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歓迎会

 地球の大地には激しい色が満ち溢れていた。シミュレーターで見るよりも、種類が多い色の山が、艦の出口から僕の目を貫いて、激しい頭痛と吐き気を引き起こしていく。

 見えない衝撃から身を守ろうと、咄嗟に目を瞑り、両腕を身体の前に構えた瞬間、今度は宇宙で嗅ぐような、強い不快な臭いを感じて、その場で大きく咳き込んだ。一通りの毒物は警告と共に遮断するよう作られている為、臭いを感じるという事は、危ない物では無いんだろう。

 しかし、とても耐えられる物では無く、僕は混乱した頭で大きく咳き込みながら、他の皆はどうなのだろうかと、必死に辺りを見渡していく。

 全員僕と同じように苦しんでいたが、デルタ隊長は特に何も感じていないようで、むしろ、何かに感激しているかのように見えた。時折軽い咳をしているものの、濃い青色の身体を縮こまらせて、両手を握り締めており、草木のような緑の一つ眼は、泣いているかのように潤んでいる。

 殆ど見た事が無い、デルタ隊長の姿に仰天していると、デルタ隊長は涙声で、「地球の匂いですよ」と、咳き込む皆に負けない大声を上げた。それを聞いた僕は、激しい咳を行いながら、まるで悪夢のような話だと、心の中で不安を叫ぶ。

 しかし、暫く咳き込んでいると、あれほどまでに苦しかった臭いと、少しずつ胸に張り付くような不快感が消え始めていく。病人のような浅い呼吸が出来るようになると、二つの違和感は更に無くなっていき、慣れるとそうでもないと思い始めた頃には、呼吸は普段通りの物に戻っていた。

 案外良い物かもしれないと思った僕は、わざと地球の空気を、少し大きく吸い込んだ。冷たさの中に湿り気を感じる物が、胸の奥にゆっくりと染み込んでいく。少し勇気を出して、今度はゆっくりと、さらに大きく息を吸う。すると、先程の冷たい空気が胸の中に溢れていき、まるで水を飲んだ時のような、気持ちの良い爽快感を味わう事が出来た。

 最初との違いに驚きながら、僕は地球の空気を味わいつつ、外の色に慣れようと、目を細めながら、少しずつ艦の出口に視線を移していく。

 出口から見える景色の正面には、灰色の岩のような物が聳え立っており、その両脇からは輝かしい、青々とした空が見える。それを見て、また頭が少し痛くなった物の、これも慣れるのにさほど時間はかからなかった。

 目を慣れさせる為、空に視線を向けていると、ふと地球では時期により、空気の状態が変化する事を思い出す。デルタ隊長の話によれば、僕達が降りた日本は四季という物があり、季節毎に空気や景色が少しずつ変わっていくらしい。今は三月なので、これが四月になると、また変わっていくのだろうか。慣れてきた目で疑問に思いながら、雲が浮かぶ地球の青空に、意識を集中させていく。

 シミュレーターで何度も見ている空の景色だが、深い色で作られた本物の空は、宇宙から見た地球のように、何か独特な物を感じて、自然とそこに吸い込まれるような印象を受けた。自然と自分の吐き出した息が、感動で震えている。本物を見た事は無いが、恐らく美術品というのはこういう物なんだろう。

 そのまま空を見回していると、青い空と白い雲の間に、何かが集団で飛んでいるのを発見した。僕は先程と同じように、身構えながらアイセンサーを最大望遠にして、姿を確認する。しかし、障害物か敵か何かだと思ったそれらは、優雅に飛ぶ鳥の集団で、機械が行う動きではない、羽を広げて飛ぶその姿に、目が釘付けになった。見惚れて溜め息をついている間に、白い鳥達は視認距離を離れ、何処か遠くに消えて行く。感嘆の声を上げながら、別の鳥を探して見るが、あの灰色の岩以外、他にそれらしい物は見つからない。何処かで見た事があると思い、興奮した気持ちを抑えながら、今度は岩へと注意を向ける。

 何だか丸いなと思った瞬間、これが日本にあるアーミーパウンズの軍事基地、アーミーベースだという事に気がついた。以前与えられた資料によると、地上にある楕円形の建物はカモフラージュにより、まるで岩のような自然物に見えるらしい。念の為最大望遠でじっくり調べてみるが、岩壁には目を引く所が何も無かった。

 つまらないので、自然と僕の見つめる先が、岩の周辺にある大地へと移るが、二列に分かれた軍用車両と攻撃用ヘリコプターが並んでいるだけで、特に目新しい物は見つからない。また空に目を向けようと思った時、後ろから、「予想以上に凄いなぁ」と言う、アクト司令官の呆気にとられた声が聞こえて来る。

「地球って、こんなに綺麗な所なんだねえ」 目を向けて見ると、大型人型インパウンドであるアクト司令官が、薄い橙色の身体にある、白い火のような一つの瞳を空に向けていた。それを聞いたデルタ隊長が、「だから言ったじゃないですか」と、明るく誇らしげに答える。

 空から視線を下ろして、デルタ隊長の笑顔を見たアクト司令官の顔が綻ぶが、すぐにその表情が鋭い物へと変わった。

「それでは予定通り、私と副司令、デルタ隊長で挨拶に行ってきます」アクト司令官が声を張り上ると、その言葉に自分と周りの表情が硬くなる。

「待機任務だという事を強く自覚して、絶対に外へ出ないでくださいね」

「了解」緊張を取り戻した全員が、はっきりとした返事をする中、バルドの「はい」という返事が少し遅れた。

「すみません」と謝って、ばつが悪そうに顔を伏せるバルドに対し、エール司令官は「頼りにしているからね」と釘を刺す。

「それじゃあ行きましょう」そう言って、エール司令官は出口へと向かい、その後に顔を強張らせた、何処となく動きが硬いオブリード副司令、デルタ隊長が続く。出口の先にある、自動設置型のエスカレーターを使って、艦を後にしていった。

 残された僕達に出来る事は、アクト司令官達の無事を祈る事と、出口から見える景色を眺めながら、与えられた待機任務をこなす事だけだ。

 唯一の出入り口を見張っていると、やがて緊張感のある、気味の悪い静けさが漂い始めてくる。もう慣れたはずの沈黙だが、その中で普段通り落ち着くことが出来ず、自然と自分の表情が、どんどん険しい物へと変わっていく。

 今までに無い特殊な状況のせいか、心の中では先への不安と、地球への感動が入り混じっていて、任務に集中が出来ない。危険だと思った僕は、雰囲気に飲み込まれぬよう、わざと大きな息を吐き出しながら、内蔵機能で時刻を確認する。

 十五時二十分という表記を見て、確か日本では、太陽が高く昇っている時間帯だなと思い、太陽の光に少し注意を向けた。先程と比べて、日差しが少し強い気がする。それと同時に、自分のシステムが体感温度を警告してくれない事に驚いて、人間の心臓代わりである動力炉が大きな鼓動を鳴らしたが、ここは水星ではない事を思い出して、もう一度、今度は大きい安堵の溜め息を漏らした。

 水星なら今頃、自分の身体を最低限の感覚が残る、無感知モードにして、太陽に焼かれながら、レアメタルを採取している頃だろう。この陽気を感じていると、外部装甲温度に目を光らせていた時の事が、まるで嘘のように思えてくる。

 日本の春は眠気を誘う暖かい陽気だと、デルタ隊長から聞いていたが、まさかここまで心地良い物だとは思わなかった。しかし勝手に気が緩んでいくので、その度に気合を入れ直さなければならない。

 陽気だけではなく、空や鳥といった興味深い物が多すぎるせいか、水星と比べて集中を乱す物が多い。苛立ちながら自分の気持ちを任務に向けていると、不意に左から、「いいねえここ」という声がした。反射的に身体を動かして、聞こえた位置から距離を取り、声の持ち主を探す。

「あー」そこでは大型人型アーミーパウンズの軍医であり、主に身体面を担当しているアナクルさんが、薄黄色の一つ眼と、黒と黄色の身体にある目を下に伏せて、申し訳なさそうな声を上げていた。「悪い、驚かせたか?」

「ああ、すみません」状況に気がついた僕は、高すぎていた緊張を和らげる為、頭を大きく左右に振った後、「大丈夫です」と謝り、視線を出口に戻して、また少しずつ気を張り詰めていく。

「悪い」昔こういう事がよくあったせいか、アナクルさんは特に気にしていないようで、僕の視界の外から軽く流した後、「まるで天国みたいな所だよな」と、一人大きく呟いた。

「内面はどうなのかな」厳しい口調で、聞き覚えのある声が反論する。

 声の方角に向くと、もう一体の軍医である、大型人型アーミーパウンズ、主に精神面を担当している、メセト軍医の姿が見えた。

 薄い青と白の身体で、アナクルさんと同じ、薄黄色の一つ目を、少し怒ったように吊り上げていた。

「今はインパウンドの立場がマシになったようだけど、実際どうなのかは分かりません」

「そうかなぁ」アナクルさんはその意見に納得出来ないようだった。「でも人間とインパウンドの関係に、一番早く取り掛かった国だろ? 経験上、付き合い方が分かってるんじゃないか?」

 そのまま議論を始めた二人を放置して、僕は任務に意識を向けつつ、事前に渡された資料の中身を軽く思い出していた。

 これから住む日本という国は、人間とインパウンドの友好関係を真っ先に築き上げた国だ。アーミーパウンズの基地があるとはいえ、戦争した者同士が手を取り合う事は非常に珍しい事で、インパウンドという強力な労働力を得た日本の復興は、他国と比べ物にならない程早く、また、治安も素晴らしい物だと教えられている。

 他国も日本を参考にし、人間とインパウンドとの関係修復に全力を注いでいるらしいが、あまり上手くいっていないようだ。戦争に巻き込まれて家や人を失った者としては、お互い許せない物があるからだと言われている。

 勿論全員が負い目を感じていない訳ではなく、現に少しずつ友好関係は強化されつつあるが、どうしても時間が必要だという結論が出ていた。

 どうして日本がその辺りを乗り越えられたかというのは、世界中から関心が寄せられているように、僕自身も非常に気になる所だ。

 有力な説としては、島国という歴史で培われた、日本人の独特な人間性だといわれているが、中にはインパウンドの技術が世界一だからだ、という声もある。

 そういえば、あの人間がくれたゲーム機も、日本製品だったなと思った所で、外から司令官達の気配を感じ取った。

 その直後、バルドが話を加熱させている二人に対して、「戻ってきましたよ」と報告すると、アナクルさん達は慌てて口を閉ざす。

 最初に戻って来たのはアクト司令官だった。後ろに居るサブルード副司令達同様、僕達の顔を見て、安心した表情で深い溜め息をついた後、僕達に対して口を開く。

「アースダム元帥が、他の皆にも会いたいそうです」その言葉に、僕達の口から驚きの声が漏れる。

 アースダム元帥とは、空を含めた陸軍を統括しているアーミーパウンドの事で、アーミーパウンズ独自に改定された軍隊階級の中でも、二番目に偉い人物の事だ。雲の上のようなアーミーパウンドと話をするという出来事に、僕の頭の中が真っ白に染まった。

「まあ一言二言話をするだけですし、副司令の指示に従えば問題無いですよ」沈黙している僕達に対し、あっけらかんと言い放つアクト司令官を見て、僕の目付きがまた悪くなる。バルド達も同じだったのか、アクト司令官は軽く首を上げるようにして視線を逸らし、「案内はオブリード君がしてくれるので、後お願いします」と言って、足早に艦の中へと戻って行った。溜め息をつきながら、その後をデルタ隊長が追う。

「そろそろ行くぞ」閉められた艦内への扉を情けない表情で見つめている僕達に、オブリード副司令の声がかかった。苦い顔をしたまま振り返ると、灰色の大型人型インパウンド、眼の色すら灰色を基調としているオブリード副司令が、いつもの様に堂々と僕達を見つめていた。

「隊列を組んで、話をするだけだ。いつも通りにやればいい」オブリード副司令の口調からは、僕達のように動揺している様子は無い。頼り甲斐のある姿に、自然と「了解」という僕達の返事にも張りが出る。

「行くぞ」隊列の先頭であるオブリード副司令は、いつも通り淡々と僕達に号令を掛けた後、出口のエスカレーターで、地上に降りていく。そのまま隊列の並び通りに、僕を除く全員が恐る恐る艦を降りた後、殿の僕が同じように緊張しながら、出口のエスカレーターに足を掛けた。


 外に出た瞬間、視界の大部分が青い空で染まる。視界に入るアーミーベースの灰色が邪魔だったので、頭を上げて、視界全てを青空に移すと、その美しさに感動し、唸り声を上げた。

 金属に覆われた中にある、口を閉じる事無く景色を堪能していると、多彩な色に魅力されてしまったのか、一瞬自分が何処にいるのか分からなくなり、半分腰を抜かしながら、エスカレーターの持ち手に寄りかかる。そのお陰で、エスカレーターの終わりに躓き、地球の地面と衝突する事だけは、避ける事が出来た。

 バランスを崩しながら、舗装された灰色の地面に足を付けて体勢を立て直し、オブリード副司令の少し驚いたような視線に耐えつつ、列の後ろに移動する。整列された事を確認したオブリード副司令は、前に振り返って、僕達を先導し始めた。

 僕は列の前にいるアナクルさんに続きながら、少しだけ周りに目を向ける。出口から見えた軍用機が大量に整列している中、その奥に戦艦らしき物が見えた。輸送艦であるスペースポーターと形が違うので、恐らく戦闘艦か何かなんだろう。

 基地の外壁まで歩いた後、今度は壁の右沿いに進路を向ける。周りに気を取られていたのか、曲がる時にアナクルさんが壁に激突しそうになったが、運良く誰にも見つかる事は無かった。

 暫く歩いていると、前から二体のインパウンドの気配を感じ取る。そのまま歩いていると、身体付きからして恐らく、大型人型のアーミーパウンド二人組が姿を表した。戦闘用のマスクを装着している姿を見て、オブリード副司令の足が止まる。

 一体は黒、もう一体は黄色を基調としており、人間と同じく二つの目を持っていたが、その目は鋭く僕らに向けられている。その視線に少し怯みながらも、僕は久しぶりに見た地球のインパウンドに興奮しながら、二人の階級をデータベースから引き出してみた。視界の右下に表示された、上等兵の僕達よりも階級が高い、兵長という表記を見て、その迫力に納得する。

 黄色の兵長がその雰囲気を崩さないまま、オブリード副司令の前に立ち、「ご苦労様です」と言いながら敬礼を行う。オブリード副司令も、「ご苦労」と言って敬礼を返し、後ろに居た僕達も同じように返すと、先に黄色の兵長が敬礼を解き、「データ認証をお願いします」と言って、自分の左手を差し出す。インパウンドが標準装備している、データ認証機能が働いているようで、左手は受信を示す青色に光っていた。

「了解」それを見たオブリード副司令は、同じくデータ認証機能で送信を示す、赤い光を纏った自分の右手を、差し出された左手に触れる。その間に僕達は敬礼を解き、黒い兵長が見張る中、握手をするようなデータ認証が終わるのを待つ。

 数秒後、黄色の兵長が少しだけ表情を柔らかくしながら、「確認しました、こちらにどうぞ」と言って、オブリード副司令の手を離し、その手を左にある、アーミーベースの外壁に触れた。

 すると無音で触れた壁が横に動き、中から暗い明かりで照らされた、通路のような物が姿を表す。僕達が驚く中、黄色の兵長はその中へと入って行き、オブリード副司令と僕達もそれに続く。最後に黒い兵長が僕の後ろに付いた所で、先程の重い音と共に、入口が自動で閉められる。

 中は一面灰色の壁で覆われていた。天井は自分の身長である、二.五メートルより少し高いぐらいだが、横に狭い為、少し圧迫感がある。

「今から、密閉洗浄を行います。全員、システムを無感知モードに切り替えて下さい」

「了解」周りと同じ返事をしながら、僕は後ろに居る、黒い兵長の声に従った。内蔵システムを使って、自分の身体を、無感知モードに変更する。

 無感知モード中なら、装甲までの痛みを無くしてくれる上に、貫通した時の痛みも、少しだけ抑えてくれる。戦闘時による音や光も、、苦痛を感じない程度にまで、下げてくれる物だ。

 また、動力炉の出力制限が解除されて、アーミーパウンドとしての、軍事行動が可能になる。一般のインパウンド程度にまで、抑えられていた全身の力を、解放する役割も持っていた。

「三秒後に、洗浄を開始します。動かないでください」

 黒い兵長の言った通り、三秒後、四方八方から、大量の液体が噴き出してきた。スペースポータで行う、薬品の殺菌処理と、よく似ている。

 最後に、送風で身体の水分を吹き飛ばされた後、明るいチャイムの音が鳴り響き、列の前にあった壁が重い音を立てて、ゆっくりと左右に開かれていく。その中から先程見た太陽の物と同じ、明るい色をした光が溢れ出してきた。黄色の兵長を前にして、壁の奥へと進んで行く。


 そこは建物の中とは思えない、太陽と殆ど同じ光で照らされた空間で、その中で僕が最初に見た物は、硝子のような物で仕切られている、草が生い茂る広場だった。恐らく、僕達が動き回れる程広いその場所には、ベンチやゴミ箱が設置されていて、そのすぐ隣には、赤色の自動販売機が置いてある。それを見て、各生活ブロックではストレス解消の為、運動用の広場が設置されているという資料の項目を思い出した。

 黄色の兵長の先導に従い、広場を囲むように設置されている、床からの人工的な光で明るい通路を、左へと歩いていく。広場を興味深く見ていたせいか、メセトさんが列を外れそうになり、慌ててアナクルさんに引っ張られるという事件はあったが、特に何も言われる事は無かった。

 歩きながら、時折広場に視線を動かしてみるが、中には何の姿も見えない。時間の都合が悪いのかと思い、時刻を確認してみると、十六時を少し過ぎた所だった。軍内スケジュール通りなら、今頃戦闘シミュレーターで訓練を行っている最中だろう。誰も居ない理由に一人納得する。

 一日の訓練が終わったら、皆ここで休憩でも取るんだろうかと思いながら、今度は右側に注意を向けた。右にある部屋の扉には、一枚一枚部屋の名前が描いた白いプレートが付けられており、一目見ただけで何の部屋か分かるようになっている。

 プレートに目を配っていると、不意に食堂という文字が目に止まった。ふと食事に関しては、宇宙であったような奪い合いにならないんだろうかと思ったが、流石にそんな事はないだろうと思いながら、兵長達と共に、通路の一番奥にある巨大エレベーターに乗り込む。

 確かこのエレベーターは、内部の位置を特定されないよう、高速で静かに、上下左右に動くらしい。最後に乗り込んだ黒い兵長が、エレベーターの入り口右にある、液晶の形をした受信機に、赤く光らせた右手を置く。すると扉が静かに閉まり、そしてすぐにまた扉が開かれる。あまりの早さに間違えたのかと思ったが、開いた扉の先にあるのは、やや白めの椅子と机が優雅に並ぶ部屋だった。

 それを見て僕の感覚が麻痺したのか、先程から驚きっぱなしの光景に疲れて、何となくため息をつく。しかし奥に居た大型人型アーミーパウンドの姿を見て、慌てて背筋を限界まで伸ばした。エレベーターを降りた僕達を、厳しい眼で見つめている紺色のアーミーパウンドは、資料で何度も見た、陸軍元帥アースダムだ。

 訓練中のデルタ隊長と同じく、その目から伝わる威圧感は非常に強いが、その中に今まで感じた事の無い、暖かさを持った貫禄がある。不思議と安心出来る物を感じて、上辺だけでは無い、頼り甲斐を持つアーミーパウンドだと直感した。

「連れて参りました」先頭に居た黄色い兵長が敬礼を行った為、それに合わせて後ろに居た僕達は、素早く横に列を広げ、同じ敬礼の姿勢を取る。

「ご苦労」アースダム元帥は敬礼を返した後、「二人共席を外せ」と、低い声で兵長達に指示を送った。命令を受けた兵長達は一瞬戸惑った物の、それぞれ「了解」と返事をして、エレベーターに戻り、その扉を閉める。

「副司令との会話は済んでいる。上等兵二名、前へ」

「了解」僕達は緊張しながら、背いっぱいに胸を張りつつ、隊列から一歩前に進む。

「両兵士共、過酷な環境の中で自分を見失わず戦ってくれた事を、誠に感謝する」

「有難うございます」二人共大きな声で答えられたの、バルドは場の空気に飲まれたようで、先程から呼吸が荒い。アースダム元帥はそんなバルドを気にしたのか、送っていた視線を僕一人に絞った。動力炉の鼓動が、一段と早くなる。

「ナナキ上等兵。地球はどのような所だと思う?」

 どう答えたらいいのか言葉に詰まったが、初めて見た宇宙での地球を思い出した。「とても美しい所だと思います」

「なるほど」少し納得したように頷いたアースダム元帥は、今度はバルドに視線を向ける。「バルド上等兵はどう思う?」

「暖かかったです」すぐに掠れた声で答えたバルドに対し、アースダム元帥は一瞬意外そうな顔をした後、「そうか」と厳格な雰囲気を崩して、満足そうに微笑む。その変わりように戸惑う暇も無く、アースダム元帥の表情が元へと戻る。「二名共、これからもよろしく頼む。下がってくれ」

「了解」僕達が列に戻ると、アースダム元帥は次の命令を送る。「次は軍医二名、前へ」

「り、了解」二人共緊張しているのか、命令に答えるアナクルさんに、いつものような明るさは無い。メセトさんに至っては、「はい」といつもの調子で答えてしまった後、慌てて「了解」と言い直していた。見ているだけで不安になる二人が前に出ると、様子を察したのか、アースダム元帥は僅かに表情と雰囲気を緩める。

「大変な戦いだっただろう。本当によく無事に戻ってきてくれた」

「ありがとうございます」アースダム元帥の言葉を受けて、メセトさんが心底疲れたような声で返事をした。それと対称的にアナクルさんは、「ありがとうございます」と、空元気のように裏ずった声を上げる。

「報告書は見させてもらった。今後予定通り、宇宙環境の対策について協力してもらえるか?」

「それは勿論」緊張しているせいか、部屋に響く大声を出したアナクルさんは、一旦言葉を切った後、「自分達が役に立つのなら、何でも」と、小声で答えた。

「勿論協力致します」続いて、その様子に驚いていたメセトさんが返事をすると、アースダム元帥の顔がまた引き締まる。

「宇宙での情報は、非常に貴重な物だ。今後ともよろしく頼む」

「了解」やや落ち着きを取り戻した二人の返事に満足したのか、アースダム元帥の顔がまた暖かな物になる。「二人共戻っていいぞ」

 メセトさん達が指示通りに戻った後、アースダム元帥は少し間をおいてから、胸を張り、大きな声で話し始めた。

「諸君、長旅ご苦労だった。人間との問題やミュートの反乱、その他大きな困難にめげず、見事に任務をやり遂げてくれた事を、私は同じアーミーパウンズとして誇りに思う」

 僕は恥ずかしくなり、少しだけ視線を下に逸らした。褒められるのは苦手だなと思いながらも、アースダム元帥の話は続いていく。

「君達はこれから地球で生活する事になる。宇宙とは全く違う場所で、戸惑う事も非常に多いだろう。人間に関して、あまり好意的でない事も良く知っている。だが今の生活に慣れ、周りを見渡せる余裕ができたら、少しずつ今の人間達の事を、まずは知ろうとして欲しい。完全に理解しなくても、人間の事を少しでも知って欲しい」

 そして一瞬の間を置いた後、「もう一度言うが、宇宙と同じ、普段通りの生活をしていれば問題は無い。安全は保証されているから、心配はしないように」と、念を押してくれた。

「堅苦しい話は終わりだ。君達には今日を含めて、五日間の休暇が与えられている。ゆっくり休んで、地球の生活を堪能してくれ」

 その時、僕達の後ろから音がして、「失礼致します!」という大きな声が聞こえて来た。少し驚きながら振り返ると、扉が開ききったエレベーターの中に、通常の人型と比べて、ほんの少しだけ鼻が大きい、白と黒の模様を持つ、一体の中型人型アーミーパウンドの姿が目に入る。

 少し細身に見える身体には、特徴的な鼻がある為、基となっているのは虎か猫だろうが、纏っている雰囲気からすると、恐らく前者なのなのだろう。

 そのアーミーパウンドは、エレベーターから降りて、僕達の隣を通りすぎる際に、一瞬訝しむような視線を送るが、すぐにアースダム元帥に視線を戻して、敬礼を行った。「タスキー少尉、参りました!」

「ご苦労、丁度良かった」アースダム元帥が敬礼を返す。「彼はタスキー少尉。本日付けで第十七部隊、第二隊長へと転属になった者だ。地球に慣れる為の手助けをしてくれるよう、私の方から頼んでいる。不便な事があったら、彼に相談してくれ」

 アースダム元帥の言葉が終わると、タスキー少尉はオブリード副司令に向かい、もう一度敬礼を行った。先程と同じ、遠くまで聞こえる大きな声で自己紹介を始める。

「本日より第十七部隊に転属になりました、タスキーと申します! 階級は少尉! コードネームはヘプタ09! 宜しくお願い致します!」

「こちらこそ宜しく頼む」敬礼を返すオブリード副司令を見ながら、僕はヘプタ08という名称を、頭の中へと刻みつけて、同時に部隊長補佐を行うという、少尉の役割を思い出していく。「こちらからの連絡事項は以上だ。そちらからは何かあるか?」

「ありません」オブリード副司令はアースダム元帥の言葉に答えた後、敬礼の姿勢を取る。反射的に、僕らも同じ姿勢を取った。「何かありましたら、こちらからご連絡させて頂きます。本日は多忙な所、誠に有難う御座いました」

「私も君達と話せて、とても嬉しかった。これからは宜しく頼むぞ」そう話すアースダム元帥には、最初に感じた暖かさしか感じない。

 僕はそれを見て、任務時間外だと比較的優しい、デルタ隊長やアクト司令官を思い出した。そう感じると、上官達と同じように、締める所は締めていくこのアースダム元帥の態度が、非常に心地良い物に思えてくる。

「本日はアーミータウンに宿を取っています。アクト司令官達はそちらで合流するので、まずはエレベーターに乗って下さい」

 全員がタスキー少尉の指示に従う中、僕は頭の中で元帥という言葉に、一人深く納得していく。誰よりも強い威圧感を持っていながらも、それと同じ暖かさを持っている。同じ物を持つ、アクト司令官達の到達点何だろう。

 タスキー少尉の手でエレベーターの扉が閉められた後、僕は周りと同じ、緊張が抜けた身体で重い溜め息をつきながら、今度はアーミータウンの方に、頭を切り替える。

 アーミータウンとは、アーミーパウンズ基地周辺に建築された街の事だ。本来は人口過多の影響で作られた街で、攻撃目標となる軍事基地があるという事から、最初はあまり人気は無かったらしい。

 今は逆にアーミーパウンズの基地があるから安全、と考える日本人が多いらしく、ここ数年で都市と呼べる程人口が増加しているとの事だ。その為か、インパウンドとの仲は極めて良好で、日本の中で一番信頼関係が強い都市とも言われている。

 アーミータウンの概要を思い出しながら、エレベーターから降りたタスキー少尉の後に続いていく。降りた先は基地の入口にあった、洗浄室を大きくしたような灰色の部屋で、僕達はここでもう一度、薬剤による洗浄を受ける事になった。

 洗浄後、正面にあった灰色の壁が左右に開き、そこから外の景色と匂い、そして整備された道路と大きな木が目に入ってくる。

「ここから先は休暇の時間だと思って下さい。気楽に行きましょう」笑顔で外に出たタスキー少尉に、最初に自然と隊列を崩したオブリード副司令が続く。全員それに習い、列を崩しながら外に出る。


 外にある道路には一定の間隔で桜の木が植えられていて、どれも桃や白色の花を咲かせていた。灰色のアスファルトで作られた道の上に、風か何かで落ちた桃色の花びらが舞い降りて、この世の物とは思えない、幻想的な雰囲気を作り出している。

 歩きながらその景色に魅力されて、夢見心地な気分に浸っていると、不意に後ろから不穏な気配を感じ取った。

 慌てて振り向き、気配の元に目を向けると、視線を感じた所には周りと同じ、桃色の葉っぱを付けた桜の木が一本生えており、素早く目を動かして、回りにある木と比較してみたが、その木だけが特別なようには思えない。相手も異変に気がついたのか、今は気配を消しているようだ。

「お、桜が気に入ったのか?」

 注意深く桜の木に目を光らせていると、右の視界からタスキー少尉が現れる。表情は緩く和やかで、今の状況に気がついていないようだ。

「日本の桜は綺麗だからなぁ」

「何かがあそこに居ました」タスキー少尉の呑気な言葉とは対称的に、僕は淡々と今の状況を伝える。「誰かがあの辺りから、自分を見ていました」その言葉を受けて、タスキー少尉の表情が引き締まった。

「桜ってなあ、根っこに死体が埋まってるんだぜ」

「え」突拍子も無い事を言い出したタスキー少尉に目を向けると、タスキー少尉は不敵な笑みを浮かべる。「そういう作り話みたいなのがあるんだよ」

「作り話」呆然と見つめてくる僕の視線を受けながら、タスキー少尉は軽く笑う。「桜の根には死体があって、その死体から血を吸ってるから、桜は桃色なんだって奴。知らないか?」

「知りません」僕が溜め息を付きながら答えると、タスキー少尉は苦笑いを浮かべながら、「まあとにかく、あそこに誰も居なかったぞ。気のせいなんじゃねえの」と言い残して、先を行くオブリード副司令達の元へ、小走りに駆けて行く。それを見て僕は、そういえば少尉何だよなと思い、タスキー少尉の後姿を目で追いながら、少尉の動きに合わせられるのか、少し不安になってきた。

 アーミーパウンズで改定された階級は、正確に実力を指し示しており、一つでも階級が違う場合、相手にならない事が多い。自分よりも二つ上の階級である、タスキー少尉と一緒に戦える自信は無かった。

「おーい、行くぞー」先を行っていたバルドの声を受けて、僕はオブリード副司令達との距離を気にしながら、恐る恐るもう一度桜の木に視線を戻す。先程感じた気配は無く、ただ花を咲かせているだけで、インパウンドの気配は無かった。タスキー少尉の言う通り、気のせいだったんだろうか。

 変な話を聞かされた上に、辺りが薄暗くなってきたせいか、段々桜の木が異様な物に見えてきた。何だか気味が悪くなって、桜の木から皆の元へと駆け出す。

「何かあったのか?」追いついた僕にバルドが声を掛けて来るが、僕は得体の知れない恐ろしさに、「何でも無い」と言って黙りこんだ。

 そのまま歩いていると、やがて桜の木が姿を消す代わりに、今度は台形を積み重ねた、階段上の建物が姿を表し始めた。汎用型と言われるこの特徴的な建物は、今の時代の地球ではありふれた物で、中では快適な住環境が一通り揃っており、日が当たらない場所や低層部分は、中を改装して、お店や駐車場が設置されているらしい。

 汎用型の建物を通り過ぎる時、ふと気になって、一階に目を向けてみた。そこには中の施設とエレベーターを利用する為の、大量の人間とインパウンド達が集まっており、人間の姿に恐怖を覚えた僕は、慌てて建物の頂上に目を移す。高さの問題を解決したという建物の頂上は、遥か雲の先まで伸びていた。

 その他にも、ゴミ出しの日が書かれている看板、車や歩行者の安全を守る為にある交通標識、場所を表す案内板等、初めて見る物に興味を惹かれながらも、頭の中ではどれも資料通りだと、冷静に一つずつ確認していく。

 また、人間の姿に見慣れる事は無かったが、他のインパウンドを見ても、動揺する事は少なくなってきた。システムで気配は感じてしまう物の、これならすぐに慣れるかもしれない。

 その作業を繰り返していると、不意にタスキー少尉の足が止まり、こちらに振り向いた。

「こちらの建物が、宿になっています」そう言って、タスキー少尉は少しだけこちらを見た後、そのまま右にある門らしき所を潜って行く。その様子を見て、オブリード副司令は一瞬戸惑った物の、すぐに後を追いかけていった。皆も後に続いて行くが、最後尾となった僕は一人、門の先にある建物に目を移す。

 突き出した瓦屋根の先に、赤い提灯という和風な作りの建物は、周りの建物とは明らかに異なる物だった。壁の色が赤に近い茶色という独特な物で、恐らく漆という物で塗られているんだろう。画像データで見た和風のサンプル画像を、そのまま持ってきたような光景を見た僕は、ここが高級な所だと、直感で感じ取る。

 本当にこんな所に入るのかと、少し慌てながら視線を門の先に移すと、バルドが少し困った表情を浮かべながら、早く入れとこちらに軽く手招きをしてきた。僕はバルドと似たような顔をしながら、砂利道で作られた歩道に足を載せて、門を潜る。

 中では、見事な庭園が一面に広がっていた。正面に見える入口には、鈍いオレンジ色の光を放つ提灯と、石で作られた灯籠で飾り付けられていて、中から一際暖かな光が、外へ溢れ出ている。

 砂利道は中程から左右に分かれるよう続いており、左側には名前の分からない桃色や、白色の花で花壇が作られていて、そこを一周するように砂利道が整備されていた。砂利道の外側は、灰色の壁に沿って手入れされた植物が丸い形で植えられており、まるで絵のような空間が作られている。

 右側には岩で囲われた大きな池があり、その中を少し拡大してみると、巨大な魚らしき物が見えた。僕は明らかに場違いな雰囲気を感じながら、入口を通ったバルド達に追いつく。

 中は外で見た時と同じ、より暖かな電気の光で満たされていて、また大型インパウンドの基準である、二.五メートルの身長を持つ僕でも、不自由しない程の広い空間が広がっていた。地球の建物は、中型インパウンドの二メートルが基準と聞いていたので、建物の中では窮屈な思いをするかと思っていたが、ここでは案外そうでもないようだ。

 少し奥に行った所では、タスキー少尉が店の関係者らしきインパウンドと話していて、その奥にある幅の広い通路の先では、椅子に座った人間と、中型人型インパウンドが、お互い話をしながら笑い声を上げている。

 あまりにも親しく話すその姿に、僕は初めて空を見た時と同じ、強い衝撃に襲われた。人間とあんなに楽しんでいるインパウンドは、僕の記憶には無い光景だ。

 見てはいけない物を見てしまったような気がして、慌てて周りに視線をずらす。周りにある、書道という物で書かれた掛け軸や、花瓶にある白い花に注意を向けてみるが、先ほどの衝撃が消える事は無かった。妙な気持ち悪さを味わっていると、「申し訳ありません、お待たせ致しました」と、僕達に声がかけられる。

 僕はその声に反応して視線を動かしたが、相手が人間だと知って、また目線を横に逸らした。何処となく皆の空気も固くなったような気がする。相手は僕の異変に気がついていないのか、同じ口調で「まず足元をお拭きになって下さい」と言って、僕達に足拭き用のタオルを配り始めた。

 僕は人間と出来るだけ目線を合わせないようにして、何とかタオルを受け取った後、皆と同じ、慣れない動きで、足に付いた土や汚れをしっかりと拭き取る。いくら汚れを弾く構造とは言え、靴を履かないインパウンドは、足の部分に汚れが溜まってしまう。その為これを行わないと、建物に入る事が出来ないと教えられていた。

「アーミーパウンズ様六名、ご案内致します」僕達全員のタオルを回収した後、人間の女性は頭を深く下げて、僕達を部屋へと案内し始めた。

 先程と同じように、タスキー少尉が先頭に立って、僕達がその後に続く。僕は列の最後尾を歩きながら、宇宙で出会った一人の人間の事を思い出していた。


 宇宙で生まれた僕達は、すぐに人間達から暴力を受ける事になった。他のインパウンド達と同じように、暴言や力、遠回りな嫌がらせを受け続ける事になっていく。

 また、ミュートからは、実験と称した暴力を与えられていた。装甲を確認するからといって、実際に銃で撃たれたり、死ぬ寸前まで熱さられた事もある。

 二つの事が重なった結果、僕達は少しずつ、人間全体に対して、不信感と恐怖を感じるようになっていった。特に、ミュートの実験とやらは、今考えると常軌を逸している。

 しかし、人間達の中に一人だけ、インパウンドの事を気遣ってくれる、男性の人間が居た。自分にされて嫌だと思う事は、他人にしないのが普通だと言っていた事が、強く印象に残っている。

 僕達から見ると、非常に良い人間だった。しかし、人間やミュートからは、異質な者に見えたらしい。

 男性の考え方は、インパウンドの統率を乱す、軍の反乱者として見られてしまった。最後はミュートの命令を受けた、僕の手によって殺されてしまう。


 昔の嫌な記憶を思い出しながら、女性の案内で奥の通路にあったエレベーターに乗り込む。

 案内された三階には、降りたすぐ先に扉があった。女性はその扉を大きく開いた後、「こちらがお部屋になります。すぐにお食事をお運び致しますので、お手数ですが、部屋の鍵は開けたままでお願いします」と言い、すぐ後ろに居たタスキー少尉に鍵を渡す。

「分かりました」タスキー少尉が部屋の鍵を受け取りながら答えると、女性は「何かありましたら、備え付けのお電話でお知らせください」と僕達に伝え、そのまま頭を下げて「ごゆっくりどうぞ」と一礼をし、エレベーターへと戻って行った。僕はエレベーターが閉じた音を聞いて、少し胸を撫で下ろしながら、みんなの後に続いて部屋に入る。

 部屋の中は大きな畳広間になっていた。床には一定の間隔で座布団が敷かれており、一番奥ではアクト司令官が、その上で腰を下ろしている。部屋の中に入って来た僕達を見るなり、「お疲れ様」と、いつもの明るい調子で僕達の苦労を労ってきた。

 変わらないアクト司令官の姿に胸を撫で下ろしていると、タスキー少尉がアクト司令官の隣にある、他と比べて小さい座布団の上に座り、「好きな所へ座ってください」と、部屋で立ち止まっていた僕達を後押しする。

 味わった事の無い畳の感触に驚きながらも、僕は皆と同じく、正座だよなと思いながら、身近な座布団の上に座った。不慣れな正座という体勢は少し辛いが、それでも腰を下ろせるのは有難い。

「想像していた所より凄いんだけど、ここ、本当に大丈夫なの?」姿勢を大きく崩したアクト司令官が戸惑いながら、タスキー少尉に話しかけた。「物凄い高級そうだし、インパウンドが居てもいい所なの?」

「大丈夫ですよ」タスキー少尉は面食らったような表情で驚いたが、すぐにそれが穏やかな物へと変わっていく。「規則さえ守れば、どの施設もインパウンドが利用してもいい事になっています」

「規則って、迷惑行為ですか?」今度はメセトさんが、タスキー少尉に疑問をぶつけた。その中に他の皆も入っていくが、僕は一人目線を下げて、その光景から目を逸す。先程思い出した内容が頭から離れなかった。こんな状態で、本当に人間と一緒に生活なんて出来るんだろうか。

「失礼致します。お食事をお持ち致ました」

「お願いします!」外から聞こえたインパウンドの声に、今まで質問攻めにあっていたタスキー少尉が、逃げるように大声で合図を送る。すると、外から食器を手にした二体の中型人型インパウンドが現れて、僕達に向かい「失礼致します」と軽く頭を下げた後、それぞれに料理が入っている食器を配り始めた。

 その配られた料理を見て、先程の不安がどこかに飛んでいく。画像でしか見た事が無い、刺し身の盛り合わせ、生野菜のサラダ、魚らしき鱗が見えるスープ、白いご飯。それらは美味しそうな匂いを漂わせており、何より今まで食べてきた、宇宙食とは比べ物にならない程光り輝いている。その料理に目が釘付けになり、自然と自分の視線が険しくなった。気がつけば全員僕と同じように、料理を睨みつけている。

 部屋の不気味な空気を感じ取ったのか、配膳に来たインパウンド達は手早く作業を終えた後、少し緊張した様子で、「失礼致しました」と言って、部屋を後にした。

「食べていいの」部屋の扉が閉められた直後、アクト司令官が料理を睨みつけながら、低い声で誰かに確認を取る。その雰囲気に圧倒されたのか、タスキー少尉が少し間を置いて、「食べていいんですよ」と、少し弱気に答えた。「遠慮しないで下さい。おかわりもあるんですから、好きなだけ食べて下さい」

 タスキー少尉が言い終わると同時に、僕の左から、何かを啜るような音が聞こえてくる。突然聞こえた音に、僕が驚きながら振り返ると、バルドが真剣な表情で、魚のスープを静かに啜っていた。唐突な行動に何か言うべきか、もしくは止めるべきか悩んだ所で、バルドが表情を一気に崩しながら、「うっめえ!」と叫ぶ。

 もう一度魚のスープに口を付け始めたが、今度は啜るというより飲むに近い。僕達は口の部分はマスク状になっており、その下から食物を取り込めるようになっている。バルドはその部分から、魚のスープを豪快に飲み干し始めた。

「うまーい!」先程と比べ、さらに大きな声で明るく絶叫するバルドを見て、僕は、「バルド、あの」と、用もないのに声を掛けてしまう。

「お前も食ってみろよ!」僕の声に反応したバルドは、満面の笑みで答えた後、今度は箸を使って、白いご飯を食べ始めた。ご飯を頬張っているバルドの閉じた口から、何か声が聞こえる。恐らく美味い、とでも言ったんだろう。話にならないと思った僕は、自分の食事に視線を移す。

 これだよなと思い、汁椀を右手に取った後、見た事無いスープの具に目を向ける。詳しい事は分からないが、鱗があるので恐らく白身の魚何だろう。周りからの視線を感じながら、バルドと同じように魚のスープを啜ってみる。

「うっま」自然と自分の口から言葉が出た。水とは違い、スープには魚と思われる独特な匂いと味、そして今まで味わった事が無い、独特な甘さがある。

 インパウンドが飲む、エネルギーパックの濃い甘さではなく、後味が殆ど無くて、あっさりとしている物だった。こんなに後味が心地良い物は、生まれて初めて食べたかもしれない。

 一口二口と続けたが、やがて面倒になり、バルドと同じ方法で飲み干した後、汁椀を戻す。スープで身体がゆっくりと温まるのを感じて、その心地よさに、感嘆の息を吐いた。

「凄く美味しいですよ」心地よさに負けているのか、自分の声が宙を浮いているように、はっきりしていない。僕は箸とご飯を手に取りながら、「皆食べましょうよ、美味しいですよ」と言って、真っ白いご飯を口の中に入れた。

 噛めば噛むほど甘みが出て、口の中に自然と唾液が広がっていく。極稀に食べた、インパウンド用の宇宙食とは違い、一つ一つがしっかりとしており、食感が心地良くて堪らなかった。

 美味しさを堪能している僕の視界の端で、デルタ隊長とアナクルさんが、料理に手をつけ始める。

 僕はご飯をもう一度、やや多めに口へと運んだ。噛めば味が出るだけなのに、何故か嬉しくて堪らない。ここに誰も居なかったら、きっと泣いているだろう。

 嬉し涙ってこの事なんだと思いながら、滲む視界と共に喜びを噛みしめた。インパウンドなので涙は出ないが、それでも視界は同じように変わってくれる。

「堪らないな」デルタ隊長の泣き出しそうな声が続き、続いてアナクルさんの、「うっめえなあ」と言う、驚いた声が続く。

 それをきっかけに、司令官達も食事に手を付け始めた。タスキー少尉は驚いて何も出来ずにいるようだが、今はそんな事に構っている余裕は無い。

 食べた事の無い魚のお刺身に感動し、初めて食べるお豆腐の苦味に顔を歪め、デザートとして出てきた餡蜜のおかわりを頼み、地球の食べ物を限界まで胃に押し込む。勝手に崩れた姿勢の中、こんな物を毎日食べられるのなら、地球に来て正解だったかもしれないと、心底心から思った。

 少し前からタスキー少尉がお酌に回ってくれていたお陰で、僕とタスキー少尉を除く全員は完全に酔っ払ってしまい、今はお酒の力に任せて、笑いながら適当な話に花を咲かせている。滅多な事では飲む量を間違えない、オブリード副司令も例外では無く、今は必死に、お酒の眠気と戦っているようだ。身体を上下に揺らしつつも時々姿勢を正す姿は、見ていてかなり面白い。本当なら僕もお酒も飲んでみたいが、前のように暴れては困ると言われて、周りから止められてしまった。

 仕方無く酔っぱらい達の話を聞き流していると、先程から襲ってきた眠気に、僕は大きな欠伸をする。内蔵時計で時刻を確認してみると、十九時五十分、いつもならそろそろ眠くなる時間だ。

 アナクルさんの相手を適当に切り上げて、先程タスキー少尉から聞いた、広間の扉の奥にある寝室へ行こうとした時、バルドが訳の分からない声を上げながら、僕にへばりついて来た。一目見て完全に酔い潰れたと思った僕は、「バルド、寝るよー」と言いながら、呆けているバルドの両腕を掴んで、そのまま寝室へと引きずっていく。

 電気をつけた廊下を、仰向けのまま引っ張られていたバルドは、酔いに任せて掴まれた腕を振り解こうとしているが、酔っ払っているせいで、いつもの力が籠っていない。この状態なら、普通の動力炉を持ったインパウンドならともかく、特殊な動力炉を持っているアーミーパウンズ相手に、そんな事をしても無駄だ。

 強引に引っ張りながら、一番奥にある、金色の数字で二と書かれた扉を開けた。部屋の近くにあった電気のスイッチを入れた後、さらにバルドを部屋の奥へと引きずって行く。

 部屋の中は、茶色を中心とした家具が揃えられていて、落ち着いた雰囲気を作り出しており、机や椅子等の他に、ベッドが二つ左側に並んでいるのを発見した。抵抗を諦めて夢の世界に突入しているバルドを、ベッドの前まで引っ張った後、僕は全身を使って、バルドを優しくベッドの上へと移動させる。百八十.七キログラムある大型インパウンドも、アーミーパウンズに掛かれば軽い物だ。

 すぐに相手は、最近聞いた事の無い、規則正しい豪快な寝息を立て始めた。少し呆れながら、バルドに毛布と布団を掛けて、自分の欠伸を噛み殺しながら、静かに広間へと戻る。

 タスキー少尉が悪戦苦闘していると思っていたが、広間には誰も居なかった。少し中秋して、無線通信で皆の居場所を探ってみた所、どうやら全員割り当てられた寝室にいるらしい。タスキー少尉はアナクルさんと一緒に居るようなので、今頃タスキー少尉は必死に、アナクルさんを寝かしつけようとしているんだろう。

 静かな居間に居るせいか、楽しい事が終わった後の物悲しさが襲ってきた。溜め息をつきながら、何となく目に止まった居間の窓を開けてみる。

 外は夜の暗さに覆われていたが、その暗さも水星の物と比べて、何処と無く明るかった。気温は当然昼間よりも低く、窓から入る風も冷たい物で、心地良く熱に浮かれていた頭が冷えていく。空には地球から見える月が、ほんの少しだけ姿を見せており、僕はそれを、何となくぼんやりと見つめ続けた。

 完全に無音ではない静けさに、いつの間にか硬くなっていた身体が解れていくようだった。窓の縁に寄りかかって頬杖をつき、襲ってきた疲れに一息ついていると、タスキー少尉がこちらに近づいてくるのを感じとる。

 戻ってくるのかなと軽く考えていると、タスキー少尉は予想通り居間へと戻ってきた。後ろから、「お。お疲れさん」と声をかけてくる。

「はい」と気の抜けた声で答えた瞬間、僕はタスキー少尉の地位を思い出した。慌てて振り返り、頭を深く下げる。「失礼致しました」

「休暇中だし、そこまで固くなる必要はねえよ」緊張のあまり声が出ず、小声で謝る僕に対し、タスキー少尉は優しく僕を気遣う。恐る恐る顔を上げてみると、タスキー少尉は暖かな表情を浮かべていた。それでも居心地は悪い物で、僕は自然と顔を伏せる。

「料理が美味い美味い言ってたけど、地球の料理ってのはそんなに美味いもんなのか?」

「あ、それはもう」突然の質問に少し驚きながら、僕はタスキー少尉に目を合わせて、「美味しいです」と答えた。

「例えばどんな物が?」タスキー少尉は興味を惹かれたようだ。僕は「えーと」と言い、考えながら視線を軽く上に逸らして、少しずつ答えていく。「こう、水っぽいというか、ええと、水分が多いですよね」

「あれ、今の宇宙食って、普通の物と変わらないんじゃないのか?」少し驚いたタスキー少尉に対し、僕はまた、「ええと」と言う返事で間を作った。本心を伝えるべきか少し悩んだが、「ちょっと失礼な話何ですけれど」と前置きをして、「水気が全く無いです」と小声で答える。

「へえー」タスキー少尉は考える仕草を作りながら、「そういや、昔はインパウンド用っていう不味いのがあったんだっけか」と、納得した様子で答えていく。

 上官とは思えない柔らかな態度に、少しだけ緊張が解けたが、同時に沸き上がってきた眠気に堪え切れず、大きな欠伸をしてしまった。慌てて無理やり口を閉じるが、僕に釣られて、タスキー少尉も小さい欠伸をしていたようだ。お互い顔を合わせて苦笑いを浮かべる。

「まあ地球ってのは色々あるし、思う所もあるだろうけど、とりあえず寝てから考えようぜ」僕に背を向けて、寝室に向かうタスキー少尉の後を追いながら、僕は「そうしましょう」と、誰にも見られないまま大きく頷く。

 手前にあったタスキー少尉の部屋の前で、お互い「おやすみ」と言って別れた後、僕は自分の部屋に戻り、深い眠りに入っているバルドを起こさないよう、静かに自分のベッドへと入り込む。

 ベッドの中で仰向けになりながら、以前デルタ隊長に教えて貰ったように、大きく息を吐いて目を瞑り、心を落ち着かせて、自然と眠るのを待つ。自分でも色々試してみたが、起きた後に一番頭が冴え渡るのが、この方法だった。

 アースダム元帥やタスキー少尉の態度を見る限り、とりあえずは大丈夫そうだと思った直後、ここは本当に地球なんだろうかと、ふと強烈な不安に襲われて目を開ける。

 閉じる前に見た、暗い部屋の天井があるのを見て、一人安堵の息を吐く。改めて地球に居る事を実感しながら、もう一度目を閉じて、襲ってきた睡魔に意識を手放した。

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