事、やっちゃいけないような気がします」

 上手く言葉には表せないが、インパウンドが街を作って、そこに住むという事は、やってはいけないと感じてしまう。自分達を作ってくれた、人間達を裏切っているようで、強い罪悪感があった。

 その反面、苦手な人間が居ないという街に、強い憧れを抱いてしまう。やはり、人間の姿に怯えなくて良いというのは、他の何よりも魅力的な物に思えてしまった。

「さっきも言ったように、人間との扱いは平等になった。なら、人間だけの街があるように、だけの街があってもいいって事だろ」

「そう何でしょうが、理屈では納得出来ない物があるというか」冷静なタスキー少尉の言葉に、よく分からない不安と罪悪感に襲われる。しかし、その後に続いた、「ナナキと同じように、よく分からない不安を感じている、アーミーパウンドやインパウンドも多いな」というタスキー少尉の言葉を聞いて、自分以外にも居るんだという、少しの安心を感じた。「でも、この話に興味はあるんだろ?」

 興味があると答えようとしたが、緊張や不安、罪悪感といった物が、一瞬にして心の底から吹き上がる。「分かりません」頭が混乱して、これ以上どう答えたらいいのか、本当に分からなかった。下を向いて、そのまま無言で黙りこむと、タスキー少尉は一人で話を続けていく。

「問題を起こさなければ、人間の居ない場所に住んでいい。そういう共存の仕方もあるっていうのが、アーミーパウンドの考え方って事だ」

 タスキー少尉の話が終わった後、皆何かを考えているのか、誰も喋ろうとはしなかった。

 あの話が本当に正しいのかどうかは、これ以上考えても仕方が無いだろう。自分の中で結論付けた後、僕は気を紛らわす為、車の窓から見える外の景色に、意識を向けていく。相変わらず街の中は美しいが、今はじっくりと鑑賞する気分では無かった。


 そうしている内に、車は何処かの建物へと入っていき、中にあった、車用エレベーターの中央で止まる。後ろ側の扉が自動的に閉まると、エレベーターが上へと動き出した。前の部分は金網で壁が作られているようで、そこからは地面から遠ざかって行く、外の景色が良く見える。

 そこから駐車をするまでの間に、タスキー少尉は運転席からこちらを振り向いて、僕達にこれからの事を伝えていく。ここら辺一体を受け持っているという、この大型駐車場で車を止めた後、店へと連結されている連絡用通路を使って、目的まで歩いて行く、という事だった。

「八階に到着致しました」駐車した時に流れた、車内アナウンスの指示に従って、全員車を降りる。僕とバルドは、何処か暗い顔をしながら、前を歩くタスキー少尉の後に付いて行く。

 ここら一体を受け持っているという、人気が少ない灰色の駐車場を歩いている途中、僕は、バルドもあの話に興味があるのかどうか、強く気になり始めてきた。後で聞く事も考えたが、どうしても今知りたいと思い、足を早めて、前に居るバルドの隣に付いた。「バルドは、街とかに興味があるの?」

 バルドは足を止めないまま、視線を少し下げて、考えるような唸り声を上げた後、小声で口を開く。「俺は人間から離れたい。だから興味がある」

「ああ、バルドもそう思うんだね」似たような意見を持つバルドに、安心しながら自分の考えを伝えていく。「僕もそこまでは分かるんだけど、実際にやっていいのかな」

「やった方がいいと思う」少しも悩まずに答えたバルドを見て、自分の息が詰まる。「ナナキだって、あの話は気になるんだろ?」

 答える事が出来ないぐらいに、僕の心は恐怖と不安で埋め尽くされていた。罪悪感も無しに、人間から離れた方がいいと言い切るバルドは、まるで犯罪行為を行っているかのようにも見える。

 一番気を許せる相手が、とんでもない考えを持っている事に、胸を圧迫されるような苦しさを感じて、一度乾いた咳をした。バルドはそれを見て、少し苛立つような表情を浮かべる。「お前って、こういう時は本当に臆病だな」

「それとこれとは関係無いでしょ!」不自然に話をずらそうとした事に、声を荒らげて怒りをぶつけていく。「だけの街って、人間から場所を取ったような物じゃないの? 大体、人間から離れるって事自体が、悪い事のように思うんだけど」

「人間から離れる事が、悪い事なのかよ」バルドが少し戸惑ったような声を上げたが、すぐに苛立ちの方が強くなっていく。「俺達は人間を見ると怯えるっていうのに、どうやって一緒に住むってんだ?」

「そう、かもしれないけど」返しようのない答えに、僕の言葉が行き詰まる。「でも、拠点がどうとか、ええと」

「お前、散々言われてるように、人間を気にしすぎ何だよ」何故か悔しいと感じているのか、バルドは目付きを悲しそうに細めていく。「そもそも、人間から離れるなっていう法律は無いんだぞ。お前が悪いって思ってるだけじゃねえの」

 今の自分を的確に表されて、言葉を返す事が出来なかった。ただ、どうしても僕の考えが、間違っているとは思えない。

 二つの考えが板挟みになって、頭の中が真っ白になっていき、自然と眼が下に向く。強い緊張で、喉が詰まるような感覚に軽く咳をした時、首元に痛みを感じながら、目の前の視界が激しく揺れた。

「お前、ここは地球何だぞ」突然僕の首元を引っ掴んで、脅しをかけるように自分の方へと寄せてきたバルドは、悲痛に歪んだ赤い眼と、泣き声を押し殺したような声を上げる。「そこらに人間が居るんだぞ。そいつらに死ねって言われたら、人間に悪いと思いながら死ぬのかよ」

 僕は口を開いて、そんな事は無いよ。と言おうとしたが、地球で実際に人間を見た時の感覚を思い出して、自分の返事が押し潰された。まだ死にたくないと思っているのに、そんな事すら出来ない自分に衝撃が走って、恐怖心からか、自分の呼吸が荒くなっていく。

「いつもみたく、違うって言えよ」バルドが泣きそうな程、顔を歪ませていた。放心状態の中、この場だけでも、違うと口にしたかったが、それすらも声に出す事が出来ない。

「もういいだろ」聞き覚えのある低い声を打ち消すような、鈍い音が辺りに響く。その直後、バルドが苦しい呻き声を上げながら、僕の首から強引に手を離した。「こんな所で喧嘩するなら、続きは帰ってからやれよ」

 状況についていけず、僕は尻餅を付いた体勢のまま、何が起こったのを確認していく。僕達の目の前には、目付きが鋭いタスキー少尉が居て、視線の先には、バルドは痛みを堪えるような体勢で、自分の脇腹を片腕で庇っている。タスキー少尉が、バルドに何か強烈な一撃を送ったんだと直感した。

「すみません、これは僕も悪かったんです。単なる意見の違いです」誤解を解く為、僕はタスキー少尉に向けて、かなり大きな声を上げる。すると、タスキー少尉は目付きを少しだけ柔らかくした後、「まあ、今回はそういう事にしておくよ」と言って、僕に手を差し出した。

「大丈夫か?」その手を借りて立ち上がった後、僕を気遣ってくれたタスキー少尉の言葉に、「はい」と答えながら、奥にいるバルドに声をかける。「バルド、大丈夫?」

「それよりもお前だ」僕の声を遮って、タスキー少尉は僕の首元を凝視しながら、少し僕に詰め寄るような口調で、状態を確認していく。「外見は良さそうだが、長い間締められていただろ。本当に何処も問題は無いのか?」

「問題無いです」少し気圧されたが、それを打ち破るような、しっかりとした答えを返す。すると、タスキー少尉の緊迫した雰囲気が、少し和らいでいく。「無理はするなよ」

「はい」機密情報の事を忘れていて、いつものように了解と返事をしそうになった後、僕は下を向いたままのバルドに駆け寄る。「バルド、どうしたの?」

 無言のまま、バルドは不機嫌な表情で立ち上がると、そのまま僕から視線を逸らした。ここまで険悪な物を久しぶりに見て、僕がどうしたらいいのか戸惑っていると、後ろに居たタスキー少尉が、呆れたような声を上げる。「おいおい、さっさと仲直りしろよ」

 タスキー少尉は、強引に僕とバルドの手を取って、握手するようにその手を重ねた後、そのまま軽く上下に振った。そのまま、「形だけでも、今はこれで区切りをつけろよ」と釘を刺して、僕達の手を離す。突然な行動に驚きながら、僕はバルドと同じように、「はい」と答える事しか出来なかった。


 変な握手が終わった後、僕とバルドは互いに暗い表情をしながら、タスキー少尉の案内に従っていく。同じ階にあった、エレベーターホールに取り付けられている、液晶ディスプレイの案内板で、ショッピングセンターと現在の二十七階という位置を確認した後、エレベーターを使って、連絡用通路のある階へと移動する。

 そして、降りた先の目の前にある、連絡用通路を示す案内板に従い、頑丈そうな白い自動ドアを通って、さらに奥を進んでいく。通路の一部は、外の景色が見える硝子で作られていて、そこから差し込まれる太陽の光が、中の明るさを適度に保っていた。

 一本道だと思っていたが、通路は所々で左右に分かれている。しかし、必ず各所に案内板が設置されていたので、迷う事は無さそうだった。物珍しさに辺りを見渡しながら、更に足を進めていき、壁に黒い文字で、センターA九階と書かれていた所にある、硝子の自動ドアを抜けていく。

 すぐ目の前には、先程と似たようなエレベーターホールがあって、数人の人間との姿が見える。タスキー少尉はそちらに向かおうとはせず、左側の壁に取り付けられた案内板の前で足を止めた後、中から何かを探し始めた。

 その間に一台のエレベーターが到着して、と人間達が動き始める。行き交いが激しくなった光景を見て、気を張り詰めながら周囲を見渡す。システムが検知する量は膨大で、人間と同じく、何処から遅いかかって来るのか分からない。

 そのまま集中力を限界まで高めようとした時、が持っていた紙袋を見て、ここが戦場ではない事に気がついた。身体の力を抜きながら大きく息を吐いて、恥ずかしさを誤魔化すように、僕も案内板に目を向ける。

 三十階建ての内容を頭の中に詰め込んで、音楽を扱っているからには、それに関わる人やも扱っているんだろうかと、自分の頭の中で考えを膨らませていると、タスキー少尉の探し物が終わったらしい。「一階に行くぞ」と僕達に伝えて、下矢印のボタンを押した。バルドの返事に遅れて、僕も「はい」と返事をした後、暫くしてやってきた誰も居ないエレベーターに乗る。すると、タスキー少尉はエレベーターに備え付けられていた、操作ディスプレイに手を伸ばす。

 最上階に近い所に居るので、移動に時間がかかるんだろうと思ったが、軽快な音と共に扉を閉めたエレベーターは、艦の物とは比較にならない速度で、どんどん下へと降りていく。

 重力の感覚が、殆ど無い事に感心していると、エレベーターの中に、バルドの重い溜息が響き渡った。それを聞いて不安が移ったのか、僕はこれからに対して漠然とした不安を持つ。自分の中では、人間に対する恐怖心を、シミュレーションで大分克服出来たと思っていたが、これでは慣れていないのも同然だろう。

 自分が手に掛けた人間が、地球にたくさん居ればいいのにと思った時、また軽快な音と共に、エレベーターが静かに止まる。目的の階に到着したのかと思ったが、右側にある、現在の階層を表す液晶ディスプレイには、五階と表示されていた。知らない誰かが乗ってくるという事に、僕は少し覚悟を決める。

 扉が開かれた先には、人間の老人と、中型人型の二人が居た。先に動いた中型人型が、「すみません、少し時間をお借り致します」と言いながら、エレベーターの扉部分に背中を預けた。予想出来なかった動きに戸惑っていると、人間の老人が、「すみません、失礼します」と言いながら、先程のと比べると僅かに遅い動きで、エレベーターの中に入ってくる。

 それを見た僕は、エレベーターの端に寄せていた自分の身体を、限界まで壁際に押し付けた。壁にぶつかって響いた音に、入ってきたインパウンドと人間が驚いたのを見て、勘弁してくれと思いながら、エレベーターの天井に視線を動かす。

 幸い二人は、すぐ上の六階で降りてくれた。自分の右手を握り締めながら、早く出て行ってくれと願っていた時、僕のミミに、タスキー少尉の声が入る。

「どうぞ」その声に目を動かして見ると、タスキー少尉が自分の右手で、エレベーターの扉を閉まらないよう塞いでいた。それを見た中型インパウンドと人間の老人は、お互いに「ありがとう」と言う感謝の言葉を伝えると、二人揃ってエレベーターをゆっくりと降りて行く。

 老人の足取りはしっかりとしているが、歩幅が少し狭いので、インパウンドは老人の付き添い何だろう。見た事の無い奇妙な光景を眺めながら、こういう物が介護という物なのかなと、僕は頭の中で見当をつける。

 扉が閉まるまでの間、二人の後ろ姿に視線を送り続けていたが、インパウンドも老人も、特に雰囲気が悪いようには見えない。以前旅館で見た、インパウンドと人間の二人組を連想させるが、あそこまで仲が良いと、逆に違和感しか感じなかった。

 目的の階でエレベーターを降りながら、どうしてあんな事をしているんだろうと、俯きながら理由を考えていく。すると、視界の中にあるバルドの足を追っていく内に、表向きはああしているのかという、納得する理由が見つかった。どうせ裏では、何か酷い事でも言われているんだろうと思いながら、内心で達の気苦労を労う。

 少し冷たく感じる空気の中、民間のインパウンドは、一体どんな暴力を受けているのかと、考えながら足を動かしていた時、急にバルドの足が止まった。考え事をしていたせいで、その動きに付いて行けず、僕はバルドの背中に激突してしまう。

「ああごめん」転ばないよう、足を踏ん張りながら謝るが、バルドは背中を向けたまま返事をしない。まだ怒っているのかと思ったが、本当に全く動かない様子を見て、「どうしたの?」と声をかけると、バルドはこちらを振り向かないまま、黙って何処かを人差し指で指差した。その方向に目を向けた瞬間、信じられない光景に眼を奪われる。

 バルドの指差した場所では、画像データでしか見た事が無い食品が、棚一面に並べられていた。赤くて丸い果物を見て、最初は作り物かと思ったが、棚には値段を示す札が取り付けられているし、その商品を手に取っている人やもいるので、恐らくこれは本物何だろう。

「実際に見ると違うだろ」意地悪そうに話すタスキー少尉に、返す言葉も出なかった。「値札が付いてる物は、全部買えるぞ」

 全部という言葉に反応して、僕は視線を左右に動かしていく。周りには一度も見た事が無い、緑や黄色、白色といった、色取りどりの食品らしき物が陳列されていて、それらは縦に長かったり丸かったりと、色に負けないぐらいの特色を持っていた。奥に目を凝らすと、何か気味の悪い、赤い色をした形をした食べ物や、魚らしき物の姿が見える。

 信じられない光景を見て、自分の頭が痺れていくのを感じた。現実離れした光景から逃げようとして、視線を上に動かしてみると、今度は大量に吊るされた看板が目に入る。洗剤、生活用品と書かれているようで、それらに疑問を抱きながら、看板の下に視線を動かして見ると、そこにある値札と商品の種類に腰を抜かした。

 尻餅を付いた状態から起き上がろうとしたが、先程の光景が頭の中で回っていて、全身に上手く力が入らない。今度は上半身を前に倒したままの状態で、呆然と床を見つめ続けていると、「おい?」という声と共に、僕の肩と背中が軽く叩かれた。よく分からないまま顔を上げると、慌てた表情を浮かべている、タスキー少尉の顔が目に映る。「そんなに驚いたのか?」

「ああ、えっと」それを聞いて、僕は目を覚まそうと思い、右手で自分の側頭部を抑えた後、目を瞑って、頭を軽く左右に振った。「凄い光景で」

「大丈夫か? 立てるか?」タスキー少尉は大分慌てているようで、僕はそれに、何処か浮ついた声で、「はい」と答える。

「すみません」周りに居る他人が心配そうに見守る中、僕はタスキー少尉の手を借りて、ふらつきながら立ち上がった。すると、タスキー少尉は何かに失敗したような、苦い表情を浮かべ始める。「いや、そういう反応は久しぶりだったから、俺も戸惑っちまった」

「もう少し優しい所から見れば良かったな」タスキー少尉は、そのまま一人で後悔した後、僕に向かって、「ごめんな」と言いながら、自分の頭を軽く下げた。

「謝る事じゃないですよ」自分の上官が頭を下げるという行為に、僕は仰天しながら声を張り上げる。すると、タスキー少尉は決まりの悪そうな表情を浮かべて、申し訳無さそうに、「そうか」と答えた。その様子を見て、そういえばデルタ隊長も、僕達に謝る時はこんな感じだった事を思い出す。

 少し気まずい雰囲気になってしまったが、先に気を取り直したタスキー少尉と共に、ショックで動けなくなっていた、バルドの目を覚まさせる。その後、僕達は他のインパウンドや人間達と同じ、買い物カートと呼ばれる物を持って、本格的に食料品店の中へと入って行った。


 外と比べて、人間やインパウンドが、狭い空間に大勢居るという緊張感に耐えながらも、必死に食料品店の情報を集めていく。その中でも特に驚いたのは、どれも商品の状態が素晴らしいという事だった。画像データで見た物とは違う、目を奪われるぐらいに鮮やかで美しい商品の姿は、適切な工程と保存で行われた結果だろう。

 タスキー少尉の話によると、この形をしたショッピングセンターは、日本の各地にあるらしい。より良い商品を売る事を目的として、店同士が凌ぎを削っているとの事だった。この食料品店、トザナボという店の中で、全ての食物が揃うのかと尋ねてみたが、こういう場所では、あくまでも一般的の物しか揃わないらしい。より複雑な食品や、個人に最適な洋服や修理といった物は、他の専門店が行うらしく、それらはこことは違う、別の階にお店を構えている、という事だった。

 それらの話を聞きながら、多すぎる商品に目を回しつつも、データ認証装置による会計と、部隊への配送方法を覚えていく。すべてが終わった直後、バルドが疲れきった声で、自分の限界を伝えてきた。

「もう無理です」搾り出すような小声を上げながら、バルドはふらふらとした足取りで、近くにある店の出口から外に出た後、向かい側にあった茶色いベンチに向かう。その事に気がついた僕は、同じような足取りで後を追っていき、バルドと同じように、倒れるような勢いでベンチに座り込んだ。

 すると、隣で気絶しそうな顔をしているバルドが、自分の口を抑えながら、一瞬何かを戻すような動作を行った。インパウンドは本当に物を吐かないが、動作だけは行うように出来ており、そんなバルドの動きに、僕も釣られかけてしまったが、お互い気力で押し留める。

「人酔いにしちゃ酷いな。一回戻るか」青ざめた僕達を見て、タスキー少尉が助け舟を出してくれた。僕達は、すぐに「お願いします」と頭を下げた後、辛い体に鞭打って、必死に自分達の足を動かしていく。その途中、戦場で使える無感知モードが使えるなら、こんな事にはならないのにと、僕は内心で愚痴を吐いた。

「姿勢を崩して、身体を楽にしろ」車の中に戻り、椅子の背もたれに身体を預けた僕達に対して、タスキー少尉は更に声をかける。しかし、返事をする気力が無いのは、バルドも同じなようで、僕達二人は無言のまま、その言葉に従っていく。

 暫く身体を動かして、車の隅に身体を置きながら、ドアにより掛かる楽な姿勢を見つけた後、意識を失うような怠さに負けて、僕はそのまま眼を閉じた。


 不自然な頭痛と強い光に、居眠りでもしたのかと思いながら、無理矢理に目を開ける。すぐに身を固くして、デルタ隊長の拳骨に備えたが、特に何も起こらない。窓から先の場所にも見覚えが無いし、無理矢理起こされた時のような、ぼんやりとしている頭のせいで、状況もよくわからなかった。のんびりと、まずは周囲の確認をと思いながら眼を動かした時、窓から先が一面太陽の光に照らされている光景を見て、驚きながら周囲の状況を確認していく。

 しかし、殺気立って始めた確認作業は、僕の眼の前で、運転席を倒して寝転んでいる、まるで猫のような格好をした、タスキー少尉の姿に中断された。平和を表しているような姿を見て、僕は生きていてくれた嬉しさに心を弾ませるが、同時に今までの事を思い出して、大袈裟な反応をしている自分自身に、少し恥ずかしさが湧いてくる。

 誤魔化すように、僕は車の窓から見える景色に眼を動かした。どうやら外の景色だけが変わっているようで、窓の外には今まで居た地下駐車場ではなく、光が溢れる広大な敷地が広がっている。白線に従って駐車されている車の奥には、何やら巨大な建物のような物が見えた。

 ここは何処何だろうと尋ねようとしたが、熟睡しているタスキー少尉を見て、揺り動かそうとした僕の右手が止まる。しかし、ずっとこうしている訳にもいかないと思い、悪いと感じながらも、タスキー少尉の肩を揺り動かした。「タスキー少尉、起きて下さい」

「ああ、起きたのか」すぐに目を開くと、タスキー少尉は大きな欠伸をしながら答えていく。「ここは動物園だよ。人気が少ないから移動したんだ」

「そうだったんですか」僕の声を聞いて、バルドが苦しそうな声を上げながら、眠そうに眼を擦り始めた。そんなバルドを見て、タスキー少尉が気持ち良いぐらいの大欠伸をする。その動きが豪快な物だったので、僕も釣られて、同じような欠伸をしてしまった。その間に、バルドがはっきりとしない口調で、「おはようございます」と口を開く。

「おはよう」タスキー少尉が心底眠そうに、背筋を大きく伸ばしながら答えていく。「二人共、体調はどうだ?」

「問題ありません」僕に続いて、バルドも同じように返事をする。それを聞いて、タスキー少尉は座席を元に戻しながら、「了解、昼飯あるけど食うか?」と言って、運転席にあるダッシュボードの中から、ビニール袋を取り出した。

 それを僕達に差し出したが、僕が受け取っていい物か悩んでいる間に、バルドが嬉しそうに、「頂きます」と言って、その袋を受け取ってしまう。いいのかなと思った時、袋の中身を見たバルドが、妙に甲高い声を上げた。「何だこりゃ?」

 何だろうと思いながら、僕は身を乗り出して、ビニール袋の左側から中身を覗く。透明な二つのペットボトルの他に、画像データで見た御握りが四つ。その隣に、見覚えの無い茶色の物体が二つ入っていた。

「ハンバーガーに似ているような」僕が思いついた言葉を口にすると、タスキー少尉が嬉しそうに、「そうそう」と声を上げる。「ハンバーガーハンバーガー。これは鶏肉が入っているから、チキンカツバーガーって言うんだ」

「へえ」興味を持った僕は、動揺しているバルドの横から、ビニール袋の中に手を入れた。そのまま、パンは優しく掴む物と教えられた通りに、手の力を緩めながら一つを手に取って、自分の元へと持っていく。

 間近で観察してみると、シミュレーションの物と比べて少し固く、外見はより明るい狐色をしている。また、中心から外に向かって、自分の眼と似たような色をした、緑色の葉っぱが飛び出していた。恐らくキャベツという野菜だとは思うが、本当の所は分からない。

「初めて見る形状ですが、食べ方は変わらないんでしょうか」香ばしい匂いを嗅ぎながら尋ねると、タスキー少尉は僕に軽く笑いながら、「そうそう、がぶっと。油が苦手なら、御握りの方だけ食べろよ」と答えた。

「では、頂きます」食べ方は変わらないと言われたので、チキンカツバーガーの端を、自分の口のサイズに引き千切った。小さくなった食べ物を、戦闘用マスクの下に備わっている、吸引口から口の中に入れて、味を堪能する

 噛むと少し塩っぱかったが、魚や砂糖とは違う、別の甘みを感じる液体が、すぐにその塩気を押し流していく。

 同時に、強烈な印象を与える、何かの重い味が広がっていくのを感じた。食品を飲み込んでも後を引く、それらの強力な味に、僕は「何だか、凄い」という感想を漏らした。「癖になっちゃいそうな味ですね」

「肉ってのはそれがいいんだよな」タスキー少尉の、深く納得したような口振りに続いてバルドが嬉しそうな声を上げる。「美味いなこれ。いくらでもいける」

「二人共気に入ってくれたみたいで、本当に良かったよ」チキンカツバーガーを平らげていく僕達を見て、タスキー少尉は安心したような口振りで話す。「今日行ったショッピングセンターに売ってたから、今度行ったら探してみろ」


 チキンカツバーガーの独特な味を、ペットボトルの水と共に堪能して、酸っぱい梅干しの入った御握りもしっかりと平らげた後、タスキー少尉から、せっかくだから、ここから歩いていける動物園に行こう。と言う話が出た。人混みが少なく、また、タスキー少尉のお勧めという言葉に惹かれて、僕達はお互いに半分覚悟を決めた後、その話に乗って、車の外に出る。

 外に出た途端、何か独特な臭いを感じて、地球に降りた時と同じ様に、その場で少し咳き込んでしまった。時間を置いても、あまり慣れる事の無かったこの臭いは、タスキー少尉の体験談によると、動物の独特の香りという物らしい。少し臭いに耐えながらも、僕達は車の窓から見えた、動物園があるという、巨大なドーム型の建物へと向かう。

「変なのが居る」受付にいる人間の女性に苦戦しながら、何とか動物園に入った直後、僕の前を歩いていたバルドが、足を止めながら妙に甲高い声を上げた。前と同じ事にならないよう、僕が慌ててその場で踏み留っていると、タスキー少尉がバルドの疑問に答えていく。「あれは鳥の仲間で、キジって言うんだよ」

 自分の姿勢を安定させた後、僕はバルドの視線の先にあった、檻の中にある、大きな木に目を凝らす。小さくて一目見ただけでは気が付かなかったが、見上げる程巨大な木の枝の先に、緑色の鳥のような物が止まっていた。鳥類特有の眼が、昔見た画像よりも随分と生々しくて、その気持ち悪さに僕は顔を顰めながら、興味をもった身体部分に視線を移していく。キジの持つ身体の色は、僕の持つ身体の色と非常によく似ていて、そういえば擬態のカラーリングだったなと思いながら、視界を引いて、今度は巨大な木の全体に注目する。

 こうやって全体を眺めていくと、キジの姿は風景に隠れてしまって、見つけ出す事が難しい。自分がこの色を基調としているのなら、確かに設計の思惑通りに、カモフラージュの意味合いもあるのかもしれない。

「これって」カモフラージュという言葉を口走りそうになった時、機密の事を思い出して、慌てて僕は自分の口を両手で抑えた。僕に反応してしまったのか、タスキー少尉がこちらを見ている。「鳥って空を飛べるんでしたっけ」

「そうそう。翼を広げて飛ぶんだよな」黙っていても怪しいと思って、適当な話題を持ちかけてみたが、タスキー少尉の様子は特に変わりが無い。「本当の鳥型インパウンドも、翼を広げて飛ぶんだぜ」全く変化が無いタスキー少尉に、僕は少し安心しながら、殆ど聞いていなかった話に、「そうなんですか」と頷いた。

 その後、僕達は動物園を順に回って行き、実際に見た事が無い生き物の数々を、自分達の眼で見て回っていく。人気が少ないというのは本当の事のようで、その分、僕達は動物園の内容に集中する事が出来た。

 シミュレーションで見るよりも、動物達の反応は非常に細かい。身体が小刻みに少し震えていたり、僕達の姿を見て、逃げ出す物と逃げ出さない物も居る。人に慣れていると、人間やに向かって行く動物も居るようで、動物触れ合い体験コーナーに居た兎達の一部は、僕達に跳ねながら近寄ってきてくれた。僅かに地面を蹴って動く姿には、何とも言えない可愛さがある。

 この部屋を管理しているという、人間の女性から、ウサギの背中を撫でても良いと言われていたので、自分に寄って来た茶色ウサギの背中を、慎重に人差し指で撫でてみた。

 潰れてしまいそうな感覚に怯えて、すぐに指を離してしまったが、相手は嫌がっているような様子もなければ、逃げるような様子も無い。

「珍しいですね」後ろからの声に振り向いて、相手の姿を視界に収める。全身が一気に強張った。「結構皆怯えたり、逃げたりしちゃうんですけど」

 身体を固まらせて、無言のまま、管理者をしている人間の女性から、地面に目を背ける。シミュレーションで行った通りに、相槌の一つでも打てばいいんだろうが、声が詰まって出せなかった。

「可愛がってあげてくださいね」

 人間の女性は僕から離れて、ウサギから逃げられている、タスキー少尉の元へ向かっていった。大きな溜息を吐き出しながら、緊張と不安を外に押し出す。

 途中、自分の眼を触られた事を思い出して、背中に以前の悪寒が、少しだけ蘇った。気持ちを誤魔化しながら、もう一度ウサギの背中を、今度はゆっくりと撫でていく。

 人差し指から伝わってきた、高い熱と心地良い肌触りが心地良い。身体の中に染み入るようなウサギの暖かさを感じていると、先程の気持ちが何処かに吹き飛ぶ。

 本の指で触れているだけなのに、機械やシミュレーションとは違う暖かさが心地良くて、全身の力が抜けていくような感覚に、深い溜息を吐く。

 単なる熱だというのに、どうしてこんなに気持ちいいんだろうと思った瞬間、この熱は、人間と同じ生物が持つ、体温だという事を思い出した。シミュレーションに出てきた動物達は、どれも異常に高い熱しか持っていなかったので、ここまで生物だと強く意識した事は殆ど無い。体温を持っているという事なら、この小さいウサギは生きているという事で、これもある意味、人間と同じなのかと思った瞬間、馴れ馴れしすぎると思い、慌てて自分の指を離す。

 僕の気持ちとは裏腹に、ウサギは起きているのか眠っているのか分からない、気持ち良さそうな表情を浮かべていて、その姿を見ても、恐怖心や嫌悪感といった物は感じない。

 僕は、またウサギの背中を指で撫でながら、人間の外見が無理なのかもしれないと、今でも苦手な原因を考えていく。


 動物園を一通り周って、中の施設をたっぷりと楽しんだ後、僕達は動物園の中にあるお店で、記念品を購入する事にした。その途中、木で作られた小さな梟時計の会計を済ませている時、近くの棚に並んでいた、鳥の干し肉という商品に目を奪われる。

 派手な赤と黄色の文字で、食肉保存用、他の国では一般的と、商品のすぐ側に置かれている紙を見る限りでは、恐らく一般的な鶏の肉何だろう。ただ、あの暖かい動物の肉かと思うと、正直気分が悪い。

 しかし、気持ちとは裏腹に、車の中で食べた鶏肉や、同じ動物である魚の味を思い出して、口の中に涎が溢れ出てきた。全く同じ種類の物では無いとはいえ、何とも言えない後味の悪さがあり、僕は下を向きながら、店員のインパウンドによる会計を終える。

 そのまま全員で車に戻る途中、僕は駐車場から見える、太陽の沈む綺麗な夕焼けを目に焼きつけながら、しょうがないんだよ、と、半分諦めの気持ちを込めて、自分自身に言い聞かせた。肉を食べずに生きていく生活もあるらしいが、そこまで余裕がある人間やインパウンドは居ないだろう。

 結局の所、戦場で死ぬ事と同じなのだから、代わりに自分が生きている事に感謝するしかない。地球での食事がこんなにも大変な事なのかと、考え疲れから来る脱力感と共に、車の座席に腰掛ける。すると、前の座席から僕達に向けて、タスキー少尉が口を開いた。

 大体、今の時刻である十七時。地球で言う、夕方という時間を過ぎてしまうと、安全の為、殆ど観光施設は、営業時間を終了してしまうらしい。僕達はその話を聞いて、今日の観光を切り上げる事にした。

 今までと同じように、タスキー少尉が車に目的地を入力すると、以前と同じように車が動く。その中で、僕は車内の窓から見える夕焼けの街並みを眺めながら、水星は今どうなっているんだろうかと、少し物哀しい気持ちに浸っていった。


 車が基地の駐車場へと戻り、全員で洗浄を終えて基地の中へ入った瞬間、タスキー少尉から内蔵通信が送られてくる。これから僕達を、基地の中にある部屋に案内する予定だったが、別の用事が出来てしまったらしい。気にしなくていいのに、ばつの悪そうな表情をしているタスキー少尉から、エレベーターで使う、自分達の部屋へ行く為の認証コードを頂いた後、僕地はタスキー少尉と別れて、フロアの大型エレベーターに乗り込んだ。

 僕は滅菌処理された荷物を左手に持ちながら、先程タスキー少尉から教えて貰った通りに、右手の認証装置を起動させた後、エレベーターの液晶パネルに手を乗せる。すると、視界の右端に、認証コードを認識したという、緑色の小さなパネルが表れた。

 扉を閉めていいのなら、手を離して下さい。と変化した表示を見て、僕は振り向かないまま、後ろに居るバルドへ確認を取る。「扉閉めてもいい?」

「いいぞ」バルドの返事を聞いて、自分の右手を離すと、エレベーターの扉が静かに閉まった。すると、前回と同じように、高速で移動が行われたのか、すぐに扉がもう一度開く。

 扉の先には基地にある物と同じ、太陽の光にしか見えない明かりを用いた通路が、横一直線に広がっていて、そこから繋がっている扉の前には、植木鉢に入れられた緑色の植物が一つずつが置いてある。艦にある通路と全く同じ配置のようだが、明かりを変えて植物を増やしただけで、雰囲気が全く違う。

 僕達は、それらの風変わりした様子を楽しみながら、扉の横に備え付けられている、部屋の名前が表示された液晶パネルに目を通していき、自分達の部屋が何処なのかを確認していった。

 やがて、エレベーターから左に降りた先、通路の一番奥、右側にある液晶パネルに、上等兵と表示されているのを発見した僕は、逆の方角に進んだバルドを大声で呼びながら、認証装置を起動させて、右手をその上に置く。艦にある物と同じように、横へスライドして開いた扉の奥には、自分達の使っていた部屋と、あまり変わらない空間が広がっていた。

 四角い部屋には、四人が生活する事を想定して、部屋の四隅に白いシーツを取り付けたベッドが置かれている。

 周りには、鍵の無い小さな個人用の物置と、埋込み型のコンピューターが付いた机一式が、普段と同じように設置されていた。

 不思議な事に、ベッドとベッドとの間を仕切るようにして、透明な膜のような物が取り付けられている。また、コンピューターを使用する時に使う、椅子が付いている机の上に、使い捨ての電子ペーパーが置いてあった。

 僕達はそれらに首を傾げつつも、透明な膜を手で軽く払い除けながら、手に持っていたお土産と、電子ペーパーを入れ替えるようにして、置かれていた中身に目を通す。

 下部に表示されているページ数が、非常に多い恐らく、複数枚の電子ペーパーを纏めた物だろう。アーミータウンへようこそ。これは軍からの支給品です。と、書かれていた画面の一ページ目を、人差し指で右から左にスライドして、次のページを表示させてみる。

 部屋を仕切っている、透明な膜についての説明文が書かれていた。この膜は高い防音効果等があって、今までよりも高いプライバシーがあるらしい。また、説明文の最後によると、次のページからは無料配布されている、観光用パンフレットの内容が記載されているようだ。

 絶対にこれ以外の場所へ行かないようにしてください。という、説明文の最後に書かれていた部分を読んで、更にページを捲ってみると、写真や動画で紹介された、アーミータウンの施設や観光場所の説明書きが目に入ってくる。中には予想もつかなかった施設があって、僕とバルドはお互いに、こんな物もあるのかと感心しながら、中身をじっくりと眺めていく。そのまま、僕は最後のページまで目を通した後、自分に備え付けられている電子ペーパーとの連動機能を使って、自分が良いと思った場所に、人差し指で大きな丸印を描いていく。人間なら対応したペンが必要だが、の僕には、そんな物は必要ない。

 深く考えずに、最後のページまで印をつけた後、今度は印をつけた場所同士を比較して、さらに中身を絞り込んでいく。いつもなら頭を悩ませる作業だが、今は自分が行きたい所を決めているだけなので、少し面白く感じてしまう。

「ここかな」候補を絞り終えて、僕は電子ペーパーの中から最も興味を惹かれた、硝子の博物館という施設の紹介ページを開き、それをバルドに向けて差し出した。「バルド、ここ行こうよ」すると、先程から一人で楽しそうに悩んでいたバルドは、「お?」と言いながら、差し出した物に目を向ける。

 バルドは僕の開いたページ数を確認した後、自分の電子ペーパーから、同じ所を開く。「いいな」等という大きな独り言をしながら、暫くページの内容に目を向けた後、「ああ、ここだったら、確かに付近に和菓子の店があったような」

「和菓子?」返された電子ペーパーを手に取りながら、僕はバルドの言うお店が無いかどうか、連動機能の一つである検索ツールを使って、周囲を探していく。その検索結果に、一番近いと表示されたお店のページを見て、僕は無言のまま、どうしようかと頭を悩ませた。

 人間とインパウンドが、戦前から協力して商品開発を行っているというお店の画像には、綺麗な深い緑色をしたお饅頭や、鮮やかに薄い黒色の餡が写っているが、他の画像には、人間が接客をする姿も収められている。見るだけで済む博物館と違って、確実に人間と接触してしまうだろうと思い、僕は写真に写っている美味しそうな和菓子と、人間に対する気苦労とを天秤にかけていく。

 最初は人間に対する苦手意識が優っていたが、目の前で明るい表情を浮かべて、どの店に行こうか悩んでいるバルドに、自分は車で待っているとは伝えられなかった。

 その時、駐車場での出来事を思い出して、人間に遠慮するなと言ったバルドは、これを見てどう思うのかと考える。直接見せた方が早いと思い、僕は電子ペーパーの中から、先程の人間が写っている画像を開いた後、手前の部分に話題を持っていく。「この黒いのも和菓子なのかな」

「ああ、それも和菓子で、ここはインパウンド向けの商品もあるらしいな」バルドは様子を変える事は無かった。続けて、「ここ近いのか? だったら行こうぜ」と誘ってきたバルドに、僕は出来るだけ普段通りの返事を心掛ながら、「そうだね、そうしようか」と答えて、考えを整理する為、自分の電子ペーパーに目線を落とす。

 シミュレーターで克服したと思い込んでいて、最近は昔のように深く考えた事は無かったが、確かにバルドや皆の言うように、僕は人間に対して、少し遠慮しているのかもしれない。今日の事を思い出しても、タスキー少尉は一人で、人間の居るショッピングセンターに買い物をしているし、食料品店の客として来たインパウンド達は、人間の担当するレジに平然と並んでいた。

「何とかしよう」このまま更に気が弱くなっていくと、本当に誰かの命令で自殺しかねないと思って、僕は険しい表情のまま、大きな声で自分に気合を入れる。そもそもな話、新米な軍人とはいえ、人間が怖くて倒れたという話は、我ながらあまりにも情けない。

「え、何が?」バルドの驚いたような声に反応して、僕が顔を上げると、何故かバルドは慌てて自分の電子ペーパーに眼を落とした。そのまま、「具合悪くなったら、帰ろうな」と口を開いたバルドに対し、僕は「倒れる訳には行かないからね」と答えて、電子ペーパーの中から、自分の行けそうな観光場所を探していく。

 しかし、その内に先程から襲ってきた空腹が気になり初めてきて、僕は内蔵時計で現在の時刻を確認した。普段の夕食時間である、十八時を一時間程過ぎていた表示を見た途端、猛烈な空腹が襲ってくる。

「食堂に行ってくるね」電子ペーパーを自分の机の上に置きながら、僕が熱中しているバルドに声をかけると、バルドは、「俺も行く」と短く答えて、手に持っていたパンフレットを机の上に放り出した。そのまま、僕達は少し足早になって、先程通路を調べている時に見かけた、食堂の中へと足を進めていく。

 艦と同じ内装である事に、僕は心の中で感謝しながら、室内にある大型冷蔵庫を開けて、インパウンド用のエネルギーパックを二つ取り出した。

 形が缶ジュースと似ているらしい、元は人間の点滴用に作られたこの食べ物は、どんな大きさのインパウンドでも、一つでお腹が一杯になってくれる。

 食堂の白いテーブル席に座っていたバルドに、エネルギーパックを一つ手渡して、向かいの席に座った。蓋を開けて、中から出てきたストローから、中身を吸い上げて口の中に入れる。

「こんなに甘かったっけ」甘みが強い味に、僕が不満を口にすると、バルドも同じような口調で、「地球の食べ物の方が、美味しいや」と、文句を言う。そのまま少しずつ飲んでいたが、我慢するのが面倒だと思った僕が、一気にエネルギーパックの中身を吸い上げようとした時、バルドが苦々しい声で、「何か物足りない」と言う声を上げた。「地球の食べ物って、もっと色々な味があったよな」

「これしか食べた事無いからね」さっさと食事を終わらす為、僕は甘い味に少し苛立ちながら、エネルギーパックの中身を無理矢理胃の中に詰めこんだ。そして、口の中に残る甘みを消す為に、滅多に使わない食器棚の中からコップを取り出して、水道の水を多めに飲む。バルドも僕の食べ方を真似したのか、手にコップを持ちながら、苦い顔をして流し台に飛び込んで来た。水道の蛇口を捻り、僕と同じように大量の水を飲んだ後、エネルギーパックを専用のダストシュートに捨てながら、忌々しげに「明日からは食べ物を買い漁らないとな」と言って、食堂に付いていたテレビの電源を入れる。

 恐らく、気分転換のつもりだったんだろうが、僕達は艦で何十回も見た、インパウンド教育用のドラマや記録映像とは全く違う、様々な話題を繰り広げている映像作品に、僕達の目が釘付けになった。人を笑わせようとしている物もあれば、今流行りの物を紹介している所もあるが、その中でも特に驚いたのは、各局が放送している、日本や世界のニュース番組だった。

 今日起こった出来事が、既に記事として発表されているので、一ヶ月や二ヶ月前の情報が当たり前だった僕達には、とても奇妙な物に見えてしまう。滅多な事では誤差を起こさない内蔵時計が、大幅に間違えているような感覚を受けてしまい、僕は自分の内蔵時計を確認しながら、念の為に普段使っていないアラームを、夕礼十分前に設定した。

 見続けているニュース番組の内容が、アーミーパウンズの不手際を指摘した物へと移って、その内容を見終わった時、バルドがこちらを見ながら苦笑いを浮かべる。「中断されなかったな」

「あんなのダメでしょ」誰もが見る事の出来る物で、こんな事を言ってもいいのかと思っていた僕は、すぐに強い不快感を吐き出した。すると、バルドは何かを考えるような仕草をしながら、「まあそうだけど、ああいうのが出来るって事は、支配とかそういう物じゃないのかなぁ」と言って、さらに訝しむ様子を見せる。

 それを見て、以前バルドが、アーミーパウンズが日本を支配しているんじゃないか、と言っていた事を思い出した。日本でインパウンドと人間の立場が変わっているのは、そこにアーミーパウンズの基地があって、支配しているんじゃないか、と、前にバルドは訝しんでいた事がある。

 無言のまま、深く考え始めたバルドを見て、僕は以前と同じように、よく分からないと思いながら、テレビの方に視線を移した。メセトさんやバルドのように、部隊の中では支配がどうたら気にするアーミーパウンドもいるが、そんな事よりも怖いのだからどうしようもない。

 一度視線が逸れてしまったせいか、テレビの内容に集中出来ない時間が続いていく中、僕は不意に鳴った自分のアラーム音に驚いて、身体を跳ね上がらせてしまった。素早く周囲に目を見張って、異変が無いかを確認していくが、その音が自分の決めた事だと気がつき、慌てて机の上にあるテレビのリモコンに手を伸ばす。

「夕礼の時間だよ」リモコンの電源ボタンを押しながら、まだ悩んでいるバルドに声をかけると、バルドは弾かれたように席から立ち上がった。その様子に昔の惨劇を思い出して、自然と自分の顔が険しくなる。

 こういう場合、周りに誰も居ないという状況を利用して、上官達の誰かが抜き打ちで現れる事があった。今でも何かで怒られるとしたら、真っ先にこの時間帯だろう。隠れてオブリード副司令が見ていた事もあるし、デルタ隊長が、自分達の部屋に乗り込んで来た事もある。

 あの時の惨状は、頭の中に刻みつけられているようで、何かあると、すぐに思い出してしまう。実戦と同じ迫力で、部屋に押し入って来たデルタ隊長は、だらけていた僕達を一瞥した後、無言のまま、真っ白な一つ眼を鋭くして、僕達を恐怖に陥れた。白い眼と、僅かに震える身体を見れば、内心怒り狂っている事が、誰の目にも分かる。口を開く事も、身体を動かす事も許されない状態が続いた後、デルタ隊長から底冷えする声で、懲罰内容は、明日の訓練量が二倍だ。という宣告を伝えられた。

 頭に浮かんだ思い出に溜息を付きながら、自分の姿勢を真っ直ぐに正して、バルドと共に、アクト司令官達の連絡を待っていると、二十時丁度に内蔵通信を介して、疲れと苛立ちを混ぜたような声が聞こえてくる。

「こちらヘプタ01、夕礼の時間です。今、少し手が離せない状況なので、何か不調があるのなら申し出て下さい」

 その言葉に、誰も答える者は居なかった。少し長い沈黙の後、ヘプタ01であるアクト司令官が、もう一度口を開く。「何かあったら、部隊の隊長達に申し出て下さい。それでは、夕礼を終了致します」

「随分と忙しそうだったな」先にバルドが姿勢を崩しながら、アクト司令官の見慣れない様子を気に掛けた。「何かあったのか?」

「僕達と同じで、色々疲れたんじゃない?」すぐに思い付いた原因を口にしながら、緊張の糸が切れたせいで、不意に襲ってきた眠気に欠伸をする。普段の消灯時間である、二十一時よりも大分早いが、少し我慢が出来ない物だった。「もう眠いから寝るよ」

「ああ、おやすみ」バルドの言葉を受けて、僕は背を向けながら「おやすみ」と答えた後、そのまま食堂を後にする。

 誰も居ない通路に出た瞬間、訓練を終えた後のような、非常に強い疲労と眠気が襲ってきて、僕は重い溜息を吐いた。そして、こんなに疲れていたのかと思いながら、立ったまま眠気に逆らって、何とか自室に戻り、自分のベッドへと潜り込む。

 普段の消灯時間である、二十一時よりも大分早ったが、目を瞑ると、すぐに意識が眠気で吹き飛ばされた。

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